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2009年11月

2009年11月28日 (土)

そしてまた、戦いは続く

2年前の9月14日付で「本当に情けないの一言」というタイトルの記事を書いた。その書き出しはこんな風であった。

『神宮球場に行って来た、拷問のような試合だった。』

その直前、天王山と意気込んで迎えた東京ドームでの首位阪神との3連戦に、力負けとしか思えない3連敗を喫したばかりで、かなりデスパレートな気分に陥っていたところに、目を覆うばかりの無気力な試合を見せつけられ、怒り心頭に発したまま、パソコンに向かったのを覚えている。駄文で恐縮だが、もう少し引用させてもらう。

『今日の試合を見て痛感したことは、このチームはやっはり来年も再来年もずっと優勝できないだろうということだ。(中略)このチームを立て直す為にはどうしたらいいのか、もはや筆者にはわからない。・・・』

ところがその半月後、ジャイアンツは4年ぶりのリーグ優勝を果たす。それどころか「来年も再来年も」優勝するのである。しかし2年前も昨年も、優勝確実な位置に居たタイガースの失速をとらえた劇的な逆転リーグ優勝ではあったが、一昨年はCS、昨年は日本シリーズで涙を呑み、悲願の日本一奪回は果たすことはできなかった。

そして迎えた今年、2009年は完勝であった、ジャイアンツもそして原辰徳も。これ以上、望むべくもない完璧な1年であった。画竜点睛を欠くとすれば、交流戦の優勝を逃したことで、もしこれも獲っていれば、申し分のないパーフェクトだったのだが、まぁそれは来年の楽しみにとっておきましょうか(笑)。

今は何を言ってもお許し願いたい、ジャイアンツは2009年の日本プロ野球界の王者なのだから。しかし、どんなに強い勝ち方をしても、それはその年限り。どんなにぶっちぎって勝ったとしても、来年のペナントレースでハンデがもらえるわけでもなく、12球団が横一線に並んだ、新たな戦いがスタートする、いや既にスタートしているのである。ノー天気ことを言っていて、浮かれていられるのも今のうちなのである。

来年、2010年のシーズン、ジャイアンツは久々にセ5球団だけでなく、パ6球団を含んだ全プロ野球チームの目標とされ、迎え討たねばならない立場となった。むろん、キャンプイン前日に、今年から5連覇をと、高らかに宣言した原監督にとっては望むところかもしれないが、その道が決して平たんな道であるはずがないということは、もちろん言うまでもない。

人間は誰でも平等に1年ずつ歳をとる、そして1年という時間は、人によってその意味が全く違ってくる。例えば坂本勇人や松本哲也にとってのそれは、飛躍、成長の時となり得るが、小笠原道大やアレックス・ラミレスにとってはよくて現状維持、忍び寄る衰えとの戦いの時間となる。生身の人間で構成されている集団である以上、例え全く顔ぶれであったとしても、昨年と同じ力を発揮できることはあり得ないのである。

いや、全く同じ顔ぶれということもあり得ない。7年ぶりに行われた、日本一になった年にしか許されない銀座での優勝パレード。7年前に松井秀喜がそれを花道にジャイアンツを去ったように、今年も同じようにメジャーへの挑戦を理由に、投手生え抜き最年長である高橋尚成がチームを去って行った。そのチャレンジを無謀、身の程知らずと嘲笑う向きもあるが、正当な権利を行使した尚成が非難される必要がどこにあろう。「グットラック」、彼に送る言葉は、ただこの一言である。

たぶんに帳尻合わせの感はあったが、球団創立以来、日本人の2ケタ勝利投手を絶やした事がないという伝統を辛うじて守ってくれ、防御率も2点台を記録した尚成の離脱が痛くないはずはない。売り物である救援陣に比べ、先発特に日本人のそれの貧弱さはシーズン中にも再三指摘されてきた上に、貴重な日本人先発左腕が退団したのである。久保裕也、木佐貫洋、福田聡志、野間口貴彦、金刃憲人といった本来なら、とうに先発の柱として活躍しているべきドラフト上位投手達が、いずれも未だに1軍に定着すらできず、上原浩治に代わって、名実ともにジャイアンツのエースたるべきだったはずの内海哲也の今年の体たらくはなんだったのだろう。ここ数年の登板過多がたたったか、西村健太朗も、シーズンをほぼ棒に振り、筆者が期待度ナンバーワンに推した辻内崇伸も、とうとう1度も1軍に姿を見せることはなく、わずかにただ1人年間を通して1軍のローテーションを守った東野峻と中継ぎで一時、光るものを見せ、来シーズンは背番号が一気に92から一気に15に躍進する木村正太が合格点か。

MVPが2年連続のラミレスというのはまぁ妥当だろうが(そう言えば、この人を獲る時も止めろって言ったんだよなぁ。今更ながらこの眼の節穴ぶりには、もはや嘆く言葉もない)、本当は「ゴンザレスを獲ると決めた人」なのかもしれない。後半は完全にエースとなったゴンザレスがもしいなかったら、ペナントレースの行方は相当違ったものになっていたことは間違いない。だが、それにしても、この活躍は出来過ぎとしか言い様がなく、来年の反動は怖いし、グライシンガーも終盤のケガによる離脱を差し引いても、成績は年々下降気味。オビスポの変身ぶりには、目を見張るものがあり、来年の更なる飛躍は期待できるものの、外国人枠の制限による彼らの使い分けには、また頭を痛めることになろう。

一方、今や他球団垂涎の堅固さを誇るまでに至ったリリーフ陣だが、来年はここに更に元ロッテの守護神の小林雅英が加わるという情報がある。鬼に金棒と言いたいところだが、今年全く鳴かず飛ばずに終わったM中村の例もあり、メジャーをクビになって日本に舞い戻らざるを得なかった小林の力は未知数だし、豊田清も来年は39、無理はきかない年になった。オフに手術をするクルーンも37歳、一説には来季限りでの引退もささやかれる。

原監督が未来のストッパーと期待する越智大祐も、今年は後半打たれるケースが目立った、このオフにどういう風に立て直すか。逆に抜群の安定感を誇る今年の最優秀中継ぎ投手の山口哲也を来季は先発に回す構想があるという。リリーフする山口しか見たことが当方としては、彼にその適性があるのかどうかは、全くわからないのだが、まぁ阪神の久保田のように、潰してしまっては元も子もない。原監督の大胆な構想は果たして実現するのか、鍵は今年後半、ややリリーバーとして結果を出した観のある野間口と金刃が握っているかもしれない。あと中村さん、来季は少しは意地見せてよ!

