日記・コラム・つぶやき

2009年11月15日 (日)

武道館へGO!

去る13日は金曜日で大安、そんな複雑微妙な(?)日を、筆者は指折り数えて待ちわびていた。いい年したオッサンが、「コンサートデビュー」を果たすのである、場所は日本武道館、公演アーチストは「アリス」である。

アリス、本当は「ALICE」と表記しなければいけないらしいが、筆者はなんとなくなじめず、まためんどくさいので、「アリス」で押し通させてもらうが、70年代後半のニューミュージック(この響きが既に古い)界を席巻し、80年代に入った途端、あっさりと活動を停止してしまったこのグループは、思春期にアイドルタレントのポスター1枚自分の部屋に貼ったこともなく、特定のタレント、グループというものに応援するということに全く無縁な、ひねくれた青春時代を過ごして来た筆者が、ただ1つ「ファン」であることを自覚していた人達であった。

彼らが活動していた時期には、コンサートに行くなどという年齢ではなかった筆者は、その後も人の歌を生で聞いてみたいという欲求が生じることもなかった。いや、彼らが唐突に再始動を宣言して全国数か所でコンサートを開いた時には、なんとしても行きたいと思ったが、日程的に全く無理であった。NHKで中継されたファイナルステージでベーやんこと堀内孝雄は

「またやらにゃ、しゃぁないな。」

と言っていたが、その後その気配もなく、生アリスを見るのは見果てぬ夢だったと、すっかり諦めきっていた筆者が耳を疑うようなニュースが飛び込んで来たのは、昨年の暮れだったろうか。

「2009年アリス復活、全国ツアーを本格的に実施。」

というのである。日程を見ると本当に「ツアー」、そしてその会場の1つに地元ともいうべき大宮ソニックシティの名を見つけた時には、大袈裟ではなく小躍りした。ついに時来たれり、この千載一遇のチャンスを逃しては一生後悔する。会社をズル休みしてでも絶対行くと固く決意し、チケット発売当日、パソコンの前に陣取ったのはよかったが、筆者の動きの鈍い旧式パソコンでは、全く太刀打ちできず、あっという間のソールドアウト。為す術なしとはこのことであった。

それでも天は我を見離さなかった、あまりの人気に追加公演決定、それもに日本武道館!まさにラストチャンス、祈るような気持ちで先行販売に申し込む。この手の抽選に当たった試しがなく、半分以上は諦めていたら、なんと当選メールが到着。実際にチケットを手にした時の感動は、これからも忘れることはないであろう。

そして当日、事件が起こる。万が一にも紛失してはなるまいと、到着した封筒のまま、引き出しにしまいこんでいたチケットを出発1時間程前にいよいよ切り離し、行き帰りの電車で読む本にはさんでおいた。少し経って何気なく見ると、2歳になる次男が件の本をいじくりまわしている。びっくりして取り上げると、なんとないのである、大事な大事なチケットがである。妻だけでなく5歳の長男まで加わっての大捜索、といってもそんな広い部屋でもないのに、どうしても見つからない。ふざけて破ってしまったのなら残骸があろう、しかし本当に跡形もなく消えてしまったのである。最初はすぐに見つかるとタカをくくっていた筆者も、次第に焦りの色が濃くなる、そして時間は無情に過ぎていく。

とうとう開演には、どう頑張っても間に合わない時間となってしまった。この結末はなんなのだと、へたり込んだ筆者を尻目に、妻はチケット会社に掛け合ってくれ、売上確認がとれたから再発行するとの言質を引き出してくれた。君は三国一の嫁さんだ!!!地獄から生還した思いで家を飛び出した、いざ武道館へ、武道館へ!

九段下の駅から走った、初めての武道館は本当に遠かった。遅刻して必死の形相の筆者にダフ屋が声を掛けてくる。あんな時間に、ダフ屋からチケットを買う奴がいるのだろうかと思いつつ、武道館に飛び込んだのは開演から20分ほど過ぎた頃だったろうか。

既に盛り上がりを見せている会場内を案内されて驚いた。チケットが当たったことに有頂天で、席がどの辺かなんて気にもしていなかったのだが(というより、番号を見てもさっぱりわからなかった)、着いてみればアリスから見て左手の前から5列目。音響装置が邪魔でドラムを叩く矢沢透の姿は残念ながら全く見えないのだが、谷村新司と堀内孝雄、筆者が日本音楽史上最高のツインボーカルと信じる2人の雄姿はバッチリ、これを見逃してたら本当に、一生後悔しなければならないところであった。

舞台上ではチンペイさんは座り、ペーやんが立ち、そしてキンちゃんはドラムからコンガへと担当替えでようやく筆者に視界に入って来るという初期のアリスのスタイルで展開。いわゆるフォーク系の静かな歌が続き、正直筆者もあまり知らない曲が続く。合間には初恋談義で会場を沸かせ、うなづかせ、そしてキンちゃんのソロへとつなげていく。

アリスのコンサートの名物とも言えるキンちゃんの歌。お世辞にも旨いとは言い難いあの歌声はしかし、1回聞くともう忘れられない、不思議というか妖しい魅力を持っている。アリスは確かに帰って来たのだと改めて実感させてもらった。

「秋止符」以外はいわゆるヒット曲はなく、しっとり聞かせることに徹した前半、ここでチンペイさんが意外なことを言い出す。今回の再始動で作られた唯一の新曲「GOING HOME」のバックコーラスを全国ツアーに来場した客全員で務めてもらう為に、これから音取りをするのだという。会場によってはウーだのアーだのというコーラスだけの所もあったらしいが、我々の「担当」はちゃんと歌詞がある。チンペイさん、べーやんの指導の下「リハーサル」を何度か繰り返した我々は、おだてられるまま結構一所懸命に歌ったのである。

デビュー曲「走っておいで、恋人よ」をトリに前半は終了、15分の休憩が入る。コンサートに休憩が入るものだとは、思ってもみなかったが、暗い中会場入りしたので気づかなかったが、明るくなって納得した。筆者は明らかな「若手」、というのが言い過ぎならしかし平均年齢は明らかに下回っていた(笑)。これじゃ演者含めてもたないや。

そして後半、いよいよおなじみのヒット曲のオンパレード。ここはもう年を忘れて盛り上がるしかない!しかし後半のオープニングに「BURAI」を持って来たのは、ちょっと驚いた。この歌は、81年の活動停止後、87年に一時的にアリスを復活させた時の歌。筆者はなかなか好きなのだが、この時の活動再開はどうやらベーやんにはかなり不本意だったらしく、この後、チンペイさんとの距離をかなり露骨に広げていく。そんなこんなのせいか、前回2001年の復活の時は封印されていた形になっていたのだが、やっぱりいい。「冬の稲妻」「ジョニーの子守唄」「今はもう誰も」・・・もう止まらない。筆者の左腕には前列の見知らぬおばさま方から一緒に盛り上がりましょうといただいた蛍光の腕輪がはまっている。盛り上がってるぜぇい!

