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2009年5月

2009年5月28日 (木)

まだまだ、先はこれから

先日の民主党代表選の際、立候補挨拶に訪れた鳩山由紀夫に対して、党最高顧問の渡部恒三はこう言ったそうだ。

「いよいよ、吉田と鳩山、孫同士の対決だな。」

昭和20年代後半の政界を彩った吉田茂と鳩山一郎の政権の座を賭けた文字通りの「死闘」は、もはや歴史の1ページであるが、今読み物として読んでも、その迫力は胸に迫って来るものがある。まして渡部翁は、当時早大雄弁会の重鎮だったはずで、多感な「政治青年」として、この戦いをまさに、血湧き肉踊る思いで眺めていたに違いない。

戦後の復興、混乱期に長きに渡って政権を担い、一時代を画した吉田がついに下野を余儀なくされ、変わって鳩山が悲願の政権の座に就いてから、もう半世紀以上の時が流れた。紆余曲折を経て、吉田の孫と鳩山の孫が、政権を賭けて対峙する、それは確かに、因縁を感じないではないが、世襲批判が今更なぜか、急激に高まりを見せる今日、白けた気分を味わってもいる。

あの時、もしこんな制度があって、吉田と鳩山が国会で対決したら、さぞかしド迫力のバトルが繰り広げられたに違いないと、ふっとそんな詮のない妄想にかられながら、昨日の党首討論を見た。爺さんと孫では随分役者が違っていたのかしれないが、しかし我々国民は、後4ヵ月の間に、この両者のどちらかを国のリーダーとして選ばなければならないのである。

2002年以来、鳩山は実に7年ぶりにこの舞台に「復帰」した。この制度の発足時の民主党代表だった鳩山は小渕恵三、森喜朗、小泉純一郎という3人の首相を相手に論戦に挑んだのだが、まぁ目を覆うばかりの有様だった。対小渕というのは、正直全く記憶にないのだが、まさに口から生まれたような森には屁理屈で言い負かされ、すかされ、確かに時流に乗っていたのかもしれないが、小泉にはその迫力で常に圧倒されていた。対する鳩山は、その性格からか気迫もなく、切り返しの術も持たず、空しく敗退するのが常であった。今でこそ、自民党総裁たる首相と野党第一党民主党代表の一騎討ちの場となった党首討論だが、当時は他野党党首にも発言権があった。

が、彼らの持ち時間は数分であり、現実にはなにもできずに終わっていた。まぁ自由党党首だった小沢一郎はともかく、あとの共産党委員長志位和夫と社民党党首だった土井たか子が、時間さえあればもう少しまともな議論を挑めそうな人物だっただけに、いっそ彼らに時間を譲ったらどうかと思う程であった。とにかく、鳩山には野党のトップとして不可欠な与党に挑みかかる、追い詰めるという姿勢も迫力も、そして能力も欠如しているとしか思えなかった。この人がリーダーでは政権交代など絶対に無理、筆者は嘆息したものである。

そんな人物が、党首討論に帰って来た。筆者は正直、憂鬱だったが、月日が鳩山を変えたのか、それとも相手の質が落ちたのかはわからないが、思ったよりは頑張っていた。が、半年前の麻生ー小沢戦もそうだったが、自分の言いたいことをただ言い合っているだけで、「討論」の名にふさわしいかは、今回も疑問に思わざるを得なかった。それに西松問題の傷は覆い隠すべくもなく、小沢の代表代行就任と更に「一連托生」と言いながら、結局鳩山が、後任に納まった経緯を鋭く突いた麻生の発言には、筆者もうなづけるものがあった。その辺は麻生が技ありだったかなとは思うが、政策論議の方は冴えず、今日のところはどちらが優勢、あるいは得点を稼いだというレベルではなかったのではないか。

まぁしかし、党首討論の生みの親と言われながら、逃げ回っていた前任者と違い、鳩山は大いにこれからもやろうと言い、麻生もそれに応じていたから、これから4ヵ月(筆者は任期満了選挙だと思っているので)、我々国民の前で、是非丁々発止とやり合っていただきたい。そう言えば、その前任の方は、党首討論など我関せず、この日も地方の空の下だったそうだ。記者団の問いに

「僕は選挙担当、他のことは他の人に聞いてよ。選挙のことならいくらでも話すから。」

と、ある新聞によると「にこやかにかわし」、別の新聞によると「にべもなく言い放った」そうだ。逮捕されていた秘書もようやく釈放され、いよいよ俺は選挙三昧ということらしい。そんなもんなんですかねぇ・・・。

ところで最近「安倍元首相」なる人物の発言が、度々マスコミで取り上げられるようになって来た。よくわからないのだが、安倍という名の首相経験者は筆者が知る限り、恐らく1人しかいないから、たぶんあの人のことなのだろう。無責任極まりない政権放り出しからまだ2年も経っていないのに、またぞろ動き出し、なにやら発言したり画策しているやに仄聞するのだが、この人物には「恥」という観念がないのだろうか。どの面下げて、今更偉そうなゴタクな並べ、またマスコミも無批判にそんな人物の発言を垂れ流しているのだろう。本来なら首相辞任どころか、議員も辞めるべきであり、だとすれば、せめて次の選挙の洗礼を受けるまでは「謹慎、蟄居」すべきが普通の感覚だと思うのだが、いいがなものか?

ま、要するにどっちもどっちってことですかな、ア~ァ・・・。

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2009年5月25日 (月)

風は秋まで、吹き続けるか?

お隣の某国から、前大統領が投身自殺を遂げるという衝撃的なニュースが飛び込んで来た。お国柄なのかどうかは知らないが、その某国では退任した大統領自身もしくはその親族が、次期政権下でスキャンダルを追求されるということが、繰り返されており、筆者はかねがね学ばない人々だと「感心」させていただいていたのだが、その前大統領もご多分に漏れず、夫人の金銭スキャンダルが捜査対象となり、進退窮まった末の行動だったらしい。このような結末を迎えてしまった以上、今は前大統領のご冥福を祈る他はないのだが、それにしても「権力は腐敗する」という古くて、しかし永遠に解決することはないだろう真実を改めて思い知らされる出来事であった。

我が地元であるさいたま市の市長選挙の投開票が昨日行われた。国政選挙はともかく、地方レベルの選挙にはまず無関心、ましてや「仮の宿」に過ぎない今の地元のそれには全くといっていいくらい興味がなかった筆者がめずらしく期日前投票に足を運んだ理由はただ1つ

「旧浦和市長時代から5期18年に渡って、在任し続ける今の市長の居座りをこれ以上、許すわけにはいかない。」

というその一点だけであった。どんなに偉い人でも、実績のある人物であろうと、長く権力の座にあり続ければロクなことはない、人物、政策の如何に関わらず、長期政権を誇る奴は追放すべしというのが、筆者が参政権を行使する際の唯一、かつゆるぎない判断基準なのである。

