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2007年9月

2007年9月26日 (水)

正体不明

国会の中にはあれだけ二世、三世議員があふれているというのに、福田康夫が史上初の親子首相というのは意外な気もする。東久爾宮、片山哲、芦田均といった終戦直後の宰相を除いた戦後の歴代首相の中で義理も含めた子息が国会議員にならなかったのは石橋湛山、細川護熙、村山富市の3人だけ、他に竹下登は弟が、宮沢喜一は甥が跡を継いだ。海部俊樹と森喜朗、小泉純一郎は本人が現役だが中曽根康弘や羽田孜のように自分が現役議員でありながら息子も議員にするような輩もいる。もっとも前任の安倍は祖父に続く宰相就任だったし麻生太郎も吉田茂の孫であるから、こういったパターンは今後増えて行くのかもしれない。

福田康夫と聞いて筆者が思い出すのが90年の総選挙で彼が父赳夫の跡を継いで初当選して来た直後のインタビューだ。インタビュアーが二世議員が多いことへの批判の声についてコメントを求めると

「あんな年寄りと一緒にしないでよ。」

と例のサラッとした口調で言い放ったのを聞いて、笑ってしまったことがある。当時、確か彼は既に今の安倍くらいの年齢だったはずで、本来なら閣僚をお義理で1回くらい経験できればいい方だったろう。が官房長官を歴代1位の在任記録を作るほど務め、今回ついに首相にまで上り詰めたのはやはり「福田赳夫の息子」だったことが大きい。

父親もそうだったが飄々とした風情である。もともと政治をやる気がなく、弟の病気と死でやむなく父親の跡を継いだというのも割りと有名な話である。戦後最年少で首相になった前任者が見ていて滑稽なくらい力み返っていたのとは対照的に自分がなにをやりたいとかそういった強烈なものも今のところ感じさせない。だがじっと風向きを見て、今回はパッととぴ出して瞬く間に宰相の地位を射止めたあたり、やはり只者ではない。

今回の組閣も横滑りはあったものの、幹事長に転出した文部科学大臣とただ1人前任者に殉じて閣外に去った官房長官の穴埋めをしただけ。「安倍おさがり内閣」という共産党の市田書記局長の指摘はなかなか見事だったが、全く考え方の違う前任者の残した内閣をほぼ居抜きで引き受けるとは、なかなかやる。

山崎拓と麻生以外の派閥領袖が党、内閣にズラリ並ぶ姿に「古い自民党の復活」と声高に批判する向きもあるが、小泉、安倍色のついていない、あるいは薄い人材を起用しようとするとこうなるということなのだろう。これらの人材をほぼオミットして運営された6年間の方が一種異様だったのかもしれない。

とにかく好き嫌いはともかく、この人が施政方針演説でなにを語るのかはちょっと興味はある。意外としたたかそうな新首相ではあるが、しかし彼を迎える国会の状況は前任者が放り出した状況となにも変わりはない。参院で小沢一郎民主党代表が首班指名された事実は今後の政局運営のむずかしさを暗示している。

吉田茂の時のことは古すぎて知らないが、同じような船出だった海部俊樹は公明、民社という当時中道政党と呼ばれたぬえ野党を取り込み、小渕恵三は自由党、更に公明党と連立を組んで危地を逃れた。今日まで続く「自公連立政権」であり、この時いったんは自民と組みながら、体よく捨てられたのが当時自由党党首だった小沢、時はめくりめく。

今回、現時点で組める党が見当たらないのが福田のつらさ、国民新党や参院の片隅でひたすら自民からのお呼びを待つ荒井広幸だけでは足りないのが厳しい。なんとしても民主党の自壊を誘うしかないのである。むろん自らが「背水の陣内閣」と命名したように、逆に自民党最後の内閣になる危険性も十分ある。

対する小沢一郎はガンガン攻め込んでくる、それをいかにかわして相手を疲れさせるか、全く好対照な2人だけに、なにかいい勝負になりそうではないか。もちろん、それは手練手管でなく堂々たる国会での論戦でお願いしたいものである。

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2007年9月25日 (火)

最後の最後まで・・・

基礎票16票(プラス地元福岡のお情け票3)の候補が200票に迫ろうかという得票をしたのだからまぁ健闘だったのだろう。官房長官に横滑りも噂される町村信孝の後の外相という芽も出てきて、麻生としてはそれなりの成果なのかもしれない。

以前から囁かれていたポスト安倍の本命は麻生太郎という説に筆者はずっと違和感を感じていた。あんな弱小派閥の長が本命たりうるわけがないと思ってしまうのは、なんだかんだ言って筆者が派閥万能時代の自民党への見方から脱却できない証左なのだが、それとは別に彼の言動と「総理・総裁」というイメージがどうしても合致しないのだ。むしろぴったりくるのが「野党党首」。今、彼を民主党党首にして、自民党内閣をズバズパ批判させたら、それこそすごい人気を博するのではないか。つまり、福田康夫の下、総選挙に敗れ、野党に転落した自民党総裁に麻生が登場、小沢民主党内閣に敢然と立ち向かうという近未来の図式が見える・・・なんて思っているのは筆者だけか。