楽しい時間は瞬く間に過ぎて行く。大盛り上がりの会場のテンションを1回冷ますように、チンペイさんが「帰らざる日々」を熱唱し出す。ファンなら先刻ご承知だがこの曲から「遠くで汽笛を聞きながら」そして「チャンピオン」とつなぐのがアリスのコンサートのフィニッシングロード。おいおい、もう終わりかい、まだ物足りないぜと思いながらも曲は進んで行く。

頼みはアンコールだが、少々焦らされて再登場したチンペイさんは

「じゃもう一曲いこか。」

エ~一曲ぅ、と思う間もなく流れてきたイントロを聞いて、筆者はまた少し驚いた。それは「さらば青春の時」、かつてアリスの面々は自分達の曲で特に好きなものはと尋ねられると必ず、帰らざる日々、遠くで汽笛を聞きながら、そしてこの曲を挙げていたものである。にも関わらず、なぜか前回やはり披露してくれなかったこの曲をここで持ってくるとは・・・。実はこの曲こそ、ひょっとしたら数あるアリスの曲の中で、筆者が1番好きかもしれない曲。感動したなぁホントに。

アンコールは本当に、この一曲で終了、明日のファイナルに備えて力温存したかな、なんて勝手なことを考えてしまったが、しかし大袈裟ではなく至福の一時であった。牛歩戦術そのままでやっと会場を出ると、外は激しい雨。しかし、まだやることがある。

そう、記念すべき我がデビューCD(笑)の予約とお土産グッツの購入、べーやんがテレビで冗談のように言っていた「冬の稲庭」が本当に売っていたのには笑わせてもらった。結局こちらも長蛇の列で小一時間をゆうに震えながら過ごす羽目となり、やっぱりあの辺で止めてくれてよかったと痛感しながら、しかし本当に幸せな気分で家路についたのである。

アンコール前の最後の2曲、周りは当然ノリノリで、また一緒に口ずさんでいた。しかしあえて筆者は手拍子もせず、じっとチンペイさんとベーやんを見ていた。メンバー全員が還暦を迎えたのを機に、スタートした今回のツアー。ベーやんは我々はまた戻ってくるなどとリップサービスをしていたが、現実としては、今後イベント的な復活はあっても、今回のような本格的なツアー活動など、まず考えられないだろう。また、筆者が見に来られるとも限らない。最初で最後になるであろうアリスの姿をしっかり、自分の目に焼き付けておきたい、そう思ったからだ。

そして今日、パソコンを開いて、思わずひっくり返った。なんとなんと

「来年2月28日、アリス東京ドーム公演決定」

なのだそうである。べーやんの言ったことは本当だったのだ、いやぁまさにサプライズ。このまま、本格的にグループ活動再開とは思わない、本当にそれがファイナルなのかもしれないが、しかしやるもんだねぇ。日曜とあって筆者は絶対に行けないが、でもひょっとしたらまたアリスに会えるのかもしれない、そんな希望が生まれたニュースであった。成功期待してます、それにDVD発売もね!

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2009年11月12日 (木)

さらば、名伯楽

セリーグ三連覇を達成した日、原辰徳監督は1年間、苦労を共にしたコーチングスタッフをねぎらった後、こう呼びかけたと言う。

「来年もこのメンバーで一緒にやりましょう。」

その言葉を尾花高夫投手総合コーチは、どんな思いで聞いていたのだろう。尾花コーチは(いやもう前コーチと書かなくてはならなくなってしまったのだが)今年最後の戦いである「日韓チャンピオンシップ」を2日後に控えた今日、原監督以下の戦友達に、最後の別れを告げて、4年間在籍したジャイアンツを去って行った。もう原の横で、常に冷静に戦況を見つめ、自軍のピンチにも、クールな風情でマウンドに足を運ぶ尾花の姿を見ることはない。

尾花を「名投手コーチ」と認めない人は球界に1人もいない。95年に当時の広岡達朗GMに見そめられ、解説者から投手コーチとして千葉ロッテマリーンズに入団して以来、ヤクルトスワローズ、福岡ダイエー・ソフトバンクホークス、読売ジャイアンツと今日まで1度も途切れることなく、4チームを渡り歩き、数々の投手を育て上げ、チームの投手力を向上させ続け、7度の優勝を経験した。最初の「上司」であったボビー・バレンタインとはソリが合わなかったようだが、以降野村克也、王貞治そして原辰徳と個性豊かな監督達に仕え、支えまた絶大な信頼を得て来た。

現役時代はスワローズ一筋、「ジャイアンツキラー」して名をはせた尾花。その後もジャイアンツとは全く無縁の野球人生を歩んできた彼が、05年オフにひょっこりジャイアンツにやって来た時、筆者は驚くと同時に大歓迎した。尾花とジャイアンツの結びの神は王だった。家庭の事情で自らの下を去る尾花の才能を惜しんだ王は、次の就職先として古巣ジャイアンツを紹介する。当時のジャイアンツは投手陣の崩壊から、先の見えない低迷に陥っており、責任をとって堀内恒夫監督の退任は確実視されていた。その後任人事も固まる前から、尾花の入団は決まっており、当初は彼の事情も考慮され、2軍投手コーチへの就任が予定されていたのだが、遅れて復帰が決まった原が是非、1軍でと要請、投手総合コーチの肩書で、事実上1、2軍の投手を統括するポジションにつくことになった。

彼の手腕は既に、その時点で球界に知れ渡っており、ジャイアンツにとっては、願ってもない人材と言えた。実際、以降ジャイアンツ投手コーチとしての尾花の足跡、実績は今更ここで振り返るまでもない。そして、今年ジャイアンツは12球団唯一のチーム防御率2点台を達成、堂々と日本一の座を7年ぶりに奪回した。投手コーチとしての尾花の名声はもはや揺るようもないまでに高まったと言っていい。

原が、ジャイアンツの球団首脳が、そんな尾花をどう評価していたか、それは彼に対してコーチとしては異例の2年契約を昨年、結んでいたことからもはっきりわかる。なんとしても流失は避けたいという意思が見て取れる。尾花にとって原は、初めての年下の上司だっが、彼らの仲は良好と見られていた。

だが優秀な人材が他から狙われるのは、いずこの社会でも同じである。横浜ベイスターズは昨年オフも尾花引き抜きを画策したフシがある。尾花の複数年契約は当然、その防御策の側面があったのだが、横浜の次なる一手はジャイアンツの予想を上回っていた。そう監督就任要請である。

尾花が横浜の次期監督候補に挙がっているという報道が最初に出たのは、9月の頭だったと記憶する。そのニュースを見た時の筆者の感想は

「やられたな。」

というものであった。尾花がジャイアンツと複数年契約を結んでいることは知らなかったが、投手コーチとしての移籍打診ならともかく、監督ということならば、尾花の心が動くのは容易に想像できた。そして、その後、田代監督代行の退任、2軍監督復帰を早々に発表しながら、後任についての言及を一向にしようとしない横浜の態度に、いよいよやばいと感じざるを得なくなった。明らかにジャイアンツの一員として、熱い戦いの只中にある尾花の解放待ちというのがミエミエだったからである。そしてついに、ジャイアンツのCS突破直後に「尾花氏、次期横浜監督就任」のニュースがいっせいにマスコミに流れたのである。

このニュースの直後のジャイアンツは、大袈裟に言えば一種の恐慌状態に陥ったらしい。大事な日本シリーズの前に、ということもあったが、有能な人材がチームの機密事項を手土産に、来季から敵チームの監督になることへの恐怖からであった。原監督に代わって、尾花の本心を問いただそうとして伊原ヘッドコーチは、彼を怒鳴りつけたそうだし、一時は尾花をシリーズのベンチから外すというニュースまで流れた。