地元民ヅラをして、解説らしきものをさせていただけば、筆者がまだ都民だった2001年に旧浦和、大宮、与野の三市が合併して以来(その後、岩槻市も合併して今日に至る)、そして初代さいたま市長に浦和市長であった現市長が就任して以来、旧大宮と旧浦和の感情的対立は未だ尾を引いている。それだけではなく、市議会は自公民3党が与党であったのだが、内情は複雑。自公は一応、現市長を推薦したが、民主は多選現職を支持しないという原則に基づいて対立候補を擁立した。しかし、その候補は元自民党県議、例の政界のハグレカラス渡辺喜美に共鳴して、自民を飛び出したという変わり者(?)であった。

更に事情を複雑としていたのは、自民も民主も1枚岩でないことで、民主は一部が公然と現市長側に付き、自民も少なくても県連レベルは現市長支持だが、4年前に現市長に惜敗し、その後国会議員に転じていた女性候補がリベンジを掲げて立候補。野田聖子、小渕優子といった現職閣僚を含む自民党の女性国会議員が続々とそちらの応援に入る有様。それだけでなく、前々回の市長選に落選、その後埼玉5区から自民党公認で衆院選に出た経歴のある候補も参戦、結局共産党を除く各政党はついに、党中央レベルでの推薦、支持は出せずじまいとなってしまったのである。6人の候補が立った今回の市長選、反市長側がこれだけ乱立してしまえば、普通は現職の楽勝だったろう。しかし結果は民主党市議会議員団が「支持」した元自民党県議の圧勝だった。

マスコミの分析、報道、あるいは各陣営のコメントによれば、この選挙は市長選でありながら、結局は近づく衆院選の前哨戦、あるいは各政党の代理戦争の様相を日に日に深め、先週の鳩山新代表の誕生で民主が一気に勢いづいてそのまま、勝ってしまったというのである。それが市長選の正しい姿か、あるいはさいたま市民にとって、幸せであったかどうかは議論の余地があるだろうが、とにもかくにも、そういう流れの中、結果として鳩山の「初陣」となったこのさいたま市長選で民主(系)の候補が勝利したという事実は軽視できない。

先週の土曜の代表選で鳩山が勝ち、国民的には人気の高かった岡田は敗れ、そして小沢が代表を退いた。だが、小沢は尚も事実上のNO2として執行部に居残り、選挙対策責任者として、我が物顔で地方行脚を続けている。一昨日は鹿児島で

「なんとか太郎とかいうグズな首相が、自分の保身に汲々として、解散総選挙を先送りにしている。」

と痛烈な言葉を浴びせかけていたらしい。まぁそれはそれでいいのだが、2ヵ月に渡って政治を停滞させ、民主党を窮地に追い込んだあの騒動とは一体なんだったのか?説明責任を果たせと小沢と民主党に厳しい声を投げつけていた「世論」はどこに行ってしまったのか?結局、鳩山と民主党がやったことは単に、小沢を隠しただけに過ぎないのに・・・。

結論としては「とりあえず小沢が首相にならない」ということと引き換えに、国民は民主党を許したということ、というよりもはや自民党への国民の反感は、民主党の多少の粗相や頼りなさには目をつぶろう、というところまで高まっていると考えるしかなさそうだ。わずか4年弱の間に、自分達の都合だけで4人の首相、総裁を誕生させるという体たらくを演じながら、それになんら恥じることもなく、またその地位に全くふさわしくない人物を平然と担ぎ出し続けることに、全く罪の意識もなさそうな驚くべき不感症ぶり。そして、かつてない衆院の多数をカサに、ろくな議論もしないまま、平然と国民に負担を次々と押し付け、それに灸を据えた2年前の参院選の後も、自らを悔い改める姿勢をかけらも見せることなく、自分達の施政こそが絶対に正しいという態度を貫き、野党との話し合いなどハナから無視してはばからない傲慢な政権運営。もはやここは1回「政権交代」をさせてみるしかない、国民の意識がいよいよこう固まって来たと見るべきなのかもしれない。昨秋のオバマ当選以来の「チェンジの風」はまだ、吹いている・・・のだろうか・・・。

勇気を欠いて、勝負を避け続けて、とうとうここまで自民党を延命させてしまった民主党に対して、「なんとか太郎」さんの方にも、乾坤一擲、敵失に付け込む度胸がなく、勝負はやはりこのまま9月の任期満了まで先延ばしだろう。一時有力視された7月の都議選とのW選挙もこうなっては友党公明党を怒らせてまで、やりきれないだろうしサミットもある。8月9日は長崎原爆投下の日で、思わぬ反感を受けかねず、16日はお盆の真っ最中。古賀誠の投票率うんぬんの失言もあり、痛くもない腹を探られかねない。となると、もはや解散するタイミングすらなく、任期切れの9月10日に解散、10月総選挙という「最大引っ張り日程」で時間を稼ぐ。考えてみれば西松事件だって、まだ検察は捜査終結を宣言してはいないんだし、諦めるのは早すぎる、「そうだ、頑張れ特捜!」。こうして、天が再度なにか僥倖を与えてくれるのをひたすら祈り続ける・・・しかないのだろうね、きっと。

権力は腐敗する、にも関わらず今の自民党政権はあまりにも長く続き過ぎた。日本を再生する第一歩、それは「正当なる」政権交代を実現することである。その筆者の信念には自信はある。そして、その思いを共有する人が増えていることも実感する。しかし、その人達が今度の投票日まで多数であるということに対する自信は残念ながら、全く持てない。結局、今度の衆院総選挙はその時、運の良かった政党が勝つ、今確かなことはそれだけらしい。

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2009年5月24日 (日)

いい旅だった

現在、当方は1週間の休暇の真っ最中。先日の21日の木曜から一泊で温泉に出掛けてきた。目的地は山梨県西山温泉の「慶雲館」である。

年に2回の休暇の内の1回を最近、5月のこの時期に取ることにしているのは、月末に父が誕生日を迎えるので、続けられる限り、家族で毎年旅行でもして祝おうということにしているからだ。ところが、今年は色々な与件が重なり、行けるのが両親と筆者の3人だけになってしまった。筆者のチビ共も不参加となり、そこで今回の目的地として浮上したのが慶雲館だった。

この旅館には前から目を付けていたし、実際に評判もいい。数年前に行った友人も絶賛していたのだが、しかし、いざ行こうとするには2つのネックがあった、それは「値段」と「立地」。

かつては湯治場だったこの地は、その時代とは比べ物にならないくらい交通網も整備されたが、本によっては未だに「人気の秘湯」として扱われているくらいで、道は険しく、子供連れのマイカ-でチャレンジするにはちと勇気がいった。夫婦2人旅だった友人も「道は怖い所があった。」と言っていた。それになんと言っても一泊最低料金が2万円台半ばという価格は家族旅行には正直シンドイ。だが今回、母がJR運賃込みで3万を切るというある旅行社の企画を発見してくれた。運転せずともよく、自分一人なら、多少のヘソクリ(?)を崩せばなんとかなる、こんなチャンスはしばらくないと、思い切って申し込んでしまった。