そういえば、例のあの人が久しぶりに公の場に姿を現して、なにやら言い訳の会見を開いたようだ。随分やつれ、覇気もなく、なにやら世の同情を買っている向きもあるが、驚くのは政治ウォッチャーのプロたる新聞記者や政治評論家あたりまでそんなコラムを書く輩が目につき始めたことだ。そんなのに限って宰相論などを偉そうに書いたりしているから呆れてしまう。

今日、あの人が本当になにを目的に出てきたのかは筆者にはとんと理解できなかったが、改めて感じたことは「この人は本当にやること、なすことピントがずれている人だなぁ」ということにつきた。

なにを言い訳しても、本人の命があの日尽きてしまったのならまだしも、そうでない限り、あの日辞任表明したことはどうにも取り繕うことは不可能だ。国会を止め、その直前の外遊を台無しにし、長い政治空白をもたらし、そして政治への不信をいたずらに高めただけだからだ。それでももう病気で無理ですと言われたら、あの日辞めたことへのかすかなエクスキューズになったのに今更今日になってゴニョゴニョ言われても・・・、むろん議員を辞めるつもりも毛頭ないらしい。

それに、とにかく筆者が全く同情に値しないと思っているのは、どんなに体調がわるかったのか知らないが、首相を続けるという決断をしたのは本人だということだ。あの時、選挙で国民はあんた辞めてくれと明確に言ったにも関わらず、他ならぬ本人が「どんな選挙結果になろうと私は辞めない」という驚くべき独善ぶりで突っ走ったのだ。体調に不安を抱えながら突っ走ったのだからこれは無責任の一言だろう。今回、なにやらクーデターを仕掛けたとかなにかで麻生が誤解されたとか謀略にはめられたとかいう話があったが、そんなことより参院選直後にあの人に続投を勧めただか支持しただかしたこの一点で、麻生は今回の総裁選に当選するどころか出馬する資格すらなかったと思う。

更に無責任が極まったのは、本人が病院に逃げ込むだか駆け込むだかした後に、今日まで10日以上に渡って首相臨時代理も置かず、国政を放置してしまったことだ。その点について記者に問われて「いざとなれば私が判断できるから」などとわけのわからないことを言っていたが、じゃ病院になんかいないでもらいたい、もっと言えば辞任なんてしないでもらいたい。海外のマスコミに「日本という国は首相がいなくても別に支障がないらしい」と嘲笑われている現実をどう感じているのか、そんな判断すらまともつかない人物が首相だったのだし、その程度の判断もつかない側近連の集まりだったということに慄然としては来ないか。

繰り返しになるが、こんな人物のなにを評価して一年前、あんな多数と熱気で首相に押し上げたのか、誰か説明して欲しい。その総括も反省も説明もなく、彼を押し上げたであろうはずの人々の大多数が口をぬぐって今回、福田を担ぎ上げたという事実を筆者はどうしても許せない。

とにかく多大な犠牲を払った末に福田康夫内閣は明日誕生する、ようやく国会が動き出す。てぐすね引いて待っていた(はずの)民主党さん、いよいよ出番ですよ。これも繰り返しになるが、来春予算成立後に話し合い解散なんていう福田のシナリオに乗ったらもう終わりだよ。勝機は2度ない!

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2007年9月16日 (日)

デジャブ

1972年というからもう35年も前の話になる。佐藤栄作首相の退陣を受けて行われた自民党の総裁選は本命と言われた福田赳夫に対して田中角栄がほとんどの派閥を網羅した福田包囲網を引き、結果として圧勝した。ポスト安倍の本命と言われ続けた麻生太郎を福田康夫陣営が一夜にして孤立させた今の状況とダブらないか。赳夫と康夫が親子であるのは言うまでもなく、なんとなく因縁めいた話でもある。もっとも当時の赳夫は堂々たる党内第1派閥のリーダー、自らを含めても手勢16名の小派閥の長に過ぎない麻生と一緒にしてはさすがに失礼か。

いきなり古い話から始めてしまったが、しかし今展開されていることがなにやら、みんないつか見た、そしてモノの本で読んだ光景ばかりのような気がしてならない。

国連総会に出席しなくてはいけないから、早く首相を決めなくてはならないという理屈が一時囁かれたが、結局あれはつい最近まで外相を務め、国際経験豊富な麻生にしましょうよという呼びかけだったわけで、これも竹下登が退陣した時に、サミットが近いという理由で当時の宇野宗佑外相を後継に担ぎ出したシーンを彷彿とさせた。麻生がもし、今も外相にとどまっていたら、案外すんなりそうなっていたかもしれない。

