文化・芸術

2009年3月31日 (火)

ブラックマーチ

2008年度のA級順位戦は史上まれに見る激戦になると思っていたが、予想に違わぬ大混戦であった。最終戦を迎えて、名人挑戦者も2人の降級者も全く決まっていなかったのは、かなり久しぶりだったのではないか。

去る3日に行われた「将棋界の1番長い日」、A級順位戦第9局の一斉対局。中でも最大の注目カードは挑戦権をかけて争われた郷田ー木村戦ではなく、敗れた方が降級という文字通りのサバイバル戦となった谷川ー鈴木大戦であったことは間違いない。

言うまでもなく谷川は17世名人資格保持者、99年の中原誠以来、史上2人目の永世名人のA級陥落の危機だったが、勝負は早々に谷川勝利。谷川はさすがの底力を見せつけ、逆に鈴木大介八段は3年ぶりのA級復帰も、わずか1年でまたB1に逆戻りの憂き目を見ることとなった。

かくして、残る1人の降級は三浦弘行八段か深浦康市王位のどちらかに絞られた。前期は羽生現名人と挑戦者争いを繰り広げ、今期は自己最高位の2位まで順位を上げた三浦は、序盤は快調に飛ばしていよいよ今期は挑戦かと、思わせた時期もあったのだが、途中から一転連敗街道に突入、そして谷川が勝った少し後に、森内俊之九段に敗れ、3勝6敗。前期とは一転、首を洗って待つ身となった三浦は感想戦の最中、ずっと世界で僕ほど不幸な人はいませんといわんばかりの沈痛な表情のままであった。

筆者が仕事を終え、帰宅したのは12時過ぎ。上記2局は既に終わっており、少し経つと郷田ー木村戦は郷田真隆九段が勝って、2年ぶり2度目の挑戦権獲得。直接対決で郷田を叩いて、なんとかプレーオフに持ち込みたかった木村一喜八段は1歩及ばず、藤井猛九段に勝って、プレーオフ進出に望みをつないでいた佐藤康光棋王の夢も絶たれることになった(ちなみにキチンと調べたわけでないので、間違っているかもしれないが、ここ何年か、この将棋界の1番長い日を見ているが、藤井が勝ったのを見たことないような気がするのだが・・・)。

そして残るは深浦と丸山忠久九段の一戦のみ。対局が始まる時点では自力残留の目がなかった深浦だが、三浦が敗れたことにより、とにかく勝てば3度目のA級登場で初めて残留できる。昨年、羽生から王位を奪取、今年もその挑戦を返り討ちにしたほどの実力者が、なぜかA級戦では星が伸びない。過去2回は順位に泣いた不運な陥落だったが、今回はタイトルホルダーとして臨んだA級戦。無様な真似はできないはず、だったが・・・。

既に残留の決まっている丸山は、焦る深浦をあざ笑うかのように落ち着いた重厚な差し回し。そしてついに午前1時過ぎ、深浦投了。ここに史上初の現役タイトルホルダーのA級陥落が決定した。3回続けてのアタマハネでの陥落は確かに不運ではあるが、タイトルホルターとして3勝6敗の成績は褒められた内容ではない。

一方の三浦は土壇場で命拾い。A級在位今年で7年目の三浦だが、最終戦を待たずして、残留を決めたことが2度しかなく、常にきわどくA級の座を死守して来た。人呼んで「残留の神様」、まさに面目躍如と言ったところであった。

A級陥落の痛手を癒す間もなく、深浦には大勝負が待っていた。羽生に挑戦している王将戦、3勝2敗と羽生をカド番に追い込みながら、第6局を返されタイ。ここ2年の王位戦では羽生の猛烈な追い上げを跳ね返してきた深浦、ここで羽生を七番勝負で3タテして、2冠となれば、いよいよ深浦時代到来の第1歩を記せる。是が非でも負けたくない、はずだったのだが・・・。

