2012年4月 7日 (土)

しばし、お別れ・・・

0、3、4、0、1、0、0、0で1勝7敗。開幕から8試合を消化した段階で既に完封負けが5試合、現在3試合連続完封負けで31イニング連続無得点記録更新中、ついでに開幕以来未だにチーム本塁打0と来た。オープン戦どころか、紅白戦からずっと打てない状況で、この目が出る恐れは充分あるとは思っていたのだが、いやそれにしてもここまで打てない、点が取れないとなると呆れを通り越して感嘆してしまう。次に誰からどうやって点を取るのか、それはいつのことなのか、そして勝てるのはいつの日か、こりゃ見ものですな。

打開策?あるわけないでしょ、そんなレベルの話じゃないよ。強いて言わせてもらうなら、とにかく開き直って1番から9番まで全員全打席ホームラン狙いで振り回してみたらどう?チビッたような情けないバッティングを繰り返しているくらいなら、まだその方がマシなんじゃないの?

この惨状にも打線のテコ入れに動かない原監督を無為無策と批判するか、その原監督の信頼と期待に全く応えられない選手達に罵声を浴びせるのが正しいのか。「春眠、暁を覚えず」とは昔から聞く言葉だが、そろそろ目を覚まさないと「ペナントレース」という列車に本当に乗り遅れてしまうよ。いくらなんでもずっとこのままとは思わんけどまさか「春眠」ではなく、実は「ただ力がなかっただけ」なんてことは・・・。

まもなく開設5周年を迎える当ブログだが、諸般の事情により本日をもってしばし休止させていただくことにした。いくらなんでも1、2週間で復活ということはないが、1,2ヵ月も経てばうそうそと戻ってくるかもしれない。が、半年、1年・・・の長きに渡る可能性もないではない。

日に何万のHITのある人気ブログでもないのだから、改めてご挨拶など、笑われてしまうのだろうが、一応書き手のケジメということでお許しいただきたい。

今まで、ありがとうございました。またお目にかかりましょう。

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2012年4月 2日 (月)

いよいよ始まった

ジャイアンツは東京ヤクルトスワローズを迎えての開幕3連戦を1勝2敗で終えた。圧倒的な大本命に推されていた割には、不甲斐ない立ち上がりと言われれば、反論の余地はないし、開幕から勝てれば、そりゃ気分はいいに決まっているが、昨年は同じヤクルト相手に2連勝スタートしながら、あの体たらく。逆に08年は開幕から5連敗をしながら、最終的には阪神を大逆転してリーグ優勝、翌09年も2敗1分のスタートから日本一になった。戦いは本当にまだ始まったばかり、先は長いのである。

0、3、4、これがこの3連戦でジャイアンツが取った点数、ホームランは一本も出なかった。調子の波はあるだろうが、今年も得点能力に多くを期待することは難しいようだ。それだけに土曜日のような試合を落としていると苦しい。

土曜日の試合はじっくり見させてもらったが、3-0になった時点で正直いただいたと思った。澤村からリリーフ陣につないで、少なくともひっくり返されることはないだろうと思って見ていた。それだけにあの結末はショックだったし、前途多難を思わされた。

ただ続く昨日の試合で、原監督は動かなかった。明らかに機能していない2番ボウガーも、元気のない7番小笠原も代えることもなく、逆に前日代打でヒットを放った藤村をスタメンに入れることもなかった。たかが連敗したくらいで騒ぎなさんな、監督がそう言っているようであった。

移籍後初先発の上に、チームの連敗というプレッシャーの中で、ヨタヨタになりながらも杉内は良く投げたし、山口も2日続けてヘマはせんよと、昨日はナイスピッチングだった。そして新ストッパーの西村もまずは堂々のデビュー、この1勝で地に足がみんな着くのではないか。

打線の方も、初戦はお話にならなかったが、後の2戦は少ないチャンスを生かして、それなりにつながったのは収穫だったろう。特に昨日の8回の点の取り方はお見事だった。代走鈴木はキャンプ中盤からファーム暮らしだったが、開幕にはキッチリ戻って来て、いい仕事をした。あの足はまだまだチームに欠かせないし、その鈴木のスチールを生かした二死後の代打亀井のタイムリー。ストッパーデビューの西村のプレッシャーを軽減したのはあの一打は、まさに値千金だった。亀井に今年求められる役割はこういうこと、多くの一撃必殺の痛打を見せてもらえるよう、期待したい。

昨年より戦力ダウンかと思われた、中日そしてソフトバンクという昨年の両リーグの覇者が揃って強さを見せつけて始まった2012年のペナントレース。しかし繰り返しになるが、先は長い。ジャイアンツは今週はロードの6連戦、まずは中日に叩かれて意気消沈のカープをしっかり叩いて、チームを軌道に乗せて行きたい。

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2012年3月26日 (月)

今年も重い1年か・・・

2月1日のキャンプインからはや2ヶ月、いよいよ今週末にはプロ野球は開幕を迎えることと相成った。昨年来、とにかくロクなことのないジャイアンツ。先日の開幕前恒例の激励会で、ナベツネ氏は

「(一連の場外闘争は)我々に任せていただいて、そういうことは全部忘れて(監督以下選手達は)試合に集中してほしい。」

とのたまっていた。全くそう願いたいものだが、現実はどうも雲行きが怪しい。

「大型補強をした年は、いい結果が出ない。」

との指摘を受けているが、それはあくまでナベツネオーナー、長嶋監督下のなんの戦略も意図もない「補強」の名に全く値しないただの「かき集め」の時代の話。ラミレス、グライシンガー、クルーンらを獲り、懲りもせずと言われた08年は、彼らがキチンと活躍し、チームの弱点を補い、見事リーグ優勝を勝ち取っている。前にも触れたが、今季の補強も明白な意図があってのことと見え、3年ぶりのV奪回に向けて視界良好、のはずだったのだが・・・。

今季のジャイアンツの戦力は、少なくてもセリーグの中では、2、3枚上と見える。負ける要素など感じられないと言っては、少しうぬぼれすぎかもしれないが、しかしそう言いたくなるくらい充実している、はずだ。

ただ、思えば昨年も一昨年も開幕前の時点では、リーグ優勝を逃すとは思っていなかった。一昨年は投手陣の整備に失敗したことが、最後まで崇り、結果的にわずか負け数2つの差でリーグ4連覇を逃した。昨年はその反省から投手力の整備に努め、チーム防御率は2年ぶりに2点台に戻したが、統一球導入の影響からジャイアンツのみならず、リーグ全体の投手成績が上がった結果、それが決め手とならず、逆に自慢の打撃陣が軒並み成績を落として、得点能力を低下させ、結果的な差はそれほど大きくなかったが、しかし1年間に渡って、ついに優勝争いに加わることが出来ずに、2年連続の3位に甘んじることとなった。

あくまで、数字上の単純な見方になるが、昨年のジャイアンツは3点目を取れずに敗れた。チーム防御率が2点台でありながら、勝ちきれなかったということは要はそういうことだ。一昨年までの破壊力には及びもつかないが、本塁打数は昨年もリーグ唯一の3ケタ、そして盗塁数もリーグ断トツだったにも関わらず、点が取れなかった。肝心の勝負を決する点数を取れなかったゆえの敗退だった。

昨年の経過を見る限り、統一球下での野球において投手力は決定的な差とならない、もちろん程度にもよるが。やはり得点能力の差こそが、優劣を決定付けることになる。いくら投手力を強化しても、こちらの得点能力がないと、アドバンテイジを掴むことができず、言い過ぎを承知で言えば「無意味」なのである。