だいたい、この指止まれとばかりにみんながドッとある候補に流れて大勢が決するという光景は1年前に見たばかりではないか。その結果、担ぎ出されたのがとんでもない奴だったという反省はないのだろうか。自民党には現在9つの派閥があるそうだが、そのうち当の麻生派を除く8つの派閥が雪崩をうって福田に流れ、態度表明が最後になってしまった高村派は慌てふためいて、福田の選対本部に駆け込んでいた。大勢は決した、両院議員総会で開かれた総裁選をぶち上げていたパフォーマンス連中にぜひ感想を聞いてみたい、だいたい開かれた総裁選なとどほざいていたが、昨年の総裁選も「開かれた」ものではなかったのか?それであの程度奴しか出て来れなかったんだから、密室談合でもなんでもいいからサッサと後継を決めてもらった方が、政治空白も短くなってよっぽど国民の為だったのではないか。

まぁ、麻生に希望を持たすデジャブも紹介しなければならないだろう。2001年、森喜朗首相の後継を争った総裁選で、当初圧勝と見られた橋本龍太郎元首相は小泉純一郎に完敗を喫する。派閥の色分けで見れば負けるはずがなかったのだが、地方組織の票が圧倒的に小泉に流れて、地滑り的大勝を収めたのはまだ記憶に新しい話だ。今回もあの時と同じく、地方組織は各3票を持つ。これから各種討論番組等で福田をやりこめ、国民の心に響くメッセージを発することができれば決して逆転は不可能ではない。

しかし、現実には時間が足りないだろう、なるべく短時間でケリをつけるのが有利と踏んでいたはずの麻生が時間に泣く皮肉な結末。今日の新聞の緊急調査を見ても、次期首相に誰がふさわしいかの問いに、国民の人気が高いとされた麻生よりも福田が10ポイントくらい高い支持を得ている。それに麻生が頼みとする地方というのは小泉改革とやらで青息吐息の地域、小泉、安倍ラインの後継者と目される麻生の人気が高まるとはとても思えない。

参院選の惨敗から今日に至るまでの経緯を見るにつけ、自民党という政党はもう限界だなという感を新たにする。賛否両論未だにある小選挙区制、筆者は肯定派だが、それでもこの体たらくをみると小選挙区の弊害を痛感せざるを得ない。あの2年前の郵政解散が完全に各議員のトラウマになって、もう勝ち馬にのり、主流派につくこと以外考えられなくなっている。なにかというと批判される「派閥」、諸悪の根源と言ったのは三木武夫だが、尊敬する三木先生に逆らうようで恐縮だが、派閥のダイナニズムが生きていた、つまり三木達の時代の自民党の方がよっぽど活力があって、まともだったような気がしてならない。

ついこの前まで改革、改革と偉そうに言っていたはずなのに、今やそれを否定とまでは言わないが、修正するとわめき騒ぎ、修正されようとしている小泉本人が怒るどころか、どういうつもりかは知らないが「先頭に立って福田を応援する」と言っているそうだから、もう開いた口がふさがらない。第一、昨年、年だと言って立候補しなかった男が、シャラっとなにもなかったように出てくるのだから、政治家の言葉をまともに受け取る方がどうやらアホだということなのだろう・・・。

さて、こうなると途端に影が薄くなるのが野党の悲しみだ。民主党内には早くも福田はやりにくいとの声も出ているそうだが、安倍よりやりやすい相手などいるわけないではないか。小泉が出てきて、政策の多くを取り込まれて、一転窮地に追い込まれた悪夢がよぎっているのかもしれないが、あの時と決定的に違うのはとにかく参院で多数を握っているという事実だ。とにかく、正々堂々たる論戦あるのみ、今はその準備を怠りなくしておけばいい。今日福田はインタビューで解散は早くて来春以降という見方を示した。それは自民党の希望であり、前にも書いたが、年を越したら、もっとはっきり言えば自民党に予算を組ませたら民主党の負けだ。勝負は二度ない、乾坤一擲、福田だろうが麻生だろうがその腹つもりで相手にするしかない、いろいろあったが結局自民党は安泰なんていうデシャブはもうたくさんだぜ!

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2007年9月14日 (金)

本当に情けないの一言

神宮球場に行って来た、拷問のような試合だった。3900円も払ってなんであんなつらい思いをしなければならないのか、ジャイアンツに弁償してもらたい心境である。

今日の試合を見て痛感したことは、このチームはやっぱり来年も再来年もずっと優勝できないだろうということだ。毎年のように懸命な血の入れ替えを行いながら、それが全く効を奏さず、無様な試合が繰り返される。見渡せばかつての盛況、今いずこと言った風情のガラガラのスタンド、このチームを立て直す為にはどうしたらいいのか、もはや筆者にはわからない。

