« 2009年6月 | トップページ | 2009年8月 »

2009年7月

2009年7月20日 (月)

「時間」という名の魔物

あれからちょうど1年の時が過ぎた。今年も、時間という名の巨大な怪物に、1人の名ゴルファーが敢然と戦いを挑んだ。そしてその英雄の死闘が先ほど、終わった。それにしても勝負というものはなぜ、かくも非情なものなのか。恐らく、テレビを見ていた人、もちろんコースにいた人々の圧倒的多数がトム・ワトソンの勝利を待ち望んでいたに違いない、無論筆者もである。昨年のグレッグ・ノーマンに続き、今年の「ジ・オープン」全英オープンはもうすぐ還暦を迎えようという59歳のワトソンがなんと最終日、最終ホールまで単独トップに立っていたのだ。あとたった4打で上がれば、26年ぶりの全英オープンV、そして歴代1位タイの6勝目を掴みとれたのである。

昨年も同じことを書いたが、スポーツの世界で年長者が、それも峠をとうに超えたそれが、年少者を打ち破ること、それは奇跡と言っても過言ではない。どんな偉人でも、素晴らしいアスリートでも加齢という定めから逃れることはできない。しかし、その奇跡にワトソンは本当に、後一歩まで迫ったのだ。18番の第2打、あれはナイスショットだった。しかし、久々の晴れ舞台、体内のアドレナリンはみなぎりきっていたのだろう。歴戦の雄であるはずのワトソンの計算を狂わせてしまったのだ。そして、プレーオフになった時点で、残念ながらもう、ワトソンに勝ち目はなかった。本当に、久々に死力を尽くして72hを戦い抜いた老雄に、尚もエキストラホールを戦う余力を期待するのは、あまりにも酷というものであろう。

ラウンドレポーターとしてずっとワトソンの戦いに付き、その結末を目の当たりにした青木功は

「悲しい。」

と言った。勝負事で、同情されたら終わりとはよく聞く言葉ではある。ここまでの戦いを繰り広げたこと自体が、すでに奇跡、偉業なのかもしれない。しかし、勝負とはやはり最終的には、勝者以外に称えられることはない。なんとしても勝たねばならない、それがプロという世界なのである。もちろん理屈では、厳しい勝負の世界とは全く無縁の生き方をしている筆者とて知らないわけではない。しかし、あの場面で、恐らく最後のチャンスに違いない栄光をワトソンの手から奪い取る、勝負の神様というのがいるのだとしたら、それは随分理不尽で、残酷なことをするものである。

戦いが終わって今、筆者の中に残ったのは、悲しさ、虚しさ、そして持って行き場のない憤り・・・だけである。世の中とはやっぱり感動的にはできていないものなのだ、つくづくそう実感させられたひと時であった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年7月16日 (木)

あまりに、往生際が悪すぎる

試合は大敗を喫したようだが、神宮での対ヤクルト戦。ニッポン放送から懐かしい声が流れて来た。深沢弘アナ、おん年73歳、かつての同局野球実況の大エースである。筆者の子供の頃、印象としてはニッポン放送の実況は毎日この人がやっていたような気がする。その重厚な声、メリハリの利いた実況は子供心にほれぼれさせられた。この人の実況に憧れて、筆者は一時期、将来ニッポン放送に入って、実況アナウンサーになることを本気で夢見ていた。

かつ舌は多少、衰えた感があっても、しかしまぁほとんど現役時代にひけをとらないその実況ぶりは、「さすが名人」というしかなかった。相棒の解説者、関根潤三翁は齢80を過ぎて、尚も現役。こちらも全くかつてと変わらない独特の語り口は、往年の名コンビ健在と感動させられた。ニッポン放送55周年の記念企画だそうだが、もったいなぁ。是非これを機に、また実況席にたびたび座って欲しいものである。

前稿で自信満々に「一本道」と断言したら、恥ずかしながら、一夜にして覆されてしまった。まさかの麻生首相による異例の「解散宣言」、次週21日火曜に解散、来月30日に投開票だそうである。昨日は野党が提出した内閣不信任案が衆院で否決、問責決議案が参院で可決され、野党は以降の国会審議を完全にボイコット。儀式も終わり、いよいよ解散に向けてまっしぐら、かと思われたのだが・・・。