公式戦すら中継しなくなった現在、オープン戦中継を目の当たりにするのは、地上波に頼っている限り不可能となった。BSでもオープン戦中継はほぼゼロだから、筆者は実際に試合を見ていないのだが、あくまで結果を見る限り、今年も打てない、点が取れない。紅白戦からずっとそうだ。

「今年は貧打だ。」

と原監督は嘆いたそうだが、助詞の使い方を間違えている。それはともかくとしても、開幕まで1週間を切った段階で、2安打だの3安打だのという試合が繰り返されているのだから、深刻である。それだけではない、実は打てないのは1軍だけではないのだ。既に一足先に開幕している2軍も教育リーグ段階から全く打てず、今やジャイアンツ全体に「貧打の神様」が取りついてしまっている。恐るべき事態と言っていい。

去年はポイントゲッターであるクリーンアップが機能せずに、得点できなかったのだが、現在の状況は誰も機能していないというほとんど救いのない状態。坂本、長野、阿部、小笠原と言ったあたりは全く調子が上向く気配もなく、やや元気だった村田、ボウガーという新戦力も、開幕が近付くにつれて意気消沈気味。藤村、大田ら若手にも成長の跡が見られず、亀井、松本哲の逆襲も今のところ期待薄。とうとう開き直ったか原監督は

「開幕は2、3分咲きの状態で迎えたい。」

と耳を疑うようなコメント。いくらなんでもちと酷過ぎないだろうか。

今年で原監督が復帰してから7シーズン目となるが、開幕カードの相手は実に7年間で4度目の対戦となる東京ヤクルトスワローズ。かつては徹底的にカモにし、リーグ3連覇に貢献してもらったヤクルトだが、2010年途中から小川現監督が指揮を執り始めると、なぜが風向きが変わってしまった。昨年だって、せめて五分で戦えていれば、全く違った結果が出たのだが、特に敵の本拠地で言い様にやられてしまった。

それに過去3年の開幕カードでも分がよくない。昨年こそ2連勝だったが、一昨年は初戦快勝したもののあと連敗。08年に到っては3タテを食らっている。青木が抜けたとは言え、昨年の2位チーム。その上、相手がこちらに対して自信を深めている(だろう)だけに、まずは叩いて波に乗りたいのだが・・・。

ピッチャーはたぶんそんなに大きな間違いはなさそうな気配、やはりどれだけ打てるか、どれだけ点を取れるか、結局今年もこれにつきる。しかし今の様子では・・・今年もあの重苦しさとの戦いの1年になってしまうのだろうか、げに憂鬱である。

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2012年3月21日 (水)

事実は小説より奇、そして非情なり

それはあまりに衝撃的であった。2年前だったか、道中他の馬に身体ごとぶつけられる不利を受けながら、モノともせずに完勝してみせたルーラーシップのレースもかなり衝撃的だったが、正直スケールが違う。あんなレースを見たことはもちろん、今後見ることもまずないに違いない。

去る18(日)で行われた阪神大賞典、距離3000mは天皇賞春への最重要ステップレースであると同時に、4冠馬オルフェーヴルの今年の始動レースということで、例年以上の注目を集めていたが、そのレースと結末は目を疑うような展開であった。

正直なところ、オルフェーヴルがどういう勝ち方をするかが、唯一最大の見どころと言っても全く差し支えないレースのはずだったが、1周目のゴール板が近づくにつれて、オルフェが掛かったように前に進出する。3冠を目指す菊花賞で、1周目の第4コーナーで勘違いしてスパートをかけようとしたディープインパクトの故事が思い出されたが、考えてみれば、既に菊花賞を完勝しているオルフェは、ゴール板を2回通るレースは経験済みのはず。しかし、オルフェの様子は明らかにおかしい。先頭に立った馬を懸命に追いかけ、ついに向こう正面で先頭に立つ。まだ早い、鞍上の池添謙一騎手は必死に手綱を引き、オルフェをなだめようとし続けていたが、オルフェはやがてコースを逸走し始める。

「故障か?」

休憩中に音量を消してレースを見ていた筆者は思わずボリュームを上げて、場内が騒然した声が聞こえて来た時、もっと信じ難い光景が展開される。オルフェは「ヤベッ」とばかりに慌てて、レースを「再開」すると、前を追いかけ始め、最後の直線でごぼう抜き、そのまま差し切るかに見えたが、さすがに勝ち馬には1/2馬身及ばず、それでも2着で入線したのだ。言葉を失うとはこのこと・・・筆者はしばし呆然とワンセグの画面を見つめるだけであった。

どうやら向こう正面で先頭に立って、手綱を強く引かれたことで、オルフェはレースが終わったと勘違いしたらしい。それにしても一回レースを明らかに止めた馬が、もう一度巻き返してあわや勝ちかけた。平場や未勝利戦ではない、過去2年の天皇賞春の勝ち馬も出走しているGⅡレースで、である

世にも珍しく、面白い物を見せてもらった。ようやく我に返った筆者は思わず笑ってしまったが、単勝1.1倍、オルフェの勝利を信じて馬券を買った人や名馬が完勝する姿を拝もうとしていたオルフェファンは憤懣やるかたなく、筆者のような呑気な気分には当然なれまい。とにかく「普通に走っていれば」、どのくらいちぎっていたのかというレースである。騎乗していた池添騎手、更に管理する池江泰寿調教師への恨み節は凄まじい、まぁ仕方ないだろう。

とにかくやんちゃで扱いの難しい馬であることはつと知られていたが、まぁここまでとは思わなかった。今回はこれが本番ではなく、前哨戦のレースであったことをせめてもの慰めと思うしかないだろう。あまりの滅茶苦茶なレースぶりに、一旦は今後は白紙と報じられたが、結局予定通り春天に駒を進められることになったのはめでたい限り。本番はたぶん圧勝するとは思うし、逆にこんなとんでもない馬を乗り慣れた池添騎手から乗り替わらせる選択肢は全く現実的とは思えんが、それにしても、こりゃいろんな意味でこれからも、目が離せませんなぁ。

それにしても、こんな規格外のレースにも慌てず騒がず、3番人気ギュスターヴクライで見事制した福永祐一騎手のこのところの充実ぶりには目を見張る。とにかくこれで今年の重賞は早くも6勝目、今季の勝ち星36勝でリーディングも独走態勢。前日の皐月賞トライアルのオープン若葉賞もワールドエースで勝ち、さぁ今年はGⅠいくつ勝つのかという勢いで、往年の武豊騎手を見るようである.

その武豊、祐一にはもはや及ばないにしても、なんとか年間100勝はと頑張ってはいるが、なかなか勝ち星が上がってこない。年が開けると、おやっという感じで勝ち鞍を伸ばして来たが、2月末に急激に失速、どうも今の豊は好調を2ヵ月弱保つのが精一杯らしい。彼の辞書から「固め勝ち」という文字が消えてしまったのも痛く、なかなか20勝の壁が高い。人気薄を持ってくることのある半面、えっと言う馬で取りこぼしているのも目立ち、なかなか成績が安定しない。それでも昨年のどうしようもない時期よりは、騎乗内容も騎乗馬の質も上向いているとは思うので、なんとか食らいついて行って欲しいとは思う。まぁこんなことをここ数年、ずっと言っているのだが・・・。

3年前、A級3回目の登場ながら3度アタマハネで1期で陥落の憂き目に遭い、初の現役タイトルホルダーのA級陥落という汚名を残しただけでなく、タイトルまで獲り損ねた深浦康市王位(当時)の姿を見て、「ブラックマーチ」というタイトルの文章を書いたことがあったが、今年そんな深浦も裸足で逃げ出すような不遇に見舞われた棋士が現れた。