前々回のコラムで終戦と書いたように、筆者は既に今シーズンも投げている。思えば、今年のジャイアンツの戦い方に勢いとかかつて書いた風というものを一回も感じたことはなかった。逆に勝ち試合を信じられない形で落としたり、あってはならない下位への取りこぼしを何度見てきたか、ジャイアンツは優勝という栄冠に値するチームではなかったということだ。

今日の試合を見て、本当に心配になったのは1ファンに過ぎない筆者が投げてるのは個人の勝手だが、選手もそしてベンチも投げているのではないかと思えたことだ。筆者はクライマックスシリーズは所詮お祭りだと思っているし、こんだけ情けない試合を繰り返してクライマックスだけ勝とうなんてムシがいいことができるわけないと思ってシラケているのだが、当事者達までがそれじゃ困るのだ。

さて、まず聞きたいのだが、今日ゴンザレスという外人さんが出場していた。現役大リーガーと鳴り物入りでやって来たが、開幕早々にケガをして、ほぼ1年を棒に振り、今日の試合でも5回の唯一の反撃機を見事ゲッツーで潰してくれた。まぁそれはいいとして、このゴンザレスが昨日一軍に登録されるにあたって、代わってファームに落ちたのがあの1週間前のヒーロー坂本勇人というのはどういうことか?筆者の情報収集不足で坂本がケガでもしたのならごめんなさいだが、そうでなかったとしたらなにを考えているのか。もう1人のホリンズという助っ人も本当にたまにいいところで打つから、印象に残っているが、基本的にはダメ外人。守備も特別いいとは思えないし、こんなのを使うくらいなら矢野謙次を使うべきだと思うがいかがだろう?スタメンに使うと、途端にだらしなくなる矢野本人にももちろん責任はあるのだが。

先発の久保もひどかったなぁ、熱投報われず、2発に泣いた前回の登板から中四日。疲れも残っていたのかもしれないが、2回、ツーアウトランナーなし、ツーナッシングから7番を歩かせ、8,9番の連打をくらい、満塁となって青木にタイムリーを打たれる。4回には再びピッチヤーにご丁寧に今度はタイムリーを浴びる情けなさ。久保の背負う背番号11はあの「平成の大エース」と言われた斎藤雅樹現投手コーチが現役時代付けていた栄光の番号だ。こんな体たらくでは返上してもらいたいくらいだ。

打撃陣も防御率5点台の先発投手相手に淡白なバッティングを繰り返し、ほぼ完璧に抑えられての完封負け、とても金をとって見せる試合とは思えなかった。

久保のピッチングは確かにひどかったが、立ち往生する久保をベンチから1度も激励にいかなかったのはどういうことか?その後野間口、そしてプロ初登板の東野とつないだが、小笠原だけがこまめにマウンドに足を運んでいたがあとの連中はほとんど知らん顔、なんとも心配な光景だった。

早くも伊原ヘッド解任説など、嫌な噂が流れている。それどころか、この終盤に来ての失速は原監督自身にもふりかかってきそうな雰囲気もある。原2年、堀内2年、そして再び原2年なとどいうことになれば、まさにかつてのタイガースのようなゴタゴタが繰り返される球団に成り下がってしまう恐れもある。その一方で、就任一年目があまりにも鮮やかだっただけに、その後の原という人の采配ぶりには首をかしげたくなることが見受けられることも確かなのだが・・・。

諦めているヤツがなにをぬかすと言われそうだが、シーズンはまだ全く終わってはいないんだぞ、ジャイアンツには声を大にしてこう言いたい。

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2007年9月13日 (木)

唖然、茫然・・・同情の余地なし!

筆者の知る限り、史上最低の首相は森喜朗だと思ってきたが、本日その記録は打ち破られた。この馬鹿げた退陣劇は後世まで物笑いの種として語り継がれていくだろう。

この人の記者会見は、常になにを言いたいのかよくわからなかったが、最後となる辞任記者会見もさっぱりわからなかった。あんだけ辞めないと頑張り、外国の首脳と会って威勢よく「海外公約」とやらを口にし、おととい、国会において所信表明の演説までした挙句に「僕、辞めます。」ときた。その辞意表明が、自分の演説に対する代表質問が行われる直前、本会議出席の為に、待機していた自民党の衆院議員が、テレビの速報を見て慌てふためくさまは完全に漫画の世界だった。

これは、はっきり言って「登校拒否辞職」だろう。もう国会に出るのが嫌になって、ほとんど衝動的に辞めたとしか思えない。何日か前からほのめかしていたとか、体調が実は悪かったなどという話はこの無責任極まりない辞任劇を少しでも取り繕うとする姑息な手段に過ぎない。彼の参院選後以降の言動を見る限り、彼が辞意を抱いて日々を過ごしていたなどということを信じろという方が無理だ。

驚くべき幼稚性、こんな人物がわが国のリーダーだったという事実に改めて、寒気を覚えざるを得ない。そしてこの男を1年足らず前に、圧倒的支持をもって首相・総裁に押し上げた自由民主党なる政党の責任は断固として追求しなくてはならない。