最終局は終始羽生リードの展開。深浦も粘ったが、羽生の完勝と言っていい内容だった。王位戦で深浦に返り討ちに合い、竜王戦で渡辺に手痛い逆転をくらったものの、森内から名人位を佐藤から棋聖位を奪って4冠として、2008年度の戦いを終えた。もう1度7冠に手が届くかもしれない、そんな予感さえ抱かせる羽生の牙城はしばらくは揺るぐ気配はなさそうだ。逆に深浦には、なんともつらい3月、まさに「ブラックマーチ」となってしまった。タイトルホルダーの意地にかけて、またやり直しである。

深浦、鈴木に代わってA級に上がるのが高橋道雄九段と井上慶太八段という両ベテラン。高橋は5期ぶり、井上は実に10年ぶりのA級復帰、失礼ながら大万馬券と言っていい。この頑張りには心から敬意を表するが、今のA級の壁は厚い。結局今期も鈴木、深浦という昇級組が、そのままB1に送り返される形になった。彼らの健闘を祈るばかりである。

そしてこの両ベテランが抜けたB1級はなんとタイトルホルダーが、今日佐藤を破って、念願の初タイトルを獲得した久保利明棋王を含め3人が在籍する「豪華版」。逆に佐藤が7年ぶりに無冠に転落し、羽生4冠が順位戦に参加しないこともあり、A級順位戦は現時点でタイトルホルダーが1人も参加しないことになった。これも珍事ではないだろうか。

羽生時代はまだまだ続きそうだが、その一方で久保の初戴冠、佐藤の無冠転落、そして中原の引退、更にはこれまで先手番有利が当たり前であった将棋界の常識を覆すように、今期は記録をとりはじめてから、初めてプロの棋戦で後手番が先手番に勝ち越したのだそうだ。時は確実に流れている、そんなことを実感させられる将棋界の3月であった。

いよいよ「2008年度」は今日で終わりである。そして、それはむろん、将棋界だけのことではない。

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2009年3月14日 (土)

そして、大棋士は去った

正直なことを言えば、遠からずこの時が来ることはわかっていた。しかし、それがいざ、現実のものとなってしまうと、やはり寂しい。3月11日、中原誠16世名人が今月一杯での現役引退を表明した。その前日に現役最年長棋士、73歳の有吉道夫九段が来期の現役続行を自力で勝ち取ったというニュースが流れたばかりだけに、感慨もひとしおという気がする。

入院直後は軽症を伝えられ、すぐにでも復帰するような話も流れたが、結局はそのまま今月末までの休場が発表されたのが、昨年の9月末。以来、その動静が全く伝わって来ず、容態が心配されていたが、先月の5日に退院していたそうだ。それから1ヶ月余り後の引退表明、この間の時間は、中原にとっては、自分で自分を説得する為の時間だったのだろう。

往年のライバル、米長邦雄現日本将棋連盟会長と共に会見に臨んだ中原は、しっかりとした口調で記者団とのやりとりをこなした。言語障害が残らなかったのは、幸いなことではあったが、左半身の麻痺が思うように回復せず、それが結局、現役続行を断念する決定打になったようだ。会見の様子は、7時のNHKニュースでも取り上げられ、翌日の朝刊各紙でも、それなりのスペースで報じられていた。中原という棋士の存在の大きさが改めて示されたと言っていい。

戦後の将棋界は戦前から続いた木村義雄の時代が昭和20年代後半には終わりを告げ、以降は大山康晴、中原誠、羽生善治の3人がそれぞれ一時代を築いた、いわば「戦後の三傑」である(羽生時代はまだまだ継続中であるが)。升田幸三、米長邦雄、谷川浩司といった面々はむろん将棋史に残る棋士ではあるが、所詮彼らは三傑の好敵手止まりであり、彼らの時代というのはついに訪れなかった。そこには埋め難い決定的な差がある。

その三傑の足跡を改めて振り返ると、はてと思うことがある。中原という棋士は、それぞれの記録で先人大山についに及ばず、また羽生にその記録を塗り替えられつつある。彼の手に残ったレコードというのは、年間最高勝率くらいのものである。一時期は全く他を寄せ付けない程の強さを誇ったにしては・・・という感は否めない。

