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2008年12月

2008年12月31日 (水)

みなさん、良いお年を

一昨日のことになる。出勤しようと駅まで行くと、なにやら人がたむろしている。何事かと思ったら新幹線が完全にストップしてしまったらしい。帰郷、行楽の足を奪われた人達が為すすべなく立ち往生していたわけだ。復旧まで時間がかかるらしく、困り果てている人々を横目に筆者は先を急ぐ。仕事柄、年末年始の休暇など、まるで縁のない当方としては正直「ザマミロ」という気持ちになった(性格悪!)。

筆者が就職した頃は、それでも元旦だけは休みだったが、それすらなくなってもう10年以上経っただろうか。当時の上司は休みなんかクソくらえ、仕事こそわが人生という、およそ筆者とは相容れない考えをお持ちの文字通りの「働きバチ」だったが、その人ですら

「やっぱり元旦まで仕事と言われるとこたえるよなぁ。」

と嘆いていたのを思い出す。以来、年の瀬もなにもまるで実感のないまま新たな年を迎えるということにすっかり慣れさせられてしまったが、そんな筆者に年も押し迫ってきたなぁと感じさせてくれるのが競馬の有馬記念である。

競馬には一時、随分はまったが、うまくしたもので土日仕事の筆者はなかなか馬券が買えない。PATはかなり前から入っているが、これとて時間的に、自分では操作できないから頼むしかない。そうなるとあまり馬鹿げた馬券の買い方もできずに、おかげでこの年まで、身を持ち崩さずに暮らせている(笑)。

近年は少し大人になり(というよりあまりの当たらなさにすっかり嫌気がさし)、馬券購入の意欲もすっかり落ち着いてしまったが、それでも年に一度の運試しとPATの権利維持という目的(今は2年になったらしいが、かつては1年無購入だと権利が消滅した)で有馬だけは必ず買っている。

有馬記念を買うに当たって筆者の中での1つの鉄則は「直行して来たその年の菊花賞馬を狙え」である。いささか古い話になるが95年マヤノトップガン、01年のマンハッタンカフェなどはこのパターンに見事にはまっておいしい思いをさせてもらった。だがその法則も、レーススケジュールの変更で最近はJCをはさんだり、また菊花賞そのもののレベルが落ちているのかあまり通用しなくなってしまった。

我が家の実家のPATは未だに「ファミコン」で操作しており、このご時世に三連単どころかワイドも買えず、従って当方の購入馬券は馬連一本槍である(実はとっくにネットで全種類の馬券が購入できるようになっていたらしいのだが、それに気づいたのがなんとこの間の日曜!お恥ずかしい・・・)。その筆者が数々の痛手の末にたどりついた馬券購入の自己ルール、それは

「頭を決めて、そこから総流し。」

というものである。どんなに可能性のないと思った馬でも必ず買う、抜けた馬に来られて何度、地団駄踏まされたことか・・・。

その筆者の購入方法からすると今年の有馬を当てることはさほど難しくはなかった。ダイワスカーレットが2着を外すとはまず考えられない、まぁもっとも昨年もメイショウサムソンで同じように考えて、もう2度と馬券なんか買わないとまで思うほどのダメージを被ったのだが、今年は落馬でもしない限り、まず大丈夫、JCをスキップしてここ一本に絞ったローテーションも好感できるし、なんと言っても有力馬がみんな回避して、力も抜けている。

こうして、あとは倍率をにらみながら損をしないように金額にメリハリをつけて買うだけ、1番のカワカミプリンセスから14番のアドマイヤモナークまで、残らず入力した。アドマイヤなんて来るとはただの1%も考えなかったが、そんなのは関係ない。こうして入力は終わり、後は購入操作をするだけという段になって、購入金額計3万強という数字が目に入って、はたと考えた。

実は今回の有馬は荒れるとは思えず、あまりのっていなかった。昨年人に頼んで買った為に、今年買わないとPATの権利が消滅してしまうといういわば義務感からの購入だった。こんなに買ってもしょうがねぇ、まぁ少しアナっぽいの数頭買って、楽しめばいいやと思い直して、結局4頭、6000円の購入に抑えた。当然ビリケツ人気のアドマイヤなんかはサッサと切った、悪魔のささやきとしか言い様がない・・・。