さすがに言い訳もたたずに、マスコミの前に現れた自民党議員は口々に「申し訳ない」だの「責任を感じる」なとどのたまっていたが、その一方で彼らは当たり前のように後継総裁を選出し、それをまた首相にしようとしている。こんな首相不適格者を国民に押し付けておいて、どの面下げてまだ政権与党でいるつもりなのか、図々しいにも程がある。衆院で多数を占めているという現実は変わらないという理屈なのだろうが、ことここに及んだら、潔く下野して、民主党に政権を渡すべきだ。そして小沢選挙管理内閣の下で解散、国民に信を問うべきだ。それを主張しようともしない民主党の方も問題だ。

それにしても、参院選の結果が出た時点で、こういう事態が早晩訪れることは容易に想像できたはずだ。どういう見通しで安倍という人は続投を選択し、また自民党の多数はそれを支持したのか、筆者にはさっぱりわからなかった。政治のプロとして、当然なにか秘策があるのだろうと思っていたが、結果として、ただだだをこねて、続投し、嫌になって投げ出しただけ。そこに政治家としての責任感も覚悟も識見もまるで感じられない。政治に空白を作ってはならないとほざいていたが、この一ヶ月半がもう既に空白となってしまい、折角召集した国会もストップせざるを得ない事態。

とにかく頼むから、一体、今日辞めなければならなかったのか、誰か筆者に教えて欲しい。今日辞めることになんのメリットがあるのか、なんの意義があるのか教えて欲しい。誰にも説明できず、本人はわけのわからないことしか言わず、そういえば会見の中で安倍はとうとう国民に対する謝罪の言葉を口にしようとはしなかった。「美しい国」なとどいう高邁なことをいいながら、当の本人がこの有り様では教育改革などとてもおぼつかないだろう。

本当に身体が悪いなら、会見できちんと本人が言うべきだ。後になって官房長官あたりがいやぁご本人はそういうことを口にされるのを潔しとしないからとか、コソコソ言うこと自体、ふざけている。そんなのを「男の美学」とでも思っているのだとしたら、もはや救いがたい。

「職責を全うしようと本日まで、頑張って参りましたが、どうしても健康状態が許さなくなり辞任のやむなきに至りました。」

それでも批判の余地は十分あるとは思うが、この矛盾に満ちた辞任劇に辛うじて、納得感を与えるにはそう言って、深々と頭を下げ、国会議員も辞めて、療養に専念する以外にないだろう。とにかくこんなでたらめな男が首相を辞めても、尚も国会議員であることが腹立たしい!

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2007年9月10日 (月)

終戦・・・

9月6日の木曜日、もう夜の11時をとうにまわっていた。若武者坂本勇人の一打がセンター前に弾んだ時、筆者は5年ぶりの栄光へのきらめきを確かに見た。しかし、それは全くの錯覚に過ぎなかった、あんな素晴らしい試合の後にこんな残酷な結末が待っていたとは・・・。

2007年セントラルリーグの覇者の欄に読売ジャイアンツの名が刻まれる可能性はほぼ消えた。残り試合17で阪神との負け数差5は事実上絶望と言っていい、乱打戦、投手戦、乱打戦と続いた3戦をすべて1点差で落とした結果から見えるものははっきり力の差。選手個々の力、精神力、団結力そしてベンチワーク、すべてが阪神に及ばない厳しい現実だった。

筆者ははっきり言って、阪神も阪神ファンも大嫌いだが、それでも昨年の驚異的な粘り、そして今年の怒涛の追い込み、その諦めを知らない不屈の闘志には素直に敬意を抱く。そこにはダメ虎と蔑まれ続けたかつての姿はもうない。突如としてチーム改革に成功し、今や圧倒的なファンの支持を集めるタイガース、そのタイガースの上昇と反比例するかのようにチームの力もファンの支持も凋落の一途をたどる我がジャイアンツにとってタイガース再興への道筋は大いに研究すべきであろう。

この惨連敗にガックリ来て、まさかクライマックスシリーズの出場権まで失うとは思わないが、筆者は前にも書いたように、シーズン優勝にこそ価値を見出しているだけに、どうしても今年こそは勝って欲しかった。松井秀喜がチームを去った後から続く無残な敗北の歴史に終止符を打ちたかったし、本当は書きたくはないのだが、もし、今年勝ち逃すとたぶんもう当分優勝できないという焦燥感があったからだ。

「失われた10年」という言葉が一時はやったが、ジャイアンツにとって1994年から今日に至るまでの年月はまさに「失い続ける14年」である。1993年オフから導入された悪名高いFA制度と更に少し遅れて始まった逆指名ドラフト、いずれも当時球界の盟主として絶大な力を誇ったジャイアンツのゴリ押しでスタートしたものであることは今更言うまでもこともない。そしてほぼ思うがままの「補強」を続けてきたはずのジャイアンツの戦歴の惨憺たる有り様はファンとして口にもしたくないほどである。