結局、原に促される形で、尾花は騒動についてナインに謝罪。シリーズ制覇にこれまで同様、全力を尽くすと語って、当面沈静化するのだが、それにしても、そのニュースを見た時、筆者はなんと心ないことを言うのだと思った。仮にも尾花は原復帰以来、苦楽を共にしてきた腹心、今更機密もへったくれもないではないか。原と共に1軍のベンチで4年間戦い抜いたスタッフは尾花の他にはもう、篠塚和典と村田真一しかいなくなっていた。尾花の手腕なくして、堀内でも手の施しようのなかったあのオンボロ投手陣をここまでにすることは、絶対にかなわなかったろう。だいたい、一般人の筆者ですら、そう感じたというのに、ジャイアンツの面々は本当に、尾花が横浜に行ってしまうとは、あの報道が出るまで全く考えなかったのだろうか。だとしたら、相当間抜けな話だと思うのだが。

シリーズ終了まで、尾花は黙々と職責をこなし、ジャイアンツは日本一になった。そして、彼は去って行った。まもなく尾花の肩書は「前ジャイアンツ投手総合コーチ」から「横浜ベイスターズ監督」に替わる。

尾花の流出は、正直相当な痛手である。彼の存在感の大きさ、能力そして確かに投手陣を中心としたチーム機密は根こそぎ持って行かれたのは間違いない。そんな彼の出処進退を批判することは可能であろうし、特に原以下の現場スタッフや選手達が、彼に大きな不信感や不快の念を抱いたとしても無理はないと思う。しかし、古い言葉ではあるが

「男子と生まれたからには、1度はやってみたいものは連合艦隊司令長官、オーケストラの指揮者そしてプロ野球の監督。」

なのである。投手コーチとして、もう尾花はこれ以上ない名声を手に入れた。そんな彼が次の自らの可能性を求めるとしたら、それはもう「監督」というポジションしかない。まして、チャンスはそんなに転がっているものではないのだとしたら、それにチャレンジしたいという尾花の気持ちを抑えようとするのが無理なことではないか。

いや、そんなことはジャイアンツ側も百も承知なのだろう。契約をタテに尾花を強く慰留いることはできたはずである。一部には監督要請があった場合は、契約解除に応ずるという項目があったとの報道もあったが、その真偽はともかく、無理矢理尾花を引きとめたところで、チーム内のしこりや尾花本人のモチベーションということを考えても、ジャイアンツフロントは「大人の判断」をしたということになる。日本一のチームとして、45ゲーム差の最下位に沈んだチームへのはなむけと、ここは鷹揚に構えるしかない。

尾花の後任には2軍の斎藤雅樹コーチが昇格する。尾花の在任4年の内の前半2年コンビを組んだのが斎藤、後半2年が香田勲男、来季はこの2人がコンビを組む。身近にいて尾花のやり方はよく学んだはずである。尾花はジャイアンツの機密を持って行ったかもしれないが、逆に名投手コーチとしてのノーハウを彼らに、そしてチームに残していったはずである。それを生かすも殺すも、彼ら2人の双肩に委ねられた。そして尾花コーチの指導は、多くのジャイアンツの投手達に残されたはずだ、それを生かすも殺すもそれもまた、本人達次第となる。

そして一方の尾花である。これから明確に敵となる人物に対して、エールを送る度量を筆者は申し訳ないが、持ち合わせてはいない。しかし名投手コーチ、名監督たり得るかという点については興味がある。かつて、投手出身者は監督としては成功しないというのが球界の定説であったが、故藤田元司さんの成功以降、その声も薄らいでは来ている。がその後も、優勝監督となったのは投手出身者は星野仙一、東尾修くらい。鈴木啓示、山田久志といった大投手も見事に失敗している。

横浜にはかつて、尾花と似たような経歴の監督がいた。就任1年目にいきなり、横浜を30年ぶり2度目の日本一に導いた権藤博である。その型破りな言動や采配、指導はスポーツ紙はおろか、ビジネス誌でも取り上げられたほどだったが、それから10年。今、監督権藤の足跡に対しては否定的な評価が定着している。

投手陣の再建、育成に関する尾花の手腕について今更、どうこう言う必要は全くない。横浜のオーナーもその面での尾花の実績を評価しての招聘だとはっきり言明している。それはそれで良い、しかし当たり前だが、「投手コーチ」と「監督」の職責、立場は全く違う。尾花という人は、オフも関係なく、緻密にデータを分析、そこから得た結論はガンとして譲らない厳しい指導だったと聞く。しかし、監督となった以上、今までと同じことは絶対にできない。投手コーチは投手のことだけ見てればいいのだが、監督はそうはいかないからだ。不得手と言うか、未知の分野にどういう人材を配置するかも大事だが、意外な盲点かもしれないが

「尾花監督の下に尾花投手コーチはいない。」

という事実を尾花本人がどれだけ自覚できるか。さもないと思わぬ落とし穴に陥りかねない。

もう1つ、余計なお世話ついでに言わせてもらおう、横浜球団に対してである。まず、大事な日本シリーズを前にしたあの時期に、あんな報道が一斉に出てしまうのはなぜなのか。横浜にはジャイアンツは、門倉健投手をFAで獲得した際、人的補償で工藤公康投手を放出することを正式発表の前にもらされて、大迷惑を被った前歴がある。大マスコミTBSを親会社にしているにしては(あるいはだからか)あまりにもお粗末な情報管理ではないか。

更に、これは岡田彰布監督を担いだオリックスにも言いたいが、少々の不振でチームをガタつかせないこと。とにかく、この両チームに共通するのは、フロント、親会社のこらえ性がなさすぎること。有為な人材の招聘に成功したのだから、せめて契約期間内は、腰を据えて監督に仕事をさせて欲しい。あなた方のチームは所属リーグの断トツの最下位だったのである、それもそれは一過性のものが原因とは思えない。その自覚なしにチームの再建はないと思うのだが、さて・・・。

ソフトバンクを去る時、別れを惜しむ教え子達が、せめて引っ越しの手伝いをと申し出るのを丁重に断った尾花は

「日本シリーズで会おう。」

と言い残して福岡を後にした。そして今日、円陣を組んだジャイアンツの面々に対して

「いい思い出と感動をもらった、4年間ありがとうございました。」

と感謝の言葉を述べてチームを離れて行った。別れの地となった東京ドームは、現役時代、尾花が死力を尽くしてジャイアンツと戦った場所。4年間の本拠地時代を経て、来年からはまた敵地として乗り込むことになる。それに対して原は

「残念だが有意義な4年間だった、これからは高いレベルで勝負したい。」

とエールを送った。感情のもつれはとりあえず胸にしまいこんだ、スポーツマンらしい決別であった。

映画もドラマもあまり見ない筆者ではあるが、森繁久弥という俳優が日本の芸能史に記した足跡の大きさ、重さがどんなものであるかくらいは認識しているつもりである。まさに「巨星墜つ」、96歳、稀代の名優の大往生であった。先日の三遊亭円楽師匠といい、決して引き継ぐことのできない1人の人間の芸というものの偉大さ、尊さそしてはかなさ・・・名人、名優に代わりはいない、その厳粛たる事実に改めて、心を虚しくするしかない。

森繁久弥さんのご冥福を心からお祈りいたします。

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2009年11月 8日 (日)

「日本一、奪回しました!」

2002年、原辰徳監督率いる読売ジャイアンツは、圧倒的強さで日本一を勝ち取った。その年のシリーズの相手は、それまでジャイアンツが数々の煮え湯を呑ませてきた西武ライオンズだったが、見事4タテで退けての栄冠だった。当時のライオンズの監督だった現ジャイアンツヘッドコーチ伊原春樹は