結果は・・・3着の馬も4着の馬も買っていたのに、こんなのなんにもならない。付いていけないのかとも思わせたアドマイヤモナークの後方一気のすさまじい剛脚を、悪い夢でも見ているかのように、ただ呆然と見守るしかなかった。買う以上はちゃんと気合を込めて買うべし・・・すべては後の祭りなのである。

ダイワスカーレットの強さは今更ながら感嘆するのみである。そんなダイワにただ1頭立ち向かったのは武豊騎乗のメイショウサムソンだけだったのではないか、だが悲しいかなサムソンに往時の力はなく、武の勝負を賭けた騎乗は不発に終わった。しかし、さすがは武という騎乗だったと思う。

驚異的な回復力を見せ、GⅠ、重賞を狙い打ったかのような騎乗スケジュールとなった武だが、結局は未勝利に終わった。朝日杯の週は本当にそれ一本に絞ったようだが、有馬の週は依頼が集まらなかったらしい。岩田康誠も不在だったというのに、随分様変わりである。なんとも消化不良な、チグハグな1年だったという思いを新たにする。

確勝級だったはずのリーチザクラウンが全く勝ち馬に抵抗できないまま、2着に終わった。東京大賞典は自分のお手馬だったはずのカネヒキリにねじ伏せられた。ヴァーミリアンとかち合ったとは言え、選択の機会も与えられず、カネヒキリの調教師からは

「ルメールを鞍上に確保できたのが勝因。」

とまで言われた。巡り合わせが悪いのか、それとも一部アンチが騒いでいるように

「武が乗ると馬が走らなくなる。」

のか・・・年が変わっての戦いに期待したい。

2008年という年もまもなく暮れる。今年を表わす漢字に選ばれたのは「変」だそうだが、筆者は「狂」という文字こそふさわしい気がしてならない。なにかが狂っている、狂い始めている、そんなことを度々考えさせられた1年だった。なんとかしてその流れを食い止めたい、どうやったら食い止められるのか、その為に自分のできることはあるのか・・・来年はいい年にしたい。

今年も数々の著名人が亡くなったが、元共産党副委員長上田耕一郎さんとウルトラマンを始めとした多くの円谷特撮作品の特技監督を務めた高野宏一さんの訃報が印象に残っている。朝まで生テレビを始めとしたテレビ番組等で垣間見えたおよそ共産党員らしからぬ気さくさが印象的だった上田さんと、ウルトラマン、ウルトラセブンで数々の個性的な監督と組んでほとんどの作品に関わり、我々子供達を魅了し続けた高野さん、本当に惜しい方を亡くしたと思う。心からご冥福をお祈りしたい。

今年もあと24時間を切った、言いたいこと、書きたいことを今年も書きなぐらせていただいたが、こんなコラムでも立ち寄って下さる方が結構いらっしゃる。ありがとうこざいました。来年もまた不定期にやっていきますので、よろしければまた、覗いてみて下さい。

それではみなさん、よいお年を!!

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2008年12月26日 (金)

断末魔

いささか旧聞に属する話になるが、ちょうどひと月ほど前に行われた党首討論はひどいものであった。なにやらワーワーやっていたが、要は45分間に渡って「補正予算案を出せ、さもなくば解散しろ」「いや、あんたの方こそ法案成立に協力しろ」とただひたすらに言い合ってるだけ。およそ「討論」の名には値しないお粗末な内容で、これが現時点の日本の最高責任者とその後をうかがう政治家の姿かと思うと、深いため息が出てくるのを禁じえなかった。

ところが、この討論が1つのきっかけになったか、麻生太郎首相の人気はますます低下の一途をたどり、一部調査では内閣支持率はついに20%を割った。普通なら政権維持はレッドゾーンに入った。

麻生は道を誤ったという声が高まっている。もともと解散する気満々で登場したはずの麻生が、解散を逡巡している間にもはや状況は取り返しがつかないところまで来てしまったというのだ。