はっきりしていることはあの時点からジャイアンツははっきりと「育成」というものを放棄した。いい選手を他球団から、即戦力といわれている選手を社会人、大学から獲ってくることに狂奔し始めたのである。いや、それまでもジャイアンツにはその気が多々あったと言われるかもしれないが、それでも王貞治、柴田勲、堀内恒夫、高橋一三、森昌彦といったV9戦士の名を挙げるのがいささか古いとしても、その後も西本聖、篠塚利夫、岡崎郁、川相昌弘、駒田徳広、吉村禎章、槙原寛巳、斎藤雅樹、村田真一・・・多摩川から這い上がってジャイアンツの歴史に名を刻んだ選手は枚挙にいとまはない。

そしてその歴史は松井秀喜を最後にプッツリとぎれてしまう。今、ジャイアンツのスタメンに名をつらねる野手はものの見事に大卒か外国人を含む他球団からの移籍組だ。控えを見ても先述の坂本の他に捕手の加藤健がいるのみだ。更に二軍に目をやると絶望的な気分になる。明日のジャイアンツを託しうる逸材が全くといっていいほど見当たらない、みんなとうのたったベテランかもう伸びることも望めない中堅のオンパレード、高校出の若手野手はなんとルーキーの田中大二郎と伊集院峰弘の2人しかいないという驚愕な現実。大卒、社会人出の選手は確かに高橋由伸、二岡智宏、阿部慎之助のように本当に即主力として活躍してくれる魅力がある一方で、外れをひいてしまうともう延びしろのない、なんの魅力もない選手になってしまう。荒削りで未完成かもしれないが、その点高校出の選手には「化ける」という楽しみがある。しかし目先に捕われ、ジャイアンツはそういう手間すら放棄してしまったのである。

そして、今のスタメン、それなりの迫力と力はある。しかし問題はこれも以前触れたがほとんど全員が30代のベテランであり、来年もほほ確実に「1歳年をとった」彼らで戦わなければならないということなのである。おびやかすべき中堅は辛うじて矢野謙次に期待できるくらいか、鈴木尚広も来年30、もうベテランにくくらなければならなくなった。亀井義行も脇谷亮太も伸び悩んだまま、いずれにしても打撃に見るものがない選手が多すぎる。その点坂本、田中の両ルーキーは久々の希望の星ではあるのだが、さりとて来年、今の一軍に割って入るのは骨だろう、戦略なき補強のツケとしての惨憺たる現実がここにある。

その点、投手陣の方にはまだ希望がある。それでもストッパー上原浩治という切り札を切りながらも勝てなかった。来年、抑えは誰がやるのか、上原はもうノーサンキューだろう、だとしたら本当に誰がやるのか、豊田清の往時の力はなく、西村健太朗は安定感がない。林昌範、久保裕也はそもそも後ろで使っていたのがミスキャスト、上原と交代で内海哲也を思い切って配置転換するか・・・悩みは深い。これも先発完投型の投手ばかりを取り続けてきた補強のツケでもある。

要は苦しいのだ。特に野手陣の建て直しには相当な時間を有することは明白である。昨年誰かが「育成の巨人」をめざすと言っていた。その意気は了とするが、現実は厳しい。とにかく育成しようにもその素材がいないのだから・・・。

「失い続ける14年」と書いた、そう、残念ながらこれは過去形ではなく、現在進行形なのだ。今日の東京ドーム、どこのチームの本拠地なのだろうと思ったはのも筆者だけだろうか?チームの勢いの差かもしれないが、あの聖地東京ドームが圧倒的な阪神ファンの声援に包まれていた。その前の中日との首位決戦、関東地区では1、2戦に地上波での放送がなかった。ドームで日テレがお義理で中継する以外、ジャイアンツの試合が地上波に乗ることはほとんどなくなった。実は今日、13日の神宮でのヤクルト戦のチケットを友人にとってもらったのだが、今更とれるかと懐疑的だった友人はよりどりみどりのチケット残を見て愕然としたそうだ。相変わらず空席の目立つスタンド、優勝争いをしているにも関わらず、この現実なのである。

失ってしまったもっとも大事なもの、それはファンの支持であろう。ジャイアンツ離れを指摘する声はあっても潜在的ファンはまだまだ多いと筆者は信じていた。しかし、今年1年でジャイアンツファンというのは本当に減ってしまったのだと認めざるを得なくなってしまった。ゴリ押しでわがままを通す横暴さに心あるファンは離れ、それでも勝てない不甲斐なさにまたファンが離れ、弱いジャイアンツにはもうアンチすらいなくなってしまった。その上、地域密着型のチーム作りが時代の趨勢にも関わらずわざわざチーム名から「東京」を外す愚かさ、むろんかつての圧倒的一番人気の時代に戻ることは不可能だろうが、金城湯池だった北海道や九州でももはや見向きもされない存在に成り下がってしまった今、一体どこを向いて行くつもりなのだろうか。