「若さにあふれた素晴らしく強いチームだった。」

と素直に称賛の言葉を述べている。だが敵将をここまで脱帽させたはずの強いチームが、翌年には崩壊してしまう、たった1人の選手の離脱の為に。その選手とは言うまでもなく、不動の4番、そしてチームの大黒柱であった松井秀喜その人である。以来、7年の間、決別した両者は互いの夢を実現すべく、苦闘の日々を過ごして来た。そして奇しくも今年2009年、松井はニューヨーク・ヤンキースを自身の移籍以来、初めてのワールドチャンピオンに導き、日本人初のシリーズMVPに輝く働きを見せ、それから遅れること数日、彼の古巣ジャイアンツも北の大地札幌で悲願の日本一奪回を果たして見せた。本当に長い7年間であった。

こんな言い方はかえって失礼になってしまうのかもしれないが、それにしても北海道日本ハムファイターズというチームは強かった。自分のごひいきチームの戦力を過大評価し過ぎていたのだろうが、正直連日このようなしんどい試合を強いられるとは、シリーズ前は考えてもいなかった。ダルビッシュが本調子だったら、全く逆の目もあったかもしれない。ジャイアンツの日蔭者とまで嘲られていたチームが、勇躍北海道に新たなる天地を求めてから早いもので6年が過ぎた。札幌ドームでの3戦、ジャイアンツファンはライトスタンドの一隅に追いやられ、あとは見渡すかぎりファイターズファン一色であった。かつて北海道と言えばジャイアンツの「金城湯池」だったなんて、もう誰も信じないだろう。過去の栄光と人気にあぐらをかいたジャイアンツの怠慢もあるが、様々の企業努力の末、完全に北海道の大地に根付き、なおかつ6年間で3度のリーグ優勝と日本一一度という強靭なチームを作り上げたファイターズの監督、選手そしてスタッフのみなさんに改めて敬意を表したい。

そして、そんな素晴らしいチームを打ち破っての日本一奪回だからこそ、その価値はまた大きいのである。筆者はジャイアンツに1つ謝らなければならない。前回、ジャイアンツは札幌ドームのような広い球場向きのチームではないと書いた。しかし、第5戦は4戦目の流れをそのまま引きずったようなエラーの失点からスタートしたが、以来今日の試合まで、ジャイアンツは粘り強く、辛抱強く戦い、そして接戦を競り勝って見せてくれた。ジャイアンツは確かに大味なゲームにその本領を発揮するチームではあるが、しかし競り合いでも堂々、相手をねじ伏せることのできるチームに進化していたのである。今年のジャイアンツは本当に強かった、完璧な勝利である。ファンとして胸を張って、そう言わせてもらう。

シリーズのターニングポイントはどこにあったのか、やはり月並みだが、第5戦の亀井の起死回生とも言うべき同点本塁打か。外せなんて言って、本当に申し訳ありませんでした。でも、8回の大道の執念の同点打も忘れられないし、その前の誰が見ても、見え見えの盗塁を初球からいとも簡単に決めて見せた代走鈴木尚広のプロフェッショナルぶりも見逃すわけにはいかない。

このシリーズ、ジャイアンツ自慢の強力打線は残念ながら機能したとは言い難い。小笠原とラミレスはそれなりの存在感は示したが、しかし分断されて、シーズン中のような破壊力はついに発揮できず、松本の走攻守に渡る活躍は光ったが坂本、亀井、谷は安定感に欠けた。打線の迫力なら明らかに相手の方が上で、事実今日だってポンハムはジャイアンツをしのぐ毎回の10安打を放っているである。それでもポンハムはとうとう今日の試合では1点もとれなかった。長いシーズンでもチーム防御率2点台を誇った強固な投手陣が立ちはだかった結果である。

シリーズ中盤から、ジャイアンツは稲葉、スレッジという相手のキーマンとなる左打者をほぼ沈黙に追い込むことに成功した。2番森本の不振にも助けられ、他の打者が好調でもポンハム打線は分断され、こちらのミスが続いた4戦以外、相手に大量点を与えることはなかった。そしてこの好投を引き出したのはやはり、キャプテン阿部慎之助の好リード。5戦のサヨナラ、そして今日の先制決勝打はもちろんあるが、阿部のMVPは当然の結果であろう。思えば昨年のシリーズは肩の負傷で、阿部は全く捕手として働くことができなかった。2年越しのリベンジとも言えた。そうそう、第2戦の不甲斐ない投球から一変、今日は東野緊急降板というアクシデントからチームを救った内海のナイスピッチングはやればできるじゃんというところである。

その内海を自ら、マウンドまで足を運び、6回途中でスパッと替えた原監督の采配には全く驚かされた。絶対早い、テレビの前で思わず絶叫してしまった。後を継いだ豊田が2安打されながらも、なんとか無失点で切り抜けたのはよかったが、問題は越智だよなぁという予感は的中。8回ツーアウトからクルーンを出すことに。更にベンチを見渡すと高橋尚もM中村もおらず、このリードを守り切れなかったらほぼ負けという陣容。9回は正直、心臓が止まるかと思ったが、稲葉、高橋をよく連続三振に切って取ったねぇ。なかなか3人ですんなり終わらせてくれないのが玉にキズだが、それでも今年のクルーンはよくしのいでくれたと思う。シーズン中は無敗を誇りながらも、シリーズに入って痛いサヨナラを食うなど、安定性を欠いてしまった相手のクローザーとの経験の違いを見せつけてくれたと言っていい。

そして我らが原辰徳である。敵地で10回舞った後の勝利監督インタビューで、まずは戦い終えた敵と相手ファンを称えたあとで、高らかに今日のタイトルの言葉を口にした。WBCからついにここまで、駆け抜けそして上り詰めた我が大将、もうカッコよ過ぎです!もうただ感謝感謝の一言である。

思えば、今年はリーグ優勝もCS優勝も、そして今日の日本一もすべてリアルタイムで見ることができた。こんな幸せな年があっただろうか、ジャイアンツファンで、原辰徳を信じていて本当によかった、そう実感し続けた1年であった。サイコー!!!

最後に意外なニュースが飛び込んで来た。木村拓也選手が今シーズン限りでの現役引退を発表したのである。前回、もう使うななんて書いてしまったが、あれはあくまでこの短期決戦でのこと。当然来シーズンも今まで同様、いぶし銀の活躍をしてくれると信じていただけに本当に驚いた。今年は残念ながら、打撃は不振であったが、それでも06年途中の移籍以来、随所にプロを感じさせるプレーを披露して、チームに貢献してくれた。あのアクシデントで捕手が不在となり、10年ぶりのマスクを自ら買って出て、見事に延長最終回のホームを守り抜いた試合は今年のハイライトシーンの1つであることは間違いない。どう考えても、まだやれるとしか思えないのだが、それでも広島カープで花開いた選手だが、彼のプロ野球選手としての故郷は他でもない日本ハムファイターズ。そのチームと日本シリーズを戦い、そして自身初の日本一を花道に引退するのだから、キムタク本人は悔いはないのだろう。今後はチームに残って、後進の指導に当たってくれるとのこと。まずはお疲れ様でした、そしてこれからもよろしく。

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2009年11月 4日 (水)

負けに不思議の負けなし(怒)!

