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2009年1月

2009年1月30日 (金)

第一人者の焦燥

「腰抜けと一緒に戦争するのも、大変だ。」

と言い放ったのは亀井静香国民新党代表代行だそうだ。「腰抜け」とは無論、野党第一党たる民主党のことである。あたら好機を逃し続け、間の抜けた戦略を立ててはスカを食らい続けている体たらくをハタで見ていて、歯がゆくて仕方ないのだろう。

「衆院議員の任期は9月、この国会は政権を追い込む最後の国会なんだ。国民の為に何もしない政権を力づくで倒しても、誰も文句を言わない。行儀の悪いことをしたら、国民から支持されないなんて思ってたら永久に政権なんかとれない。」

まことにもってごもっとも、我が意を得たりとはまさにこのことである。民主党はこのまま口を開けて待ってさえいれば、「政権」というご馳走が天から降ってくると信じているのだろう。冗談ではない、政権死守への自民党の執念をまさか知らないわけではないだろう。今、自民党は定額給付金さえ配ってしまえは、絶対に流れが変わると信じている、いや信じ込もうとしている。その感覚自体、既に笑うしかないのだが、それはともかく、その為に二次補正関連法案が成立する前に、給付金を配ろうという話が浮上している。相手は、思ってもいないような知恵を出して、懸命になっている。

一方の民主党は山岡賢次国対委員長の違法献金問題、岩国哲人衆院議員の不可解な次期総選挙出馬断念となにやら嫌な雰囲気が出始めて来て、麻生の引き延ばし戦術もまんざらではないような気配もある。民主党はいい加減、本当に腹を据えないと、取り返しのつかないことになると、ここで最後の警告をしておきたい。

本題に入りたい。昨年暮れからの武豊騎手の行動は首をひねることだらけだった。右手首の骨折からわずかひと月で復帰した時は、その驚異の回復力を賞賛する声がある一方で、本当に大丈夫なのかという疑問の声もまた、強かった。重賞を狙い撃ちしての、1日一鞍限定でのいわば「強行復帰」はしかし、1勝もできず不発に終わった。

それはまだいいにしても、まずかったのは、年明け早々手首の痛みを訴えて、再びリタイアしてしまったことだ。翌週からすぐまた、乗り始めたものの、豊は本当に治っているのかという不信感を競馬サークル内外に植え付けてしまった。

結果論ではなく、あの年末の復帰は明らかに時期尚早だったということだ。上記の再リタイヤの原因はただ痛みがぶり返したわけではなく、返し馬で落馬したからなのだが、それも結局は右手の抑えがきかなかったからという見方は成り立つ。

復帰を強行した大きな理由は、「乗りたい馬がいるから」ということらしいが、万全の体調で復帰しなければ、あとで禍根を残すくらいのことを、あのクレバーな武騎手がわからないはずかないだろうと思うのになぜ・・・という疑問を禁じえない。結局は武騎手の「焦り」がすべての根底にある、そう言わざるを得ない。

武騎手が少なくてもここ十数年感じたことがなかったはずの「(騎乗)馬を奪られる恐怖」、今彼はそれをヒシヒシと感じているのではないか。だから居ても立ってもいられずに、無理を承知でターフへ飛び出しているのだ。

2005年、ディープインパクトと共に颯爽と三冠ロード駆け抜けたあの年をピークに、武の成績が下降線をたどり出したことは、既に多くの人が指摘しているところである。原因は様々考えられるが、要は武に伍するだけの騎手が、JRAに次々と現れたからだということにつきるだろう。今までなら、彼が長くベッドに臥せっていても、お手馬はみんな「健気に」武の帰りを待っていた。だが今は、彼の不在の間に、そのお手馬は他の騎手達が嬉々として、奪い取って行くだろう。いや、不在でなくても、彼が選択を誤れば、もうその馬が彼のもとに帰って来ることはない。昨年、彼から乗り替わった馬が続々と他騎手の手綱でGⅠを制した事実が証明している。