先にA級の座から陥落し、「史上初の複数タイトル保持者のA級陥落」という不名誉な記録を樹立してしまっただけでなく、その2つのタイトルをそれからわずか2週間ほどで立て続けに失冠、瞬く間に無冠に転落した久保利明九段、その人である。

今期、ここまでの久保の成績は21勝26敗、ニ冠王としては情けない戦績だけに来るべき時が来た、勝負の世界は厳しいのだと言ってしまえば、それまでのことではあるのだが、しかしここまでの立て続けの悲運には、さすがに同情を禁じえない。

粘って粘って粘りぬいて、相手をラビリンスに誘いこんで、最後に勝ちを収めるというのが、ここ数年の久保のスタイルだったのだが、今期に関しては、それが自分に跳ね返って、かえって成績を落としてしまった印象を受ける。

3年ぶりのB級1組参戦、更には4年ぶりの無冠で迎える2012年度、ショックは大きいだろうが、しょげてる暇はない。上記深浦も少し低迷していたが、来期久保と入れ替わる形でA級に帰ってくる。一方、前年A級から陥落したばかりの藤井猛九段は今期も負けが込み、なんと1期で今度はB級2組に陥落してしまった。久保もここは正念場、奮起を期待したい。

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2012年3月18日 (日)

「国民の生活が第一」が聞いて呆れる

今のご時世、正社員だけで会社、企業を運営することはまず不可能である。筆者の勤める流通業界は、特に正社員比率が低く、従業員の7~8割がいわゆる非正規社員と呼ばれる人々である。主婦を中心としたパートと学生を中心としたアルバイトが主な構成要員であるが、意外と知られていないのが「シルバー社員」と呼ばれる人々である。

これは名前から想像できる通り、定年退職後に、働き場を求めて勤めている60歳以上の方達のことである。スーパーなどに買い物に行くと、よく乱雑に止められている自転車置き場の整理をしたり、使い終わった買い物カゴを所定の位置に戻したりしているお年寄りを見かけたことはないだろうか。あの人達のことだ。

今、「お年寄り」と書いたが、今の60代なんて老人扱いするなど、とても失礼としか思えない人がゴロゴロいる。基本的には、そんなに難度の高い業務に携わることはないが、それでも人によっては社員や若いパート顔負けの能力を発揮される方もいる。みなさん、筆者なんかより遥かに豊富な人生経験を積まれた方ばかりなのに、嫌な顔1つせず、黙々と働かれている姿には頭が下がる思いがする。まして筆者の勤務する店のように周囲に学校がなく、学生アルバイトの確保が難しい環境だと、本当に貴重な働き手なのである。

その人達が数日前、いっせいに集められた。彼らはシルバー人材派遣会社からの「派遣社員」という立場で、その派遣元からの呼び出しであった。突然のことで、戸惑いを隠せないまま集まった人々に告げられたのは

「スーパー等流通業への派遣中止。」

というまさに寝耳に水の通告だった。会場は騒然、声を荒げて事情説明を求める人々に対して、会社側の説明は

「ある所に、国の査察が入り、その結果、現在の勤務形態は違法であるとの指摘がなされた。」

とのことだった。この俗に「シルバーさん」と呼ばれる人々が、流通業界で今の形で働くことは、別に昨日今日始まったことではない。今まで何の不便も不都合も生じていないのに何を寝ぼけたことを思うが、曰く

「このシルバー人材派遣による勤務は現在のような『高度』かつ『重労働』を想定していない。定年後の余暇の1つとして、お年寄りでもこなせる『単純作業』に従事してもらうのが、本来の目的であり、売場での接客や上長、会社からの指示によらなければならないような『複雑、難度の高い業務』に携わることは許されない。」

要するに長年働きに働いて(まさに日本人が『働きバチ』とまで外国から揶揄された時代を生きて来た人達だ)、一線を退いたお年寄りに、まだ過酷な労働をさせるなどもってのほか、もっと先達をいたわりなさいというお国の「ありがたい思し召し」ということらしい。

一同唖然呆然、ようやく我に返って抗議しても、あとは国の判断だからの一点張り。代わりの職場は極力確保するから、3月一杯で現在の派遣は打ち切りとしますとの最後通告を発すると、お開きと相成ったそうである。

この顛末を参加した人達から聞いた筆者達は呆れてモノも言えなかった。だいたい自営業者ならともかく宮仕えである以上、この世に「指示によらない業務」というのが、どんな単純作業であったとしても存在するのだろうか。そして何より、あまりにも「60歳以上の老人」を愚弄している。

今の勤務に見合う賃金をみなさんもらってないでしょう、とも言われたそうだが、確かにそれは否定できない。パートより低い賃金で雇える彼らは企業側にとって、便利でありがたい存在であったのは間違いなく、その待遇に不満の声が上がって、それに国が応えての今回の決定ならまだ話はわかる。

しかし、筆者が知る限り、今回の通告に感謝したり、納得したりしている人は皆無である。みなさん、これからどうしたらいいんだと嘆き、怒っている。じゃあもうちょっと賃金を上げりゃ認められるのかと言えば、そういうことでもないらしいのだ。

今の仕事で得られている収入は、現役時代に比べれば、それは微々たるものだろう。これ一本で生活しているわけではないだろうし、またできもしないだろうが、しかし生活費の貴重な足しになっている人は多いだろう。家に閉じこもっているより、身体がまだ動くんなら、外で活動したい、そういう思いも強いはずだ。

それをいきなり、半月後に取り上げられることになった。むろん、新たな仕事を世話すると言ってる以上は、やるのだろうが、地域で今回の呼び出しに集まった人はゆうに50人は超えていたそうだ。勤務や所用で出られなかった人も当然いたはずで、彼らの通勤可能範囲内で、それだけの人数の雇用を保証するのは、簡単なこととは到底思えない。見つかった仕事に、その人達がなじめるかどうかもわからない。

一方、雇っている会社(店)側としても、これは当然のことながら大打撃である。今回のことは雇用側には、少し前に既に通達があったらしい。慌てて関係部署にいろいろ掛け合ったが、事は一企業、一店舗の問題ではないだけに、どうにもならなかったようだ。今は「さすがに今月一杯はいくらなんでも乱暴すぎる、もう少し猶予を」という交渉をするのが精一杯というところらしい。

「こんなことになったら、天麩羅上げる人がいないよ。」

と我が店のトップは頭を抱えていた。雇用している側も、されている側も全く望まない事態が、「国民(お年寄り)を守る」という名目の下、強行されようとしている。年金の支給時期がどんどん遅れ、「65歳定年制」導入の必要性が叫ばれている最中に、「国民の生活が第一」をスローガンに政権を獲った政党が構成する政府の下で行われている、これが現実である。

無論、民主党のセンセイ方はこんな下々で起こっていることなど、とんと御存じないだろう。政治主導、情報公開を怒号し、いざ政権を獲ったはいいが、為すすべなく、何一つまともに公約を実現どころか、取り組もうとした形跡もなく、結局自民党政権の後追いに終始した挙げ句、消費税増税こそが責任ある政治家の使命と、小賢しくものたまう姿には本当に怒りを禁じえない。結局、国民から金ふんだくることしか考えてない連中なのだ、それが政治の仕事の重要な要素であることは認めるが

「国民主導、国民の手に政治を取り戻す。」

などとよくも恥ずかしげもなく言えたものだと、改めて思う。「厚顔無恥」とはあいつらのこと、いい加減「国民の生活が第一」などという空疎かつ心にも思っていないスローガンだけでも取り下げたらどうか。そのくらいの良心の呵責すらないのだろうか。