「なんだかんだ言っても、内閣発足直後には40%の支持率があったんだ。それを背景に勝負していれば、ここまで追い詰められることはなかった。」

ある自民党幹部の嘆き節だそうである。更にこの幹部の言葉はこう続く。

「と言って、麻生を替えることもできない。替える人間もいないし、無理に替えれば、いい加減にしろと国民から総スカンを食う。もはや万事休すだ。」

安倍、福田と2代続いた無責任な政権投げ出しは当たり前のことだが、自民党に深いダメージを与えているのである。しかし、この自民党幹部の言葉はあまりに結果論に過ぎるだろう。あの時点で、自民党の多くが解散を望んでいなかった。野党だけでなく友党たる公明党があそこまで望んだ解散に麻生が踏み込まなかったのは、ひとえに自民党の判断である。

それにあの時点で、解散による政治空白は避けるべきという論は一定の説得力を持っていた。しかし、その後口では「百年に一度の経済危機」と騒ぎたてながら、実際にはさしたる手立てを講じようという様子もないまま、国会は閉幕してしまった。これだったら解散できただろうという小沢一郎の言い分の方が説得力をもってしまったのだ。今度はある識者の言葉を引かせてもらう。

「麻生は解散するつもりで仮人事を組んだ。定額給付金も詰めた内容でなく、選挙向けのマニュフェストとして言い放しで、そのまま解散になだれこむつもりだった。ところが、解散は先送りとなり、欠陥だらけの給付金と河村建夫官房長官、細田博之幹事長という全く機能不全の布陣が残った。結局、すべてが行き当たりばったりだったのだ。」

こうして、日本の政治はなんともやりきれない閉塞感を抱えたまま、年を越すことになった。

すべては自民党の往生際の悪さから来ている。国民の信を問うべき時がとっくに来ているというのに、自らの政権維持の為に、自らが政権にしがみつきたいが為に、そこから目をそらし続けている。急流に呑み込まれまいと懸命に岸辺にしがみつきながら、断末魔の叫びを上げているのが今の自民党。しかしそれに痛撃を与える手段がない。民主党はあたら好機を逃し続けている、自らがどうしても自力で国民の支持を得られない悲しさである。

渡辺喜美の造反に大喜びしているようでは、自らの無策を宣伝しているようなものだ。向こうが勝手に崩壊して行くのは、確かに歓迎する事態ではあるが、そんな連中を当てにし、また取り込んでなんとか政権の座にありつこうなんて、さもしい魂胆では民主党もそれまでである。

年明け早々に通常国会が召集される。民主党は冒頭から審議ボイコットも示唆している。その意気、よしである。とにかく押して押して押しまくる、それ以外に民主党の道はない。このままなら間違いなく任期満了まで選挙はない。それでも民主党は勝てるかもしれないが、あと1年近くもこんな状況を続けていける余裕が今の日本にあるとはとても思えない。とにかく自民党を排除して、新しい政権を作ることが今の日本には急務なのである。次期国会こそ、本当に民主党が真価を問われることになる。

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2008年12月21日 (日)

史上初

片方が勝てば史上初の永世七冠の偉業達成、もう片方が勝てば、将棋史上例のない3連敗からの4連勝でのタイトル死守、そしてどちらが勝っても初の永世竜王の誕生。これでもかとドラマ性を詰め込んで戦われた今期の竜王戦最終局、勝ったのは渡辺明竜王だった。

羽生善治名人の永世七冠がかかっていただけに、久しぶりに一般マスコミにも取り上げられたこのシリーズ。いきなりの羽生の3連勝で、もはや勝負あり、当人達を含めて、誰もがそう思ったに違いない。永世七冠が達成された時点で、「前人未踏」というタイトルでこのブログでも、祝福の文章を書こうと思っていた。それがまさか来年以降に持ち越しになるとは・・・。

囲碁では数例あり、また畑は違うが野球の日本シリーズでも3回を数える大逆転が将棋界ではこれまで1度もなかったのは、単なる巡り合わせだったのかもしれない。しかしまさか、よりによって羽生がそれをくらうとはまぁ誰も思わなかった。確かに相手の渡辺が、別人のように調子を上げ、勢いは完全に渡辺にあるのは目に見えていた。が、そこは羽生である、現に2年前に王将戦で、同じような目に合いかけた時も、佐藤康光をものの見事に跳ね返して見せた。やはりさしもの羽生にとっても、「永世七冠」というプレッシャーは半端じゃなかったということなのだろうか。