4点差ツーアウト1塁ながら3番がヒットを放ち、前の打席ようやくホームランを打った4番につながり、さぁ最後の楽しみをと思った途端に、バッターランナーがノタノタと不必要な2塁を狙ってタッチアウト。今日の試合を象徴するような間抜けな結末であった。

第2戦も酷かったが、今日もそれに輪をかけたポロ試合。勝ちたくないのかとすら思える試合運びで、これで勝とうというのがおこがましい。野球の神様から罰が下されるのが当然の報いである。

なにから書いていいかわからないくらい腹立たしい試合だったが、まずは昨年同様、申し訳ないが高橋尚成への攻撃から始めさせてもらおうか。初回は3者三振の素晴らしいスタートだったらしいが、それで力を使い果たしたのか2回からはもうヨタヨタのピッチング。3回に集中打を浴びて4失点は日曜の内海と全くおんなじ。ツーアウトランナーなしから突然4点とられた内海のピッチングにも呆れたが、今日も尚成がせめて2点で踏ん張ってくれれば、試合は当然まだどうとでもなったはずだ。更に許せないのが5回に相手の4番に不用意な投球で浴びせられた一発。あれはいわゆる「東京ドームアーチ」だが、そんなのは言い訳にもならず、あれは今日の事実上のトドメとなる「痛打」であった。内海ともども精神的に弱過ぎる!

ただ、今日の尚成に多少の同情の余地があると思うのは、初回最高の立ち上がりをしながら、味方がその裏と次の回と絶好のチャンスを潰して、水を差されて乗り切れなかったのは間違いない。初回のノーアウト1、2塁のあとのクリーンアップ3人の無為な凡退の仕方、2回のワンアウト3塁からの木村拓也のむずかしいアウトコースに手を出してのセカンドゴロ、相手の投手が粘り強かったのは認めるが、あまりにも策も芸もなさすぎた。

悪いがこのシリーズ、木村はもう使わない方がいいね。初球を打って前進守備のセカンド正面のゴロに倒れた時と、3回に確実にアウトを1つ増やす場面で、判断ミスでセカンドを見てしまってオールセーフにしてしまった場面は、いずれもその直後に原監督の「なにをやってるんだ」と言わんばかりの表情が大写しになったが、5回、ヒットで出塁したのはいいが、次打者大道が懸命に粘ってフルカウントまで粘ってさぁというところで、なんと牽制で誘い出されてタッチアウト。あそこまで絵に描いたドッチラケを演じられてはもはや言葉もない。そして、これはまぁ前打者の阿部チャンがライトフライに倒れた時点でほぼジエンドにはなっていたのだが、8回の帳尻合わせの反撃でも三振チェンジでダメ押しまでしていただいた。敗戦投手が尚成なら「敗戦野手」はまぎれもなくキムタク、短期決戦でこういうドンケツ選手を使うのは、命取りになる。

相手を上回るヒット数を放ちながら、このような大敗を喫したのはもちろんペンチワークにも問題がある。とにかく、ずっとノーアウトでランナーを出しながら、ほとんど点にならないんだから、選手のせいにばかりはできないだろう。昨年のシリーズでも、相手の嫌がっているキムタクを途中からなぜか若い寺内に替えた不可解な選手起用があったが、こういうことをやっていると繰り返しになるが、短期決戦では致命傷になる。相手投手の左右なんて気にせず、ここはもうセカンドは守備もよく、打撃も堅実な古城で固定するべきだし、谷と李を相手に合わせて使い分けるなんて「優雅な」ことをしている余裕ももはやない。ポンハムと決定的に違うのはクリーンアップの迫力。敵のクリーンアップはチャンスになればなるほど、存在感を増すというのに、こちらのクリーンアップときたら、勢いに水を差す有様だから嫌になる。不振が長引く傾向のある亀井は、見切り時ではないか。

形の上ではタイになっただけだが、ジャイアンツは正直苦しくなったのではないか。とにかく負け方が悪過ぎる、明日の第5戦をとるのはもはや必須条件となってしまった。ジャイアンツは残念ながらはっきり言って、広い札幌ドーム向きのチームではない。狭い東京ドームで空中戦で相手を圧倒するのが持ち味であり、それがはまったのが昨日の試合だったわけで、ただ単に札幌でのあの圧倒的なポンハムびいきの敵のアドバンテージだけではない不利がある以上、明日を落とすことは絶対に許されなくなった。今日の試合は東野も外れていたが、明日は中4日でゴンザレスを行かざるを得なくなった。ただ、ゴンちゃんは間が空き過ぎても、詰まり過ぎても良くないタイプだけに、明日も早めの継投が必要になるのかなぁ。

まぁ今日の負けの中で、辛うじて光明を見出すとすれば、ホームランが欲しくてバッティングが滅茶苦茶になっていたラミレスに逆方向への一発が出たことで、少しは頭の血が下がってくれたのではないかということと、敵から見れば左うちわになりかねなかった試合で、とにもかくにも敵のクローザーを引っ張り出す展開にまで持ち込んだこと。明日はいよいよ泣いても笑っても、今シーズンの東京ドーム最終戦。ここは打線に奮起してもらって、勢いつけて札幌に乗り込めるよう、期待したい。

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2009年10月30日 (金)

さぁ、決戦だ!!!

昨日のドラフト会議で、ジャイアンツは年頭から公言していた通りホンダの長野久義外野手を1位指名した、長野選手にとっては、3度目のドラフトでのついに念願成就となった。このご時世に、ここまでジャイアンツ一途に待ち続けてくれた長野選手の一本気な姿勢に、一ジャイアンツファンとしては、心からの祝福と感謝の気持ちを送りたいし、ここまできて変な策をろうすることなく、長野選手の思いに応えたジャイアンツの誠意もよかった。

二岡の退団で、1年空きとなっていた背番号7をつけ、ジャイアンツに殴り込みをかけることなった長野選手だが、今のジャイアンツの外野陣は高橋由伸すら居場所を失ってしまうほどの層の厚さ。その道程は決して平たんではないと思うが、自らの意思を貫き通して、飛び込む世界。チームに新風を巻き起こしてくれることを期待したい。

今ドラフト注目NO1の菊池雄星投手は西武が指名した。アマ球界に関しては全くの無知、その上ジャイアンツが指名しないとあれば、あまり興味はなかったが、それでも一時は10球団が指名するとか、メジャーが獲得に乗り出したとも伝えられる逸材。本人は随分迷ったそうだが、これには様々な意見があろうが、日本で生まれ育った以上、日本のプロ野球界を粗末にするような真似はやはりすべきではない。こういう選手が加わるとチームは活性化するのだが、それにしてもこういう注目選手は、みんなパが持って行くね。クジだから、いかんともし難いにしても、セは頭が痛いところである。

そして、明日からはいよいよ日本シリーズ。尾花コーチの騒動は恐れ入ったが、しかしちまたはジャイアンツ優勢の御宣託。まぁ筆者も負けることはないとは思っているが、でも正直言えば、去年もそう思っていたし、今年の交流戦にいきなり叩かれたショックも忘れたわけではない。しかし、その後東京ドームでお返しして、タイで終わったのだから、必要以上に恐れを抱くことはない、もちろん油断もできないが。敵の大エースが登板できないのは有利な材料かもしれないが、こちらもグライシンガーがダメなのだから、その点は五分五分。いつも同じようなことを書くが、ポイントはポンハムの豊富なサウスポー陣を我が打線がどのように攻略するか、今まで通りの力を発揮できれば、おのずと結果は出るはずである。さぁ、いざ出陣である!

