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2009年11月12日 (木)

さらば、名伯楽

セリーグ三連覇を達成した日、原辰徳監督は1年間、苦労を共にしたコーチングスタッフをねぎらった後、こう呼びかけたと言う。

「来年もこのメンバーで一緒にやりましょう。」

その言葉を尾花高夫投手総合コーチは、どんな思いで聞いていたのだろう。尾花コーチは(いやもう前コーチと書かなくてはならなくなってしまったのだが)今年最後の戦いである「日韓チャンピオンシップ」を2日後に控えた今日、原監督以下の戦友達に、最後の別れを告げて、4年間在籍したジャイアンツを去って行った。もう原の横で、常に冷静に戦況を見つめ、自軍のピンチにも、そのクールな風情を崩すことなくマウンドに足を運ぶ尾花の姿を見ることはない。

尾花を「名投手コーチ」と認めない人は球界に1人もいない。95年に当時の広岡達朗GMに見そめられ、解説者から投手コーチとして千葉ロッテマリーンズに入団して以来、ヤクルトスワローズ、福岡ダイエー・ソフトバンクホークス、読売ジャイアンツと今日まで1度も途切れることなく、4チームを渡り歩き、数々の投手を育て上げ、チームの投手力を向上させ続け、7度の優勝を経験した。最初の「上司」であったボビー・バレンタインとはソリが合わなかったようだが、以降野村克也、王貞治そして原辰徳と個性豊かな監督達に仕え、支えまた絶大な信頼を得て来た。

現役時代はスワローズ一筋、「ジャイアンツキラー」して名をはせた尾花。その後もジャイアンツとは全く無縁の野球人生を歩んできた彼が、05年オフにひょっこりジャイアンツにやって来た時、筆者は驚くと同時に大歓迎した。尾花とジャイアンツの結びの神は王だった。家庭の事情で自らの下を去る尾花の才能を惜しんだ王は、次の就職先として古巣ジャイアンツを紹介する。当時のジャイアンツは投手陣の崩壊から、先の見えない低迷に陥っており、責任をとって堀内恒夫監督の退任は確実視されていた。その後任人事も固まる前から、尾花の入団は決まっており、当初は彼の事情も考慮され、2軍投手コーチへの就任が予定されていたのだが、遅れて復帰が決まった原が是非、1軍でと要請、投手総合コーチの肩書で、事実上1、2軍の投手を統括するポジションにつくことになった。

彼の手腕は既に、その時点で球界に知れ渡っており、ジャイアンツにとっては、願ってもない人材と言えた。実際、以降ジャイアンツ投手コーチとしての尾花の足跡、実績は今更ここで振り返るまでもない。そして、今年ジャイアンツは12球団唯一のチーム防御率2点台を達成、堂々と日本一の座を7年ぶりに奪回した。投手コーチとしての尾花の名声はもはや揺るようもないまでに高まったと言っていい。

原が、ジャイアンツの球団首脳が、そんな尾花をどう評価していたか、それは彼に対してコーチとしては異例の2年契約を昨年、結んでいたことからもはっきりわかる。なんとしても流失は避けたいという意思が見て取れる。尾花にとって原は、初めての年下の上司だったが、彼らの仲は良好と見られていた。

だが優秀な人材が他から狙われるのは、いずこの社会でも同じである。横浜ベイスターズは昨年オフも尾花引き抜きを画策したフシがある。尾花の複数年契約は当然、その防御策の側面があったのだが、横浜の次なる一手はジャイアンツの予想を上回っていた。そう監督就任要請である。

尾花が横浜の次期監督候補に挙がっているという報道が最初に出たのは、9月の頭だったと記憶する。そのニュースを見た時の筆者の感想は

「やられたな。」

というものであった。尾花がジャイアンツと複数年契約を結んでいることは知らなかったが、投手コーチとしての移籍打診ならともかく、監督ということならば、尾花の心が動くのは容易に想像できた。そして、その後、田代監督代行の退任、2軍監督復帰を早々に発表しながら、後任についての言及を一向にしようとしない横浜の態度に、いよいよやばいと感じざるを得なくなった。明らかにジャイアンツの一員として、熱い戦いの只中にある尾花の解放待ちというのがミエミエだったからである。そしてついに、ジャイアンツのCS突破直後に「尾花氏、次期横浜監督就任」のニュースがいっせいにマスコミに流れたのである。