当日、天気は薄曇、ずっと雨マ-クだったのだが、土壇場で週末にずれて行った。もっとも申し込んだ企画は既に列車の時間が決められており、途中下車など一切できず、ただ温泉と自宅を往復するだけなので、観光するわけでもなく、天気などどうでもいいと言えばいいのだが、まぁ傘をさす面倒臭さから逃れ、カンカン照りでもないという気候は年寄り連れの旅としてはありがたい(どうでもいいことだが、前日はまさに真夏のような暑さで、遠足で動物園に行った上の息子と妻はフラフラになって帰って来た)。

12:00新宿発の特急で甲府へ向けて出発。特急列車を使って旅をするのは、いつ以来かちょっと思い出せないほど久しぶりだったのだが、驚いたのは、あの鬱陶しい「乗車券拝見」がついに周ってこなかったこと。どうやら指定席だったので、もういちいち拝見するまでのこともないということらしかったが、だったらもっと早くそのシステム導入してくれよと言うところてある。あの馬鹿馬鹿しいことで、何度安眠を妨害され、また睡魔と闘わざるを得なかったか!

甲府から先は別料金、どうぞご自由にいらっしゃいということなのだが、選択肢は実はない。平日の身延線など、特急料金を払うなんて本来なら全くの無駄なのだが、これに乗らないと、日にたった1本しかない宿からの送迎バスに乗れず、もしこれを逃せば、タクシ-かバス。しかし最寄駅の身延から宿まではゆうに1時間かかるというから、タクシ-料金なんていくらかかるかわからず、バス(これも日に何本あるかわかったものではない)も最寄のバス停から徒歩30分(!)と書かれている、これではどうにもならん。

身延の駅にはちょっと興味があった。それは日蓮宗総本山の最寄駅だから・・・ではなく、今から3年前の夏、急に思い立って実施した青春18きっぷを使った乗り尽くし旅の時、ここでの乗り継ぎ時間を利用して、少し早めの夕食を採る予定だったのが、列車が遅れて果たせなかったという因縁(?)があったからだ。駅やその周辺に飯が食える場所が、本当にあるのかあるかどうかも、未知数だったのままだったのだが、実際改札を出てみると、その時狙っていた駅ソバも、数件の土産物屋、食事処もあり、狙いは間違っていなかったという「満足感」と、ここで夕食をとれなかったという計算違いから、結局帰宅した11時近くまで飯にありつけなかった「苦い思い出」が同時に胸に去来した。

30分ほど待って乗ったマイクロバスでの宿までの時間はお世辞にも快適とは言えない。別に舗装していないガタガタ道があるわけではないのだが、細い道や川沿いの道、更にはもっといい道路を作ろうとしているそうで、あちこちで工事が進められているといった具合である。もう少し暗くなってから通ったら相当心細かったのではないか。同乗したオヤジグル-プのけたたましさに閉口しながらも、これはやはり自分で運転せんでよかったと心から思った。

「お客様はかなり心細い思いをしていらっしゃるようですが、建物が見えた途端、びっくりされるようです。」

というスタッフのコメントをどこかで見た記憶があるか、1時間あまりのドライブの果てに現れる宿は、周りの情景とはあまりにも似つかわないほどの近代的な建物。一軒宿ではないのだが、見かけということだけで言えば、ここ以外の宿に泊まる人はよっぽどの変わり者か通としか思えないくらいの差がある。

建物も出迎えてくれたスタッフ、更に担当の若い仲居さんの応対もグ-なのだが、とにかくここの宿で堪能すべきなのは、絶品かつ豊富な温泉。もともと、湯治場だったのだから良質な湯を誇っていたのだろうが、4年前にとてつもない湧出量の源泉を掘り当てたとかで、貸し切り露天風呂2つを含む計6つの浴槽には、湯がジャンジャン掛け流され、各湧出口にはコップが備え付けてある。つまり飲泉可能ということで、ついでに各部屋の蛇口からも、ひねれば温泉が出て来るのである。源泉52℃の湯は友人からかなり熱いと脅かされていたのだが、実際には快適、いつまででも入っていられた。

「いい湯に入ると自然に眠くなる。」

とは松田忠徳さんの言葉だが、全くそれを実感させられた。

食事は夕、朝ともに部屋食。友人はこちらも相当誉めていたが、今回は、ここの宿にしてはやや安価な企画で来ているからあまり期待をしていなかったのだが、上品な味で多からず少なからずで、良かった。筆者は赤出汁というものを旨いと思ったことがないのだが、本当に初めておかわりしたいと思った。年齢のせいか、海の豪勢な料理より、最近は山の質素なしかし、上品な料理の惹かれるようになって来たようだ。

部屋には川のせせらぎが心地よく響き、それを直接感じたければ、部屋の外にはゴロリと横になれる木のスペ-スが。チェックアウト11時というのもいい、ただしこの恩恵をフルに受けるには自力で来るしかない。帰りの送迎バスは10:20には出発してしまうからだ。それでも普通より1時間遅いチェックアウトのおかげで、朝食後、もう1度ゆっくり風呂に入れる。時間で男女入れ替えになるので、風呂は是非すべて入ってみてほしい。

今回は、団体もおらず、ここの宿としてはかなり空いていたそうで、ラッキ-だった面もあったとは思うが、本当にすべての面でいい思いをさせてもらった。周りに施設は何もない、値段も安いとは言えないが、このくらい取られても仕方ないなと正直思った。ファミリ-で来る宿ではなく、大人同士でのんびり、ゆったりと来る宿であるのは間違いないであろう。

帰り道、行きのパワ-はどこへやら、すっかり大人しくなったおじさん連中を横目で見ながら、ガタガタとまたマイクロバスに揺られ、身延駅までの道のりに耐えながら筆者は

「ああ、こんな思いをして、ここまで来たんだから、少々無理してももう一泊するべきだったなぁ。」

という深い後悔の念を抱いたのであった。

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2009年5月18日 (月)

「僕が苦しい時、いつもウオッカが助けてくれる。」

この土日の民主党代表選とそれに続く党役員人事はなんとも言い難い顛末であった。相手の党の面々がこぞって

「歓迎する。」

とのたまうような人物を一所懸命(?)に党首に押し上げようとしている姿は理解に苦しむばかりだったし、鳩山由紀夫なる政治家の力量を全く買わず、まして

「どの面下げて、代表選に出られるんだ。」

と思っている当方としては、岡田克也の健闘を祈るしかなかったのであったが、百票にも満たない得票では、どうにもなるまい。内輪の論理ばかりがまかり通るのは、決して自民党の専売特許ではなかったのである。