ということで、これから仕事に行ってまいります。

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2009年10月25日 (日)

「必ず、達成します!」

河原純一という投手は95年にジャイアンツにドラフト1位で入団しながら、ケガやトレードなどで波乱の野球人生を送り、一昨年にはライオンズを解雇されながら、1年浪人の末に今年ドラゴンズにテスト入団を果たしたという苦労人だが、今年防御率1点台でセットアッパー役を見事に務めた彼を、6回に中日がまだ諦めるわけにはいかんとばかりに投入して来た時、筆者はある試合を思い出した。

2002年、新生原ジャイアンツのストッパーに抜擢された河原は、開幕から無失点、防御率0.00の完璧な守護神ぶりを見せていた。だが4月末の神宮でのヤクルト戦、味方が9回にやっととった虎の子の1点を守るべく登場したものの、相手の4番にセンターバックスクリーンに逆転サヨナラツーランを叩き込まれて負けた。神通力を失った河原は、この年こそなんとかクローザーの座を守り抜いたものの、翌年からは出れば打たれの繰り返しとなってしまった。河原の快進撃にストップをかけたのは、今やジャイアンツの不動の4番打者となったアレックス・ラミレスその人であった。

恐らく、こんなことを思い出していたのは、本人達を含めても筆者1人だったと思うが、注目の因縁対決(笑)は、ラミレスが初球をボテボテのピッチャーゴロであっさりジャイアンツに8点目が入り、落合監督も苦笑いの結末となった。そしてこの8点目がダメ押しのダメ押しとなり、ジャイアンツが初戦の嫌な負けを見事にはねかえして3連勝。次の土曜からの日本シリーズに駒を進めることとなった。

森野にずっとやられ続け、ひたすら後手に回り続けたこのステージを4戦目にして、初めて先手を取り、3回のビックイニングでほぼ勝負を決定づけた今日の試合。先発東野の気合の入ったピッチングが、流れを大きく引き寄せたことは認めるが、それでもこの試合、結局勝ち投手の権利すら獲得できずに降板する羽目に陥ったのは、バックに足を引っ張られたことはあるにしても、相手の8番打者に2打席連続でクリーンヒットを打たれるような不用意なピッチングがたたったもの。中日にここ2年、全く歯が立たずに、ついにこのステージ出番なしに終わった内海ともども、考えてもらいたいものである。

それにしても、5回の大ピンチによく越智を投入したね。シーズン終盤から、完全に調子を崩し、短期決戦でこれ以上使うのは危険とすら思われただけに、いろんな意味でM中村の試し時かと思ったら、なんとベンチに入っておらず、まぁ結局越智しかいなかったのだが、ストレートに自信がないのかフォークの連投で、森野、プランコを連続三振でピンチをしのぎ、次の回も無事に抑えたのは光明であった。ただ、今日はフォークが良かったのと、大量点に助けられた感もあり、ストレートがあと1週間でどこまで、戻ってくれるかがポイントになろう。そして、越智が6回までつないでくれたおかげで、あとは豊田、山口、クルーンの盤石リレー。山口は、昨日は打たれたみたいだが、もはや風格すら感じさせるピッチング。豊田も黙々と自分のポジションを守り、クルーンは今年は見事なクローザーぶりだった。シリーズも頼みましたよ。

投手がいくら踏ん張っても、点が取れなければ勝てないのが野球というゲーム。今日ぐらい、中日に力の差を見せつけて、楽な試合をみせてくれよという筆者の願いに見事応えてくれた打線もシリーズに向けて、いいムードになって来た。繰り返しになるが、常に中日に先手を許す苦しい展開が続いたが、第2戦、チェンを一気に打ち崩したのは大きかった。チェンという投手は抜群の防御率を誇る好投手だが、大試合に弱いイメージがあり、筆者はそんなに恐れていなかったのだが、それでも相手のエースを叩いたのは大きかった。

更に、昨日の逆転劇は当たり前ながら本当に大きかったねぇ。グライシンガー不在となった今ステージ、あそこで負けると残りの先発投手が心もとなかっただけに脇谷はまさに、値千金の一打であった。あの一打でCSのMVPを獲得、全試合通じて、出たのは10分くらいなのにと、お立ち台で照れていたが、しかしそのくらいの価値は十分あった。その他にも大道、古城、主力の他にも層の厚さを見せつけて、終わってみればシーズン同様完勝であった。

そして我らが大将、原辰徳である。手駒を十二分に使いこなして、因縁浅からぬ落合中日を圧倒してのセリーグ完全制覇。その上、聞けば突然のドーピング疑惑に包まれた敵を、清武代表や伊原へッドコーチが批判、牽制する姿勢を見せたのに対して、この件に関して、当該敵投手を一切野次るなと、選手達にぴしゃりと言ったという。今日のお立ち台でもタイトルにさせていただいたセリフをバッチリ決めて、さぁポンハムどんと来いといった構えは、もはやカッコ良すぎ!とにかく、いつまでこだわってるんだと言われようと、今年は意地でも相手チームには勝たれたくなかっただけに、溜飲を下げた思いで、本当に今は晴れ晴れとした気分である。

一方、シーズンに続いて力の差を見せつけられる形で敗退した中日落合監督の口からは、今年も勝者を称える言葉が出て来ることはなかった。戦力分析や選手起用といった面では卓越した手腕の持ち主ではあるのだか、それにしてもこの人物の言動の節々から感じさせられる器の小ささは、なんともやりきれないものがある。そして、中日の終戦により、立浪和義、井上一樹という共にドラゴンズで一時代を築いた2人のプレーヤーの現役生活に、幕が下ろされた。落合とソリが合わないとされ、不遇な選手晩年生活を強いられた井上の最終打席は痛烈なファースト正面のゴロ。亀井のエラーを誘って、中日最後の反撃機を作ったのは、気迫の男井上の最後の執念だったろうか。そして引退を惜しむ声に

「打つことはともかく、走ることと守ることがもうダメになった。」

と自らのプライドを主張して去る立浪は最終回、ドラゴンズファンはおろか、ジャイアンツファンからも総立ちで迎えられ、レフトフライに倒れると、ベンチ前でグランドに大きく一礼して、退いて行った。高木守道、谷沢健一そして立浪と受け継がれた「ミスタードラゴンズ」の名称は、この後誰が受け継ぐのであろう。

そして、もう1人。デーゲームで行われたパリーグCS第2ステージ4戦で北海道日本ハムファイターズの前に屈した東北楽天ゴールデンイーグルス監督野村克也も、長い間のユニフォーム生活に別れを告げることになった。この人については、また改めて。

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2009年10月21日 (水)

いつか来た道・・・?