1つの数字がある。73勝110敗勝率.399、これは世紀が21世紀と変わった2001年から今日までの中原の対局成績である。この中には、最後に喫した5つの不戦敗が含まれているから、大甘でそれを差し引いて計算しても勝率は.410。これを中原の生涯成績1308勝782敗勝率.626と比べて見てほしい。彼の「晩年」の苦闘が目に浮かぶではないか。

昭和40年代中盤から平成初期にかけて、文字通り棋界に君臨した中原であったが、平成5年、つまり1993年に宿敵米長に屈辱の4タテをくらって、名人位から3度目の陥落を喫して以降、急速に衰えを見せる。タイトル戦の常連だった彼が、その年王将戦に挑戦者として登場したのを最後に、ついに2度とタイトル戦に姿を現すことが出来なかった。チャンスは何度かあったのだが、どうしてもあと1歩が及ばず、記憶に新しいところでは今から6年前の竜王戦、当時の羽生善治竜王への挑戦まで後1勝と迫りながら、森内俊之九段に敗れ、多くの将棋ファンが望んだ羽生ー中原のタイトル戦を幻としてしまった。結局、羽生とのタイトル戦は1度も実現せず、本人も記者会見でそれが唯一の心残りだと言っていた。

1999年には一流棋士の証ともいうべき順位戦A級からも陥落、カムバックを目指してその後2年、B1クラスで指したものの、思うような成績が残せず、ついにフリークラスを転出。名人在位15期を誇る永世名人資格保持者が、名人位を目指す戦いから自ら撤退してしまったのである。人間誰しも、年齢から来る衰えから逃れられるものではない。しかし、前王者大山との比較から言っても、中原の衰退ぶりはあまりに早すぎた。その大きな理由の1つが「あの事件」であったことは、疑いない事実であろう。

中原を語る上で、どうしても避けて通ることができない林葉直子元女流棋士との不倫騒動。林葉の暴露によって明かされた衝撃的な事実が、センセーショナルに報じられた結果、それまで完全無比の大名人と思われていた中原のイメージは一変、世間で笑い者になるだけでなく、将棋界での権威も一夜にして失墜してしまったのである。人の評価というのは恐ろしい、あの事件で今までとは一転、軽蔑の対象になってしまった中原は本来スキャンダルとは全く関係ないはずの本業将棋まで勝てなくなってしまったのだ。

年をとってからの火遊びは命取りとは昔から、つと言われることではある。品行方正、将棋一筋だった中原にとって林葉はまさにとんでもない「禁断の果実」だったのだろう。彼が、林葉との情事に溺れている間に、将棋界には羽生、佐藤康光、森内を筆頭にしたいわゆる「羽生世代」の俊秀達が台頭し、長年中原に頭を抑えられ続けて来た宿敵米長は、プライドを捨て、彼らに教えを請い、打倒中原への執念を募らせていた。中原にとっては悔やんでもあまりある「タイムロス」であった。

最近の中原は、前述の竜王戦のように、思い出したように「腐っても鯛」的存在感を示すことはあっても、もはや過去の人になり切ってしまった感が強かった。そんな彼が、一昨年の秋に、現役のまま16世名人を名乗ることになったと聞いて、筆者は危惧の念を抱いた。そして案の定、黒星を重ね続ける中原の姿に筆者は失望した。ところが、昨年の3月末、当時の森内名人に勝って、永世名人襲位後ようやく初白星を挙げると、突如覚醒したかのように暴れ始めた。

森内の後、佐藤2冠(当時)も撃破して竜王戦本戦入りをかけて羽生2冠(当時)に挑むもこれは敗れた。しかしその羽生を銀河戦で破ってお返しをするなどA級、B1級のトップどころをなで斬りにする活躍を見せた。