いや、もっと深刻なのは選択の機会すら、徐々に奪われつつあることである。カネヒキリとヴァーミリアンのケースがいい例、カネヒキリ陣営は武の意向を確認するまでもなく、ルメールを鞍上に据えた。カジノドライヴだって、ドバイ挑戦をぶち上げて、ケント・デザーモを呼ぶという。武がウオッカで同時期にドバイ遠征していることを無論知らないわけではないだろうに。

2年前、ある雑誌に武のインタビューが載った。その年、スタートから武は絶不調、岩田康誠にリーディングで大きく水を開けられ、一時は逆転は絶望視された。しかし驚異的な追い込みで秋には逆転、ちょうどそんな時期のインタビューだったと記憶する。年明けからの不調の原因を問われて、武はこんな風に答えている。

「この年になると、技術的にはいい意味でも悪い意味でもそんなに大きく変われるものではありません。エージェントうんぬんという話もありましたが、もし騎乗数や騎乗馬の質が落ちているとすれば、これは僕の騎乗パフォーマンスの問題ということになりますね。」

この言葉は今見ると考えさせられる、今の武の環境をものの見事に言い表しているではないか。

今週からいよいよ「全快宣言」をして、騎乗を絞っていたのを止め、バリバリ乗ると武は宣言した。

「でも依頼があまりないんですけどね。」

こうジョークを飛ばしたとある記事では書いてあったが、これは恐らく武の本心の嘆きだっただろう。かつてなら、彼が乗ると言えば、騎乗馬は向こうから寄って来たはずだ。だが、土曜日の東京は3鞍、同じ日にやはり東上する岩田の乗鞍数と比較すれば、その少なさがわかる。ケガ明けで信用されていないことも大きいだろうが、今の岩田と武の評価の現われと見るのは少々言いすぎだろうか。

武豊は明らかに悪循環に陥っている。復帰を焦らず、じっくりケガを治せばよかったのに、休んで少々馬をとられたって、天下の武ではないか。また依頼はいくらでもあるはずだ。なのに、信用を失うようなことをしてしまった。ただでさえ、「脱豊」がサークル内で少しずつかもしれないが、進んで来ているというのに・・・。

前記の「いい意味でも悪い意味でも技術的にはそんなに変われない」というのもウソだ。豊も今年の3月でついに40、肉体的な衰えがないはずがない。このところ相次ぐ落馬はその1つの証明なのかもしれない。

誇り高い彼は認めたくないのだろう、自らの地歩が揺らいでいることを、自分より若くそして上手いかもしれない騎手がいることを。そしてNO1は今も、これからも俺なのだと声高らかに言いたいのだろう。

彼は本当に「プロ」だと思う。飽くなき向上心、貪欲なまでの勝利へのこだわり、そしてなによりも「馬乗り」が大好きなのだろう。請われれば、どんな競馬場にでも足を運ぶ、そしてそうして自分が足を運べば、その競馬場の売り上げが上がることを誰よりも知っている。競馬の繁栄の為なら、進んで客寄せパンダになるのである。その姿勢には頭が下がる。将棋の羽生善治同様、彼はまごうなき「第一人者」である。だが悲しいかな、人間はどんな偉人でも年をとる、加齢による肉体の衰えは人によって差はあれど、どうすることもできない。

今、武豊に必要なのは「現実を見つめる勇気」なのではないか。二十代や三十代前半とは違う自分がいる現実、更に幾多のライバルの出現で、もういい馬を独り占めできる環境にはないという現実、その中でどうやってトップの座を守っていくか。一人舞台から「追われる身」となった今こそ、第一人者たる武豊の真価が問われるのではないか。

それができない限り、彼は早晩トップの座から陥落することになろう。その兆候はすでにあちこちに出て来ている、だからこそ焦っているのだろうが、その意味でもあのケガのあとはじっくり療養してほしかった。身体を治すのはもちろん、冷静に自分を見つめ直せる恰好の時間となったと思うのだが・・・。

しかし、今更それを言っても仕方がない。こうなった以上、彼が為すべきことは、いみじくも彼が言っていた通り「いい騎乗パフォーマンスを見せる」ことしかない。その為に為すべき事はなにか、今の自分にあった新たな騎乗スタイルを見つけることなのか、新しいエージェントを探すことなのか、それとも、なりふり構わず自ら営業して、新たな人脈を作ることなのか・・・それは筆者にはわからない。