尚成の穴を埋めるのはその山口なのか、それとも今年プロ入り以来初めて、シーズンを無事に過ごした辻内か。2軍でローテーションを守り、それなりの成績を残した辻内を、しかし原監督は1度も1軍に上げようとはしなかった。力不足という判断もあったのかもしれないが、今年1年は「温存」し、来季の飛躍にかける原の決断と見るのは、筆者の辻内びいきが過ぎるか。現時点で、目立ったのは未定の小林以外は中日をクビになった中里を獲ったくらいで、即戦力となりそうな補強はあまり行われていない。現戦力の整備、育成が来季のポイントになるのは間違いなく、尾花が去った後の斎藤、香田、小谷、木村の1、2軍投手4コーチの手腕もまた、試されることになる。

ということで、続きはまた後日。

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2009年11月21日 (土)

名将よさらば、そしてお疲れ様でした

1度は見てみたいと思っているが、恐らくまず無理だろうと思っていることがある。それは「プロ野球12球団の監督全員が留任して、翌年もまた指揮を執る」ということである。今まで1人だけ交代というのは、何回かあったと思うのだが、そこは数字ではっきりとした結果が表れるプロスポーツの世界、現実にはまずあり得ないことだろう。

今オフも約半数にあたる5人の監督が退任した。両リーグの下位2球団の指揮官はいずれも交替、勝負の厳しさを体現することになった。年来、不思議な球団経営、チーム編成を繰り返し、結果、当たり前のように下位に低迷し続ける横浜ベイスターズはシーズン中に解任した大矢明彦監督の後を受けた田代富雄監督代行を来季から2軍監督に戻し、ジャイアンツの尾花高夫前投手総合コーチを招聘したことは、既に記述した通りだが、それにしても同一リーグでの監督の移籍というのは何例かあるのだが、他球団コーチからの「昇格」というのは、かなり異例のことかもしれない。細かく調べたわけではないが、少なくともここ30年ほどでは、79年に広島コーチから阪神監督に就任したドン・ブレイザーくらいしかいないのではないか。それだけに尾花が意欲満々で、張り切っているであろうことは、想像に難くはないのだが、ただ正直に言えば、この転身は尾花のキャリアに決してプラスにはならないのではないかと、余計なお世話ながら考えていた。が、尾花の就任を祝うかのよう、ベイにしてはここ数年では考えられないくらい、アグレッシヴな補強に動いており、ひょっとするとひょっとするかもと、最近は思わされている。

セの支離滅裂チームがベイなら、パのそれはオリックス・バッファローズ。昨年、このチームへの積年の思いを吐き出すかのように滅多切りにした途端、大石大二郎監督の下で、失礼ながら狂ったような快進撃を始め、結果なんと2位に入るという「番狂わせ」が実現。とんだ赤っ恥をかかされてしまったのだが、今年は憑き物が落ちたように、すっかり元の姿に戻って定位置最下位へ。大石はあっさりクビ、これで2001年の仰木彬監督退任後からほぼ毎年繰り返される監督交替セレモニーは継続されることとなり、後任はOBでもある岡田彰布前阪神監督が就任することとなった。

どうでもいいが、岡田の解説は面白かったねぇ。今年1年限りなのが惜しいくらいだ。早くネット裏に帰ってきてほしいと言ったら、岡田が怒るだろうが、世話になったオリックスからの要請でなければ、まだユニホームを着るつもりはなかったとはっきり言う岡田の男気に水を差すような真似だけは、くれぐれもしないでいただきたいと、オリックス球団の首脳陣に強く申し上げておきたい。

広島東洋カープは元々、新球場元年を野村謙二郎監督で迎える為のつなぎとされたマーティ・ブラウン監督が、なぜか1年余計にやって退団、いよいよ本命が登場することとなった。いろいろな意味でチームの顔であり続けたボビー・バレンタイン監督が去った千葉ロッテマリーンズはボビーの下でヘッドコーチだった西村徳文が昇格。長年ボビーの番頭だった人物が、いきなりボビーを全否定して、チーム作りを始めることにはかなりの違和感を感じるのだが、まぁまずはお手並み拝見というところである。

以上4球団の監督交代は、それぞれそのチーム成績を反映した結果であると言って間違いないのだが、残る東北楽天ゴールデンイーグルスのそれは、これら4球団とは明らかに異質なものであった。球団創立5年目で初のAクラス、それも2位に躍進した上、CSでも堂々チームを第2ステージまで進出させた野村克也監督が、1年限りだった昨年末の契約通りに退任させられたからである。この決定に野村本人はもちろん、ファンやマスコミも反発を示し、大騒動になったのは、当然と言えば当然だっただろう。

2005年、仙台を本拠地にスタートしたこのチームは形としては前年末で消滅した大阪近鉄バッファローズに代わってパリーグに加盟したのだが、旧近鉄を丸ごと継承したわけではなく、各球団のお古とカスのような選手を掻き集めて、チームの体裁だけをなんとか整えてスタートしたというのが、実情であった。当然、負けに負けた、田尾安志監督は1年でクビ、これも多くの同情を買ったが、代わって輿望を担って登場したのがノムさんだった。

ノムさんの監督としての手腕は、疑問の余地はないにしても、あのチームではいかな「野村マジック」も揮いようがあるまいというのが、大方の見方だった中で、野村楽天の4年の歩みは文句のつけようはない。金にあかして選手を掻き集めたわけでもない、ルールにのっとって選手を獲得し、そして埋もれていた素材を抜擢し、更に磨きあげたのである。野村の手腕であり、それをサボートしたスタッフ、フロントそして見事に野村の期待や叱咤に応えた選手たちが一丸となった成果であった。

野村という人は、様々な経緯があり、1度はプロ野球界を追われた人物である。その野村を再び担ぎ出した楽天首脳部の勇気と決断、そしてその期待に見事に応えた野村の手腕はそれぞれ、プロとして敬服に値する。だがそんな両者は決別の時を迎えた。野村には不本意だっただろう、結果がすべてのプロの世界で、優勝にこそ及ばなかったものの、決して後ろ指を指されることもない成果を残しながら