事実上、最後の対局となってしまったのは対木村一基八段戦。その彼を降した後の感想戦途中に不調を訴え、入院そして今日の事態を迎えることとなったのだが、最後の一局をバリバリのA級棋士相手に見事勝利で飾り、そして考えてみると羽生、佐藤康、森内という当代ビック3ともいうべき3人との最後の対戦をすべて白星で飾ったことになる。彼らとの初手合いでも中原は、すべて勝利しているが、それは当時の中原はそれこそバリバリのトップだったのだから、当たり前と言えば当たり前。だが、還暦を過ぎ、本人を含め、誰1人思っていなかったとは言え、引退を目前にしていたこの時期にこの快挙を演じたことには素直に敬服するしかない。そう言えば、順位戦A級同様、棋士としての一流の証ともされる竜王戦1組の座は、2度ほど陥落したものの、すぐに舞い戻り、とうとう最後まで守り通したのも、見事だった。

ろうそくは燃え尽きる前がもっとも明るいとも言うが、ひょっとしたら、もう一花咲かせられたのではないか、人にそんな幻想を抱かせて、中原は去った。大山の見事な晩節とは比べ物にはならないかもしれないが、やはりこの人もまた、とてつもない大棋士だったのだと、改めて実感させられる。

「勝負はもう充分、堪能した。これからは評論家として、解説や執筆の活動をしながら、のんびり過ごしたい。」

会見で中原はこう述べたと言う。我が将棋人生に悔いなし、というところなのだろう。繰り返しになるが、言語障害が残らなかったのは本当に不幸中の幸い。身体をいたわりながら、これからも将棋の楽しさ、面白さをファンに伝えていって欲しい。長い間、本当にお疲れ様でした。

最後に、4月1日付で新設され、中原が就くとされる「名誉棋士会長」とは一体なんなのだろう。中原には既に「16世名人」を始めとした「永世十段」「永世棋聖」「永世王位」「名誉王座」という、その実力で勝ち取った称号がキラ星のごとくある。そこに屋上屋を重ねるような陳腐な肩書きが必要なのだろうか?中原本人がそれを望んだのか、それとも策士米長会長一流のなにか思惑があるのか、どちらにしてもなんかすっきりしないものを感じるのは筆者だけ・・・なのかな、やはり。

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2008年6月19日 (木)

「なかなか簡単にはいかないと思ってました。」

老雄、中原誠は燃えていたはずだ。森内俊之、佐藤康光とタイトルホルダーを連破して迎えた、竜王戦5位決定戦決勝。ここに勝てば、2年連続の本戦出場が決定、そしてそれは現役タイトルホルダー3連続撃破の偉業を伴うはずであった。しかし・・・相手が悪かった。羽生善治二冠と中原のほぼ4年ぶりの対局は、羽生の完勝に終わった。

佐藤に勝ってから、一ヶ月あまり。その間、非公式戦の達人戦の対局や、表面には出ないTV対局があったかもしれないが、ここに照準を合わせていたに違いない中原に対して、しかし羽生にとっては、本当に数多い対局の1つでしかなかったろう。この対局が行われたのが6/9、その前後のスケジュールを見ても、5、6両日に名人戦第5局を甲府で戦い、11日には新潟へ飛んで棋聖戦の初戦、そして16、17日に名人戦の第6局が山形、更にこの後、19日に王位戦挑戦者決定戦、21日に愛知で棋聖戦第2局とまさに休む暇のないスケジュールである。

羽生も早いもので37歳になったそうだ、しかし、その足取りにはいささかの乱れもない。そしてついに一昨日の対局で森内から名人位を奪還、中原、谷川浩司に続く史上3人目の名人位2度目の復位を成し遂げると同時に、念願の「19世永世名人」の資格を手に入れた。羽生の実績からはむしろ遅すぎたとの声もある、森内に先を越されたのはもちろん、勢いからすれば、17世の谷川を差し置いても不思議ではなかったかもしれない。そんな声に対しての、羽生の答えが、今日のタイトルの言葉であった。栄光に慣れ、数多くの勝利も、タイトルも欲しいままにして来たと言っても過言ではない羽生にして、この言葉。「名人位」というタイトルの重さを改めて感じるしかない。