このニュースの直後のジャイアンツは、大袈裟に言えば一種の恐慌状態に陥ったらしい。大事な日本シリーズの前に、ということもあったが、有能な人材がチームの機密事項を手土産に、来季から敵チームの監督になることへの恐怖からであった。原監督に代わって、尾花の本心を問いただそうとして伊原ヘッドコーチは、彼を怒鳴りつけたそうだし、一時は尾花をシリーズのベンチから外すというニュースまで流れた。

結局、原に促される形で、尾花は騒動についてナインに謝罪。シリーズ制覇にこれまで同様、全力を尽くすと語って、当面沈静化するのだが、それにしても、そのニュースを見た時、筆者はなんと心ないことを言うのだと思った。仮にも尾花は原復帰以来、苦楽を共にしてきた腹心、今更機密もへったくれもないではないか。原と共に1軍のベンチで4年間戦い抜いたスタッフは尾花の他にはもう、篠塚和典と村田真一しかいなくなっていた。尾花の手腕なくして、堀内でも手の施しようのなかったあのオンボロ投手陣をここまでにすることは、絶対にかなわなかったろう。だいたい、一般人の筆者ですら、そう感じたというのに、ジャイアンツの面々は本当に、尾花が横浜に行ってしまうとは、あの報道が出るまで全く考えなかったのだろうか。だとしたら、相当間抜けな話だと思うのだが。

シリーズ終了まで、尾花は黙々と職責をこなし、ジャイアンツは日本一になった。そして、彼は去って行った。まもなく尾花の肩書は「前ジャイアンツ投手総合コーチ」から「横浜ベイスターズ監督」に替わる。

尾花の流出は、正直相当な痛手である。彼の存在感の大きさ、能力そして確かに投手陣を中心としたチーム機密は根こそぎ持って行かれたのは間違いない。そんな彼の出処進退を批判することは可能であろうし、特に原以下の現場スタッフや選手達が、彼に大きな不信感や不快の念を抱いたとしても無理はないと思う。しかし、古い言葉ではあるが

「男子と生まれたからには、1度はやってみたいものは連合艦隊司令長官、オーケストラの指揮者そしてプロ野球の監督。」

なのである。投手コーチとして、もう尾花はこれ以上ない名声を手に入れた。そんな彼が次の自らの可能性を求めるとしたら、それはもう「監督」というポジションしかない。まして、チャンスはそんなに転がっているものではないのだとしたら、それにチャレンジしたいという尾花の気持ちを抑えようとするのが無理なことではないか。

いや、そんなことはジャイアンツ側も百も承知なのだろう。契約をタテに尾花を強く慰留いることはできたはずである。一部には監督要請があった場合は、契約解除に応ずるという項目があったとの報道もあったが、その真偽はともかく、無理矢理尾花を引きとめたところで、チーム内のしこりや尾花本人のモチベーションということを考えても、ジャイアンツフロントは「大人の判断」をしたということになる。日本一のチームとして、45ゲーム差の最下位に沈んだチームへのはなむけと、ここは鷹揚に構えるしかない。

尾花の後任には2軍の斎藤雅樹コーチが昇格する。尾花の在任4年の内の前半2年コンビを組んだのが斎藤、後半2年が香田勲男、来季はこの2人がコンビを組む。身近にいて尾花のやり方はよく学んだはずである。尾花はジャイアンツの機密を持って行ったかもしれないが、逆に名投手コーチとしてのノーハウを彼らに、そしてチームに残していったはずである。それを生かすも殺すも、彼ら2人の双肩に委ねられた。そして尾花コーチの指導は、多くのジャイアンツの投手達に残されたはずだ、それを生かすも殺すもそれもまた、本人達次第となる。