13日以降の自民党は大混乱に陥るというのは、予想されてはいた。その機先を制する為に、麻生は解散宣言をしたのだが、党内の混乱は一向に収まる様子がない。1955年の結党以来、ほんの一時期を除いて、54年間に渡ってこの国の政治を与党として担い続けて来た自由民主党。しかし、その終焉が近づきつつあるように見える今、彼らの断末魔とも見える言動の見苦しさは、敵ながらあまりにも情けない。

今日の自民党の不評のすべてとは言わないが、かなりの部分が、「自由民主党総裁=内閣総理大臣・麻生太郎」に因るものであることはもはや否定はできまい。昨年九月の就任以来、その言動はぶれにぶれ、迷走に迷走を重ねた。そもそも、当時の小沢民主党に一大決戦を挑むべく、自信満々に登場した麻生が、結局初志貫徹できないまま、解散を先送りしたことがもうすべてのボタンの掛け違いの始まりだったのである。今では信じられないことだが、発足当時麻生内閣の支持率は「40%もあった」のである。ところが、内閣発足直後のご祝儀相場を期待していた麻生はこの数字を「意外にはねなかった」と見て、ビビッてしまい、直後に起こったリーマンショックに端を発した世界不況への対策を「奇化として」総選挙から逃げ出してしまったのだ。もともと内閣発足、すぐ解散という方針のもとにすべての戦略、人事を組み立てていたのに、肝心の解散を先送りにした結果、全く辻褄が合わなくなり、それを国民に見透かされ、その時点で早くも信頼を失ってしまう羽目となってしまったのである。

それでも尚、神は麻生を見捨てなかった、いや検察という「切り札」があったと言うべきか。一夜にして小沢民主党は苦境に陥り

「みんなで南無阿弥陀仏を唱えて行くんですな。」

とある議員が捨て鉢に語るまでの状況に追い込まれた。しかし、にも関わらず、ここでも格好つけた麻生は解散に踏み切らなかった。

「今は政局より政策、百年に一度の経済危機に対する手当てが最優先。」

という解散に対する逃げ口上が、結局自分に跳ね返って、好機に身動きがとれなかったとも見える、かくして、絶好の反撃機はあたら過ぎ去ってしまった。あとは坂道を転げ落ちるがごとく・・・と言うしかない。麻生がなぜ、これほどまでに自らの手による解散にこだわるのか、どこに光明を見出しているのか、筆者には全く理解できない。しかし、解散権は間違いなく、今は麻生その人の手にあり、麻生が解散すると言ったら、今の憲法の下においては、何人もそれを阻止することはできない、はずなのであるが・・・。

戦後、現憲法下において、解散権を行使しようとして、ついに果たせなかった首相が2人いる。三木武夫と海部俊樹、奇しくもこの両名は師弟関係にある。もう1人、三木の後任だった福田赳夫も機をうかがっていたが、結局果たせず、逆に解散権の行使からひたすら逃げ回り、ついに内閣を放り出したのが赳夫の息子の福田康夫である。三木は党内の「三木おろし」に対抗すべく、解散に打って出ようとした。だが、20人の閣僚のうち、三木の方針を支持するのはわずかに5人、いったんは15閣僚を罷免して、強行突破の腹をくくったはずの三木だったが、土壇場で逡巡、結局は12月の任期満了選挙に追い込まれ、退陣した。のちに「自民党の一番暑い1日」と言われ、「党分裂の深淵をのぞいた」とも言われたこの時、三木が決断していたら、この時点で自民党は分裂、その後の政治の流れは間違いなく変わっていただろう。

「私は独裁者ではない。」

のちに三木は、言い訳のようにこう述懐したそうだ。筆者は三木という政治家を尊敬しているが、このことと片山、芦田内閣のたらい回しを推進したという2点については納得できないでいる。