やっとこの日が来た、長かった。昨日の西武とのオープン戦に、筆者が待ち続けた「あの男」がついに初登板を果たした。何年か前に、練習試合に登板したことはあったが、公式戦はもちろん、オープン戦でも、彼が1軍のマウンドに立ったことはなかった。7年目のデビュー戦、彼の素質、高校時代の実績を考えれば、その時間はあまりにも長過ぎた。

プロ入り以来、まともに過ごしたシーズンがほとんどない。ケガとの戦いに終始した日々だった。昨オフの海外武者修行でキッカケをつかみ、今年こそと思っていたら、キャンプから音なし。どうやらまた足をケガしていたようだが、それも癒え、1軍首脳陣にチャンスを与えてみようと思わせるところまでやって来た。

結果は1イニング、打者4人に被安打2、1失点。残念ながら合格点にはほど遠い内容だった。開幕を2週間後に控えている今、もう一度チャンスをもらうのは厳しいと思うが、それでも最速146キロのストレートは前途に希望を感じさせてくれた。そして何より、彼の初登板は話題となった、新聞にもそれなりのスペースで取り上げられた。彼はまだ忘れられてはいなかったのだ。

山口鉄也に続くサウスポーの中継ぎがいない。康成、京介のW高木に星野真澄、なんとも心もとない。あの甲子園を沸かせたストレートが忘れられない。

「ストレートをもう一度磨き直します。」

登板後のインタビューで、本人はこう語ったそうだ。自分の武器はストレート、誰よりも本人がそれを一番よく知っているはずだ。

ようやく記した第一歩、これをきっかけに飛躍しなければ・・・早いもので彼も今年で25歳、残された時間は決して長くはない。しかし筆者は信じている、今年こそ、辻内崇伸がその雄姿を、東京ドームに現わすことを。

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2012年3月16日 (金)

もういい加減、考え直しなさいよ

そろそろジャイアンツのことを書こうとは思っていたのだが、まさかこんな内容で書くことになろうとは、思ってもみなかった。

昨日15日付けの朝刊で朝日新聞は「巨人、6選手に高額契約金」との見出しで高橋由伸、上原浩治、二岡智宏、阿部慎之助、内海哲也、野間口貴彦(入団順)の6選手を獲得するにあたって、当時の新人契約金の「最高標準額(1億5千万円)」を遥かに超える金額を各選手に支払っていたと、一面トップで伝えた。筆者が確認した限り、他の一般紙はもちろん、スポーツ紙でも他にこれを少なくとも一面で報じたものはなく、完全な朝日のスクープであった。

朝日は流出したジャイアンツの内部資料をもとに、球団社長らへの取材を経て記事掲載に到ったようで、これに対してジャイアンツ側は個々の事案については、はっきりとは認めてはいないものの

「最高標準額は上限ではない。あたかもルールを破ったかの報道は遺憾であり、各選手の名誉とプライバシー、当球団(ジャイアンツ)の名誉と営業上の秘密に関して、極めて深刻な影響を与える。」

として、朝日に対して、各選手への謝罪と紙上への謝罪文の掲載を求めている。やれやれ、である。

まず、これが朝日の一面トップを飾るようなニュースかという気はするが、それは置こう。このニュースを見た筆者の率直な感想を書けば、江本孟紀と同じ

「何を今更。」

である。数年前に発覚した元横浜の那須野巧への契約金が5億を超えていた、という事実から見ても、それに近いあるいはそれを超える金額が、有望選手獲得に当たって乱舞していたであろうことは全く想像に難くない。1億、2億で争っている時に、いかにその選手が欲しいからと言って、じゃウチは5億出しましょうといきなり言い出す奴は普通いないからである。そしてその「マネーゲーム」の中心にジャイアンツが居たこともまた想像に難くない。フーンってなもんだ、だが、しかし・・・である。

今回の件は小沢一郎の一連の騒動に似ている。白か黒か言われれば白(小沢はまだ白と決まったわけではないが)、しかしそれって道義的にどう?ってことだ。

最高標準額=上限ではないことについては、まぁ争う余地はなさそうだ。しかし1億を「メド」って決めて、5億、6億を出すっていうのは、やっぱりフェアじゃないし、おかしいんじゃない?とは率直に思うよね。

結局、ドラフトをいつまで経っても、完全ウェーバー制にしないから、こんなことがいつまで経っても続くし、発覚するんだよ。選手獲得なんて、本来なら自由競争が筋だとは思うが、「契約金抑制」と「戦力の均等化」というお題目を金科玉条とするなら、ドラフトは必要悪であり、完全ウェーバー制こそが、取り得る最善のシステムであることは間違いないだろう。

それに猛反対しているのが、他ならぬジャイアンツ。結局は身から出た錆び、としか言いようがない。だいたいこんな内部資料が、なせ今流出したのか、昨年の清武騒動の余波なのかどうかは知らんが、どちらにしても締まらない話である。

開幕が迫る中、なんともバツの悪い格好となってしまった。かくなる上はふんどしを締め直して、チームはペナントに臨むべし、今はそれしかありませんなぁ。

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2012年3月14日 (水)

「非常」の時

その時、筆者は休憩中で、会社の更衣室にいた。突然ガタガタと揺れ出して、しかしあまり恐怖を感じることはなかった、「結構長く揺れとるな」とは思ったが。ようやく揺れが収まったのを確認すると、筆者は更衣室を出た。大きな地震の時に流れる非常放送があったので、売場の状況を確認する為だった。それでも正直に言えば、この時点でもそれほどの緊迫感は感じていなかった。「ちょっと様子を見て来るか」、その程度の感覚だった。どれ程のことが起こったのか、また起ころうとしているのか、筆者は全く呑気だった。

この放送を筆者が聞いたのは、2004年秋の新潟沖地震の時以来だった。あの時は確か土曜の夕方で、お客も結構入っていた。お客の誘導と、当時担当していた液晶テレビが倒れそうでヒヤヒヤしたのを覚えている。それに引き換え、この時は平日金曜の昼過ぎ、大したことはないと思いながら、売場に戻るとまた揺れた。更に一回、これはさすがにただ事ではない、筆者もようやく事態の深刻さを認識した。

とりあえず為すべきことは、お客の避難誘導と売場の状況確認。誘導の方は他の社員に委ね、筆者は状況確認に回った。電球、食器が少し落ちて、割れていたが大したことはなく、それによるケガ人もなかったのは幸いだった。

割れ物を片付けながらも揺れは続く。誘導は完了したが、営業を停止したわけではなく、お客は新たに上がってくる。ずっと揺れ続けているわけではないから仕方ないのだが、店の旧式エスカレーターは最初の揺れで止まってしまっており、みんな階段を上がる要領で上がってくる。来た以上、買い物はして帰ろうという魂胆なのかなと思っていたのだが、あとでわかったのは、実は近くの競合店が被害甚大で早々に店を閉めてしまっていた。更にこれは結果的にはすぐに復旧したのだが、周辺のガス供給も一時的にストップした。今夜の食事の確保が心配になって、どうやらみんな惣菜や弁当、更にはガスボンベを求めて、当店に駆け込んで来たらしかった。

そうこうしているうちに、少しずつ情報が伝わってきた。一度目の地震は震度5、震源地は東北南部で、地震そのものの被害もさることながら、津波の心配もあるようだった。ばたつく状況の合間を縫って、筆者は店頭の公衆電話に走った。ずっと気になっていた自宅に連絡を入れる為、こういう時に携帯が何の役にも立たないのは「常識」である。