「騎手には驢馬は走らせられない。」

と言ったのは、他ならぬ武騎手自身だが、このままでは「武はいい馬に乗ってるから勝ってるだけ」という長年の中傷を肯定することになりかねない。申し訳ないが、武騎手の前途はこのままでは、かなり厳しいと思う。そんな筆者の下司な思いを吹っ飛ばすような騎乗を是非期待したい。

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2009年1月28日 (水)

いつか来た道

8年前にも、同じようなことがあった。あまりにも不適格な総理総裁を戴いたまま、自民党はほぼ立ち往生、為す術ないまま、ついに政権の座から滑り落ちるかに見えた。ところが、たった一人の男の登場が、まさに起死回生の一撃となり自民党は生き延びることになってしまった。

麻生内閣の支持率は下げ止まらず、山形県知事選は本来なら無敵に近いはずの「再選をめざす現職」が苦杯をなめた。様々な理由を挙げて、麻生も自民党も中央政界への波及を防ごうと躍起だが、根底に自民不信、麻生不信があることは、覆い隠すべくもない。

8年前の森内閣末期の状況と今は、似ているところもあるが、当然違うところもある。森は「総理大臣としての資質」を正面から問われた恐らく戦後初の首相だったが、発言のブレを衝かれ、ついでに漢字が読めないことで嘲りを受けている麻生も似たような状況にある。森の時は、様々なスキャンダルが発覚し、それが森の不人気に拍車をかけたが、今は麻生の掲げる政策そのものが、国民の批判を浴びている。事態はより深刻かもしれない。もう1つ良く似ているのは、明日にでも倒れそうな内閣が実はなかなかしぶとく、野党が不甲斐なくも責めあぐねていることである。

それにしても民主党はなにをしているのだろう、この状況において麻生を、自民党を決定的に追い込めない現実はかなり深刻である。参院の多数を持ち、世論もとうとう早期解散を望む声が多数を占めてきた。相当どぎついことをやっても許される状況だと思うのだが、踏み切れない。繰り返すがこのままなら、選挙は間違いなく9月の任期満了までない。小沢は内閣は持たない、選挙だとずっと言い続けているが、狼少年以外の何者でもなくなって来ている。

8年前と違うこと、それは参院で野党が多数を占めていること、あとは麻生を替えたくても既に、破廉恥な政権投げ出しを2回も繰り返してきた自民党にもはやその度胸もないこと、そして間近に迫っている国政選挙が参院ではなく、第一院たる衆院選であること、つまりこの選挙の結果次第で本当に政権が替わるという事態を迎えることである。

森は衆参で多数に守られていたが、自身の緊急事態に対する不適切な対応が、最後の決定打となって、予算と引き換えに辞任の道を選ばざるを得なくなった。野党の攻撃で倒れたのではなかった。そして今、一院の多数はなく、国民の信も失ったかに見える麻生をやはり民主党以下の野党勢は倒せないのであろうか。この期に及んで、問責も出せず、審議拒否の揺さぶりもかけられないとは、そんな度胸のなさで、政権奪取とはおこがましいと言わざるを得ない。

もう1つ、8年前と違うこと、それは恐らく自民党の起死回生の切り札はないということ。それに安心しているのかもしれないが、向こうに手がなくても、こちらが勝手にコケるという危険性は決して低くはない、だって今まで結局はその繰り返しだったじゃない。とにかく、この閉塞感、なんとかしてくれよ・・・。

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2009年1月20日 (火)

松本楼again

12月半ばくらいから年明けにかけて、バタバタしている我々流通業界も、成人の日を絡めた三連休を過ぎると、ようやく忙しさも一段落する。さぁ少しはのんびりさせてもらおうということで、この時期に休みをとって温泉に行かせてもらうのが、ここ数年のパターンになっている。

どこへ行こうか考えるだけでも、楽しくなってくるのだが、雪の心配をしなくてはいけない時期だけに、自然と場所が限られてしまう。今年は別の所と思いながらも、結局はまた先週の木~土にかけて、伊香保に足を向けることになってしまった。泊まるのは昨年に引き続き「ホテル松本楼」である。