三木や海部を反面教師にしたと言われるのが小泉純一郎で、無謀とも思われた郵政解散に踏み切ろうとした時、閣内にはイエスマンばかりを揃えてあった。それでも、4人の閣僚が当初反対(その1人に当時総務相だった現首相麻生もいた)を表明、小泉はその一人一人を個別に説得、ただ一人ノーを貫いた島村宜伸農水相の置いて行った辞表を突き返して、罷免して解散に突入、くだんの大勝利を収めた。

そして麻生は都議選翌日の13日に解散を断行しようとするも、周囲の反対で果たせず、代わりに解散予告をして、またも1週間先延ばしにした。それでも解散を宣言したことで、「麻生降ろし」に手ぐすね引いていた連中の機先を制することに、成功したかに見えた。

先延ばしにした最大の理由も、もはや聞き飽きた「公明党への配慮」。まぁ確かに都議選でのあの手堅い学会票を見れば、公明、学会のご機嫌をとりたくもなるのだろうが、「またしても所信を貫徹できなかった姿」を国民の前にさらし、また反麻生の連中に反撃の時間を与えてしまったことが、事態をいよいよ迷走させることになった。

14日の午前中にまず、飛び出したのが「古賀誠選挙対策委員長の辞意表明」。麻生の前任、福田康夫に自ら売り込み、党三役並みに格上げまでしてもらって就いたポジションを、いよいよ本番という時に、投げ出してしまったのだから、党内も国民も唖然の一言。永田町では「策士」で通る古賀だけに、真意をいろいろ憶測する向きもあるが、はっきり言って、この人の仕掛けが効を奏したのをあまり見た記憶がない。特に師とも後見人とも言われた野中広務が引退してからは、その傾向が顕著であり、結局のところ、小沢一郎同様、買い被られ過ぎというのが本当のところではないだろうか。尾辻秀久参院議員会長も辞意を漏らしたとも伝えられているが、この人に至っては、一応、一連の地方選敗退の責任を理由にしている古賀とも違って、なぜ今そんなことを言い出すのか、全く理解できず、要は党執行部にいるのが嫌になって、逃げ出しそうとしているという以外の思惑は感じられない。

こうして総裁以下執行部の威信はますます低下、もはや一種の無政府状態に陥り、反麻生陣営は、残された時間に最後の希望を託してクーデターに出ようとしている。都議選前からくすぶっていた「両院議員総会開催による党則の改正=総裁選の前倒し」である。都議選を始めとした地方選連敗の総括もせずに、解散になだれ込むとはなんたることという一応、理にかなっていそうな理屈で署名を集め、執行部に開催を迫っている。党則によると、党所属国会議員の1/3以上の要求で開催ができるそうで、このハードルは高くない。なにしろ、何度も書くが、とにかく彼らは生き残りに必死なのである。自民党がどうなろうと関係ない、まして麻生と心中する気などさらさらない、その為にはどんなことだってするのである。筆者が一本道と書いたのは、結局そんな彼らを抑えることなど絶対に誰にもできないと思ったからだ。

言っておくが、だからといって彼らの行動を筆者が支持し、または同情しているということでは全くない。ただ、どんなに止めようと、非難しようとそれは全くの無駄であると諦めているだけである。

火曜日、野党が提出した内閣不信任案を自公連立与党は「一致結束して」否決した。つまり、繰り返すが、近々国民の審判を受けることになる自民党の衆院議員は全員、麻生内閣を「信任した」のである。にも関わらず、その舌の根も乾かぬうちに、「麻生降ろし」とやらに奔走する輩がいる。そこを突っ込まれて

「首相と総裁は別ですから。」

とのたまった佐藤ゆかりなるバカ議員の言葉は、ここに大書しておきたい。この程度の奴を議員に押し上げた前回の郵政選挙の罪は、後世まで語り継ぐ必要がある。

議員総会でのクーデターが実り、総裁選が前倒しされることになったとしても、これも繰り返しになるが内閣総理大臣たる麻生の地位は変わらない。そして「しゃらくさい」とばかりに麻生が、そのまま解散に打って出たらどうするつもりなのだろう。それこそ渡りに船とばかりに、「反麻生」を旗印に分裂選挙を戦うつもりなのか、それともそんな暴挙が許されるはずがないとでも言うのか、クーデターと暴挙、どっちもどっちという気がするが。