それにしても、ここは素直に渡辺の勝負強さ、度胸のよさを称える他はないだろう。思えば森内俊之からタイトルを奪取し、佐藤康を連破、そして今回羽生を見事にうっちゃっての竜王戦五連覇は、いわば「当代ビック3」をなぎ倒して達成されただけに、その価値は否応にも上がってくる。

渡辺は24歳、その年齢不相応の言動、容姿そして棋力は将棋ファンなら知らない人はない。しかし、いわゆる「羽生世代」に上も下もメッタ切りされている将棋界において、それに物怖じせず立ち向かってきたほとんど唯一の棋士かもしれない。

渡辺は羽生のことを「羽生さん」と呼ぶ。しかし将棋界の慣例から言えば、年齢差から見てもキャリアから見ても「羽生先生」と呼ぶべき存在のはずなのである。「先生」などと大仰に呼ばれて平然としている棋士の姿は一般人としては失笑ものだし、そんな変な慣習に反発しているのかと言うとそうでもない。その上の世代の谷川浩司や更に中原誠や加藤一二三といった「大御所」連中はやはり「先生」と呼んでいるから、どうやら意識して羽生をさん付けで呼んでいる。羽生なにするものぞ、という気概を示しているのだろう。

当然それに対して、生意気だとか礼儀を知らないという批判は被って来る。しかし、そんなものを気にする必要はないし、恐らく本人も気にしてはいまい。現に羽生だってタイトルを獲りたての若手の時に、大名人中原を下座に座らせて「大反響」を巻き起こしたこともある。当然守るべき礼節はあるが、必要以上にかしこまることなど、実力の世界である以上、全くないのである。

今回の結果をようやく訪れた将棋界の世代交代の第1歩だと思うのはいささか、速断すぎるだろうか。しかし、誰もが名前を見るだけでビビッてしまうに違いない羽生をこんな形で叩いた棋士がついに現れたのである。渡辺明の名は将棋ファン以外の人々にもしっかり刻み込まれたに違いない。

しかし褒めてばかりはいられない。確かに竜王戦での強さは非の打ち所がない。しかし他のタイトルでの音なし・・・というのはやや言い過ぎかもしれないが、精彩のなさはいささかいただけない。特に竜王位と並ぶ最高峰順位戦で未だにA級に上れないのは永世竜王としては情けない。今期もすでに崖っぷち、次局の久保利明八段戦を落とすようだと、またB1で足踏みがほぼ確定してしまう。厳しいのは承知だが、是非踏ん張ってA級昇級を果たして欲しいものである。

そして羽生である。彼が残している足跡は、金田正一の400勝同様、もはや挑戦はおろか、影を踏む存在すらまず現れないであろう。そんな無人の野を行くがごとくの彼にとって、この敗北は将棋人生で恐らく初めて受けた痛撃ではないか。むろん彼とて無敗ではあり得ない。しかし、ほぼ手中に収めていた栄光を自分より14歳も若い棋士にむしり取られたダメージは決して小さくはないはずである。

今年の羽生は森内から名人位を、佐藤康から棋聖位を奪取。王位こそ深浦康市の粘り腰に取り戻し損ねたが、「指定席」の王座は軽く防衛、まさに奇跡の七冠復活も夢ではないくらいの勢いであった。その羽生を倒した渡辺の偉業が改めてクローズアップされるが、しかしこれで羽生が引っ込むとは誰も思っていない。

年明け早々始まる王将戦、挑戦者は深浦王位。タイミングが合わなくて、書けなかったが、フルセットの末、羽生を返り討ちにしたこの人の戦いぶりも本当は稿を設けて称えたかった。そして今度は挑戦者として登場である。ちなみにこの両者の対戦成績は24-23、わずかに羽生が1勝リードしているのみ。ある程度の数の対局をして、ここまで羽生と互角に戦っているのはこの深浦と渡辺だけだろう。「お客さん」である佐藤の持つ棋王戦は既に今期は敗退、羽生にとって今年度の最後のタイトル戦の相手には不足はあるまい。痛手を受けた直後の苦手との対局、これを羽生がどう戦うか、これはまた、見ものである。