「日本一になっても続投はない。」

とまで言われて、ユニフォームを脱がなければならなかったことを、納得しろという方が無理だろう。あの時の野村の言動をもし「大人げない」「みっともない」と評したとしたら、それはあまりに、野村に気の毒だと筆者は思う。

だが、もし筆者がノムさんに言葉を掛けられるとしたら

「さぞご無念だとは思います。しかし、これが時の流れというものです、人間、残念ながら年齢に逆らうことはできません。この辺が引き際じゃないでしょうか。」

という一言に尽きる。

西本幸雄は自らが還暦を迎えたのを機に、キッパリとユニフォームに別れを告げた。が、その後還暦はおろか、60半ばになっても指揮を執り続けるノムさんや長嶋茂雄を見て

「あんな手があったとはなぁ、俺の発想には60過ぎてユニフォームを着るなんて、全くなかったからなぁ。」

と後悔とも皮肉ともとれる言葉を吐いたという。そしてノムさんはとうとう74歳まで現役監督を続けた。その衰えることのない頭脳、そして壮健な心身には敬意を表する他はない。74歳までプロ野球の監督を務めるなどもちろん空前、そして間違いなく絶後であろう。そして本人も周囲もまだやれると思いながら退くのである。もって瞑すべきとは、このことではないか。

楽天の名誉監督なんて、いっそ受けなければいいと筆者は思っていたが、まぁそれはご本人の考えである。自らを月見草になぞらえ、人気者、権力に立ち向かい、攻撃することによって自らの存在価値を高めて来たノムさん。その生き方を今更否定する権利など、もちろん誰にもないのある。しかし、気が付けば、紛れもなく自らの師でありながら、本当に心を通わせることができずに、ずっと複雑な思いを抱き続けてきた鶴岡一人はとうに亡く、川上哲治も西本も隠居となって、公の場から姿を消した。ノムさんより先輩で、今なお球界に発言力を持つ人物は、もはやほぼ皆無となったと言って差し支えない。ボヤキと他人への歯に衣着せぬ論評を売り物にして、現在の地位があるのはわかってはいるが、そろそろ他人への容赦ない批判で耳目を集めるやり方は卒業した方がいい。

もちろん、全く好々爺になりきったノムさんも魅力ないのかもしれないが、ご本人の思いはともかく、ノムさんがユニフォームを着ることはもうない。だとしたら、必要以上に他人をくさす必要ももうないはずである。後輩を盛りたて、そして言うべきことは今まで通りピシピシ発言する、そんな球界の重しとなってくれることを是非お願いしたいと思う。

最後に、そのノムさんを切った楽天。その首脳陣がマスコミを通じて発言した真意と経営哲学は、筆者には高邁過ぎてよく理解できなかった。年齢でノムさんを切ったのは仕方ないにしても、その後任がブラウン広島前監督というのは、ちゃんとしたストーリーとしてつながっているのだろうか?ブラウンのカープでの4年間というのも、人によって評価が分かれるところだとは思うが、筆者はあの戦力でよくやったのではないかとは思っている。が、今回の彼の就任は、ノムさんの後任に悩んでいたところで、手頃な人物が現れたので、苦し紛れに食い付いたようにしか見えなかったのは筆者の認識不足なのだろうか?まぁ、これもまた来年、結果が出るのを待つしかないということなんだろうね。

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2009年11月15日 (日)

武道館へGO!

去る13日は金曜日で大安、そんな複雑微妙な(?)日を、筆者は指折り数えて待ちわびていた。いい年したオッサンが、「コンサートデビュー」を果たすのである、場所は日本武道館、公演アーチストは「アリス」である。

アリス、本当は「ALICE」と表記しなければいけないらしいが、筆者はなんとなくなじめず、まためんどくさいので、「アリス」で押し通させてもらうが、70年代後半のニューミュージック(この響きが既に古い)界を席巻し、80年代に入った途端、あっさりと活動を停止してしまったこのグループは、思春期にアイドルタレントのポスター1枚自分の部屋に貼ったこともなく、特定のタレント、グループというものに応援するということに全く無縁な、ひねくれた青春時代を過ごして来た筆者が、ただ1つ「ファン」であることを自覚していた人達であった。

彼らが活動していた時期には、コンサートに行くなどという年齢ではなかった筆者は、その後も人の歌を生で聞いてみたいという欲求が生じることもなかった。いや、彼らが唐突に再始動を宣言して全国数か所でコンサートを開いた時には、なんとしても行きたいと思ったが、日程的に全く無理であった。NHKで中継されたファイナルステージでベーやんこと堀内孝雄は

「またやらにゃ、しゃぁないな。」

と言っていたが、その後その気配もなく、生アリスを見るのは見果てぬ夢だったと、すっかり諦めきっていた筆者が耳を疑うようなニュースが飛び込んで来たのは、昨年の暮れだったろうか。

「2009年アリス復活、全国ツアーを本格的に実施。」

というのである。日程を見ると本当に「ツアー」、そしてその会場の1つに地元ともいうべき大宮ソニックシティの名を見つけた時には、大袈裟ではなく小躍りした。ついに時来たれり、この千載一遇のチャンスを逃しては一生後悔する。会社をズル休みしてでも絶対行くと固く決意し、チケット発売当日、パソコンの前に陣取ったのはよかったが、筆者の動きの鈍い旧式パソコンでは、全く太刀打ちできず、あっという間のソールドアウト。為す術なしとはこのことであった。

それでも天は我を見離さなかった、あまりの人気に追加公演決定、それもに日本武道館!まさにラストチャンス、祈るような気持ちで先行販売に申し込む。この手の抽選に当たった試しがなく、半分以上は諦めていたら、なんと当選メールが到着。実際にチケットを手にした時の感動は、これからも忘れることはないであろう。

そして当日、事件が起こる。万が一にも紛失してはなるまいと、到着した封筒のまま、引き出しにしまいこんでいたチケットを出発1時間程前にいよいよ切り離し、行き帰りの電車で読む本にはさんでおいた。少し経って何気なく見ると、2歳になる次男が件の本をいじくりまわしている。びっくりして取り上げると、なんとないのである、大事な大事なチケットがである。妻だけでなく5歳の長男まで加わっての大捜索、といってもそんな広い部屋でもないのに、どうしても見つからない。ふざけて破ってしまったのなら残骸があろう、しかし本当に跡形もなく消えてしまったのである。最初はすぐに見つかるとタカをくくっていた筆者も、次第に焦りの色が濃くなる、そして時間は無情に過ぎていく。

とうとう開演には、どう頑張っても間に合わない時間となってしまった。この結末はなんなのだと、へたり込んだ筆者を尻目に、妻はチケット会社に掛け合ってくれ、売上確認がとれたから再発行するとの言質を引き出してくれた。君は三国一の嫁さんだ!!!地獄から生還した思いで家を飛び出した、いざ武道館へ、武道館へ!