去年は1泊だったが、今年はなんとか2泊することにした。子供の幼稚園が終わってから、妻の母親を途中で拾ってのドライブで着くのは18時を超えてしまうのは目に見えていたのだが、それでも今回は中1日のんびりしたかったからだ。

松本楼には昨年も世話になって好感を持っている(そうじゃなきゃ、また行きはしないけど)。昨年も12000円を切る料金で、かなりお得な気分になったが、今回は子供が幼稚園からもらって来た子育て支援なんちゃらとかいう割引クーポンで、10500円で泊まれるという。こりゃ行くしかない。

松本楼については昨年も書いたので、追記することはあまりないのだが、風呂について昨年、「2Fが掛け流し、8Fが循環」と書いてしまったが、これは間違いで、両方とも源泉「黄金の湯」を引いた浴槽が掛け流し、「白金の湯」を引いた浴槽が循環である。風呂につかって見ていると、黄金の湯を引いた浴槽からは気持ちよく湯があふれて行くが、白金の湯を引いた浴槽からは全く湯がこぼれ出ることはない、それは見事なまでのコントラストであった。

雪は去年より降っていたようで、道端に積もっていたし、道路もちょっと日が陰ると凍っていた。真ん中の日は、旅館でゴロゴロしていたかったのが本音だったが、妻子が許してくれるはずもなく、グリーン牧場まで引っ張りだされた。こんな寒い中、行く物好きがいるのかと、内心閉口しながら行ったのだが、風がなかったのが幸いして、思ったほどのつらい思いはしないで済んだ。2人の子供は積もった雪の上で大はしゃぎだったし、まぁ結果としては連れて行ってやってよかった。そして、牧場を出て昼食に、昨年食いっぱぐれた田丸屋のうどんも食べられたので、よかった、よかった(笑).。

帰りは名物の石段街に行ってみた。伊香保には何回も行っているが、考えてみるとゆっくりここを歩くのは初めてのような気がする。土曜日の午前中ということもあり、人もまばらだったが、やはりそれなりの風情はあった。

実は松本楼では土日祝日に昼食時「蕎麦バイキング」というのをやっている。蕎麦には目がない筆者としては、大いに心引かれたのだが(だって蕎麦食べ放題なんて夢のよう)、アレルギー持ちの子供達にもしものことがあってはと、泣く泣く断念した。どなたか、体験された方がいらしたら、是非お味等の感想を教えていただければ思う。

食事も接客も玄関前の足湯もなかなかいい、近くて本当にいい温泉だと改めて満足しながら、今年も伊香保を後にした次第である。

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2009年1月 5日 (月)

今年こそ「正当なる」政権交代を~年頭に当たって~

遅ればせながら、新年明けましておめでとうございます。こんなに快晴続きのの年末年始はちょっと記憶にないが、しかし世相はなんとなく暗い・・・かなぁ。

今年は選挙の年である。9月10日にあの馬鹿げた郵政選挙で選ばれた衆院議員達の任期がついに切れる。あれからもう4年、思えば貴重な時間をまた空費してしまったものである。

今の日本国憲法が制定されてから、初の総選挙が行われたのは1947年、今から62年前の話である。時の首相は吉田茂、麻生太郎現首相の爺さんだが、その吉田率いる自由党は選挙に敗れ、第2党に転落する。すると「憲政の常道」と称してあっさりと政権を諦めてしまった。イギリス大使も勤め、大のイギリス通イギリス好きの吉田からすれば、当たり前の話だったのだが、この吉田の「潔さ」に困惑したのが、この時第1党に踊り出た日本社会党の面々である。

勝利の報を記者達から聞いた社会党の大実力者西尾末広が思わず「しまった」と口走ったというエピソードが残っているくらいで、戦後再建なったばかりの社会党には政権担当の準備などほぼ皆無だったからである。それでも約1ヶ月のすったもんだの挙句に、とにもかくにも当時の委員長片山哲を首班とする社会、民主、国民共同3党による連立内閣が発足したのはめでたいことではあったが、驚くなかれ、これが今のところ、戦後日本において実現したほぼ唯一の「正当な」政権交代と言って差し支えない。