だが、驚いたのは、この結果を受けて一部マスコミで実施された緊急世論調査で、なんと鳩山が「次期首相にふさわしいのはどちら調査」で、麻生首相を10ポイント以上引き離したのである。まぁ回答トップは「どちらもふさわしくない」というオチがつくのだが、それにしても政党支持率でも、次期総選挙で比例区での投票先調査でも民主が自民を逆転あるいは引き離したのだから、やっぱり人間なんでも諦めずにやってみるものである(笑)。

要するに、このところの自民党の復調ムード、麻生の反転ムードはひとえに国民の小沢一郎に対する嫌悪感の裏返しでしかなかったということになる。一連の献金疑惑、更には代表選で報じられた彼の恫喝、強権的な票集めや日程決定などの様子を見ると、まさに往年の田中角栄そのまんま。これでは、国民から嫌われても仕方あるまい。

それでも、民主党内での「小沢信仰」は依然止まない。まぁその1番の信仰者が、後任代表になったのだから、当たり前なのかもしれないが、岡田新幹事長を差し置いて「選挙担当代表代行」とやらに推され、先任代表代行2人の「推挙」で3人の代表代行の中の「筆頭」ということで、鳩山新執行部に堂々居座ることになったのには、もはや開いた口がふさがらない。「筆頭代表代行」ということは、鳩山になにかあった時には、代わって代表職を務めるのは小沢ということであり、つまり事実上のNO2ということになる。降格と言えば、まぁ確かに降格ではあるが、それにしても・・・である。「代表」ならまずく、「代表代行」なら許されるという理屈が、どう考えても成り立つとは思えず、自民党やマスコミからは当然、ここを突かれ続けることになる。

前記、世論調査は当然この不可解というか、理屈に合わない人事の発表前に行われたはずであり、これを見た国民の反応はまた、変わってくることは充分予想される。衆院議員の任期満了まであと4ヵ月を切った、どうやら次期総選挙は、その時、たまたま運の良かった政党がきっと勝つのだろう。

ここ2週間は正念場だと思って見ていた。NHKマイルカップのブレイクランアウトとビクトリアマイルのウオッカ、恐らく圧倒的一番人気に推され、なおかつそれだけの力を持っていると思われる両馬で、ぶざまな競馬をするようなことになれば、これはいよいよ大変なことになる、たぶん本人もそう思っていたのでないか。

ところが、ブレイクランアウトは惨敗。確かに休み明けに実績がなく、枠にも恵まれなかったが、無理に抑えて惨敗という毎度のパターンを繰り返されては、文句の1つも言いたくなる。内枠に先行馬が揃い、ただでさえ差し馬には厳しいレースになるのは誰の目にも明らかだっただけに、イチかバチかなにか策はなかったのか。行って足をなくせば、それはそれで非難を浴びる、人気背負って無茶はできないという言い分もあろうが、結局負けるなら、せめてなにかしてよ、という気持ちにもなる。

そして今週、他に適鞍がないのだから、仕方ないのだが、本来ならもう牝馬限定戦に出てくるなんていうのは「反則」とも思える程の実績を持つ馬に乗る今週こそ、本当に負けは許されない。だが、昨年の同レースもそう思われながら2着に甘んじ、前走も全く不可解な敗戦だったと聞く。牝馬は急激にガタッと来ることがよくあり、この馬もひょっとしたら・・・。

結果は既にご存知の通り、やはり反則としか思えない強さだった。

「これで勝てなかったら、僕自身が競馬に対して不信感を抱きます。」

とまでブログに書いていた鞍上は、GⅠ勝利の後の得意のガッツポーズも出なかったくらいだった。

今日のタイトルの言葉は、レース後武豊騎手が語った言葉。勝って当たり前、また勝てると思いながらも、しかし心のどこかに湧き上がる不安を抑え切れなかったここ何日間かの彼の思いが伝わってくる。「不甲斐ない」、最近の武の騎乗ぶりを、何週間か前にとうとう筆者はこう書いてしまったが、多分1番そう思っていたのは武本人だったのだろう。昨年の秋天以来のGⅠ勝ち、その時のパートナーもウオッカ、重賞が勝てず、半年ぶりに挙げた勝利だった。そして今回も、外野がうるさく騒ぎ出した中で、やっぱりウオッカが勝利の女神となってくれた。こうして、武豊は辛うじて、そのメンツを保つことができた。

今週5勝を挙げた豊は、海外遠征で不在の岩田康誠を突き放し、内田博幸を捉え、ついにトップの横山典弘に2勝差と迫るリーディング2位まで浮上した。さぁいよいよ一気に定位置に・・・となかなか行かないのが今の豊。しかし

「これで僕も吹っ切れました。」

という本人の言葉がウソでないことを祈りたい。

週末のオークスは1頭強すぎる馬がいる上に、まぁ「武豊」の名前でなんとか騎乗馬が見つかったものの、まぁオリンピック参加に等しい。やはり、注目は次の日本ダービーである。

前人未踏の3連覇を目指す四位洋文騎手が、なんとお手馬の故障で参戦すら危ぶまれている中、どうやら豊はリーチザクラウンで皐月賞の雪辱を目指すことになったようだ。皐月賞の結果から、これもひょっとしたら一強?との声もあるが、別路線組で面白そうな馬が出てきてるし、ロジユニバースもこのまま黙って引き下がるとは思えない。そして、騎手も陣営も「吹っ切れて」、絶対逃げると宣言しているリーチザクラウン、豊のきっぷのいい逃げに期待したい。面白いレースにきっとなるに違いない、楽しみである。

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2009年5月12日 (火)

さらば「剛腕」

小沢一郎民主党代表がついに辞意を表明した。正式には今日の民主党の役員会の了承を経て、辞任することになるのだが、いずれ辞めるにしても、昨日唐突にということに、驚きの声が多かったのは事実だ。もちろん筆者も全く予想もしていなかった。なぜ昨日だったかについては、様々な解説が流布されているが、1番大きな理由は「水曜の党首討論から逃げたかった」というのが、案外本音なのではないか。

辞任に対する国民の反応はまぁ、予想されたとは言え鈍い。

「遅きに失した。」

という感想以外、浮かんでこないというのが正直なところだ。ただ、1989年の自民党幹事長就任以来、20年に渡ってこの国の政治の主役、キーマンであり続けた「剛腕小沢」は、ついにその真価を発揮することなく(?)表舞台から姿を消すことになった。筆者にとって小沢という政治家は決して好きな政治家ではなかったが、それでも振り返れば、結果として、小沢がなにかしてくれる(つまり政権交代)のではと、小沢に期待し、応援するスタンスで多くの時間を過ごしていたことに気づく。小沢の退場は確実に1つの時代の幕引きであり、そういう意味では、いささかの感慨を覚えないわけにはいかない。