九段下の駅から走った、初めての武道館は本当に遠かった。遅刻して必死の形相の筆者にダフ屋が声を掛けてくる。あんな時間に、ダフ屋からチケットを買う奴がいるのだろうかと思いつつ、武道館に飛び込んだのは開演から20分ほど過ぎた頃だったろうか。

既に盛り上がりを見せている会場内を案内されて驚いた。チケットが当たったことに有頂天で、席がどの辺かなんて気にもしていなかったのだが(というより、番号を見てもさっぱりわからなかった)、着いてみればアリスから見て左手の前から5列目。音響装置が邪魔でドラムを叩く矢沢透の姿は残念ながら全く見えないのだが、谷村新司と堀内孝雄、筆者が日本音楽史上最高のツインボーカルと信じる2人の雄姿はバッチリ、これを見逃してたら本当に、一生後悔しなければならないところであった。

舞台上ではチンペイさんは座り、ペーやんが立ち、そしてキンちゃんはドラムからコンガへと担当替えでようやく筆者に視界に入って来るという初期のアリスのスタイルで展開。いわゆるフォーク系の静かな歌が続き、正直筆者もあまり知らない曲が続く。合間には初恋談義で会場を沸かせ、うなづかせ、そしてキンちゃんのソロへとつなげていく。

アリスのコンサートの名物とも言えるキンちゃんの歌。お世辞にも旨いとは言い難いあの歌声はしかし、1回聞くともう忘れられない、不思議というか妖しい魅力を持っている。アリスは確かに帰って来たのだと改めて実感させてもらった。

「秋止符」以外はいわゆるヒット曲はなく、しっとり聞かせることに徹した前半、ここでチンペイさんが意外なことを言い出す。今回の再始動で作られた唯一の新曲「GOING HOME」のバックコーラスを全国ツアーに来場した客全員で務めてもらう為に、これから音取りをするのだという。会場によってはウーだのアーだのというコーラスだけの所もあったらしいが、我々の「担当」はちゃんと歌詞がある。チンペイさん、べーやんの指導の下「リハーサル」を何度か繰り返した我々は、おだてられるまま結構一所懸命に歌ったのである。

デビュー曲「走っておいで、恋人よ」をトリに前半は終了、15分の休憩が入る。コンサートに休憩が入るものだとは、思ってもみなかったが、暗い中会場入りしたので気づかなかったが、明るくなって納得した。筆者は明らかな「若手」、というのが言い過ぎならしかし平均年齢は明らかに下回っていた(笑)。これじゃ演者含めてもたないや。

そして後半、いよいよおなじみのヒット曲のオンパレード。ここはもう年を忘れて盛り上がるしかない!しかし後半のオープニングに「BURAI」を持って来たのは、ちょっと驚いた。この歌は、81年の活動停止後、87年に一時的にアリスを復活させた時の歌。筆者はなかなか好きなのだが、この時の活動再開はどうやらベーやんにはかなり不本意だったらしく、この後、チンペイさんとの距離をかなり露骨に広げていく。そんなこんなのせいか、前回2001年の復活の時は封印されていた形になっていたのだが、やっぱりいい。「冬の稲妻」「ジョニーの子守唄」「今はもう誰も」・・・もう止まらない。筆者の左腕には前列の見知らぬおばさま方から一緒に盛り上がりましょうといただいた蛍光の腕輪がはまっている。盛り上がってるぜぇい!

楽しい時間は瞬く間に過ぎて行く。大盛り上がりの会場のテンションを1回冷ますように、チンペイさんが「帰らざる日々」を熱唱し出す。ファンなら先刻ご承知だがこの曲から「遠くで汽笛を聞きながら」そして「チャンピオン」とつなぐのがアリスのコンサートのフィニッシングロード。おいおい、もう終わりかい、まだ物足りないぜと思いながらも曲は進んで行く。

頼みはアンコールだが、少々焦らされて再登場したチンペイさんは

「じゃもう一曲いこか。」

エ~一曲ぅ、と思う間もなく流れてきたイントロを聞いて、筆者はまた少し驚いた。それは「さらば青春の時」、かつてアリスの面々は自分達の曲で特に好きなものはと尋ねられると必ず、帰らざる日々、遠くで汽笛を聞きながら、そしてこの曲を挙げていたものである。にも関わらず、なぜか前回やはり披露してくれなかったこの曲をここで持ってくるとは・・・。実はこの曲こそ、ひょっとしたら数あるアリスの曲の中で、筆者が1番好きかもしれない曲。感動したなぁホントに。

アンコールは本当に、この一曲で終了、明日のファイナルに備えて力温存したかな、なんて勝手なことを考えてしまったが、しかし大袈裟ではなく至福の一時であった。牛歩戦術そのままでやっと会場を出ると、外は激しい雨。しかし、まだやることがある。

そう、記念すべき我がデビューCD(笑)の予約とお土産グッツの購入、べーやんがテレビで冗談のように言っていた「冬の稲庭」が本当に売っていたのには笑わせてもらった。結局こちらも長蛇の列で小一時間をゆうに震えながら過ごす羽目となり、やっぱりあの辺で止めてくれてよかったと痛感しながら、しかし本当に幸せな気分で家路についたのである。

アンコール前の最後の2曲、周りは当然ノリノリで、また一緒に口ずさんでいた。しかしあえて筆者は手拍子もせず、じっとチンペイさんとベーやんを見ていた。メンバー全員が還暦を迎えたのを機に、スタートした今回のツアー。ベーやんは我々はまた戻ってくるなどとリップサービスをしていたが、現実としては、今後イベント的な復活はあっても、今回のような本格的なツアー活動など、まず考えられないだろう。また、筆者が見に来られるとも限らない。最初で最後になるであろうアリスの姿をしっかり、自分の目に焼き付けておきたい、そう思ったからだ。

そして今日、パソコンを開いて、思わずひっくり返った。なんとなんと

「来年2月28日、アリス東京ドーム公演決定」

なのだそうである。べーやんの言ったことは本当だったのだ、いやぁまさにサプライズ。このまま、本格的にグループ活動再開とは思わない、本当にそれがファイナルなのかもしれないが、しかしやるもんだねぇ。日曜とあって筆者は絶対に行けないが、でもひょっとしたらまたアリスに会えるのかもしれない、そんな希望が生まれたニュースであった。成功期待してます、それにDVD発売もね!