いやぁしょっばなからひどい試合を見せられたものだ、いくらなんでもいきなり5点とはねぇ・・・。とにかく先発がドンと大量失点、実戦を離れていた打線は焦って大振り、空回りを繰り返し、中継ぎも踏ん張れずに完敗とは実は、事前に恐れていた最悪のパターン。シーズン中、抜群の安定感を誇っていたゴンザレスだから、まさかとは思っていたのだが・・・。

先発小笠原にひねられ、そのまま、あれよあれよという間に3タテくらって、とんだ赤っ恥をかいた2年前の悪夢を思い起こすなという方が、無理なスタートとなってしまったが、あの時と違うのは、とにかくこれでタイになっただけだということだ。。もうこうなったら、今日は厄落としとさっぱり諦め、明日からまた新規蒔き直し。とにかく、レギュラーシーズンで相手に12ゲーム差をつけた自分達の力を信じて戦ってもらうしかない。しっかりして下さいよ、ホントに・・・。

一方同時スタートのパは大量リードされたポンハムが終盤の大反撃、負けるにしても、チャンピオンチームとしてこれくらいの意地はジャイアンツにも見せてもらいたかったものだぜと思っていたら、なんと逆転満塁ホームランが出て、劇的にサヨナラ勝ちしてしまった。終盤2イニングで8点とっての大逆転とは、なんともすさまじいものを見てしまったが、これは逆に楽天のオンボロリリーフ陣の方が問題で、とにかく、出てくるピッチヤーがみんな4点台だの5点台だのといった防御率。こんな陣容でよくシーズン2位になったものだと、不思議に思って見ていたら案の定の結末であった。まぁこちらの方は早々に、先が見えた気配ですな。

とにかく未熟、未経験者の集まり、試行錯誤は当たり前のことなのだから、しばらくは様子を見ようと、あえて政治についてはしばしの沈黙を決め込んでいたのだが、さすがに今日のニュースには黙っていられなくなった。日本郵政の西川善文社長を退任に追い込んだのは、まぁ公約通りとしても、後任に斎藤次郎っていうのはどういうことだい?

斎藤ってのは、あの悪名高い細川内閣での「福祉目的税」導入を小沢一郎と組んで、強行しようとして、大顰蹙を買った奴だよね?官僚の名前なんかいちいち覚えていない筆者ですら、すぐピンとくるくらい「インパクトの大きい」人物である。そんなのをどこから引っ張りだして来たのかはしらないが、また要職に就けるっていうのはどういう神経なのだろう。小沢の推薦なのかい?

天下りに反対と声高に叫んで、いざ政権に就いてみたら、中枢は元財務官僚だらけとは、よく聞く批判だが、この人事はついに極まったとしか言いようがない。だいたい、参院で与野党逆転してから、元官僚特に財務省OBの国会承認人事を徹底的に否認して来たのはどこの政党だったのだろう。あれは政権とる為のタクティックと言われれば、それまでだが、それにしたってこの手のひら返しはあまりにもひど過ぎやしないか?

売り物のはずだった「国家戦略局」の設置もいつの間にやらトーンダウン、このまま下手をすると立ち消えの気配もあり、菅直人は早くも棚上げ、封じ込められたとの風説まである。実際に政権に就けば、いろいろな思惑違いがあるのは、仕方ないが、それでも押さえるべきポイントを外すと取り返しのつかないことになる。当面の焦点である2つの参院補選は目前、圧勝に酔ってばかりだと足元をすくわれるよ。

鳩山内閣が、何もしていないとは言わない。国民の大きな期待、迫り来る参院選を前に、少しでも早く目に見える実績をと焦る気持ちもわからないではない。が、政権交代の大きな意義の1つが「チェンジ」なら、もう1つの意義は「オープン」であることを忘れてもらって困る。目前の懸案処理に忙殺されるがあまり、そのもう1つの意義が、早くもおざなりになりつつあるのが、筆者にはたまらなく不安でならない。

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2009年10月20日 (火)

さぁ、いざ出陣!!

セントラルリーグのCS第1ステージは2勝1敗で中日がヤクルトを下して、第2ステージへ進出。これでCSスタート以来、セの第2ステージは3年連続同カードということになった。ヤクルトが中日のエース、チェンをワンチャンスで打ち崩して、先勝した時には、おいおいと思ったが、続く第2戦を接戦ながら落としたのがすべてだった。まずは順当な結果であろう。

水曜からの第2ステージ、油断せず普通に戦えれば、1勝のハンデもあるのだから、ジャイアンツが勝てるだろう。少なくとも今年に関して言えば、対戦成績からみても両チームの戦力差は歴然としている。しかし、「普通に戦う」ことの難しさは一昨年に痛感している。あの苦い思い出はなかなか払拭できるものではない。ましてやプロ同士がぶつかる短気決戦、何が起こっても不思議ではないのだ。

先月23日に早々に優勝を決めたからほぼ1ヵ月、実戦勘の維持が課題であったが、雨天中止があって結局ジャイアンツが1番最後まで、公式戦を戦う形になったのはラッキーだったし、その後宮崎に短期キャンプに乗り込み、フェニックスリーグで更に実戦をこなした。正直消化試合や2軍相手の試合では不安がないわけではないが、そんなことを言っていても仕方がない。やるべきことはやったということだ。

鍵はとにかく打線、点を取れるかどうか、その一点にあると言って差し支えないだろう。特にポイントは第一戦、ここ2年初戦を落としているジャイアンツだが、中日がチェン、吉見の2本柱を使い果たしているだけに今年こそ、ここは確実に勝って優位を広げたいものである。グライシンガー不在を余儀なくされているだけに、決して楽観できる情勢でもない。

とは言っても、あまり肩肘張っても仕方がない。繰り返しになるが、普通の力を出せれば、まず勝てるはずである。変な小細工をしたりしないで、堂々中日の挑戦を受けて立てばいい。中日はまずキチンとヤクルトを退けてくれた、今度はジャイアンツがリーグ3連覇の王者たる力を見せる番である。

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2009年10月16日 (金)

三度目の秋

去る10日の土曜日は、我が長男の3度目にして、そして幼稚園最後の運動会であった。昨年は、雨の中の強行スタートであったが、今年は曇り空ながら雨の心配は全くなく、昼ごろからはむしろ暑い日差しが照りつけるくらいであった。

2年前、初めて親として参加した時には、全く逆の立場でそう思ったのだが、子供というのは2年でこんなにも大きくなるものなのかと、改めて痛感させられた。「年少さん」というのは、あんなにもちびっちゃかったんだなぁ。

長男の最初の出番は徒競争、我が子の姿を撮るのに忙しく、毎年子供が何着だなんて見えたことがないが、今年は6人中2番目だったらしい、うん成長、成長。

続いては筆者にとっては「鬼門」の親子競技、今年は我が子を背負っての「騎馬戦」。3クラス対抗で、帽子を取り合うこの競技を昨年は「ご苦労なこって」と眺めていたが、いずれはこちとらにもオハチが回ってくるという当たり前の事実についてはよく考えていなかった。適当に流してと思っていたのだが、いざ号砲が鳴らされてみると、やっぱり闘争本能からか取られまいと必死こいてグランドを駆け回って、どのくらいたったか(無論そんなに長い時間であるはずはないのだが)、終了の合図が鳴って、ふと確認すると我が子の帽子は無事である。クラス順位も2位でやれやれと思っていると

「それでは2回戦を始めます。」

という耳を疑うような声。おい、またもう一回やるのと反問する間もなく、再び号砲。運動不足、運動音痴、運動嫌いと3拍子揃っている身にとっては地獄のような時間。1回目よりかなり時間の長さを感じ、いい加減にしてくれ~と内心悲鳴を上げたところ、ようやくホイッスル。背中の子供を振り落とすように降ろし、ヘナヘナと座り込む様は、我ながら情けなかったが、もう限界を超えていた。2度目も帽子は取られなかったことだけが救い・・・ということにしておこう。

午前最後の出し物は年長児の鼓笛隊。2年前、これを初めて見た時の感動は今でも忘れない。我が子とわずか2歳しか違わない子供達がこんなことができるのかと目を見張り、我が子の出番でもないのに、思わずビデオを回してしまったのを昨日のことのように思い出すが、それをついに目の前で長男がやっている姿に

「成長したな。」

としばし、感慨深く眺めていた。昼食は昨年に引き続き参上の当方のジジババも交えて、妻が徹夜で作った弁当をつつく。ああいうところで食う弁当というのは、なぜにあんなにおいしいのだろう。