小沢は去る、しかしこれで民主党がいよいよ反転攻勢などというのは甘すぎるというのは、既に指摘して来た。国民は小沢の居座りにうんざりしており、やっと辞めたかと、冷ややかに思っているだけだ。昨日の小沢の辞任表明会見、なぜかにこやかに、そしていつもの小沢らしからず朗々と語っていたが、その言っていることは有り体に書けば

「俺は別に悪いことは何にもしてないが、あんた達がガタガタうるさいから、しょうがないから辞めてやるよ。」

ということだ。小沢は最後まで、自分のなにが批判され、何を語らなければならなかったのか、わからないまま去って行く。彼が首相の座についにたどりつけなかったのは仕方のないことなのだろう。

そんな小沢に面と向かって辞めてくれという人間はとうとう現れず、彼に辞任を迫る運動を起こす人間すら現れなかった民主党という政党は、これからも国民からの厳しい視線から逃れることはむずかしいだろう。小沢には辞めて欲しいが、でも小沢がいなくなったら自分達は一体どうなるのだろう、そんなジレンマからとうとう抜けだせないままに、今日の事態を迎えてしまったという事実は重い。小沢は去る、そして声に出さなくても、民主党のかなりの政治家はそれを望んでいたはすだ。それが、現実となった今、ボールはついに彼らの手に渡った。これから自分達はどうするのか、どうしようとしているのか、それを明確に国民の前に示す機会がすぐにやって来る。小沢の後任を決める代表選挙である。

代表選は行われるだろう、今までさんざん自民党の総裁選につき合わされ、地団駄踏んできたのだから、まぁほんのお返しというところだ。無投票ではなく複数の候補者による選挙戦をやるのだろう。まぁそれでも傍で見ている限り、岡田克也以外の選択肢はないと思えるのだが、党内の空気はそんな簡単ではないらしい。

言うまでもなく岡田は4年前の総選挙惨敗の「立役者」。まさかその人が、次の選挙にまた顔として登場することになるなんて、誰も想像しなかったろう。それはさておいても、群れず、引き連れず、党内で孤高を保つこの人のスタンスは、当然手足となる仲間や手下を持たず、更に「タリバン岡田」の異名をとったくらいのすさまじい「原理主義者」。自分の信念を一歩も譲らないその姿勢は、時に人を辟易とさせて来た。

「小沢さんの下、選挙を戦うための『マニュフェスト』は既に骨格が固まっている。今更岡田にひっくり返されてはたまらない。」

との声があるのは事実だ。が、傷ついた党のイメージ回復にはその一本気の姿勢と清潔感がいいのだという声もまた高い。

その一方で、ここに来て鳩山由紀夫幹事長の呼び声が高まっているのには、正直耳を疑っている。事実上の民主党のオーナーとされ、そのせいか、意外なほどに党内の人気が高い鳩山ではあるが、筆者は鳩山由紀夫という政治家の力量を全く評価していない。

代表、幹事長として民主党を長年率いてきた鳩山だが、この人からリーダーとしての資質や魅力を感じたことがない。弁舌は冴えず、迫力なく、定期的に珍言、迷言を発し続け、政策も何を言っているかよくわからない。いささか古い話だが、この人が代表だった2000年の衆院選挙の最中、唐突に

「選挙後の首班指名選挙では自民党の加藤紘一氏を担いでもいい。」

とのたまった時には、そのあまりの政治オンチぶりに呆れ果てた記憶がある。

よしんば、鳩山への筆者の評価が、その節穴ゆえだとしても、幹事長として断固として小沢を守る姿勢を崩さなかった政治的責任は絶対に免れるものではない。幹事長辞任は当然としても、今の体制を堅持するためには鳩山さんがいいなどという声にうそうそと乗って、イケシャーシャーと出馬してきたら、世間の物笑いに種になるくらいでは済まないはずである。小沢亜流、小沢隠しと非難されるのがオチで、それだったら政治家としての力量から見ても、小沢が居座ってた方がまだマシというものである。「鳩山代表ー小沢幹事長」なる冗談のような構想を口にするムキもあり、もしそんなことになったら、民主党は完全におしまいであると、はっきり警告しておきたい。

幹事長はともかく、新執行部で小沢に選挙を仕切るポジションについて欲しいというのは、はっきり言って多くの民主党議員の本音だと思われる。しかし、代表は辞めて欲しいが、選挙の面倒は見てくれというのは、あまりにムシのいい言い分ではあるまいか。代表はダメでも、他のポストならいいのかという批判にもなかなか反論しにくいのではないか。ここは小沢に退いてもらった以上、もう小沢には頼らないという姿勢を見せることこそ大事だと思うのだが、いかがなものであろうか?

それにしても、小沢辞任を受けて、自民党が結構動揺をあらわにしていたのにも驚かされた。まさか、このままずっと小沢が居座ってくれると信じていたのだろうか。

「これで検察は動きやすくなった。」

と「期待」する声や

「岡田が出てくるとまずい、こっちも麻生を替えるべきじゃないか。」

と騒ぎ出す面々まで現れ、いやはやと思わざるを得ない。思えば、自民党も民主党も得点は相手のエラーからという低レベルの争いを結局この4年、延々と繰り返して来ただけ、そしてこの「チキンゲーム」はどうやらもう少々続く気配、濃厚である。

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2009年5月10日 (日)

わだかまり

13日にいよいよ昨年11月末以来、麻生太郎首相(自民党総裁)と小沢一郎民主党代表による2度目の党首討論が行われるそうな。自民党側の挑発を、いろいろ理由をつけて断ってきた(あえて「逃げていた」とは言わないが)小沢が、しぶしぶ重い腰を上げた形だ。

前回は小沢が攻めに攻めていたのが、今となっては懐かしいというか夢のようだ。今回の討論が、小沢及び民主党にとって反転攻勢の第1歩になると思っている人は民主党内にもほとんどいないだろう、ひょっとしたら小沢本人も思っていないかもしれない。

「俺が辞めるまでマスコミは叩き続けるんだろうな。」

これは先日、小沢が鳩山由紀夫幹事長に漏らしたとされる言葉。この時の会談で、小沢は世論の情勢に強い関心を示し、党首討論やタウンミーティングを通じて、なんとしても国民への説明責任を果たすべきと強い口調で迫る鳩山に対して

「わかっている。」

と答えたと言う。説明責任を果たしてくれというのは、国民の声であり、またそれを受けた党内からの悲痛な叫びであり、岡田克也も前原誠司も繰り返し、それを訴え続けている。しかし、その訴えに一向に応えようとしない小沢の姿勢に、もはや党内、更には国民の苛立ちはピークに達しつつある。

自分の今の姿勢、ひいては存在そのものが、いかに民主党の足枷になっているか、まさか小沢だって気づいていないわけではないだろう。しかし、小沢は動かない、いや動けないのだ、なぜ?理由は実は簡単である。

小沢は説明責任を果たしているのである。

「私及び私の事務所としては、一連の献金は西松建設からの献金とは認識しておりませんでした。従って、献金は適切、適法に処理をしており、なんらやましいことはありません。また献金に対する西松への『便宜供与』もございません。」

彼の主張はこれで一貫しており、逮捕された秘書もどうやら、一連の献金を西松からの迂回献金だったと認識していなかったという主張を崩してないらしい。よしんば、そう認識していたとしても、それは修正報告をすればいいだけのことではないか、それをいきなり逮捕、強制捜査とは、いささか度が過ぎてはいませんか、ということだ。

それに対して「世論」やマスコミの反応は

「いや、そんなわけないだろう。知らなかったなんて考えられないしありえない。企業が見返りも求めないで、献金をするわけがない。」

であり、様々な「疑惑」がマスコミの中で踊り、結果

「小沢はウソをついている、胡散臭い。」

という決定的な心象を国民は持つに至った。さぁこれに対して、どう弁明、説明する?