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2009年11月12日 (木)

さらば、名伯楽

セリーグ三連覇を達成した日、原辰徳監督は1年間、苦労を共にしたコーチングスタッフをねぎらった後、こう呼びかけたと言う。

「来年もこのメンバーで一緒にやりましょう。」

その言葉を尾花高夫投手総合コーチは、どんな思いで聞いていたのだろう。尾花コーチは(いやもう前コーチと書かなくてはならなくなってしまったのだが)今年最後の戦いである「日韓チャンピオンシップ」を2日後に控えた今日、原監督以下の戦友達に、最後の別れを告げて、4年間在籍したジャイアンツを去って行った。もう原の横で、常に冷静に戦況を見つめ、自軍のピンチにも、そのクールな風情を崩すことなくマウンドに足を運ぶ尾花の姿を見ることはない。

尾花を「名投手コーチ」と認めない人は球界に1人もいない。95年に当時の広岡達朗GMに見そめられ、解説者から投手コーチとして千葉ロッテマリーンズに入団して以来、ヤクルトスワローズ、福岡ダイエー・ソフトバンクホークス、読売ジャイアンツと今日まで1度も途切れることなく、4チームを渡り歩き、数々の投手を育て上げ、チームの投手力を向上させ続け、7度の優勝を経験した。最初の「上司」であったボビー・バレンタインとはソリが合わなかったようだが、以降野村克也、王貞治そして原辰徳と個性豊かな監督達に仕え、支えまた絶大な信頼を得て来た。

現役時代はスワローズ一筋、「ジャイアンツキラー」して名をはせた尾花。その後もジャイアンツとは全く無縁の野球人生を歩んできた彼が、05年オフにひょっこりジャイアンツにやって来た時、筆者は驚くと同時に大歓迎した。尾花とジャイアンツの結びの神は王だった。家庭の事情で自らの下を去る尾花の才能を惜しんだ王は、次の就職先として古巣ジャイアンツを紹介する。当時のジャイアンツは投手陣の崩壊から、先の見えない低迷に陥っており、責任をとって堀内恒夫監督の退任は確実視されていた。その後任人事も固まる前から、尾花の入団は決まっており、当初は彼の事情も考慮され、2軍投手コーチへの就任が予定されていたのだが、遅れて復帰が決まった原が是非、1軍でと要請、投手総合コーチの肩書で、事実上1、2軍の投手を統括するポジションにつくことになった。

彼の手腕は既に、その時点で球界に知れ渡っており、ジャイアンツにとっては、願ってもない人材と言えた。実際、以降ジャイアンツ投手コーチとしての尾花の足跡、実績は今更ここで振り返るまでもない。そして、今年ジャイアンツは12球団唯一のチーム防御率2点台を達成、堂々と日本一の座を7年ぶりに奪回した。投手コーチとしての尾花の名声はもはや揺るようもないまでに高まったと言っていい。

原が、ジャイアンツの球団首脳が、そんな尾花をどう評価していたか、それは彼に対してコーチとしては異例の2年契約を昨年、結んでいたことからもはっきりわかる。なんとしても流失は避けたいという意思が見て取れる。尾花にとって原は、初めての年下の上司だったが、彼らの仲は良好と見られていた。

だが優秀な人材が他から狙われるのは、いずこの社会でも同じである。横浜ベイスターズは昨年オフも尾花引き抜きを画策したフシがある。尾花の複数年契約は当然、その防御策の側面があったのだが、横浜の次なる一手はジャイアンツの予想を上回っていた。そう監督就任要請である。

尾花が横浜の次期監督候補に挙がっているという報道が最初に出たのは、9月の頭だったと記憶する。そのニュースを見た時の筆者の感想は

「やられたな。」

というものであった。尾花がジャイアンツと複数年契約を結んでいることは知らなかったが、投手コーチとしての移籍打診ならともかく、監督ということならば、尾花の心が動くのは容易に想像できた。そして、その後、田代監督代行の退任、2軍監督復帰を早々に発表しながら、後任についての言及を一向にしようとしない横浜の態度に、いよいよやばいと感じざるを得なくなった。明らかにジャイアンツの一員として、熱い戦いの只中にある尾花の解放待ちというのがミエミエだったからである。そしてついに、ジャイアンツのCS突破直後に「尾花氏、次期横浜監督就任」のニュースがいっせいにマスコミに流れたのである。

このニュースの直後のジャイアンツは、大袈裟に言えば一種の恐慌状態に陥ったらしい。大事な日本シリーズの前に、ということもあったが、有能な人材がチームの機密事項を手土産に、来季から敵チームの監督になることへの恐怖からであった。原監督に代わって、尾花の本心を問いただそうとして伊原ヘッドコーチは、彼を怒鳴りつけたそうだし、一時は尾花をシリーズのベンチから外すというニュースまで流れた。

結局、原に促される形で、尾花は騒動についてナインに謝罪。シリーズ制覇にこれまで同様、全力を尽くすと語って、当面沈静化するのだが、それにしても、そのニュースを見た時、筆者はなんと心ないことを言うのだと思った。仮にも尾花は原復帰以来、苦楽を共にしてきた腹心、今更機密もへったくれもないではないか。原と共に1軍のベンチで4年間戦い抜いたスタッフは尾花の他にはもう、篠塚和典と村田真一しかいなくなっていた。尾花の手腕なくして、堀内でも手の施しようのなかったあのオンボロ投手陣をここまでにすることは、絶対にかなわなかったろう。だいたい、一般人の筆者ですら、そう感じたというのに、ジャイアンツの面々は本当に、尾花が横浜に行ってしまうとは、あの報道が出るまで全く考えなかったのだろうか。だとしたら、相当間抜けな話だと思うのだが。

シリーズ終了まで、尾花は黙々と職責をこなし、ジャイアンツは日本一になった。そして、彼は去って行った。まもなく尾花の肩書は「前ジャイアンツ投手総合コーチ」から「横浜ベイスターズ監督」に替わる。