それにしても、彼は、弱冠19歳で竜王位に就いてから今日まで、トップの座をいささかのゆるぎもなく、維持し続けてきた。そして、それはこれからも、当分の間続いていくことであろう。先輩を蹴落とし、同年代のライバル達を圧倒し、そして後輩達の追随も全く許さない勝負師としてのスキのなさは「不倒」という言葉すら、捧げたくなる。

獲得タイトル数でも、前時代の覇者中原の記録はとうに抜き、あとは大山康晴の牙城に迫るのみだが、これとて単に時間の問題としか思えない。そして永世称号6つ目の獲得は大山、中原にすら出来なかった快挙。残る竜王位も永世称号まであと1期、同じく永世竜王位に王手をかける渡辺明現竜王との初代永世竜王位をかけた決戦が秋に実現したら、ファンとしてはたまらない。

前にも書いたが、羽生の凄さ、これは「簡単に土俵を割らない強さ」、ということに尽きると思う。そしてタイトルを失っても、また取り損なっても、また次の年に挑戦者として現れてくる強靭な精神力と抜群の棋力。羽生善治という棋士、そして人間としての生き様、更に勝負師としての凄さには、改めて敬服するしかない。彼の姿にこそ、「第一人者」とはかくあるべきと教えられる。ただ、ただ頭を垂れるのみである。

最後に敗れた森内に一言。羽生相手にあんな大ポカをやってしまった以上、今回の名人戦の帰趨はすでに明らかであった。今回の結果に、驚くことはなにもない。だが、永世名人の資格を得てから、丸1年。森内の精彩のなさは一体、なんなのだろう。羽生にとって森内の存在は谷川とも佐藤康光とも違う特別な存在だと思っているのは筆者の思い入れが強すぎるのだろうか。まさか羽生より先に永世名人になって、ホッと一息ついているわけではないだろうが、これからの羽生を輝かせるのは、いや将棋界を盛り上げられるかは、ひとえにこの人にかかっていると思う。史上空前の大混戦、大乱戦とも言える今年のA級順位戦、久しぶりにこの激戦の只中に身を投じることになった森内だが、前名人、永世名人資格保持者として無様な戦いは絶対に許されない。奮起に期待したい。

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2007年11月18日 (日)

将棋順位戦異聞

最初に前稿「人情、紙のごとし」に対して、KIDさんという方から抗議のコメントをいただいた。ダルビッシュ有投手は今までメジャーに対する意欲を1度も見せたことはなく、某雑誌でのインタビューにおいても、明確に否定しているので、彼に関する文章は取り消して欲しいとのことであった。

KIDさんはダルビッシュ投手個人または北海道日本ハムファイターズの熱烈なファンとお見受けする。当然、ジャイキチ一本槍の当方より、遥かに彼に対する情報はお持ちだろう。しかし、そんな方に逆らうようで申し訳ないのだが、ダルビッシュが1度もメジャー志望を口にしたことがないという点に関しては同意いたしかねる。しかし、筆者はその雑誌を見ておらず、彼がそこではっきりそう発言されたのであれば、それが現在のダルビッシュ投手の心境であることは疑う余地もない。その点、筆者の認識が間違っていたのであり、訂正してお詫び申し上げたい。

さて、現在将棋界にある7つのタイトルのうち、最高峰とされているのは現在渡辺明に佐藤康光が挑戦している「竜王戦」である。しかし、現実には長い歴史と伝統に裏打ちされた「名人戦」の存在は重く、将棋界はその予選である「順位戦」を中心に回っているといって、全く過言ではない。