ところで今日放送のNHKの「囲碁将棋ジャーナル」ではなんと羽生本人の解説で竜王戦第7局が取り上げられていた。どの時点で依頼があり、羽生がそれを引き受けたのかは知らないが、いつもと変わらぬ風情で解説する羽生には、正直感心させられた。復帰には時間がかかるとの予想を見事に覆された武豊といい、とにかくどの世界でもトップを張る人物というのは、当方のような平々凡々たる人間には、まるっきり想像もつかない精神的、肉体的タフさを持ち合わせているのだということを改めて痛感させられた。恐れ入ったというしかない。

最後に、当初は軽症を伝えられた中原誠16世名人だが、結局病院での年明けということになりそうだ。将棋連盟の鳴り物入り企画、永世名人揃い踏み免状の署名も断念、休場期間は来年の3月末までだが、とてもあと3ヶ月で復帰できる状況とは思えず、このまま現役引退という可能性が極めて高くなったと言わざるを得ない。1日も早いご回復をお祈りしたい。

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2008年12月 3日 (水)

そして、また新たなる戦いへ

12月になった、師走である。今年も残すところ、ひと月をきった、そして日本のプロ野球も短いシーズンオフに突入した。2009年の新たな戦いはまた、すぐにやって来る。

日本シリーズの間、ずっと嫌な気持ちがしていた。勝敗の推移が、あの筆者にとって悪夢としかいいようのない1983年の巨人-西武のそれと全く同じだったからである。

今から四半世紀も前の話になるが、あのシリーズは激闘に次ぐ激闘、サヨナラ試合の応酬となり、球史に残るシリーズと称されたが、いくらいい試合をしても、負けてしまえばこちとらとして、嫌な思い出にしかならない。

そして、あの時とおんなじ星勘定で、今年のシリーズも第5戦でジャイアンツが王手をかけた。25年前は、そこから西武球場での2戦に連敗して、逆転負けを喫したのだが、今回はこちらのホームに戻っての2戦、まさかと思ってはいたのだが・・・。

第6戦は完敗、そして迎えた最終戦。ジャイアンツは「幸先よく」2点を先制した。あの日、筆者は仕事だったが、どこからか情報を仕入れてくる同僚が逐一、経過を報告してくれる。余計なことを、全く仕事に集中できん!その上、2-0とは・・・。あの時もジャイアンツは7回表まで2-0で勝っていた、がその裏、不調のエース江川に代わって、獅子奮迅の熱投を見せていた西本聖がつかまり、ついにテリーに走者一掃の逆転タイムリーを浴びてジャイアンツは敗れた。そして今年、悪夢は繰り返された・・・。

正直に書けば、日本シリーズに勝てないなんて、全く考えていなかった。あの苦しいペナントを、CSを勝ち抜いたジャイアンツが「西武ごとき」に負けるわけがない、そう信じきっていた。奇跡としか言い様のない大逆転V、そしてシリーズ直前のドラフトでは、相思相愛の東海大相模の大田を見事に引き当てていた。どう見ても今年はジャイアンツの、原辰徳の年だとしか思えなかった。にも関わらずあの結末とは・・・。

監督就任1年目にして、頂点を極めた原辰徳。しかし、その後の道は苦難の連続である。2年目はチームがバランスを崩して敗れ、球団とケンカ別れのような形で退団。2年の浪人を経て、復帰したものの、最初の年はとにかくスタートダッシュと意気込み、それを達成したもの、その反動からか、チームは急速に失速、最後はAクラスにすら残れなかった。翌年はなんとかリーグ制覇を果たしたものの、導入初年となったCSに惨敗して、赤っ恥をかき、そして今年はあと1歩が届かず、日本一奪還は夢と消えた。1つずつ、階段を上がっていく、その姿は、それにしても少々律儀すぎる。

だが、あまりの派手な逆転劇に、筆者はすっかり忘れていた。昨年、筆者はこう書いていた、来年以降のジャイアンツは苦しい、これからしばらく苦難の道が続くだろうと。そうだ、このチームはまだ、再建途上のチームだったのである。

日本シリーズの相手となった西武ライオンズというチームを見て、驚いたのは、投も打も、出てくる選手のほとんどが生え抜きの若手だったことである。その力の結集に、ジャイアンツは最後に押し切られた。