妻とはすぐにつながった、幼稚園に行っていた次男を車で迎えに行き、自宅に上がった直後に揺れたのだという。長男はたまたまこの日は一斉下校の日で、校庭に集合している最中のことだったそうだ。いつものように同級生とのんびり帰って来ていたら、どうなっていたか。妻がすでに連絡をとってくれていて、筆者の実家、妻の実家も共に無事が確認できた。とりあえず安心して電話を切った。

戻ると情報がまた入った、電車関係はすべてストップ、特にJRは既に終日運休を決めたという。これで筆者の帰宅する術は失われた、会社はすぐにホテルの手配に動いてくれたが手遅れだった。あとは会社に泊まるか、それとも歩いて帰るか。翌日が休みなだけに考えどころであった。

政府は無理して帰宅しないように呼びかけたようだが、翌日が土曜日なのがミソだっただろう。なんとかして帰りたいと言う心理が働くのは仕方なかったのではないか。食べ物やボンベが底をつく頃、仕事帰りのサラリーマンやOLが今度は靴を求めて、現れるようになった。しかし残念ながら当店は靴の扱いがない、そろそろ客足も遠のき、自分のことを考える時間になって来たようだ。

残留組が他に10人ほどいることもあり、筆者は無理をしないことにした。寝泊まりする施設があるわけではないが、こういう時に小売業はモノに困ることがないのが強みだ。閉店してから、上司、同僚3人と食事を取りに出る。食品担当の中には抜け目なく、自分の分の食料をちゃっかり確保していたのもいたようだが、我々にはその余裕がなかったのだ。

これまで館内に閉じこもっていて、わかっているようで、世の状況が分かっていなかったのだが、街道沿いを途切れることなく、人の流れが郊外を目指して続いている。まさに人民大移動、その異様な光景に、否応なく非常事態という現実が迫ってくる。

更に困ったことに食事が摂れる所がない。長蛇の列か、売れ切れ閉店か、どちらかしかないのだ。最悪売り物のポテトチップでもかじって、飢えはしのげるとは思っていたが、できれば避けたい。ようやく焼ソバならという中華料理屋が見つかった時は、正直ホッとした。

店に戻った時には既に11時を回っていた。店に居残っていた連中は、テレビのニュースに釘付け、被災地の悲惨かつ壮絶な状況を刻々と伝えていたが、筆者は見るに忍びず、自宅と実家に連絡を入れ、休むことにした。

寝るところはないのだが、今度は筆者がちゃっかり売場のお試し用ベッドを確保してあった。他の寝具も売場から調達し、非常灯だけが輝く中で、1人ゆっくりと眠りについた・・・がやっぱり揺れる。妻からも不安を訴えるメールが入ってくる。幼い子供達と3人の夜、ただでさえ大の地震嫌い、いざと言う時の為に、いつでも外に飛び出せるように雨戸も締めず、結局眠れぬ夜を過ごしたようだった。

こちらはいつのまにか眠ったようだが、なんか耳をつく音に目を覚ました、携帯を見るとまだ午前5時。どうやらレジのインバーターが稼働したらしい、しかし周りが静かだとこんなにうるさいものなのか、神経も高ぶっていたのだろうが、結局その後は眠ることはできなかった。

繰り返すが、筆者は本来はこの日は休日。交通網が復活すれば、早々に御暇したかったのだが、納品は遅れ、社員の出勤もままならずといった状況を見ると、知らん顔もできず、結局なんだかんだと「御奉仕」し、会社を離れたのは結局もうお昼近かった。

JRは平常運転と聞いていたのだが、とんでもない。上野駅はどこまで続いているのかもわからない行列、入場制限がなされていて、とにかく駅に入れないのだ。なんの情報も案内もないまま、1時間半ほど立っていたが、たまに列は進みはしても、改札口は遠く、一体いつになったら電車に乗れるのか、全く見当もつかない。ちょっと先にあるビジネスホテルが目に入る、こうなったら面倒くさい、泊っちまうかと思い始めた時、ハッと気付いた。地下鉄が動いている、私鉄も動いている・・・らしい。ということは遠回りにはなるが、実家には帰れる、今まで家に帰ることばかり考えていて、全くそこに頭が回らなかったのは迂闊の一言。ようやく、活路が見え、筆者は勇躍列を離れた。

妻に状況を話し、今夜も帰れないことを詫びると、筆者は実家に向かった。こちらのルートは全くスムーズ、聞けばもう前夜の内からこちらは復旧していたそうで、それならあんな不自由な思いをしなくて済んだのだが、近くに住む義妹と姪、更には偶然来合わせていた1人暮らしの叔母も前夜は泊まって、実家は俄か避難所の様相を呈していたらしく、やっぱり筆者の居場所はなかったかもしれない(ちなみに弟はやはり朝帰りを強いられたそうだ)。実家に着いたのはもう4時過ぎていたか、何か食べるかという母の問いに首を振ると、筆者は布団に潜り込んだ。とにかくまずは眠りたかった。「普通に眠れる」ことのありがたさが身に沁みた。

翌日、交通機関は既に通常に戻っていた。一見何事もなかったような雰囲気だが、日曜だと言うのに、人がやけに少ない。通勤客がいないのは当然にしても、活気も華やかさもない。さすがに外出を控えているようだ。出社してもいつもより静かな日曜だった・・・夕方までは。それが急に雰囲気が変わる。あの光景というか、空気の変化は忘れられない。大袈裟でなく、人々(お客)の目が変わったのだ、それは今まで体験したことのないゾッとするような変化だった。

「紙」だった。紙、つまりトイレットペーパー、ティッシュペーパー、更に女性用の生理用品が周辺の店から姿を続々と消していた。しかしその時点で筆者の店にはまだあった、それを求めて客が集まりだしたのだ。これはウソか本当かわからないが「あそこにはまだある。」というメールが駆け巡ったのだという。更に乾電池、ガスボンベそして防災用品も、まもなく店頭から姿を消した。これらを求める狂奔劇が以降2週間程続くことになる。「集団心理」の恐ろしさを目の当たりにした思いだった。

その夜、筆者は2日振りに帰宅した。たかが2日、されど2日、出迎えてくれた妻の顔、更に寝ている2人の子供の寝顔を見た時はさすがにホッとした。無事でよかった、ただそれだけだった。

翌日からもいろいろなことがあった。ままならぬ通勤、薄暗い店内、そして計画停電、3月と言えどもまだ肌寒く、仕方なく家族揃って布団にくるまって、電気が付くのを待ったこともあった。物の供給がようやく、復旧して来ると今度は放射能、そして夏の電力不足騒動へと続いて行く・・・。

思いだすままに綴って来た、言うまでもなく筆者は「被災者」ではない。そんな筆者でもあの数日間、更にその後に続く日々で体験、見聞したことは「非日常」としか言い様のないことがたくさんあった。しかし、そんなものがどうしたと言わざるを得ないほど、筆舌に尽くし難い、どんな言葉をも軽くしてしまう壮絶な体験をされた方々が大勢いる。遠い彼方の話ではない、同じ日本人の、筆者の住んでいる地域からほんの数十キロの距離にいる人々に襲いかかった現実である。

そして2012年3月11日14時46分、あれから1年が経ったその時、日本全国で黙禱が捧げられた。政府がそれを呼び掛けた時、実は筆者は素直に受け入れられなかった。しかし、当日、筆者は職場でその時を迎えた。店内のBGMは荘厳なものに替えられ、その場にいた人々が一斉に頭を垂れたその瞬間の空気は、やはり犯し難い厳粛なものであった。被災者のみなさんの本当の苦しみはわからない、なんとか分かち合うこともできないのだろうか、そんなことは言うのもおこがましいことかもしれない。しかし、あの日を我々とて忘れることはできないし、決して忘れてはならないのだ。