チームの再建にも人気回復にも特効薬はない。まず野手の若手を取ってきて、育てること。荷が重いのは百も承知だが、坂本、田中両選手にかける期待は大きくならざるを得ない。投手と違い、毎日試合に出る野手に新しい顔を自前で育てない限り、再建の一歩はない。

それにこれは笑い話にとられるかもしれないが、思い切って東京ドームから撤退したらどうだろうか。そして本拠地を北関東、そう栃木の清原球場あたりに置く。更に地道な地方巡り、東北、北陸、四国、南九州そして沖縄、どさ周りと揶揄されようが、先人達もそうしてファンを開拓していったのだ。その遺産を食いつぶしてしまった以上、またやり直すしかない。確かにここ数年、それらしき戦略は見受けられなくもないが、その手の試合に限ってまた無様な試合が展開されるからいやになる。それでは逆効果以外の何者でもない。

何年かかってもいい、筆者は強い、相手に見下されないジャイアンツがまた見たい、そしてやっぱり日本一の人気チームであり続けて欲しい。自分ができることなどたかが知れてることは百も承知だが、その為の声援を惜しまないつもりでいる。なんだかんだ言ってたぶん、筆者は死ぬまでジャイアンツファンを止められないのだから・・・。

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2007年9月 4日 (火)

いやはや、なんとも・・・

ここまでアホだと、もはや笑うしかないといったところだろう。昨夜仕事から帰って、どれ、野球の結果でも見ようかとテレビをつけた途端に飛び込んできたニュース速報が「遠藤農水相辞意」、あいた口がふさがらないとはまさにこのことだろう。

今日の辞任会見を見ても、口では責任を感じるだの申し訳ないだのを連発してはいたが、本当に反省しているかどうかは一目瞭然。政治家、それも自民党の政治家になるとここまで金銭に無感覚になるのかということをまざまざと見せつけてもらった。

とにかく税金を「公金」であるという感覚がここまで欠如しているという事態は相当に深刻である。世の自民党支持者にあえて申し上げたいが、こういうことになったのはひとえに自民党が50年以上に渡って政権を独占してきた弊害に他ならない。確かに旧社会党を始めとした野党勢があまりにお粗末だったことは認めるし、自民党が戦後の復興に果たした役割も決して否定するものではないが、このままでは遠くない時期に、この国は財政的にも、モラル的にも立ち行かなくなる。ここは心を鬼にしてでも、一回自民党を政権から放逐することにご賛同願えないだろうか。

それにしても筆者が今度の内閣のアキレス腱NO2に指名させていただいてから、わずか一週間でこうも、ものの見事にコケてくれるとは・・・我が先見の明(?)を誇る気にもならない。私にはこういう問題があるのですが、よろしいのですかと一言言う良心すらなかったのだろうか、いやこんなことは大した問題にはならないとタカをくくっていたのであろう。事態を自ら把握しながら2年も放置しておいたという現実が、すべてを雄弁に語ってくれている。

NO2の失態は結局、NO1に跳ね返る。自業自得としか言い様がないにしても、臨時国会を目前に控え、安倍首相は極めて苦しい立場に追い込まれた。民主党以下の野党がよっぽどマヌケでない限り、年内には総辞職か衆院解散に追い込まれることはもはや避けられないだろう。

安倍内閣にとってもはや「鬼門」ともいうべき農水相ポスト。このポストに充てる人間には相当の神経を使ったはずである、いや少なくともそう思われていた。ところがどっこい、である。今回の問題は極秘事項でもなんでもなく、オープンにされていたことである。それに誰も気づかなかったという官邸の失態は深刻である。言うまでもないが、国にいざ事があれば、この人達が対応するのである。なにやら背筋が寒くなるのは筆者が安倍も自民党も大嫌いだからというだけではない思うのだが・・・。それに会計検査院からも農水省からもなんの情報も上がらなかったのだろうか、考えれば考えるほど理解に苦しむ。

だいたい、補助金をもらう組合のトップが農水行政のトップに立つということそのものが、既に問題ではないのか。副大臣当時も兼務していたからと遠藤はイケシャーシャーと言っていたが、結局その程度の認識なのか。今回の入閣に当たって、官邸は理事長職の辞任を要求したらしいが、聞き流されてこの始末である。どっももどっちという感を深くするが、どちらの責任が重いかと言えば、間違いなく任命権者の方だろう。

安倍はまた、任命責任を感じると一応は言ったらしい.その言葉は何度も聞いたが、その後その反省を実にした形跡がない。今回も責任を痛感して、人事をしたはすだと思われるが、この体たらくである。もはやこの人には、まともな人事を行うだけの能力が完全に欠如しているということがはっきりしたのではないか。

