土井正三さんの死を悼む
1974年10月14日、この日は「ミスタープロ野球」と呼ばれ、ジャイアンツ入団以来、球界の太陽であり続けた長嶋茂雄の現役最後の日であった。そしてそれは同時に「名選手、名監督に非ず」の格言を覆し、前人未到のV9を達成した川上哲治監督が、長年着慣れたジャイアンツのユニフォームと決別する日でもあった。
ダブルヘッダーで行われたこの日の試合、正真正銘ミスターの最終試合そして自らの監督生活最後となる第2試合で、川上は以下のスターティングメンバーを組んだ。
①(中)柴田勲②(左)高田繁③(一)王貞治④(三)長嶋茂雄⑤(右)末次利光⑥(遊)黒江透修⑦(二)土井正三⑧(捕)森昌彦⑨(投)高橋善正 (一部のちに改名している人もいるが、名前はいずれも当時のもの)
エース堀内恒夫が第一試合で先発してしまったのは画竜点睛を欠いてしまい、また9年の間には、当然選手の入れ替わりもあったが、しかしこれが紛れもない「V9戦士」達。川上は長嶋送別の花道を、そして自らの最終試合を飾るべく、苦楽を共にした彼らをスタメンに並べたのである。
それから35年、誇り高きV9戦士の1人、土井正三さんが逝ってしまった。享年67はあまりに早過ぎる最期だった。
追悼コメントに共通するのは「とにかく野球を、ジャイアンツを愛していた人」。川上勇退と共に退いた長嶋、森、黒江の現役時代は知らないが、他の5人のブレーは見たことがある。試合前の事故で視力が低下した末次が引退を余儀なくされたのが77年、そして翌年に土井さんも現役から引退した。その年の土井さんは規定打席にこそ足りなかったが、自身のキャリアの中で3番目となる打率を残し、ダイヤモンドグラブ賞まで獲得した。当然引退の「い」の字も頭になかった土井さんを強引に口説いたのが立大の先輩でもある長嶋監督。曰く
「後進に道を譲り、育てて欲しい。」
土井さんと二遊間コンビを組み、その後内野守備コーチをしていた黒江が、球団との折り合いが悪く、解任される事態が起こっていた。その後任にと長嶋が白羽の矢を立てたのが土井さんだったのだ。全く釈然としなかった土井さんが結局、しぶしぶながらもそれを受け入れたのは、超自己中男長嶋に逆らっても無駄だと諦めたのと、やはりジャイアンツを思えばこそであった。
2年コーチを務めて、長嶋辞任と共に退団した土井さんは、その後王監督の下でもコーチに就任、そして91~93年にかけて上田利治の後をうけて、オリックス・ブルーウェーヴの監督を務める。
3年連続3位とAクラスを死守しながらも、土井さんのキャリアの「汚点」とされるこの3年間。厳しい指導、采配で選手からほぼ総スカンを食っただけでなく、あの天下の大打者イチローを見出せなかったという「眼力のなさ」が、世間の嘲笑を買うことになってしまったのだ。これについては諸説あり、訃報にあたって、またいろいろな話が流れているが、土井さん本人は最後まで、自分のやり方に自信と信念を持っていたことだけは書いておきたい。
その後、長嶋に呼び戻される形で三度、ジャイアンツのユニフォームに袖を通したのが96年。3年務め、本人は尚も意欲十分だったが、長嶋に「若返り」を通告されて、退任を余儀なくされた。若返りと称して、長嶋に振り回されたユニフォーム生活との決別であった。
監督としては評判のよろしくない土井さんだったが、コーチとしての評価は高い。そして選手としても星野仙一か江夏豊のどちらかだったと思うのだが
「もし乱闘でもあって、一発ぶん殴ってやれるのなら土井やね。」
と言われたくらい、相手から嫌がられた選手だった。
そして何よりジャイアンツが大好きだった。オリックスの監督時代、二言目には「ジャイアンツでは」とやり、これも評判を落とす大きな要因になったらしい。これが土井さんの野球人としての限界だったのかもしれないが、それでも自らの野球人としてのバックポーンとなったジャイアンツそしてV9野球というものに、誰よりも誇りを持ち続けた人だった。
2年前、病魔にむしばまれていた身体を引きずるように、東京ドームに姿を現した時、土井さんは既に余命数ヶ月と宣言されていたという。しかし、それから土井さんは懸命に戦った。今月に入り、土井危うしの報に、川上以下ON、柴田、高田、吉田孝司らかつての戦友達が続々と土井さんを見舞った。そして、後輩達が自分達以来の3連覇という偉業を達成したのを見届けたのち、旅立って行った。心からご冥福をお祈りしたい、合掌。
3連覇を成し遂げたとは言え、今のジャイアンツは原監督復帰以来正二塁手不在の状態が続いている。千葉茂ー土井ー篠塚和典ー仁志敏久と続いた名手の系譜は途絶えたままだ。キムタクの頑張りには、敬意を表するが、脇谷、寺内、中井、藤村といった中堅、若手に奮起を期待し、早く冥府の土井さんを安心させて欲しいと思う。
もう1つ、今朝のスポーツ主要4紙の中で、土井さんの訃報をトップで扱わなかったのは報知だけだった。特ダネが入り、最終版で差し替えたようだが、これが功労者に対する読売グループのはなむけなのかと思うと、なんとも言えない憤りと寂しさを感じないわけにはいかなかった。
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