その片山内閣は、提出した予算案を身内の造反で否決されるという信じ難い失態により、わずか半年で倒れてしまうのだが、問題はその後である。いわば自滅した3党連立に与党の資格はなく、政権は野党第一党の自由党に委ねられるのがまさに「憲政の常道」のはずだったのだが、政権欲に目がくらんだ連立側は与党第二党民主党党首芦田均を立てて、政権維持を目論む。これは「政権たらいまわし」と世論、マスコミから大ブーイングが浴びせられたが、国会の多数を頼んで、連立側は強引に芦田内閣を発足させてしまった。

芦田内閣そのものは、その後すぐにスキャンダルで潰れてしまうのだが、この一連の事態が残した禍根は深刻であった。この片山、芦田の交代劇が悪しき前例となって、国会で多数を占めてさえいれば、政権がどんな事情で倒れ、選挙の洗礼を受けなくとも、絶対に移動することはないことになってしまった。小泉→安倍→福田→麻生という厚顔無恥な首相交代劇のルーツがここにある。まことに罪深いたらいまわしであった。

その後も政権交代とおぼしきものがなかったわけではない。1953年の吉田から鳩山一郎への首相交代は一応、他党への政権移動の形になっているが、選挙の結果を直接受けたものではない。

そして93年の宮沢喜一から細川護熙への首相交代劇は、自民党内の造反から新党誕生、そして総選挙で結党以来初めて自民党が単独過半数を割り、ついに下野を余儀なくされたと言う意味では紛れもない「政権交代」ではあったが、今冷静に考えて見れば、あの選挙で自民党は本当に敗北したのかという疑問はある。既に選挙前に離党者が相次いで過半数を失ったまま選挙に突入、結果は現状を維持し、第二党の社会党の約三倍の議席を獲得した圧倒的な第一党だったのである。あの「政権交代」は細川擁立という奇策を用いて、国民の支持を見事に引き寄せた小沢一郎の文字通りの「剛腕」の賜物であり、所詮は砂上楼閣のようなもので、その証拠にものの1年も経たないうちに崩壊の憂き目を見る羽目に陥ってしまったのである。

そして細川の後を継いだ羽田孜内閣が崩壊してから15年の月日が流れようとしている。執念で小沢一党を追い落とし、政権の座に返り咲いた自民党は以来、「ノーモア野党転落」の一念でひたすら政権にしがみつき、利用できる物はとことん利用として、今日まで生き延びて来た。他党の生き血を吸い、本来なら「鬼っ子」である小泉純一郎を総裁、そして首相の座に押し上げ、この類まれなる政局師の遺産である衆院2/3を占める途方もない絶対多数を拠り所にして今、政権を運営している。

93年の政権交代は極めていびつなものであり、ゆえに長続きしなかった。しかし、あの時、小沢一郎の政治姿勢にもう少し柔軟性があったら、自民党という政党は遠からず崩壊していたに違いない。自由民主党という政党は既に歴史的役割を終えたと断言できる、東西冷戦が終わり、護送船団方式で国を富ませるという方式が通用しなくなった時、それに代わる国を導く指針を全く持ち合わせていなかったからである。

そんな「死に損ない」が尚も国政を担っているのが第一の不幸、更にあまりにも1つの党が長らく政権政党の座に着き続けたことにより、この国の政治からダイナニズムというか柔軟性というものが全く失われてしまったということが第二の不幸。そして同じ政党が権力を握り続けることにより、緊張感、自制心というものがまるでなくなり、もはや手の施しようがないと思えるほどのでたらめな財政運営、政権運営が続けられているというのが、第三のそして最大の日本という国の不幸である。

国の財政が厳しいという。宮沢が「破綻」と口走ってから8年ほど経つ。その間、「小泉改革」なるものが行われたりしたが、財政状況は悪化の一途をたどっている・・・らしい。