それでも安倍の責任を追及する声は自民党内からは聞こえてこない。それどころか、与謝野や麻生が迅速に動いて、今回は傷が浅く済んでよかったと安堵する向きもあるというから、おめでたいの一言である。

まぁ、それでもいい。前にも書いたが、筆者は別に安倍政権を倒したいわけではない。その気になれば、安倍内閣など明日にも倒れるだろうが、その後に麻生内閣だか高村内閣だか太田内閣だか知らないが、自民党中心の内閣ができてはなんにもならないのだ、とにかく公明党もろとも、自民党を政権から放逐しなければ意味がない。その最大のチャンスがついにやって来ているのである。

政策論争以前に、政治と金の問題とこの任命責任問題で、早晩安倍は立ち往生するだろう。参院で与野党逆転の事実は重い、今回だって遠藤が早々に辞職せざるを得なかったのは野党が参院での問責決議案をちらつかせたからに他ならない。この必殺兵器を今度は当然安倍本人にぶつけてくる。あとはタイミングの問題だけだ、安倍が自ら政権を放り出すのではなく、解散で民意を問わざるを得なくなるように、いかに安倍を追い詰め、世論を盛り上げて行くか、小沢一郎、一世一代の腕の見せ所である。

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2007年9月 2日 (日)

寡黙な人

こんなブログ(コラム)でも見てくださる人がいてありがたい限りなのであるが、先日はついに初めてメッセージなんぞを頂戴してしまった。ただただ感謝の一言である。

筆者の少年時代の広島東洋カープと言えば、山本浩二と衣笠祥雄という球史に残る名スラッガー2人が君臨していた。他にものちに阪急ブレーフスに移籍して活躍する水谷実雄なんてごつい顔をしたオッサンもいた。

その後も江藤智、金本知憲、野村謙二郎、緒方耕市と続き、更に新井貴浩、栗原健太とこのチームの和製スラッガーの系譜はつきることがない。なんという素晴らしい伝統であろう、この伝統を作ったのははるか昔の昭和40年代後半に根本陸男監督、関根潤三、広岡達朗コーチの下で行われた猛練習に端を発していると聞くから歴史を感じるではないか。そして本日の主役、前田智徳である。

天才、職人、サムライ、この人に冠せられた形容詞は数あれど、一言で言えば「寡黙」、である。この人は引退しても評論家には絶対なれないだろう。そして見た目通り、相当偏屈な人だったらしい。4打数3安打しても、1本の凡打に固執する男、いやその3本のヒットすらその打ち方が気に入らないと悩む男、それが打者前田智徳であった。

自分にも、とてつもなく厳しいかわり、他人への評価も辛い。彼が松井秀喜を認めていなかったのは有名な話で、その理由が「足があまり速くない」、打つだけの鈍重なバッターを彼は認めていなかった、走攻守三拍子揃って初めて名選手、彼の脳裏には、チームの大先輩山本浩二の全盛期の姿があったのかもしれない。

彼自身がそうだった、あのイチローが尊敬する数少ない日本人プレーヤーというのも有名な話。全盛期の彼の外野守備にジャイアンツファンの筆者は何度歯軋りさせられたことか。前田に打球が飛ぶと相当いい当たりでも諦めの心境になったものである。そしてむろんあのシュアで力強さも兼ね備えたバッティングに何度泣かされたことか・・・。その一方で妙に淡白なところもあった、完璧主義者の弊害なのか勝手に試合や打席を投げてしまうようなところがあった。

しかしそんな彼が、2000年の声を聞くあたりから、試合に出たり出なかったりという状態になっていった、度重なる足のケガ。それは前田が野球選手の命とも基本とも大事にしていたものであった。江藤、金本がチームを去り、野村も引退、緒方もやはり故障がち、カープが低迷していったのも無理ないところであろう。

そんな中、前田は諦めることなくリハビリを繰り返し、そのつどグラウンドに戻ってきた。素晴らしい精神力といえた、それだけではない、2005年には久しぶりにシーズンフル出場までやってのけた。敵ながらあっばれ、としか言い様がない。

そして、その苦闘とともに人柄も少しずつ練れていったようだ。

「若い頃は正直、自分のためにプレーしていた。しかし、今はチームのためにプレーできている。」

今日、テレビのインタビューで前田はボソボソと語っていた。話すことは苦手と今日も語っていたが、それでもファンサービスの一環とインタビューや取材にも積極的に応じるようになった。人間的な成長と言えた。

そして今日、普段は閑古鳥の泣く広島市民球場が文字通りの超満員、すべてが前田の2,000本安打達成の瞬間を見に来たと言っていいだろう。至福の時は8回裏にやってきた。大歓声に颯爽と応える姿、そして試合後のインタビューでは感極まって涙を浮かべている姿に筆者は感動した。

随分ベテランのような気がしていたが、実はまだ36歳。ジャイアンツファンとしてこの人にはまだまだ苦しめられそうである。がとりあえず今日は、心から

「おめでとうございます。」

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