そして一方の尾花である。これから明確に敵となる人物に対して、エールを送る度量を筆者は申し訳ないが、持ち合わせてはいない。しかし名投手コーチ、名監督たり得るかという点については興味がある。かつて、投手出身者は監督としては成功しないというのが球界の定説であったが、故藤田元司さんの成功以降、その声も薄らいでは来ている。がその後も、優勝監督となったのは投手出身者は星野仙一、東尾修くらい。鈴木啓示、山田久志といった大投手も見事に失敗している。

横浜にはかつて、尾花と似たような経歴の監督がいた。就任1年目にいきなり、横浜を30年ぶり2度目の日本一に導いた権藤博である。その型破りな言動や采配、指導はスポーツ紙はおろか、ビジネス誌でも取り上げられたほどだったが、それから10年。今、監督権藤の足跡に対しては否定的な評価が定着している。

投手陣の再建、育成に関する尾花の手腕について今更、どうこう言う必要は全くない。横浜のオーナーもその面での尾花の実績を評価しての招聘だとはっきり言明している。それはそれで良い、しかし当たり前だが、「投手コーチ」と「監督」の職責、立場は全く違う。尾花という人は、オフも関係なく、緻密にデータを分析、そこから得た結論はガンとして譲らない厳しい指導だったと聞く。しかし、監督となった以上、今までと同じことは絶対にできない。投手コーチは投手のことだけ見てればいいのだが、監督はそうはいかないからだ。不得手と言うか、未知の分野にどういう人材を配置するかも大事だが、意外な盲点かもしれないが

「尾花監督の下に尾花投手コーチはいない。」

という事実を尾花本人がどれだけ自覚できるか。さもないと思わぬ落とし穴に陥りかねない。

もう1つ、余計なお世話ついでに言わせてもらおう、横浜球団に対してである。まず、大事な日本シリーズを前にしたあの時期に、あんな報道が一斉に出てしまうのはなぜなのか。横浜にはジャイアンツは、門倉健投手をFAで獲得した際、人的補償で工藤公康投手を放出することを正式発表の前にもらされて、大迷惑を被った前歴がある。大マスコミTBSを親会社にしているにしては(あるいはだからか)あまりにもお粗末な情報管理ではないか。

更に、これは岡田彰布監督を担いだオリックスにも言いたいが、少々の不振でチームをガタつかせないこと。とにかく、この両チームに共通するのは、フロント、親会社のこらえ性がなさすぎること。有為な人材の招聘に成功したのだから、せめて契約期間内は、腰を据えて監督に仕事をさせて欲しい。あなた方のチームは所属リーグの断トツの最下位だったのである、それもそれは一過性のものが原因とは思えない。その自覚なしにチームの再建はないと思うのだが、さて・・・。

ソフトバンクを去る時、別れを惜しむ教え子達が、せめて引っ越しの手伝いをと申し出るのを丁重に断った尾花は

「日本シリーズで会おう。」

と言い残して福岡を後にした。そして今日、円陣を組んだジャイアンツの面々に対して

「いい思い出と感動をもらった、4年間ありがとうございました。」

と感謝の言葉を述べてチームを離れて行った。別れの地となった東京ドームは、現役時代、尾花が死力を尽くしてジャイアンツと戦った場所。4年間の本拠地時代を経て、来年からはまた敵地として乗り込むことになる。それに対して原は

「残念だが有意義な4年間だった、これからは高いレベルで勝負したい。」

とエールを送った。感情のもつれはとりあえず胸にしまいこんだ、スポーツマンらしい決別であった。

映画もドラマもあまり見ない筆者ではあるが、森繁久弥という俳優が日本の芸能史に記した足跡の大きさ、重さがどんなものであるかくらいは認識しているつもりである。まさに「巨星墜つ」、96歳、稀代の名優の大往生であった。先日の三遊亭円楽師匠といい、決して引き継ぐことのできない1人の人間の芸というものの偉大さ、尊さそしてはかなさ・・・名人、名優に代わりはいない、その厳粛たる事実に改めて、心を虚しくするしかない。

森繁久弥さんのご冥福を心からお祈りいたします。

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