人間、何事でも「やっていない」ということを証明、説明することは極めて難しい。西松に対して便宜供与を図っていませんということをどうやって証明するのか、西松からの「迂回献金」だとは本当に認識していなかったことをどうやって証明するのか、「私は知りませんでした。」と言い続けるしかないだろう。そうでなければもう

「申し訳ありません、実はみなさんのおっしゃる通りでした。」

頭を下げるしかない。もし、違っているのなら、そんなことはできないし、もし本当だとしたら、いよいよもって認めるわけにはいかないのだ。

つまり、小沢にはもはや語る言葉、説明する言葉が既にないのである。あとは人の噂も75日と、ひたすら首をすくめてやり過ごすか、しかしどうやらそれも望み薄。なにせ選挙はもうどんなに遅くても4ヵ月先にはやってくるのである。すべてを達観しているのは仙谷由人だ。

「歴史的選択選挙を国民にお願いするのだから、代表には歴史的評価に耐えうる決断を早くしていただきたい。時間は代表辞任後、2ヵ月は欲しい。代わらないなら、みんなで目をつぶって『南無阿弥陀仏』を唱えて行くんですな。」

「公共事業を見直すと主張している民主党のトップが西松建設からあんなに金をもらっている。それはどういうことなのかというのが、国民からの批判なのだ。」

この言葉に答える言葉が、小沢にあるのだろうか?

もはや政権交代など、彼方に消えたという空気が日に日に増していく中、大の民主党嫌い、小沢嫌い、というより猛烈な「自民党命」である読売、産経は今や連日、鬼の首を取ったように小沢批判、民主批判を垂れ流し、民主党がいかにだらしなく、頼りないか、もはや自壊寸前のような書きっぷりである。政局に対しては、比較的冷静なスタンスをとっていると思われる毎日も、小沢民主党に対する姿勢は冷ややかだ。

そんな中、やや民主党、小沢寄りと見られる朝日は、さすがに新聞本体でやる勇気はなかったらしく、傘下の「週刊朝日」で検察批判の特集を組んできた。小沢民主党に奇跡の神風が吹くとしたら、それは麻生太郎が大エラーをしでかすか、このままなんとなく捜査を終結させた時に、検察に対する大ブーイングが起こり、一転小沢に対する同情論が高まった時だけだろう、まぁ全く望み薄だろうけどね。

たまたまだが、最近検察を批判する著書を立て続けに2冊手にした。1冊は鈴木宗男衆院議員が書いた「汚名」、もう1冊が石塚健司産経新聞記者の「『特捜』崩壊」である。

前者は、様々な汚職の疑惑をかけられた末に逮捕、起訴され、二審まで有罪判決を受けながらも、尚も自らの無罪を主張し、

「私は『国策捜査』にはめられた。」

と訴え続ける著者が、いかに検察がズサンな捜査をし、自分を「陥れていった」かを「赤裸々」に書き記したものであり、後者は長年、検察庁を担当し、東京地検特捜部の捜査を記者として取材、観察して来た著者が、昨今の「特捜」の能力の低下を憂い、また慄然とする思いをおさえかねて著したようだ。

現状、有罪判決を現実に受けている鈴木の(無論確定していない以上、有罪ではないのだが)の主張を一方的に受け入れることは、筆者にはできなかったが、それでも「負け犬のたわ言」と片付けるには、そこに書かれている内容は重すぎた。そして一方

『特捜部は、自ら事件を掘り起こす能力を弱め、マスコミ等から持ち込まれる情報に飛びついて捜査を始めるパターンが増えた。情報が正しかった場合はいいが、初めに描いた筋書きが狂った場合、強引な捜査で世間の期待に応えようとする姿が目立つようになった。(中略)幻影をマスコミに吹聴して増幅させながら進められた劇場型捜査。(中略)現在の検察は捜査によって特捜部の存在意義を世間にどう示すかを強く意識して舵取りされているように見える。』

引用が少し長くなってしまったが、石塚氏はなぜ特捜部の捜査能力が落ちてしまったか、その経緯を記しつつ、ある事件に対する特捜、検察の姿勢をこう批判した。そしてこうも記されている。

『「○○だけは絶対に排除しなければならない。」

「この捜査は○○を取り除くことができたことに、大きな意義がある。」

といった言葉が出てくることが何度かあった。最終的に起訴に持ち込めなくても、捜査によって相手を権力の座から引きずり降ろすことができれば、それで一定の成果をあげたと考える空気が、特捜部の現場には現在もあるようだ。』

これは見事なまでに、今回の西松捜査の顛末と符号しないだろうか。

これは繰り返しになるが、今回の検察の小沢サイドに対する一連の捜査には、どうしても素直にうなづけないものを感じざるを得ない。田中角栄ー金丸信という多年、検察、特捜と戦いを繰り広げた政治家の系譜にある小沢。その小沢を危険視し、なんとしても首相就任だけは阻止したいという検察の「正義感」の発露なのか、それとも小沢を戴いた民主党の政権誕生だけはなんとしても阻止したいという「官僚の危機感」からの暴走なのか、それともこの捜査を機に小沢まで行けると踏んだ「正当な捜査」だったのか・・・。

高野孟氏は週刊朝日誌上でこう主張した。

「今回のことは、民主主義の重大な危機である。ここで引き下がり、小沢を引っ込めることは許されない。民主党は小沢を守り、小沢と共に戦う決意を固めるしかないのだ。」

筆者は政権交代を願い、その為には現状民主党に期待するしかないと判断し、その民主党が選挙に勝つ為には、今や小沢一郎の存在は障害でしかないと思い、彼の辞任を主張して来た。その考えはこれからも変わらないはずだが、その一方で、この捜査は一体なんだったのか、これをこのままで終わらせるのもあまりに釈然としない。だが、これについてもし、検証出来る時が来るとしたら、それは政権が交代し、民主党の議員が大臣として法務省に乗り込む以外にはないのかもしれない。まぁその時は「岡田首相」の下、「小沢法相」でも送り込みますか?まぁ少々、冗談が過ぎましたかな(笑)