尾花の流出は、正直相当な痛手である。彼の存在感の大きさ、能力そして確かに投手陣を中心としたチーム機密は根こそぎ持って行かれたのは間違いない。そんな彼の出処進退を批判することは可能であろうし、特に原以下の現場スタッフや選手達が、彼に大きな不信感や不快の念を抱いたとしても無理はないと思う。しかし、古い言葉ではあるが

「男子と生まれたからには、1度はやってみたいものは連合艦隊司令長官、オーケストラの指揮者そしてプロ野球の監督。」

なのである。投手コーチとして、もう尾花はこれ以上ない名声を手に入れた。そんな彼が次の自らの可能性を求めるとしたら、それはもう「監督」というポジションしかない。まして、チャンスはそんなに転がっているものではないのだとしたら、それにチャレンジしたいという尾花の気持ちを抑えようとするのが無理なことではないか。

いや、そんなことはジャイアンツ側も百も承知なのだろう。契約をタテに尾花を強く慰留いることはできたはずである。一部には監督要請があった場合は、契約解除に応ずるという項目があったとの報道もあったが、その真偽はともかく、無理矢理尾花を引きとめたところで、チーム内のしこりや尾花本人のモチベーションということを考えても、ジャイアンツフロントは「大人の判断」をしたということになる。日本一のチームとして、45ゲーム差の最下位に沈んだチームへのはなむけと、ここは鷹揚に構えるしかない。

尾花の後任には2軍の斎藤雅樹コーチが昇格する。尾花の在任4年の内の前半2年コンビを組んだのが斎藤、後半2年が香田勲男、来季はこの2人がコンビを組む。身近にいて尾花のやり方はよく学んだはずである。尾花はジャイアンツの機密を持って行ったかもしれないが、逆に名投手コーチとしてのノーハウを彼らに、そしてチームに残していったはずである。それを生かすも殺すも、彼ら2人の双肩に委ねられた。そして尾花コーチの指導は、多くのジャイアンツの投手達に残されたはずだ、それを生かすも殺すもそれもまた、本人達次第となる。

そして一方の尾花である。これから明確に敵となる人物に対して、エールを送る度量を筆者は申し訳ないが、持ち合わせてはいない。しかし名投手コーチ、名監督たり得るかという点については興味がある。かつて、投手出身者は監督としては成功しないというのが球界の定説であったが、故藤田元司さんの成功以降、その声も薄らいでは来ている。がその後も、優勝監督となったのは投手出身者は星野仙一、東尾修くらい。鈴木啓示、山田久志といった大投手も見事に失敗している。

横浜にはかつて、尾花と似たような経歴の監督がいた。就任1年目にいきなり、横浜を30年ぶり2度目の日本一に導いた権藤博である。その型破りな言動や采配、指導はスポーツ紙はおろか、ビジネス誌でも取り上げられたほどだったが、それから10年。今、監督権藤の足跡に対しては否定的な評価が定着している。

投手陣の再建、育成に関する尾花の手腕について今更、どうこう言う必要は全くない。横浜のオーナーもその面での尾花の実績を評価しての招聘だとはっきり言明している。それはそれで良い、しかし当たり前だが、「投手コーチ」と「監督」の職責、立場は全く違う。尾花という人は、オフも関係なく、緻密にデータを分析、そこから得た結論はガンとして譲らない厳しい指導だったと聞く。しかし、監督となった以上、今までと同じことは絶対にできない。投手コーチは投手のことだけ見てればいいのだが、監督はそうはいかないからだ。不得手と言うか、未知の分野にどういう人材を配置するかも大事だが、意外な盲点かもしれないが

「尾花監督の下に尾花投手コーチはいない。」

という事実を尾花本人がどれだけ自覚できるか。さもないと思わぬ落とし穴に陥りかねない。

もう1つ、余計なお世話ついでに言わせてもらおう、横浜球団に対してである。まず、大事な日本シリーズを前にしたあの時期に、あんな報道が一斉に出てしまうのはなぜなのか。横浜にはジャイアンツは、門倉健投手をFAで獲得した際、人的補償で工藤公康投手を放出することを正式発表の前にもらされて、大迷惑を被った前歴がある。大マスコミTBSを親会社にしているにしては(あるいはだからか)あまりにもお粗末な情報管理ではないか。

更に、これは岡田彰布監督を担いだオリックスにも言いたいが、少々の不振でチームをガタつかせないこと。とにかく、この両チームに共通するのは、フロント、親会社のこらえ性がなさすぎること。有為な人材の招聘に成功したのだから、せめて契約期間内は、腰を据えて監督に仕事をさせて欲しい。あなた方のチームは所属リーグの断トツの最下位だったのである、それもそれは一過性のものが原因とは思えない。その自覚なしにチームの再建はないと思うのだが、さて・・・。

ソフトバンクを去る時、別れを惜しむ教え子達が、せめて引っ越しの手伝いをと申し出るのを丁重に断った尾花は

「日本シリーズで会おう。」

と言い残して福岡を後にした。そして今日、円陣を組んだジャイアンツの面々に対して

「いい思い出と感動をもらった、4年間ありがとうございました。」

と感謝の言葉を述べてチームを離れて行った。別れの地となった東京ドームは、現役時代、尾花が死力を尽くしてジャイアンツと戦った場所。4年間の本拠地時代を経て、来年からはまた敵地として乗り込むことになる。それに対して原は

「残念だが有意義な4年間だった、これからは高いレベルで勝負したい。」

とエールを送った。感情のもつれはとりあえず胸にしまいこんだ、スポーツマンらしい決別であった。

映画もドラマもあまり見ない筆者ではあるが、森繁久弥という俳優が日本の芸能史に記した足跡の大きさ、重さがどんなものであるかくらいは認識しているつもりである。まさに「巨星墜つ」、96歳、稀代の名優の大往生であった。先日の三遊亭円楽師匠といい、決して引き継ぐことのできない1人の人間の芸というものの偉大さ、尊さそしてはかなさ・・・名人、名優に代わりはいない、その厳粛たる事実に改めて、心を虚しくするしかない。

森繁久弥さんのご冥福を心からお祈りいたします。

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2009年11月 8日 (日)