日曜は朝からTVは大震災1年の報道一色だった。それに刺激されてだろうか、やはり防災コーナーへの人の付き方は尋常ではなかった。防災意識が高まることは悪いことではない、大自然の猛威の前に、儚い抵抗かもしれないが、少しでも悲劇を食い止める為の努力はするべきだ。

だかあの大震災の教訓、それは「地震はやっぱり怖い」ですませていいものなのか。東日本大震災が、あそこまでの大きな被害を出し、そして今も尚、多くの人々が苦難の日々を送っているのは「地震」「津波」「放射能」というトリプルパンチが現地を痛撃したからだ。そこから何を学び、そして何を今後に生かすのか。筆者が暗然とするのは

「阪神大震災の教訓を生かしきれなかった。」

という言葉を何度も聞くことだ。遅々として進まない被災者救済そして現地の復興、その上多くの犠牲者が残してくれた尊い教訓をまたしても、無為にするようなことがあったら・・・本当にこの大震災は何らの救いのない悲劇に終わってしまう。政府の無能、無為無策を叱咤、非難することはもちろん必要だろう。しかし、脱原発どころか、がれきの行き先1つ決まらない現実、自分自身が何をすべきか、何ができるのか、もう一度考えてみるべき時なのだということを今、改めて痛感する。

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2012年3月 5日 (月)

今年の中継はちょっと物足りなかったぜ

また、この時期がやって来た。「将棋界の一番長い日」、今年は朝日新聞のテレビ欄で、NHKBSでの中継が取り上げられていた。今や、3月の風物詩の1つと言ってもいいかもしれない。

去る2日に行われた第70期A級順位戦最終局一斉対局。焦点の1つである森内俊之名人への挑戦権は、前年フルセットの末に森内に敗れ、今期4年ぶりにリーグ戦に参加した羽生善治棋聖・王位(順位1位・以下同)が破竹の8連勝で、最終局を待たずに獲得。この日は62期に森内が達成して以来の史上3人目のA級順位戦全勝を賭けて、郷田正隆九段(4位)と対局。

もう一方の焦点である2人の降級者はまだ、決まっておらず、ここまで1勝7敗と苦しい星取りの高橋道雄九段(3位)と丸山忠久九段(6位)、それに彼らを星1つリードしているものの、順位が2人より下位の久保利明棋王・王将(8位)の3人の内、2人がB級1組に陥落の憂き目に合うことになっていた。そしてこの日は、丸山と久保の直接対決が組まれており、当然のことながら、最大の注目を集めていた。自力残留の目があるのは久保だけだが、負ければ順位の関係で即降級決定。他の2人も当然負ければ、その時点でアウトだが、勝っても相手が勝てば、やはり降級という厳しい立場である。

朝10時から始まる対局、NHKの中継は朝、夕方、夜と3回入る。当然、事態が緊迫して来る夜の中継が一番盛り上がり、筆者もそれ見たさに、早めに仕事を切り上げ帰宅したのだが、今年はなんと3度目の中継は日付の変わった午前0時スタートになっていたのを知らなかった。戻ってから、それを知った筆者は、これならもう少し、仕事を片付けてくればよかったと後悔したが、もうどうにもならない。

そして中継がようやく始まると、いきなり高橋の顔が大写し。この日の相手は谷川浩司九段(7位)、51歳の高橋と49歳の谷川、文字通りの大ベテラン対決だったが、得意戦形で押しまくり、終始リードを保った高橋が、15分ほど前に勝利を収めたとのことだった。初戦を勝った後7連敗、崖っぷちの立たされたものの、最終戦でようやく一矢を報い、とりあえず可能性を残した高橋はさすがに、感想戦では時折笑顔も見せていた。

一方の谷川は、昨年と同じく出だし4連勝を飾ったものの、これまた昨年同様失速。辛うじて勝ち越したものの、名人挑戦には程遠い結果と終わった。谷川も今年いよいよ50歳、専務理事という連盟運営のNO2のポジションにも就き、難しい立場になった。ただ来期でA級以上連続31期の偉業は、今のところ他の追随を許さない(続く羽生が来年で連続20期)。大山康晴十五世名人の連続44期というお化け記録にどこまで迫れるか、注目して行きたい。

中継が始まるとほぼ同時に終了したのが羽生ー郷田戦。この日の対局の中では、もっとも進行が遅く、長引くと言われていたそうだが、一瞬のスキを突いて、勝機をつかんだ羽生が一気に寄せて、勝利を掴んだ。今期の順位戦における羽生の充実ぶりを物語る快勝で、これで全勝、堂々とリターンマッチに臨むこととなった。

対する郷田は5勝4敗、勝ち越しでリーグ戦を終えた。現在久保棋王に挑戦中で、タイトル奪取に王手をかけた状態。来期は初めてタイトルホルダーとして臨むA級順位戦になるかもしれない。

既に他の2局は終了していた。三浦弘行八段(5位)と屋敷伸之九段(10位)の一戦は三浦の勝ち。例年きわどくA級を維持し、「神」とまで呼ばれる三浦だか、今年はその神ぶりを発揮するまでもなく、5勝4敗で悠々と残留。一方C級1組での14年もの足踏みがたたり、齢40でようやくA級初登場となった屋敷だが、最終局は落としたものの、5勝4敗の勝ち越しデビューはさすがというしかない。

渡辺明竜王・王座(2位)と佐藤康光九段(9位)の一戦は渡辺の勝ち。渡辺はこれで7勝2敗で2年連続のリーグ戦次席。今期は羽生の王座戦V20を阻止して、念願の2つ目のタイトルを手に入れ、今や指定席と化した観もある竜王位も危なげなく防衛。充実ぶりが伺えるが、来期こそは、やはり名人挑戦を果たさなければなるまい。2年ぶりのA級復帰の佐藤は4勝5敗、平凡な成績で終わったが、久保に挑戦中の王将戦で3勝1敗と、タイトルホルダー復帰にあと一歩まで迫っている。来期の活躍に期待したい。

こうして注目の一番だけが残った。上記のように現在同時進行状態のタイトル戦でいずれもカド番に追い込まれ苦戦中の久保、今期の成績も現在勝率5割を切っている状態。対する丸山も今期は竜王戦で久々にタイトルに挑戦したものの、通算成績は5割ちょうどとこちらも元気がない。思えば、この2人は昨年も残留争いをしていた。久保は森内と1時半まで激闘を繰り広げていたし、丸山は冷えピタを頭に張り付けて渡辺と戦っていた。久保は敗れ、丸山は勝ったが結局は2人とも、残留した。しかし今年はライバルの高橋が勝ったことにより、どちらかが、いや結果次第では2人とも降級となる。1人は風前の灯とはいえ、現在二冠、落ちれば史上2人目のタイトルホルダーの降級、それも二冠ホルダーとなると史上初の屈辱だし、丸山とて名人2期の実績を誇る。どちらもその降級は「事件」なのである。

戦況は一進一退、先はまだ見えない。解説は軽妙な木村一基八段の間はよかったが、若手の村山慈明五段に変わるともういけない。相手が口下手の森内名人だから、画面まで重くなってしまう。攻め込む丸山、のらりくらりとかわす久保。久保は去年もこんな感じで森内を翻弄していた、そういえば4年前だったか、この時も降級争いをしていて、千日手になって指し直し局を指したこともあった。本当に将棋が好きな人である。とにかく両者穴熊だから、余計時間がかかる。