その暴挙を防ぐ手段がなくもない。閣僚に造反させ、解散詔書への署名を拒否させるのである。現に与謝野馨や石破茂あたりが不穏な動きを見せているやにも聞く。しかし、いざという時、公明党出身の斎藤鉄夫環境相を唯一の例外として、麻生が首を切るのに、躊躇する閣僚がいるだろうか。あくまで理論上ではあるが、麻生が全閣僚を兼務して、解散を打つことだって可能であり、かつて海部が、閣僚の造反に合い、総辞職を選択した時に

「なんで海部さんはやらないんだ?反対する閣僚を全部罷免してやればいいんだよ。」

と周囲にもらしたと伝えられる麻生なのである。

いや、さすがにそこまで行けば無理筋と、麻生が恐れ入って退陣したとして、その後に彼らがどんなに立派な新総裁を選び出そうとしているかは知らないが、それで本当に今の流れを逆転できると信じているのだろうか?

今の自民党に対する逆風のかなりの原因を麻生その人が作り上げているのは事実だが、麻生1人の責任でないのも間違いない。国民は長年の、特に2007年夏の参院選以降の自民党の傲慢さ、破廉恥さ、不感症ぶりにほとほと嫌気が差しているのである。そこに来て、とどめを差すかのごとくのこのゴタゴタである。麻生がこのまま、なんとか押し切って21日(以降)に予定通り解散に打って出られたとしても、反麻生陣営の「麻生降ろし」が効を奏し、解散日程はこの期に及んでまたしても、いったん白紙、「めでたく」新総裁・首相誕生の上で改めてさぁ解散となったとしても、国民の自分達に対する不信感、嫌悪感を払拭できると信じているのであろうか?

細田博之は不信任案に対する反対討議で

「これは民主党による『鳩山疑惑献金隠し決議案』だ。」

となにやらボソボソと迫力なく言っていた。さらに昨日、なんとか「貨物検査特別措置法案」だけでも上げてくれと民主党に泣きついたが、一蹴され

「民主党は無責任だ、あんな政党に政権担当能力があるのか。」

とわめき散らしていたようだが、

「何言ってるんだ、あんた達、もともと月曜に解散するつもりだったんだろ。」

と冷笑されてジ・エンド。もはや、なにをやっても墓穴を掘っているだけである。

筆者はもはやこの流れは変わらない、いよいよ念願の政権交代が、目の前まで迫って来たと信じているが、しかし、しかしである。投開票日とされる8月30日までまだ「50日近くも」あるのである。まだなにがあるかわかったものではない、なにしろ相手はあの「ホップ・ステップ・肉離れ」をお家芸としている(!)民主党なのである。更には、投票するのは自民党に「お灸をすえる」ことまではやって来たが「鉄槌をくらわす」ことからは、ひたすら逃げ回って来た日本国民なのである。今度の衆院選挙はやっぱりその時、運の良かった政党が勝つのである。

しかし、今の自民党はその最後の、それは奇跡的なものかもしれないが、そのわずかな可能性すら、自らの手で捨て去ろうとしているとしか見えない。今の自民党の状況を見て、自民党に対する好感度が高まったり、信頼感が増す人がいるとしたら、その人は相当変わり者か、相当な民主党嫌いか、どちらかだろう。今や、自民党の面々には、今の自分達が、国民の目に、どんな風に映っているのか、そんなことすら、冷静に判断できる人物もいないのだろう。このままなら、民主党はただ、相手を嘲笑ったまま、易々と政権を手に入れられるだろう。

筆者は「正当なる政権交代」が今の日本の為にはどうしても必要だと思い、その為には、何度も裏切られながらも民主党という政党を応援して来た。その思いがついに結実する日が来る、それは本当に喜ばしい。そして、長年、政権、権力にあぐらをかき、日本の政治を停滞させて来た自由民主党なる政党がついに崩壊しようが、分裂しようが全くご勝手になさればいいと思う。だが、自民党にも戦後日本の繁栄を築きあげてきた矜持と王者としての誇りはないのか?いや、そんなカッコいいセリフを敵に投げ掛けられる余裕なんて、民主党には所詮はないんだけどね・・・。

| | コメント (0) | トラックバック (3)