麻生は消費税率のアップを明言した、いろいろ注釈はついていたが、3年後に上げたいらしい。選挙を目前にしてバカなことをと、与党内から突き上げられても、ここはガンとして譲らないところを見ると、政治家として、首相としてのそれなりの使命感からなのだろう。与謝野馨も、先の総裁選で国民の耳障りなことも私は言うと得意げにのたまっていた。麻生も与謝野も政治家としての使命感に酔っているのだろうが、彼らは確かに我々に耳障りなことを言っているが、所詮自分達の「口当たりのいいこと」しか言っていない。

いろいろと金が足りない、財政が厳しいという話は聞く。しかし、なぜ財政がここまで悪化したのか、その原因はなんなのか、そしてその責任は誰にあるのかという話を聞いたことがない。そしてもっと言えば、財政の現状は本当はどうなのかということも正確に聞いたことがない。

日本という国ほど「責任追及」ということをおろそかにしている国はめずらしいと思う。それをしようとすると「今そんなことをしている場合ではない」という声が上がり、うやむやにされる。結局表面的に物事が解決したように取り繕われ、原因追求がされていないから事態は悪化して行くだけなのである。

今為すべき事は「真実の公開」以外にないと思う。89年にあれだけの国民の反対を押し切って消費税を導入し、7年後には更に2%税率を上げた。にも関わらず、財政はなぜ好転しなかったのか、もともと税率が低すぎたのか、それとも使い方が荒っぽすぎたのか、まぁ恐らく両方なんだろうが、だいたいなんで財政はここまで悪化してしまったのか、どの政策が間違っていたのか、それともどこで金の使い道を間違ってしまったのか・・・。

筆者は今のまま消費税を上げるのはごめん被る。上げたところで使う人間、使い方を決める人間が替わらない以上、また同じことが繰り返されるだけに決まっているからである。どうしても税金を上げたければ、まず状況と経緯を説明しなさい。そして政策の誤りを認め、国民に謝罪しなさい。しかし、それは今の自民党にできるはずがない、だって自分達自身がやったことでなくても、自分達の親父や爺さん、恩義を受けた先輩達がやったことなのだから、結局は自分達が非難を一身に受け、結局政権を追われるのだ。そんなことを進んでやるわけがないのだ。

だから政権を替えるしかないのである。今までのしがらみがない連中が入っていっていろいろ調べて、事実を明らかにする。反対党の不始末を公表するに躊躇はないだろう、その為に、戦後の日本がほぼ1度も経験したことのない、選挙による完全な攻守交替、つまり「正当なる」政権交代がどうしても必要なのである。

民主党は間違えてはいけない。あなた達が政権を担うことになった時、やるべきことは1つしかない。それは有り体に言えば「前政権党たる自民党のアラ探し」なのである。様々な政策を実行する為に、政界再編なんて寝言を言っている奴らがいるが、少なくとも民主党がそんなことを言うのはおこがましいの一言である。まずは財政を立て直さない限り、そこから先なんてあるはずがない。たぶん、最終的には消費税を上げて、増税による財政再建しか方法はないのだろう。だとしたら、せめて納税者に納得感を持たせて欲しい。しぶしぶながらも、それなら仕方ねぇなと国民に思わせる環境作りこそが、民主党政権の唯一最大の使命なのである。

もう1つ、一時選挙近しで各政党がいろいろなキャッチフレーズを氾濫させたが、筆者の心を1番つかんだのは、皮肉にも筆者が1番嫌いな公明党のポスターにあった

「贅金カット」

というフレーズであった。少なくとも民主国家と言われる国で、「公金」という意識が政治家、官僚の間でここまで低い国はあまりないのではないか。枝野幸男は政権をとったらまず何がしたいとの問いに

「税金の使い道の徹底的な精査、見直し。」

と答えた。我が意を得たり、とはのこと。その為にも、連立の組み替えや自民の脱落者を巻き込んでの政権交代など全く無意味。とにかく今の野党勢力が選挙により、堂々と政権を奪取する、これこそが、日本再生の第1歩と筆者は信じている。

小沢一郎は言い続けている。

「我々が政権をとったら、根本的にやり方を変えます。今までのやり方が間違っていたことは事実が証明している。だから、我々にまず任せてみてください。」

その意気、よしである。

さぁ、今年こそ「正当なる」政権交代実現を!!!

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