「日本一、奪回しました!」

2002年、原辰徳監督率いる読売ジャイアンツは、圧倒的強さで日本一を勝ち取った。その年のシリーズの相手は、それまでジャイアンツが何度も煮え湯を呑まされてきた西武ライオンズだったが、見事4タテで退けての栄冠だった。当時のライオンズの監督だった現ジャイアンツヘッドコーチ伊原春樹は

「若さにあふれた素晴らしく強いチームだった。」

と素直に称賛の言葉を述べている。だが敵将をここまで脱帽させたはずの強いチームが、翌年には崩壊してしまう、たった1人の選手の離脱の為に。その選手とは言うまでもなく、不動の4番、そしてチームの大黒柱であった松井秀喜その人である。以来、7年の間、決別した両者は互いの夢を実現すべく、苦闘の日々を過ごして来た。そして奇しくも今年2009年、松井はニューヨーク・ヤンキースを自身の移籍以来、初めてのワールドチャンピオンに導き、日本人初のシリーズMVPに輝く働きを見せ、それから遅れること数日、彼の古巣ジャイアンツも北の大地札幌で悲願の日本一奪回を果たして見せた。本当に長い7年間であった。

こんな言い方はかえって失礼になってしまうのかもしれないが、それにしても北海道日本ハムファイターズというチームは強かった。自分のごひいきチームの戦力を過大評価し過ぎていたのだろうが、正直連日このようなしんどい試合を強いられるとは、シリーズ前は考えてもいなかった。ダルビッシュが本調子だったら、全く逆の目もあったかもしれない。ジャイアンツの日蔭者とまで嘲られていたチームが、勇躍北海道に新たなる天地を求めてから早いもので6年が過ぎた。札幌ドームでの3戦、ジャイアンツファンはライトスタンドの一隅に追いやられ、あとは見渡すかぎりファイターズファン一色であった。かつて北海道と言えばジャイアンツの「金城湯池」だったなんて、もう誰も信じないだろう。過去の栄光と人気にあぐらをかいたジャイアンツの怠慢もあるが、様々の企業努力の末、完全に北海道の大地に根付き、なおかつ6年間で3度のリーグ優勝と日本一一度という強靭なチームを作り上げたファイターズの監督、選手そしてスタッフのみなさんに改めて敬意を表したい。

そして、そんな素晴らしいチームを打ち破っての日本一奪回だからこそ、その価値はまた大きいのである。筆者はジャイアンツに1つ謝らなければならない。前回、ジャイアンツは札幌ドームのような広い球場向きのチームではないと書いた。しかし、第5戦は4戦目の流れをそのまま引きずったようなエラーの失点からスタートしたが、以来今日の試合まで、ジャイアンツは粘り強く、辛抱強く戦い、そして接戦を競り勝って見せてくれた。ジャイアンツは確かに大味なゲームにその本領を発揮するチームではあるが、しかし競り合いでも堂々、相手をねじ伏せることのできるチームに進化していたのである。今年のジャイアンツは本当に強かった、完璧な勝利である。ファンとして胸を張って、そう言わせてもらう。

シリーズのターニングポイントはどこにあったのか、やはり月並みだが、第5戦の亀井の起死回生とも言うべき同点本塁打か。外せなんて言って、本当に申し訳ありませんでした。でも、8回の大道の執念の同点打も忘れられないし、その前の誰が見ても、見え見えの盗塁を初球からいとも簡単に決めて見せた代走鈴木尚広のプロフェッショナルぶりも見逃すわけにはいかない。

このシリーズ、ジャイアンツ自慢の強力打線は残念ながら機能したとは言い難い。小笠原とラミレスはそれなりの存在感は示したが、しかし分断されて、シーズン中のような破壊力はついに発揮できず、松本の走攻守に渡る活躍は光ったが坂本、亀井、谷は安定感に欠けた。打線の迫力なら明らかに相手の方が上で、事実今日だってポンハムはジャイアンツをしのぐ毎回の10安打を放っているである。それでもポンハムはとうとう今日の試合では1点もとれなかった。長いシーズンでもチーム防御率2点台を誇った強固な投手陣が立ちはだかった結果である。

シリーズ中盤から、ジャイアンツは稲葉、スレッジという相手のキーマンとなる左打者をほぼ沈黙に追い込むことに成功した。2番森本の不振にも助けられ、他の打者が好調でもポンハム打線は分断され、こちらのミスが続いた4戦以外、相手に大量点を与えることはなかった。そしてこの好投を引き出したのはやはり、キャプテン阿部慎之助の好リード。5戦のサヨナラ、そして今日の先制決勝打はもちろんあるが、阿部のMVPは当然の結果であろう。思えば昨年のシリーズは肩の負傷で、阿部は全く捕手として働くことができなかった。2年越しのリベンジとも言えた。そうそう、第2戦の不甲斐ない投球から一変、今日は東野緊急降板というアクシデントからチームを救った内海のナイスピッチングはやればできるじゃんというところである。

その内海を自ら、マウンドまで足を運び、6回途中でスパッと替えた原監督の采配には全く驚かされた。絶対早い、テレビの前で思わず絶叫してしまった。後を継いだ豊田が2安打されながらも、なんとか無失点で切り抜けたのはよかったが、問題は越智だよなぁという予感は的中。8回ツーアウトからクルーンを出すことに。更にベンチを見渡すと高橋尚もM中村もおらず、このリードを守り切れなかったらほぼ負けという陣容。9回は正直、心臓が止まるかと思ったが、稲葉、高橋をよく連続三振に切って取ったねぇ。なかなか3人ですんなり終わらせてくれないのが玉にキズだが、それでも今年のクルーンはよくしのいでくれたと思う。シーズン中は無敗を誇りながらも、シリーズに入って痛いサヨナラを食うなど、安定性を欠いてしまった相手のクローザーとの経験の違いを見せつけてくれたと言っていい。

そして我らが原辰徳である。敵地で10回舞った後の勝利監督インタビューで、まずは戦い終えた敵と相手ファンを称えたあとで、高らかに今日のタイトルの言葉を口にした。WBCからついにここまで、駆け抜けそして上り詰めた我が大将、もうカッコよ過ぎです!もうただ感謝感謝の一言である。

思えば、今年はリーグ優勝もCS優勝も、そして今日の日本一もすべてリアルタイムで見ることができた。こんな幸せな年があっただろうか、ジャイアンツファンで、原辰徳を信じていて本当によかった、そう実感し続けた1年であった。サイコー!!!