翻って当方はどうだったか、若い力は確かに存在した。そしてそれなりの結果は残してくれた。が、西武の主力達には、残念ながら及ばなかったし、そんな敵の「若造達」の前に立ちはだかって欲しかったこちらの主力勢のあまりの不甲斐なさは、泣きたい気持ちになった。

と言って今更、ラミレスや小笠原を責める気にはならない。シーズンほどの輝きは確かになかったが、彼らは精一杯戦ってくれた。問題は、他のジャイアンツ生え抜きと言われる連中の存在感のなさである。

あの日本シリーズは負けてはならなかったし、また負けるはずがなかった。最終戦だって、8回が始まる時点で、1点差で勝っていたのだ。あとはベンチにいる投手を総動員してでも、その1点を守りきればよかったのである、投手は有り余るほどいたのだから。それをしなかった原の采配が非難されるのは仕方なかろう。だか、それはそれとして、その「有り余る投手」の中に上原浩治の名も高橋尚成の名もなかったことが、今年のジャイアンツを象徴していた。

原の采配ミスを指摘する声は多い、李を戦犯視する向きもある。それはそれで、当然かもしれないが、あえてはっきり個人攻撃させてもらうが、あのシリーズの流れが完全におかしくなったのは、第6戦、満を持して先発させたはずの高橋尚の背信としか言い様のない無様なピッチングに他ならない。王手をかけて、ホームで投げるのに、あんであんなピッチングになるのか、筆者には全く理解できない。高橋はシーズン最終盤でも同じような醜態をさらした。その時も書いたかもしれないが、負けるにしても負け方というものがある。無論、試合には勝ったとは言え、第5戦でわずか3イニングしかマウンドを守れなかった上原も、もはや「エース」の称号にふさわしい投手ではなくなった現実を露呈していた。

彼らだけではない。高橋由伸はなんとシリーズ開始前にリタイヤしてしまったし、二岡智宏も清水隆行も、その姿を見せることはなかった。阿部慎之助もとうとう代打、DHの出場しかできなかった。今年1年、彼らの影はあまりにも薄かった。

原監督がことある毎に言う「強い選手」に、彼らが全くふさわしくないことが、図らずも露呈した1年だった。大型補強ばかりをする、生え抜きを大事にしないと、ジャイアンツは批判され続けてきたが、はっきり言えば彼らがもっとしっかりしていれば、大型補強なんかしなくていいのである。ジャイアンツが、真の強いチームに生まれ変わるには、もはや暗黒の時代を背負った彼らを切り捨ててでも、血を入れ替えていくしかない。これが、筆者がシリーズを見て思った実感であった。

ただ、言うは易いが、それはなかなか難しい。彼らを切り捨てることは、確実に戦力ダウンにつながる。若手の抜擢は必要だが、若い力は未知の魅力がある反面、確実に成長してくれるという保証が全くない。昨年終盤、救世主としてVをチームにもたらした野間口貴彦、脇谷亮太、加藤健といった連中の中で、今年1歩いや半歩でもその進化を見せてくれた選手がいただろうか。だが、現実は遥かに先に行っている。強いジャイアンツを、若い魅力的なジャイアンツを作る、という強固な意思の下、走り出している。

可能性がなかったからとは言え、ジャイアンツはFAした上原を引き止めるそぶりすら見せなかった。そして、二岡、清水を立て続けに放出、逆に今までは必ずダボハゼのように参戦していたFA戦線には、早々に不参戦を宣言した。なんたる様変わりか。

大型補強を、それも大して成功しないそれを飽きずに繰り返して、金をドブに捨ててきたジャイアンツから育成選手上がりの新人王が出たことは、痛快だった。今年のジャイアンツには山口、越智そして坂本とチームに3人も新人王候補がいた。いずれもバッティングしていなければ、新人王をとってもなんら不思議のない成績だった。

「育成のジャイアンツと呼ばれるようになりたい。」

2年前に、清武球団代表がそう言った時には、ファンである筆者ですらせせら笑ったが、こう見事に結果を見せられては、今はただ頭を垂れる他はない。

ジャイアンツは間違いなく、新たな歴史を作る為の第1歩を歩み始めた。果たして、それを貫き通せるのかどうか、その前途に注目して行きたい。

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