2009年7月13日 (月)

後は一本道・・・のはず

先週の土曜、所用で実家に泊まっていた筆者は張り切って周囲を「ねり走る」共産党都議候補に叩き起こされた。時計を見ると8時過ぎ、法律的に文句を言う筋合いはないのだが、もはや都民ではなく、部外者となった身としては迷惑そのものだった。まぁもっとも当事者の方は、とにかく必死であっただろうが。

その都議選が終わった。予想通りの民主の大勝、自民を44年ぶりに都議会第1党の座から追い落としただけでなく、中選挙区制度での選挙ながら自公を過半数割れに追い込むおまけつき。更に、都議選の影に隠れて全く注目されなかった奈良市長選も民主推薦候補が自民推薦の前衆院議員(元市長)を圧倒。全国で2番目に若い市長が誕生する運びとなり、全国的な民主躍進、自民退潮の流れはもはや、止められない勢いと見える。

前稿で、もはや一本道と書いた。それ以上のことを書かなかったのは、都議選の結果が出ていなく、迂闊なことを書くとこんな個人的ブログでも、選挙妨害を問われかねなかったからだが、いよいよ事態は大詰めを迎える。

報道によれば、麻生首相は尚も、自らの手による解散に意欲満々だそうだが、それは選挙の結果も出ないうちから、弱気なことは言えなかったろうし、また仮にも内閣総理大臣たるものが、都議選の結果で退陣に追い込まれるなどありうべきことではないというプライドもまぁ、お持ちであろう。しかし、このまま突っ張ったところで、もはやどうにもなるものではないことをまさか本当にわかっていないわけでもないだろうし、形勢挽回、大逆転への秘策を胸に秘めてるとも、到底思えない。逆にこの選挙結果を受け、自民党内の「反麻生」「麻生降ろし」の声は、止めどもなくなって行くだろう。

今日、民主党は衆院で麻生内閣不信任案を、参院で麻生内閣問責決議案をそれぞれ提出する方針と聞く。問責の方は可決確実、そのまま参院での審議は完全にストップする。問題は不信任案で、これも与野党の議席差を考えれば、難なく否決されるはずなのだが、この期に及んで麻生を「信任したい」と本気で考えている自民党議員が果たして何人いるかということだ。

と言って本会議で造反もできずに、しぶしぶ反対票を投じれば麻生内閣は衆院で信任されたことになり、反麻生の連中は麻生を降ろす口実を失う。今回の不信任案提出は麻生の手でなんとしても解散させる為に麻生の居座りにお墨付きを与えようという、野党側の「勝負手」なのだそうだ。不信任案は提出されれば、ただちに本会議に上程され、審議されなくてはならない最優先案件で、採決を引き延ばすことはできない。

不信任案を受けて、麻生が採決前に解散に打って出る可能性はある。しかし、これには与党の猛反発が予想され、この与党への大逆風の中、都議選で1議席を増やし、不気味な存在感を示した公明党の斎藤鉄夫環境相の首を切ってまで、今の麻生に突っ走れる力があるとは思えない。もちろん、信任してそれを「花道」に辞めてもらうというのも、とても国民に通る理屈ではないだろう。

だいたい、今解散するとすれば、それは麻生の意地とプライドを満たすだけのものになり、多くの自民党議員に無理心中を強いる行為に等しい。それほどの度胸も麻生にはやはりないだろうし、ただいたずらに人の恨みを買うだけのことである。結論としては、不信任が出た時点で、麻生は辞任せざるを得ないと思う。