最後に意外なニュースが飛び込んで来た。木村拓也選手が今シーズン限りでの現役引退を発表したのである。前回、もう使うななんて書いてしまったが、あれはあくまでこの短期決戦でのこと。当然来シーズンも今まで同様、いぶし銀の活躍をしてくれると信じていただけに本当に驚いた。今年は残念ながら、打撃は不振であったが、それでも06年途中の移籍以来、随所にプロを感じさせるプレーを披露して、チームに貢献してくれた。あのアクシデントで捕手が不在となり、10年ぶりのマスクを自ら買って出て、見事に延長最終回のホームを守り抜いた試合は今年のハイライトシーンの1つであることは間違いない。どう考えても、まだやれるとしか思えないのだが、それでも広島カープで花開いた選手だが、彼のプロ野球選手としての故郷は他でもない日本ハムファイターズ。そのチームと日本シリーズを戦い、そして自身初の日本一を花道に引退するのだから、キムタク本人は悔いはないのだろう。今後はチームに残って、後進の指導に当たってくれるとのこと。まずはお疲れ様でした、そしてこれからもよろしく。

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2009年11月 4日 (水)

負けに不思議の負けなし(怒)!

4点差ツーアウト1塁ながら3番がヒットを放ち、前の打席ようやくホームランを打った4番につながり、さぁ最後の楽しみをと思った途端に、バッターランナーがノタノタと不必要な2塁を狙ってタッチアウト。今日の試合を象徴するような間抜けな結末であった。

第2戦も酷かったが、今日もそれに輪をかけたポロ試合。勝ちたくないのかとすら思える試合運びで、これで勝とうというのがおこがましい。野球の神様から罰が下されるのが当然の報いである。

なにから書いていいかわからないくらい腹立たしい試合だったが、まずは昨年同様、申し訳ないが高橋尚成への攻撃から始めさせてもらおうか。初回は3者三振の素晴らしいスタートだったらしいが、それで力を使い果たしたのか2回からはもうヨタヨタのピッチング。3回に集中打を浴びて4失点は日曜の内海と全くおんなじ。ツーアウトランナーなしから突然4点とられた内海のピッチングにも呆れたが、今日も尚成がせめて2点で踏ん張ってくれれば、試合は当然まだどうとでもなったはずだ。更に許せないのが5回に相手の4番に不用意な投球で浴びせられた一発。あれはいわゆる「東京ドームアーチ」だが、そんなのは言い訳にもならず、あれは今日の事実上のトドメとなる「痛打」であった。内海ともども精神的に弱過ぎる!

ただ、今日の尚成に多少の同情の余地があると思うのは、初回最高の立ち上がりをしながら、味方がその裏と次の回と絶好のチャンスを潰して、水を差されて乗り切れなかったのは間違いない。初回のノーアウト1、2塁のあとのクリーンアップ3人の無為な凡退の仕方、2回のワンアウト3塁からの木村拓也のむずかしいアウトコースに手を出してのセカンドゴロ、相手の投手が粘り強かったのは認めるが、あまりにも策も芸もなさすぎた。

悪いがこのシリーズ、木村はもう使わない方がいいね。初球を打って前進守備のセカンド正面のゴロに倒れた時と、3回に確実にアウトを1つ増やす場面で、判断ミスでセカンドを見てしまってオールセーフにしてしまった場面は、いずれもその直後に原監督の「なにをやってるんだ」と言わんばかりの表情が大写しになったが、5回、ヒットで出塁したのはいいが、次打者大道が懸命に粘ってフルカウントまで粘ってさぁというところで、なんと牽制で誘い出されてタッチアウト。あそこまで絵に描いたドッチラケを演じられてはもはや言葉もない。そして、これはまぁ前打者の阿部チャンがライトフライに倒れた時点でほぼジエンドにはなっていたのだが、8回の帳尻合わせの反撃でも三振チェンジでダメ押しまでしていただいた。敗戦投手が尚成なら「敗戦野手」はまぎれもなくキムタク、短期決戦でこういうドンケツ選手を使うのは、命取りになる。

相手を上回るヒット数を放ちながら、このような大敗を喫したのはもちろんペンチワークにも問題がある。とにかく、ずっとノーアウトでランナーを出しながら、ほとんど点にならないんだから、選手のせいにばかりはできないだろう。昨年のシリーズでも、相手の嫌がっているキムタクを途中からなぜか若い寺内に替えた不可解な選手起用があったが、こういうことをやっていると繰り返しになるが、短期決戦では致命傷になる。相手投手の左右なんて気にせず、ここはもうセカンドは守備もよく、打撃も堅実な古城で固定するべきだし、谷と李を相手に合わせて使い分けるなんて「優雅な」ことをしている余裕ももはやない。ポンハムと決定的に違うのはクリーンアップの迫力。敵のクリーンアップはチャンスになればなるほど、存在感を増すというのに、こちらのクリーンアップときたら、勢いに水を差す有様だから嫌になる。不振が長引く傾向のある亀井は、見切り時ではないか。

形の上ではタイになっただけだが、ジャイアンツは正直苦しくなったのではないか。とにかく負け方が悪過ぎる、明日の第5戦をとるのはもはや必須条件となってしまった。ジャイアンツは残念ながらはっきり言って、広い札幌ドーム向きのチームではない。狭い東京ドームで空中戦で相手を圧倒するのが持ち味であり、それがはまったのが昨日の試合だったわけで、ただ単に札幌でのあの圧倒的なポンハムびいきの敵のアドバンテージだけではない不利がある以上、明日を落とすことは絶対に許されなくなった。今日の試合は東野も外れていたが、明日は中4日でゴンザレスを行かざるを得なくなった。ただ、ゴンちゃんは間が空き過ぎても、詰まり過ぎても良くないタイプだけに、明日も早めの継投が必要になるのかなぁ。

まぁ今日の負けの中で、辛うじて光明を見出すとすれば、ホームランが欲しくてバッティングが滅茶苦茶になっていたラミレスに逆方向への一発が出たことで、少しは頭の血が下がってくれたのではないかということと、敵から見れば左うちわになりかねなかった試合で、とにもかくにも敵のクローザーを引っ張り出す展開にまで持ち込んだこと。明日はいよいよ泣いても笑っても、今シーズンの東京ドーム最終戦。ここは打線に奮起してもらって、勢いつけて札幌に乗り込めるよう、期待したい。

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