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2009年5月 7日 (木)

「原辰徳」は非情か

今日でGWも最後だが、あいにくの雨。妻が体調不良でダウンしてしまったこともあり、予定していた外出もできず、結局1日家の中で、上の子の「ヤッターマンごっこ」に付き合う羽目になってしまった。

ジャイアンツは開幕直後に元気を戴いたおかげで今日の地位があると言える横浜との3連戦中。しかし打てないね、本当に打てない。当たっているのはラミレスと坂本くらい、その坂本も「8番」以外の打順じゃ冴えないんだよなぁ、なんて思っていたら9回にドカン!恐れ入りました。原監督は当分1番から外さないと明言していたようだが、2番松本とのニューコンビが定着できるか?ご贔屓の鈴木尚広は1番復帰直後のあの大当たりがウソのように、すっかり音なしとなってしまったし、李や阿部を差し置いて亀井が5番を打っている現実も厳しい。今日だって、本当なら一方的に勝っていても不思議ない展開だったのに、この辛勝。勝ちはしたものの、当分苦しい試合が続くんだろうなぁと思わされる一戦であった。

ところで坂本がサヨナラホームランを浴びせた真田裕貴というピッチャーは去年の今頃はまだ、ジャイアンツのユニホームを着ていた。昨日は46歳の「ハマのおじさん」、工藤公康が中継ぎでナイスピッチングをしたようだし、仁志敏久もファームで懸命に復帰に向けての調整をしているらしい。

テレビ中継もなく、肝心な場面を子供を風呂に入れていて聞き損ねてしまったこともあり、報道ステーションのスポーツコーナーにチャンネルを合わせると、上原浩治がKOされていた。ルールである以上仕方ないのだが、彼のメジャー行きはやはり3年は遅かった。ネットを開けば、西武に移籍した清水隆行が打撃不振でファーム落ちしたとの記事が飛び込んで来たし、そういえばこちらが獲ったM中村も期待外れのピッチングを繰り返しているが、交換で本ハムに行った二岡、林の消息もあまり聞かないような気がする。

原辰徳が堀内恒夫の後を受けて、ジャイアンツの監督に復帰してから早いもので、もう4シーズン目を迎えた。今触れた面々の他にも桑田真澄、小久保裕紀といった大物がチームを去って行ったし、門倉健、野口茂樹のように三顧の礼で迎えられながらも、全く期待に応えられないまま、早々にチームを離れていった連中もいる。パウエル、姜建銘なんて名前は、もはや多くのジャイアンツファンにとって記憶の彼方かもしれないが、彼らが上原と並んで「先発三本柱」と期待されていたのは、07年の開幕前、そんな古い話ではない。

改めて、今日の横浜戦のスタメン9人の内、原が監督に復帰した時点でジャイアンツのユニフォームを着ていたのは、高橋尚成ー阿部慎之助のバッテリーと亀井の3人だけ、李だってキャンプ直前に急遽ロッテを飛び出して来たのだし、脇谷も06年入団のルーキー、松本と坂本はまだ学生、小笠原もラミレスもその時点では、いずれ自分がジャイアンツのユニフォームを着ることになるなんて、きっと夢にも思っていなかったろう。そういえば、高橋由伸なんていい選手もいたが、今はどうしているのだろう、このチームは4年前には考えられないような別のチームになったのだ。

2002年、原の監督一年目のこの年、ジャイアンツは圧倒的な強さでセリーグを制し、パの覇者西武ライオンズに4タテを食らわせて、一蹴して見せた。その時、前出の真田は高校出の1年生として、ローテーションの一角を占め、8勝を挙げた。それから6年、シーズン途中でその真田を放出する事になった時、原は

「彼は私の監督1年生の時のドラ1、正直思い入れは大きい。」

とコメントした。しかし、その真田との交換で獲得した鶴岡一成という捕手のその後の存在感の大きさは、ここで書くまでもないだろう。

仁志が子供の頃からの熱烈なジャイアンツファン、そして原ファンだったことはよく知られている。仁志は原と入れ替わるようにジャイアンツに入り、そして背番号8を継承した。原の中で仁志は決して可愛くない存在ではなかったはずだ。だが、監督就任後、原は仁志をそれまでの不動のトップバッターから2番に配置転換する。そして仁志がそれに適応できないと見るや、すぐに8番に降格させ、2年目にはレギュラーからも外す。代わって抜擢されたのは鈴木尚広という足こそ抜群に速いが、ケガが多く、全く日の目を見ることなく、ファームでくすぶっていた中堅選手だった。2年のブランクを経て復帰した原は、仁志を信用せずに、ロッテから小坂誠を獲得、彼をレギュラーに据え、更にルーキーだった脇谷をサードからセカンドにコンバートして育てる姿勢を見せた。原に見限られた形となった仁志が希望して横浜に去って行ったのはその年、06年のオフだった。

仁志の2番は彼にその適性を見出したわけではなく、むしろ長嶋茂雄監督時代に不適な2番を打たされ、右投手専門バッター的扱いを受けていた清水をトップに据えることが主目的であった。清水は見事にその期待に応え、不動のトップバッターとして定着、当時イチローしか達成していなかった年間200本安打に迫ろうかという好成績を残した。だが、翌年にはケガでその輝きを失い、原復帰後もレギュラーとして扱われることもなく、ほぼ仁志と似た経緯でチームを去ったのは記憶に新しい。

その爽やかなイメージとは裏腹に、原の選手に対するコメントは結構手厳しい。特に期待の大きいに選手に対するそれほど、厳しくなっている。ジャイアンツのリーダー、クリーンアップとしてコーチ時代から期待していた二岡智宏など、随分言われていたが、しかし坂本勇人が急成長し、私生活でも不始末を仕出かしたこともあり、選手会長就任1年で異例のトレードとなった。桑田も工藤もそして江藤智も、決して望んでジャイアンツを去ったわけではない。小久保も強くは引き止められなかったし、上原以外、恐らく全員が原にわだかまりを持ったまま、ジャイアンツを離れていったのではないか。

だが、彼らに代わってジャイアンツのユニフォームを着た面々の見事さよ。ガッツ、ラミレスは言うに及ばず、クルーン、グライシンガー、豊田清、谷佳知。更に彼に引き上げられて、今ジャイアンツを担う若き戦士達、坂本、越智、山口、福田、東野、松本・・・。その一方で木佐貫、久保、金刃のようにまるで忘れ去られたかのように、置き去りにされる面々。野間口はそのボーダーラインにいるし、大エースとなるべき存在ながら、足踏みが続く内海哲也には「ニセ侍」なる名コピー?を浴びせかけた。