麻生辞任を受けて総裁選が始まる。民主党や国民からどんなに非難を浴びたところで、我関せず、この人達に物の道理や理屈を説いても全くの無駄である。少なくとも、自民党の議員達に一片の政治的良心があったら、遅くても福田退陣の時に、一緒に下野するだろう。自らの都合で総裁・首相を取り替えることになんの躊躇もなく、それを3年続けようとしているのである。言っておくが、国民はその間、なんの意思表示もさせてもらっていない。勝手に自分達でスカを担ぎ上げ、そして自滅しているのである。「バカ」としか言いようがない。

候補はさっそうと自民の救世主に名乗りを上げたのはいいが、国民にその三文役者ぶりを見透かされ、ほぼ総スカン状態のまま、舞台からそのまま転げ落ちた東国原某の線は消え、やはり党内からの選出。となると、昨秋に麻生と戦った連中がまずは有力候補になる。だが、石原伸晃は、今回の都議選の責任を問われる立場となり、声は上げにくくなったろうし、やはり同じ東京選出の与謝野馨はただでさえ、決して選挙に強くないのに、この結果に今頃震え上がっているだろう。石破茂は内閣の一員にいる今、後継に名乗りを上げるのは云々と理屈を言ってるようで、今回はパス。となると残るは小池百合子に鳩山邦夫、舛添要一、ひょっとしたら野田聖子。中川秀直は自ら出るか、それとも前回同様、小池を担ぐか、以上の「豪華メンバー」で争われることになろう。

有力とされるの舛添。口を極めてののしっていた安倍の内閣に、一転潜り込んで、以来今日まで厚生労働大臣の座に居座り続けているが、これと言った実績もないのに、なぜか「よくやっている」とされ、国民の人気も高いらしい。筆者には全く理解できないのだが、それに気を良くしたか、このところご本人も意欲を示す発言を繰り返している。自民党発足以来、参院議員が総裁になった例はなく、また所詮は議員になってまだ8年のタレント上がりのバフォーマンス野郎と、党内の人気は決して高くはないのだが、それでも他に適当なのは見当たらず、片山さつき以外は最終的には、みんなしぶしぶ認めるのだろう(笑)。手はともかく口だけは間違いなく八丁な新総裁・首相にいただき(そうか、あいつが首相になっちまうのか・・・)、そしていよいよ9月に解散という流れである。だが、ひょっとするともう一幕あるかもしれない、それは「鳩山辞任」・・・。

今の自民党への逆風は麻生のせいだけではないが、麻生の存在によるところも極めて大きい。その疫病神が消え、新総裁の下、自民党は遮二無二、鳩山由紀夫の政治資金問題を突いてくる。もはやそれしか望みがないのだから、その攻撃は恐らく死に物狂い。とにかく国会をギリギリまで引っ張り、連日猛攻撃を続けるだろう。

先日の記者クラブでの講演で鳩山は

「細川政権の教訓は生かさなくてはならない。」

と述べたそうだが、これは皮肉な予言になりかねない。細川護熙は与党内部の対立もあったが、佐川急便からの資金提供疑惑を野党自民党に徹底的に突かれ、退陣に追い込まれた。報道を見る限り、鳩山の一連のそれは、なかなか説明がつきそうもなく、例えなんとか選挙までは逃げ切ったとしても、政権を樹立したとたんに立ち往生しかねない恐れがある。

まして選挙前にダウンした時の民主党のダメージは計り知れない。だからと言って、それで自民党が盛り返すという期待は甘い、どっちもどっちということで、国民はしらけ、棄権に回る。でなければ、渡辺や平沼の第3極志向の連中に走る。その票は今の流れなら、民主党に回るであろう票であり、断じて自民の票を食うわけではない。かつて森喜朗が望み、最近では古賀誠が口走った「無党派層が寝てくれる」が現実となり、民主は伸び悩み、こうなると、学会票というとてつもない固定票を持つ自公が相対的に浮上する。なんだかんだ言って自民は公明、学会をやっぱり粗末に扱えないのである。そうなってしまったら、選挙後の政局はもう、収拾がつかず、筆者がもっとも忌み嫌う「政界再編」という魑魅魍魎が跋扈するという最悪のシナリオに突入する。