既に1分将棋となっている久保に対して、丸山はまだ20分ほど考慮時間を残していた。結局最終的に、この差がモノを言ったような気がする。時計が1時を過ぎるあたりから、丸山の指し手が早くなった。ついに読み切ったのか、しかし久保も千日手含みで粘る。その粘りも万策尽きて、ついに久保が投了したのが1時13分。ドッと中に入る報道陣、放心したように座る2人に容赦なくフラッシュを浴びせる。負けた久保はもちろん、勝った丸山も降級したのだ。高橋が勝った時点で、丸山の残留の目は実はなくなっていた。その結果を知ることなく、懸命に戦い、そして勝った者に突き付けられる現実。勝負の非情な光景がそこにはあった。

感想戦が終わると、我関せずとばかりにサッサと将棋会館を後にした高橋に残留の女神は微笑んだ。4度目のA級復帰を果たして、今年で3年目。過去2年と違って大苦戦を強いられたが、最後は順位にモノを言わせ、2勝7敗ながら残留を勝ち取った。この幸運(と言っていいだろう)を生かして、来期も頑張って欲しい

久保は2度目のA級陥落、そして丸山は14年守ってきたA級以上の座を失った。丸山の降級により、筆者が長い日について書き始めた2008年以降で見ても、A級最終局の対局者であり続けているのはこれで、名人位に就いてリーグ戦に参加していない年のある森内、羽生を別にすると郷田、三浦、谷川の3人になってしまった。

そう言えば、丸山と久保の感想戦の席に深浦康市九段の姿があった。2人に代わって、来期A級順位戦に登場するのがこの深浦と61期の鈴木大介七段(当時)以来のB1級一期抜けを果たした橋本崇載七段。深浦は4度目A級登場だが、今まで1度も残留を果たしたことがない。4度目の正直なるか?

先ほど高橋と谷川の対局を大ベテラン対決と書いたが、実はA級そのものがベテランの集いになっており、27歳の渡辺だけが断トツで若いがあとは36歳の久保、38歳の三浦以外は全員40を超えている。そこへ今年30歳になる橋本が殴り込みをかける(ちなみに深浦も40を超えた)。ベテラン揃いのA級に新風を巻き起こせるか、注目である。

まもなく2011年度が終わる将棋界だが、今年はちょっとおかしい。ベテラン、実力者と言われる面々が軒並み不振なのである。8割をわずかに欠く勝率を誇る渡辺、7割強の羽生はいいとしても名人森内がここまで9の負け越しで.344、谷川が.370といった有様で、A級以上11名の内、勝ち越してるのが上記2人の他には郷田と屋敷しかいないのだ。ここ数年、顕著になりつつある世代交代の流れがここにも表れて来ているのだろうか。

そんな中迎える第70期の名人戦。今年は名人位創設400年なのだそうだ。期としても区切りのいいこの年の名人戦は、それにふさわしい黄金カードとなった。昨年とは、攻守ところを変えての永世名人資格保持者同士の対決、記念の年だけにいい将棋を見せたいと森内も羽生もインタビューで口を揃えていた。

だが名人、王座を失冠したものの、王位を取り、勝率を見ても尚も衰えを見せない羽生に対して、森内が精彩を欠くのは気になる。第1局まであと1ヵ月余り、是非態勢を立て直して、是非約束通りいい将棋を見せて欲しいと思う。

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2012年2月20日 (月)

たまには更新しないと

寒さは峠を越え、徐々に春らしさが感じられるようになって来るとの予報だったが、昨日今日とそれが実感できるようである。

前稿でインフルエンザが流行しているから、注意しないとなんて書いた直後に風邪をひいてしまった。インフルではなかったが、悪くもならない代わりになかなかよくもならない不快な日が続いたが、ようやく快方に向かっている。が咳が止まらないので、やはり医者に行かなきゃいかんのだろうか。

そんな体調不良の最中、水曜(15日)に生まれて初めて、手術の立ち合いなるものを経験した。筆者には78になる叔母がいるが、その叔母が足を骨折して入院、手術をすることになったのだ。独身で、この世代の女性としては、相当自由奔放に生きて来た叔母だが、寄る年並みは勝てず、すっ転んで今回の次第と相成った。

内科的手術ではないが、年寄りの骨折は命取りになりかねない。手術を受けなきゃ車椅子、受けても完全に治る保証はできないと宣告されてのことだったが、まぁ仕方がない。誰かお身内から立ち会いを言われても、親は亡く、3人いる兄姉は健在だが、既に80をみな超えて、自分のことで精一杯。こう言ってはなんだが、表裏が激しく、親戚からは総スカンを食っている人で、結局平日休みの筆者が押し付けられる羽目となった。

朝の8時前に病室に顔を出すと、既に手術を待つばかりの状態で寝ている。筆者の顔を見ると悪いわねぇ、悪いわねぇと拝むように言う。感激屋だが、芝居っけたっぷりの人だから、どこまで本心かはわからないが、しかしさすがに心細いのだろう。70過ぎても化粧はギンギン、そういう意味では年齢を感じさせない人だったが、この日は化粧もなく、髪は真っ白。まぎれもない「老婆」がそこに居た。このところあまり会ってなかっただけに、その変わり様というか「現実の姿」に衝撃は受けた。

手術が始まったのは8時35分、ベッドが手術室に入るのを見届けて、所定の場所で後は終わるのを待つだけ。立ち合いと言っても、実際に手術を見るわけでなく、なにか緊急事態でも発生しない限り、出番はないのだが、暇だからと言ってやたらウロついているわけにもいかない。終わるのは午後の2時近くになるかもしれないと言われて、内心閉口していたのだが、11時半過ぎには無事終わったのは有り難かった。医者の説明を受け、本人が麻酔で眠っているので、また夕方にでも顔を出すことにして、病院を出たのがそれから1時間ほど経ってからのことであった。

病院に入ってからも我が儘の言い放題で、すっかり看護師達に嫌われているとも聞いていたが、この日の叔母は大人しいもので、齢をとったなぁと思わざるを得なかった。また隣の病室では延々と1人で演説をぶっている爺さんやひたすら看護師を呼び続けて、困らせている女性、更には早朝に夫が倒れ、集中治療室に入ったと涙ながらに夫の会社に報告している婦人など、いろいろな人間模様があった。人が「老いる」ということ、「病む」ということについて、いろいろ考えさせられた1日だった。

それにしても「効果的に」地震がやって来る。まもなくあの大震災から1年、東大地震研究所とやらの例の発表もあり、そこへ来て誰かが仕組んでいるのではないかと思うくらいに実に不気味なタイミングで揺れる。筆者の店でも「防災グッズコーナー」が俄かに立ち上がったが、今店頭に並んでいる商品はともかく、それ以降の供給が全くメドが立たない状態で、昨年の震災直後を彷彿とさせる事態となってしまっている。

「いよいよXデー近づく」、いや「こうやって揺れている間は、地震のストレスパワーが発散されてむしろいい」といよいよかしましい話になって来たが、結局確たることはわからないということ。想定される事態にに対して、できること、やれることを備えておくしかなさそうである。

先日の元秘書の供述調書の証拠採用をほとんど却下した東京地裁の判断は、小沢一郎被告側に愁眉を開かせ、逆に東京地検特捜部を真っ青にさせた。小沢の弁護士は

「これで有罪の証拠はほとんど消えた。」

と裁判の行方に自信満々のコメントを出し、一方の検事役の指定弁護士も他の秘書の供述は一部証拠採用されたことから、尚も強気の姿勢を崩さなかった。

先走ったことを書くべきではないのだろうが、当初から今回の容疑に関する限り、小沢の有罪、ひいては起訴そのものに疑問を感じている筆者としては、やっぱり結局はそうなるかと、思ってしまうが、裁判所から厳しい批判、不信を突き付けられた格好の検察、地検としては、例え裁判の結末がどうなろうと相当に深刻なダメージを被る結果となった。