松井秀喜のチーム離脱に端を発したジャイアンツの低迷。これは相当、長引くと思っていた。が、今年は始まったばかりだが、ここまで安定した戦いを続け、とにもかくにも過去2年のリーグ制覇も達成している現状には、正直筆者は目を見張る思いがしている。情にとらわれず、切るべき人間は切り、金にあかせてと非難されようとも、必要な人材は獲り、そして有為な人材はためらうことなく抜擢する。組織を立て直すためにはかくあるべしという見本と言っては褒めすぎか?無論それは原辰徳1人の功に帰すものではないのだろうが、しかしもっと評価されてもいいのではないか。

申し訳ないが、原に切られ、ふつふつたる怨念を胸にチームを去った連中で、その後目を見張るような活躍を示した選手は、まぁ今のところ、皆無ではないか。原のジャイアンツを強くしようとするその方向性は、決して間違っていないのだと、改めて強くエールを送りたい。

今日のブログのタイトルは清武英利ジャイアンツ球団代表の著書「巨人軍は非情か」からパクらせていただいたものだ。雑誌に連載していたコラムを集めたというこの本は、なかなか読み応えがあった。さすが新聞記者という文章の巧さはもちろんのこと、時には熱く、時には辛く、そして時にはシビアにジャイアンツをそして球界全体の問題を語る清武代表の緩急自在の語り口に、すっかり引き込まれた筆者はあっという間に読み終えてしまった。著者がジャイアンツフロントということで、他球団のファンはもちろん、ジャイアンツファンでも敬遠する向きがあるかもしれないが、そういう色眼鏡は是非、捨てていただき、手にとってみては、と僭越ながら思っている。

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2009年5月 3日 (日)

ナイスディ、ナイスゲ-ム

世はゴ-ルデンウィ-ク真っ只中。筆者には全く縁のないものだが、それでも別に通常の休みが召し上げられるわけではない。今週の休みは4/29の昭和の日と今日、連休とはいかないが、バカンス気分はしっかりと満喫させてもらった。

29日はジジ、ババも誘って家族で葛西臨海公園へ。実家に両親を迎えに行く道も、葛西までの道も快調そのもの。筆者は初めてだったが、天気は最高、前に広がる海の先にはディズニ-リゾ-トが臨め、ちょっと中に入ると今度は、木や水の宝庫。子供達にせがまれて、ミニ機関車に乗って、一周してみたが、本気で周ったらとても一日では周り切れないほどの広さ。併設されている水族館も、子供達は大喜び。とにかく、子供達が走りまわっても、車の心配をしなくてもいいし、海を眺めて見れば、ここが本当に東京かと思うくらいのまさにリゾ-ト景色。ただ、すっかりいい気持ちになって、高所恐怖症を忘れて、勢いで乗ってしまった観覧車にはすっかりビビッてしまい、親父の権威は形無しとなってしまったのである(最初からそんなもの、どこにもないという説も濃厚だが・・・)。それはともかく、すっかり気に入ってしまった、また行こうと思っている。

そして今日は、妻は子供を連れて実家に行ってしまい、一人残された筆者は母親と叔母のお供で江ノ島へ。大人だけなので、電車で行ったのは大正解。車の方は見ていて気の毒なくらいに進まない。行きは藤沢から小田急、帰りは江ノ電で鎌倉まで出たが、どこも座れて快適な旅、江ノ電からの眺めもいい。もちろん天気は最高、人も多かったが、天気のいい日の海ほどいいものはやはりない。久しぶりに我ながらよく歩いたが、なんとも心地よい時間が過ごせた。葛西で食べた握り飯もうまかったが、江ノ島という所が、あんなに海鮮物を食べさせる店があるとは知らなかった。どこに入るか迷うくらいだったが、どこも大きく宣伝していた生しらすも1500円の刺身定食もなかなかの美味であった。その上、夕食は途中下車して、いい歳して親に、中華街でたかってしまい、すっかり満足して帰宅した次第である(笑)。

そんなリゾ-ト気分満喫の時でも気になるのはジャイアンツ戦。こんな所まで来てと、母親に呆れられても、見ないわけにはいかない。中継が始まった時には1-2で負けていたが、すぐに坂本の3ランで逆転、更に谷の追い討ちソロで今日は楽勝と呑気に構えていたら、なんと7回に同点に追いつかれてしまう、どうもジャイアンツの先発はみんな7回が鬼門だね。

やっぱり野球で1番むずかしいのは継投だ、あの7回、1点とられた時点でスパッとグライシンガ-を諦めていたら、あのまま押し切れたのではないか。原監督も随分迷っていたが、グライシンガ-が中盤安定したピッチングを続けていたし、リリ-フ陣をやはり少しでも使いたくないという気持ちもあっての続投も結果は守備の乱れもあったらしく(全部見てません)裏目に出てしまった。

そのベンチのミスを帳消しにしたのが坂本、9回に放った決勝ソロは、見舞った相手があの藤川なのだから、お見事としか言いようがない。思えば前回のド-ムでの3戦目で、ミスミス勝てる試合をドロ-されてしまったのは、8回に駄目押しのチャンスにゲッツ-を打ち、9回大事なところでクル-ンの足を引っ張った坂本のプレ-が大きかっただけに、その借りを返して余りある今日の活躍だった。

そして同点になるのは防げなかったとは言え、8回もランナ-を3塁に進められながら、しのいだ山口と、既に中継が終わりやきもきしていた9回を2死からスリ-ベ-スを打たれながらも、動揺せずに抑えた新守護神越智と、ウ-ンいいねぇ。いいところまで反撃しながらも、結局はJFKに跳ね返されていたかつての戦いぶりが、すっかり立場が入れ替わった形となっているのを、実感した試合であった。ナイスゲ-ム!それにしても、確かに手痛い一発ではあったが、7回5失点の先発が責められず、「藤川の乱調が誤算」と書かれるのだから、やっぱりリリ-バ-は厳しいねぇ。

葛西は家族連れが多かったが、今日の江ノ島は、もちろん家族連れも多かったが、場所柄、やはりカップルが目についた。手をつなき、腕を組み、そして彼氏にペタリと寄り添う彼女の表情はみんななんとも嬉しそうというか、幸せそうであった。彼らにこれからも幸多かれと、思わず祈らずにはいられない、そんな微笑ましいカップルが今日は多かった。まぁ柄にもなく、そんなことを考えるようじゃ、俺もオッサンになったっていうことなんだろうけどね(苦笑)。

そして、豚インフルの騒ぎがあっという間にエスカレ-トしてしまった。本当に「飛ぶように」マスクが売れている。ついこの間まで、いつまでマスクなんか置いてるんだと騒いでいた上司が、マスクが足りないと喚き出す始末で、なんともはやという感じだが、しかし国民の不安を余計煽るような厚生労働省や舛添厚労相の言動は、困ったものである。まずは彼らに落ちついてもらわなくては、話にならん、松沢神奈川県知事と罵り合っている場合ではないと思うのだが・・・。

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