それにしても、昨日の都議選、投票率は55%にも満たなかった、大雑把に言って、都民の2人に1人は選挙に行かなかったのである。国政選挙、それも政権交代のかかった大一番のそれなら話は別?繰り返すが、この逆風下、公明は一議席ながらも議席を増やした。それは中選挙区制のマジックの賜物でもあるが、この期に及んでも、選挙に踊らぬ有権者があまりにも多いことが大きな原因なのである。ローマは1日にしてならず、日本の政権交代への道のりも、まだまだ平坦ではない。

あまりの酷使にさすがに気が引けたか、原監督は昨日の阪神戦、とうとう越智と山口をベンチから外した。そんな試合に先発のマウンドを託された内海は元気のないタイガース相手とは言え、見事な完投勝利。これぞエースである、お見事!それにしてもここ1ヵ月以上にわたる貧打はなんなのだろう。リリーフ陣の酷使の原因は、開幕当初の先発陣の不甲斐なさから、点の取れない打線に、明らかに変わっている。坂本の下降、李の不振、阿部の不在という要素も無視できないか、要はつながりがないということなのだろう。間もなく、オールスター、その前に打線の梅雨明けは果たしておきたいものである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年7月 7日 (火)

勝負とはゲタを履くまでわからんものだ

先日、暇潰しにチャンネルをガチャガチャやっていると、大リーグ中継が出て来た。見るとはなしに見ていると、バッターがヒットを放ち、セカンドランナーが悠然とホームに返って来た・・・と思いきや、矢のようなバックホームが送られて来て、余裕ぶっこいていたそのランナーはなんとタッチアウトとなってしまった。なんとも間抜けなプレーだと呆れたが、この憤死が後で重大な事態を引き起こすことになるとは、その時は思いもしなかった。

得点は10-6、が、実はちょっと前まで10-1だった試合が、前の回の反撃で一気に差が詰まったらしかった。その直後の攻撃での追い上げられている側のボーンヘッドである。このままではすまないかもという思いはよぎったが、それでもマウンドに上がったのが日本人プレーヤーの岡島秀樹でなければ、もともとメジャーになんの興味もない当方は、チャンネルを替えていただろう。

残り2イニングの4点差、騒ぎになる展開とは思えなかったが、岡島が筆者にとってはあまりにも「見慣れた岡島」のピッチングを繰り広げ、キャッチャー前のゴロを緩慢な動きで内野安打にしてしまうお粗末も手伝って、あっという間に無死満塁。ここで岡島はお役御免となって、同じくジャパニーズメジャーリーガーの斎藤隆がおっとり刀で登場して来たが、こうなっては斎藤ではなく、他の知らない投手が出てきたところで、チャンネルを替える気はもうさらさらなくなった(笑)。

その斎藤も相手の勢いを全く止められず、一死はとったものの、ついに1点差まで追いつめられ、たまりかねてベンチはクローザーを送り込む。解説は大島康徳だったが

「一死というのがむずかしいですね。あと一つのアウトならとり易いんですが、こういう場面で二つアウトを取らなくてはならないというのは、結構しんどいんですよ。」

という予言は見事に的中、最初の打者は三振に切ってとったものの、続く打者に左中間を深々と破られ、七回表まで10-1のワンサイドだったはずのゲームがとうとう、10-11の大逆転試合になってしまった。すべてを見ていたわけではないが、こうなるとあの油断としか言えない走塁でみすみす逃した一点の重み・・・後悔先にたたず、勝負はゲタを履くまでわからないという格言をまさに地で行った試合となってしまった。

日曜日に投開票された静岡県知事選は大接戦の末、民国社野党3党が推薦する元大学学長が、自公が推薦する元参院議員らを押さえて当選を果たした。一時は、勝たなくてもいいなどという不遜な声もあったやにも聞くが、ここで負けていたら民主は大騒ぎになっていた可能性が高い。

政権交代に向けてまっしぐらの感もある民主党の重大な足枷になりかねない、鳩山由紀夫代表の「故人献金」問題。負けていれば、この影響を指摘する声は強まり、逆に自民に反攻のきっかけと勢いを与えることになりかねなかった。いや、事前から接戦の予測ではあったものの、ここまできわどくなったのは、やはりこの問題が影を落としていたと見ることもできる。