これを受けて、小沢サイドは政治的攻勢を強める構えのようだが、その是非はともかく、今回の騒動がもし本当に、小沢無罪で決着すれば、こんな時間と労力の空費はなかった。

死んだ子の齢を数えるような話になるが、民主党が力をもっとも発揮できる体制、それはやっぱり小沢がトップに立ち、それを鳩山由紀夫と菅直人(とあえてもう1人加えるなら輿石東)が格さん、助さんよろしくそれを両サイドから支えるという、あのトロイカ体制しかなかったのだろうと、今更ながら痛感する。彼らがガッチリ手を組み、その下で岡田克也や前原誠司あたりがブツブツ不平を言いながらも、経験を重ねて、次代を担う準備をするという形で、政権運営が進んで行ったら、ここまでの醜態を民主党がさらすことはなかったのではないか。

むろん、所詮あんなスキャンダルに足元をすくわれ、肝心な時にトップに立って、舵取りすることがあたわなかった小沢その人が、政治家としての不徳の致すところなのではあるが、せっかくの政権交代をあたら無為にしてしまったという痛恨の思いだけは、未練がましいとは思うが、どうしても捨てることができない。ただただ無念である。

筆者がずっと楽しみに愛読させていただいていた競馬TMオペペさんのブログ「オペペの競馬日記」がこのほど閉鎖されることになった。我々市井の人間がなかなか触れられない情報の記載や質問に対する懇切丁寧な応対ぶりなど、オペペさんの温かい人柄が偲ばれるブログであったが、近年はそれに図に乗ったような輩が横行し始め、更新がないと罵る、気に入らない質問の回答にいちゃもんをつけるなど、個人の非営利のブログに対する物言いとは思えない、まさしく匿名性の高いインターネット社会の負の部分が目につくような状態になっていた。

よく続けているなぁと思っていた矢先の今回の発表、

「何の為にやっているんだろうかと、疑問を抱くようになった。」

とのオペペさんの閉鎖理由には全くうなずけた。更新を楽しみにしていた立場としては、残念の一言だが、これまで楽しませていただいたことに対して、改めて感謝申し上げるとともに、これからのオペペさんの更なるご活躍を心からお祈りすることで、感謝の言葉に代えたい。長い間、本当にありがとうございました。

今日、学校から帰って来た長男が嬉しそうにこう告げた。

「明日から僕、学級閉鎖!。」

クラス31名の内、なんと13名が今日欠席し、即日学級閉鎖が決まったそうだ。インフルエンザはまだまだ猛威を揮っている。御用心あれ。

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2012年2月 7日 (火)

冬の1日

このところの時の流れの速さは何なのだろう。ついこの間、年が明けたと思ったら、あっという間に1月が過ぎ、節分、立春まで過ぎてしまった。人間、年をとればとるほど時が経つのが速くなってくるとは聞いてはいたが、この調子で行ったら、どうなっちまうんだろうと末恐ろしさも感じる今日この頃である。

それに、この寒さはなんだ?冬は寒いものと言ってしまえばそれまでだが、しかしこの冬の寒さは尋常ではない。雪国が雪であれほど難渋している姿を久し振りに見たような気がするし、とにかく夜、帰宅する時に「しんしんとした底冷え」というのを体感したのも、随分久しぶりである。ここ数日は、全盛期の寒さよりはややマシになった感もあるが、この寒さまだまだ続く気配であるし、カラカラ天気が続いてインフルエンザも猛威を揮っているようだ。お互い、こういう時は身体をいとい、健康に留意しなければいけませんなぁ。

そんな最中、去る4日の土曜日は下の子の幼稚園で「ウィンターフェスティバル」なる催しが開かれた。シャレた名前が付いているが、要は前の幼稚園では「お楽しみ会」と称されていた学芸会、いや園芸会である(そう言えば、書いていて気が付いたのだが、長男の通っている小学校では『学芸会』とおぼしき行事が存在しない。今はそういうものなのだろうか?)。

前の幼稚園では、土日2日間に渡って開催され、少しでも見損ねる人を少なくしようという工夫がされていたが、今度の幼稚園は土曜1日のみ。ただし、前の幼稚園よりマンモスということもあり、午前と午後に振り分けられている。それはそれで、なるほどと思うが、しかしきょうだいが午前と午後で泣き別れになってしまったら、1日拘束されることになり、それはそれで大変なんだろうな、とは思った。

次男の出番は午前、ただし登場する8クラスの中で、後ろから3番目である。この日は通園バスが出ず、子供と一緒に行かなくてはならないので、行ってみると開場待ちの保護者達が既にズラッと並んでいる。5分も経たないうちに、会場のホールに入れてもらえたのはありがたかったが、しかしお世辞にも広いとは言えない場所に大の大人達がひしめき合って座らされ、身動きもままならない。その上、床の上に座っているので腰まで痛くなり、年齢を実感させられる羽目となった。

この苦行に耐えること15分ほどでようやく開演と相成ったが、当然すぐには始まらず、各種挨拶をありがたく拝聴しなければならないのは、浮世の義理とは言え、しんどい。司会者の

「それではいよいよプログラムに入ります。」

という言葉が天使の囁きに思えた。

年少児から順に登場するのだが、実はインフルエンザの影響で、本番直前の火~木がなんと全体閉鎖で休みになってしまい、この日は一時開催も危ぶまれていた。前日の金曜は登園したものの、開場準備等があり、午前保育。一番肝心な時期に、全く練習できないというハンデがあったにも関わらず、みんな元気に演じていた。

それにこれは合理的なシステムだと思ったが、保護者の席は登場クラス順に前から指定されており、1つのクラスが演じ終わると、次のクラスの保護者の席が前進して行く。律義に後方に回って、他のクラスの出し物を見る人もいるが、抜けていく人も当然多く、筆者達が最前列に進出した時には、もうかなりゆったりと見ることができた。

次男のクラスは劇で、なにやらある島を巡って悪者と原住民を守る正義の味方達の戦いのようだったが、ビデオ撮影係の筆者はストーリーどころでなかった。長男は常にその他大勢、まともなセリフなど1つもなかったが、原住民役だった次男は二言だが、セリフもあり、ちゃんと大声で言えていたからよかった。後でビデオを見返しても、ただ次男の姿がクローズアップされているだけで、ストーリーはまるでわからない。そのビデオを見て、妻は可愛い、可愛い、ウチの子が断トツで可愛いと臆面もなくのたまい続けている。典型的な親バカ夫婦の姿がそこにはあるだけだった。

前の幼稚園では年少児はお遊戯と歌、年中以降は演劇と出し物が決まっていたが、今回は年少でも可愛い演技を見せてくれたクラスがあったし、年長児が書いた硬筆展なるものも見せてもらったが、みんないい字を書いていた。今の幼稚園の方が、少し上のレベルのことをやらせてくれているのかな、とも思ったが、それぞれの幼稚園の方針、個性というもので、どちらがいいとかという問題ではないのだろう。

クリスマスから年末年始、ただでさえ慌ただしいところへ、我が家では子供2人の誕生日と我々夫婦の結婚記念日が1月にまとめてやって来る。そんなドタバタした時間もようやくこれでひと段落、子供達は1つ齢を重ねて、まもなく進級の時期を迎える。

そう言えば、長男が年中時に演じた演目と全く同じものを、今回年中児が演じていた。筆者は当時の長男の姿を思い出しながら、懐かしく見ていたのだが、母親となんと演じた本人は全く覚えていなかった。しばしの感慨があっという間に吹き飛んしまったという顛末でございました。

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