「順位戦」とは文字通り、名人を頂点としたプロ棋士全員が順位によって序列づけされており、まさに現役棋士のランキングである。なんらかの事情でその序列から外れたしまった「フリークラス」の棋士もいるが、彼らの現役続行には厳しい規定があり、ある一定の規定を満たして、順位戦に復帰できないと、最終的には現役を追われることになる。逆に、5クラス編成になっている順位戦の中のトップ「Aクラス」に所属する10人とその彼らの上に位置する名人の計11名はその年の自他とも認める将棋界のトップということになる。

Aクラスとその下のB1クラスは1年間に渡って、所属棋士による総当たり戦が実施される。A級トップは名人への挑戦権を得、成績下位2名は降級となるのだが、ここ数年、上位の壁は厚く、せっかく下から上がっても、厚い壁に跳ね返され、1年で降格という光景が繰り返されてきた。今年、A級には木村一喜、行方尚史両八段が初の昇格を果たした。2人には申し訳ないが、この2人が1年後、すごすごとB1に逆戻りさせられるのは間違いないと筆者は考えていた。

ところがどっこい、様相が全く違うのである。行方は1勝4敗と苦戦を強いられているが、木村はなんと現在まで4連勝。次の相手が同じく連勝中の郷田正隆九段であり、その結果次第では単独トップにも踊り出そうかの勢いである。逆に現在2冠、挑戦争いでも対抗に押されていた佐藤が勝ち星なしの5連敗。昨年初めて、順位戦での負け越しを記録してしまったとおもったら、もう今年は早々に負け越し決定である。

更に永世名人の資格も持つ谷川浩司九段も昨日やっと久保利明八段に勝って、今期順位戦初白星。久保、行方という自分達より順位の低い不振者がいるので、まだ焦ってはいないだろうが、特に、未勝利の佐藤はやはり気持ちは悪いだろう。タイトルホルダーや永世名人資格保持者のA級陥落などがもし起こったら、これはまさに事件である。今後の2人の巻き返しに注目したい。

その下のB1は不運が重なり、なかなかA級に定着できないものの、ここでは一枚抜けている深浦康市八段(現王位)といよいよここまで上がってきた若き竜王渡辺の昇級でガチガチかと思っていたら、これもさにあらず。深浦は鈴木大介八段、高橋道雄九段の後塵を拝し、現在3番手。渡辺に至っては、「鬼の棲家」とあだ名されるほどの実力者揃いのこのクラスの痛い洗礼を受け、現在2勝5敗は昇級どころか、順位が一番下なだけに、まだ降級の危機すら脱していない。中原、谷川、羽生、一時代を築いた大棋士達はこんな所で足踏みはしていない、まして降級などということは渡辺クラスの棋士には絶対に許されることではない。奮起を期待したいものである。

最後にやや、話題は逸れるが、還暦を迎えて、先日名誉王座をその肩書きに加えたばかりの中原誠がいよいよ「16世永世名人」も名乗ることになった。一応永世十段も加え、3つの肩書きを名乗るそうだが、現実には「中原16世名人」と称されることになるはずだ。現役引退後に名乗るのが、ルールのはずの永世名人位をなぜ今、急に襲名することになったのか、首をひねらざるを得ない。河口俊彦七段曰く、将棋界のルールは人によって変わるのだそうで、15世名人の大山康晴も名人位を失って早々に、名乗っていた事実はある。

しかし、厳しい言い方になるが生涯現役A級を貫き、一線に踏みとどまったまま亡くなった大山はまだしも、今の中原に現役のままそう名乗る資格があるのだろうか?史上初の永世名人資格保持者としてのA級陥落の屈辱を味わい、順位戦での戦いも放棄した中原に残された現役の時間は長くてもあと5年。奮起して永世名人にふさわしい戦いができるのか、疑問は大きいといわざるを得ない。更にまたぞろ例の女性問題を蒸し返され、いらぬ非難も浴びる心配もある。

誰がどういう理由で中原にそれを勧め、中原もどういう心境でそれを受けたのか、筆者には全く窺うことすらできないが、現在も一部に囁かれている名人位の権威失墜に拍車をかけることになりはしないか、ウ~ン・・・。

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