それにしても鳩山のあの問題は少々ひど過ぎないだろうか。「政治資金収支報告書」なんて所詮、砂上楼閣のような辻褄合わせの作文という面は否定しないが、あそこまで不真面目なものを堂々と掲げられては、あいた口が塞がらない。どういう意図であんなものを作って出したのかは、知らないが、少なくともあれを鳩山本人が全く目を通していないことだけは間違いない。いくらなんでも見ていれば、仮にも「恩師」と慕う人物の名が不当に使われていることくらい、すぐにわかるだろう。その杜撰さ、無責任さは非難されてしかるべきだし、当然、なぜそんなことをしたか、鋭く追及されても仕方ないだろう。

鳩山や小沢が93年に自民党を離党した時に、掲げていた理念は「政治改革」だった。政治改革とはなにか、それはリクルート事件に端を発した「政治と金」に対する国民の不信感の払拭を目的にしていたはずである。それから16年、長年の苦労が実り、いよいよ彼らの悲願だった政権交代が目前に迫って来たはずなのに、その彼らが「政治と金」で足元をすくわれようとしている。小沢も鳩山も自民党にとどまっていれば、党内に今、それなりの地歩を築いていただろう。いや、ひょっとしたら麻生や安倍なんて輩を差し置いて、首相の座を射止めていた可能性だってある。あえて茨の道を選んだ彼らの政治的決断と勇気を称賛することには、やぶさかではないが、それにしても彼らの16年とはなんだったのだろうという思いはぬぐい去れない。

そんな彼らの失策が今や唯一の拠り所となった自民党。今彼らが、懸命に追いかけているのが鳩山の疑惑であり、生色を一瞬取り戻したのは、検察をけしかけて小沢を世論の非難の的にした時だけである。もはや、自民党は政策で攻勢をかけることなど、全くおぼつかない政党になり下がったのである。

鳩山を追いつめれば、まだ希望があると自公は躍起になっているが、静岡知事選は接戦とは名ばかり、民主系候補に元民主党参院議員に投じられた票を足せば、大差。元議員は予想以上の健闘だったと思うが、それでも自公は勝てなかったという事実は重い。

前稿を書いた直後に、にわかに再浮上した内閣改造と党役員人事。下馬評だけは華々しかったが、結局どうでもいい「人事をやった」というアリバイ工作以外のなにものでもない閣僚補充が精一杯。もはや国会も閉じようという中、それになんの意味もなかったことは言うまでもない。

またしても自身の威光を傷つけるだけの結果となっただけでなく(もうそんなもの、とうにないという説も濃厚だが)、替えられかけた三役の威信も低下、そして首になりかけた連中はふてくされて、いよいよ麻生にそっぽを向く、何一ついいことのない結末に、国民がどういう判断を下すか火を見るより明らかなことだった。

それでも尚、わが国の内閣総理大臣である麻生太郎は、サミットに出席すべく日本を旅立って行った。思えば昨年、洞爺湖サミットが行われた時、来年は小沢一郎か岡田克也が行ければいいと書いた。だが、今年まさか麻生がサミットに行くなんて、まして今もって総選挙も行われていないとは、あの時点では夢にも思っていなかった。自らの保身と権力欲の為に、ひたすら総選挙を先送りにし、政治の停滞を長く放置してきた麻生及び自公勢力の罪は、当然迫りくる総選挙で断罪されなくてはならない。

12日の日曜には都議会議員選、それ以降自民党はいよいよ大混乱状態に陥るとも言われている。選挙の結果が、まだ出ていない今、迂闊なことは書けないが、筆者はもう1本道だと思っている。そしてその結果、小池だか東国原だかしらないが、新しい顔が相手に誕生した時、ふと気がつくと自分の方の党首は疑惑に包まれたままだった・・・。

勝負というのはゲタを履くまで本当にわからない。それはまだ3ヶ月も先のことなのだから・・・。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

« 2009年6月 | トップページ | 2009年8月 »