午後は、妻が参加予定だった保護者対抗の大玉ころがしに急きょ参加させられるハプニングはあったものの、それは大過なく終了。息子の出番はあと2つ、まずは組み体操。

先生の笛、太鼓の合図に合わせて、様々な形、ポーズを見せるのだが、昨年も同じことを思ったが

「よく仕込まれてるなぁ。」

と少々不謹慎な感想を持った。そしてオオトリは運動会の花形「クラス対抗リレー」。

最初の女の子チームは3クラス中2位、そしていよいよ男子の出番である。我が子は6番目に登場とのことで、期待半分心配半分で眺めていると、2番手でバトンならぬリングを受け取るとトップを懸命に追走、わずかな差まで追いつめ、次に無事リングを渡したのはなかなかの健闘と見えた。その後息子の唯一無二の親友の奮戦もあったものの、トップには少し離れた2位のままレースは終了したのだが、ビデオを撮りながら思わず吹き出しそうになったのは、周りの親のヒートアップぶり。自分の子はもちろんのこと、クラスの子の応援にも絶叫しているのには、普段の気取った様子もどこへやらと笑えたのだが、後でビデオを見直してみると、入っていた自分の声も結構興奮していた・・・。

こうして最後の秋の一大イベントは終わった。帰り道、あのリレーの走る順番は先生が決めたのかと、何気なく尋ねた筆者は返って来た息子の返事に驚いた。

「僕達が決めたんだよ、僕達が話し合って決めたんだ。」

そうなのか、自分達で決めたのか、2年前、母親から離れられずピーピー泣いていた子供が今、胸を張って「自分達で決めた」と言い切った。なかなか幼稚園になじめず、心配した担任から電話が掛ってきたこともあった。今も残念ながら社交的とはお世辞にも言えない我が子ではあるが、やっぱり彼にとって、この幼稚園での2年半は決して無駄ではなかったのだ。ホッとすると共に、なんとも言えないたくましさまで、感じてしまったのは、さすがに親バカが過ぎるであろうか。

そういえば、今年の運動会には来年度入園予定者して、次男も母親と一緒に1つ競技に参加した。兄貴と違って物おじしない性格と見えた次男がここ半年、すっかりママべったりの臆病者になってしまい、心配していたのだが、同時期の兄貴が全く走れず、母親に抱きかかえられるようにゴールしたらしいのに比べ、ちゃんと手をつないで走ってゴールしたのはまぁよかった。この3年、我が家の中では幼稚園の運動会の主役であり続けた長男はいよいよその座を、来年から弟に譲ることになる。どんな社会にも世代交代というものはあるものなんですね、だから仕方ないんですよ、ノムさん。

この日はたまたま筆者の母親の誕生日にも当たっており、親子3代楽しく夕食を共にしたのだが、だんだん体調が悪くなって来て、実家に遊びに行くのはキャンセル。家に戻って熱を測るとなんと38.5度。おいおい、こりゃインフルエンザかとそのまま寝込んでしまったが、翌日には平熱に戻ってそのまま何事もなかったかのように出勤出来たのはなんだったのだろう。騎馬戦でどうやら疲れ果ててしまったということになるらしい。それにしても、我ながら情けなくなるほどの体力のなさ、これからまた3年、子供の運動会につきやってやれるのかいな・・・?

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2009年10月15日 (木)

今更ではございますが・・・CSってなに?

今シーズンの両リーグの公式戦全日程が終了し、パリーグは翌16日、セリーグも17日からリーグ戦2.3位チームによるクライマックスシリーズ第一ステージに突入。21日には第一ステージを勝ち上がって来たチームを両リーグの優勝チームがそれぞれの本拠地で迎え撃っての第二ステージへ、日本のプロ野球はまだまだ熱い。

大変遅くなってしまったが、北海道日本ハムファイターズのパリーグ制覇を心から祝福申し上げます。ジャイアンツの3連覇も偉業だと思うが、ファイターズのここ4年の内で3度のリーグ制覇、それも毎年のように主力が抜けながらのそれは、これまた称賛すべき快挙である。このチームの北海道移転以来の歩みには、学ぶべきものは本当に多いと思う。

そしてそのポンハムと優勝を争ったとは残念ながら言い難いものの、誕生5年目にしてついにAクラス・2位に浮上した東北楽天ゴールデンイーグルスの躍進にも、心から拍手を送らないわけにはいかない。ゼロどころかマイナスからスタートしたと言っても過言ではないチームをここまで引き上げたチーム首脳部の熱意と野村克也監督の手腕には、敬意を表するしかないが、それだけにここに来てのドタバタは傍から見ていると不可解なことが多く、残念である。せっかく地元仙台での開催にこぎつけたのだから、悔いのない戦いをしてもらいたいものである。逆にシーズン前からのゴタゴタからついに、力を発揮できないままボビー・バレンタイン監督の退任で幕を閉じた千葉ロッテマリーンズ、昨年うらやましいばかりの多くの若い力で日本一を勝ち取りながら、一転CS進出すら逃してしまった埼玉西武ライオンズ、スポーツの世界というのは、明白に数字の結果が表れる厳しい世界なのである。

2005年、今のCS制度をパリーグが導入して2年目のことである。当時「プレーオフ」と称して、この勝者を「リーグ優勝チーム」と認定していた時代、前年のライオンズ、そしてこの年のマリーンズとシーズン2位だったチームがいずれも第一ステージを勝ち上がった勢いで、そのまま日本シリーズ優勝まで駆け上がっていくのだが、いずれの年も2位に4.5ゲーム差をつけてシーズンを「1位通過」した福岡ソフトバンクホークスの立場はどうなるのだという声は大きくなるばかりであったし、更にこの年のプレーオフはある意味、日本プロ野球の根幹を揺るがしかねない重大な危険をはらんでいたのである。

それはオリックスバッファローズとの接戦を制してプレーオフに進出して来た前年の覇者ライオンズのシーズン勝率が5割を切っていたことであった。この年、筆者はごひいきのバレンタイン率いるロッテを応援していたものの、実はライオンズが勝ち上がらねぇかなと底意地の悪い期待もしていた。ライオンズがロッテ、ソフトバンクを連破すれば前代未聞の「シーズン勝率5割を切ったチームのリーグ優勝」という恐るべき怪挙が堂々とパリークのオフィシャルレコードに残ることになる。それだけではない、そのまま西武がその年のセリーグの覇者阪神タイガースをも破って日本シリーズを制すれば、「シーズン勝率5割を切ったチームが日本一」となり、この年にスタートしたアジアシリーズに日本代表として出場することになったのである。これがどんなにバカげたことかは、野球ファンならおわかりいただけるだろう。結果はロッテが西武を一蹴、日本プロ野球界はその歴史に大きな汚点を残すことだけは、無事免れたのである。

2年後にセも同制度を導入、名前も「クライマックスシリーズ」と改められ、その際、リーグ優勝チームはシーズン1位チームと明記され、CSと略称されたこのシステムは日本シリーズ出場権を賭けて争う場とされた。暴挙の1つはこれで回避された、そう勝率5割以下のチームの「リーグ優勝」という暴挙である。しかし、もう1つの暴挙の可能性は依然残されたままである。そして、今年その「残された暴挙」が実現する危険性に、野球界はさらされることになった。阪神との激しい争いを制してセ3位に滑り込んだ東京ヤクルトスワローズがわずか1つながらシーズン負け越しを喫し、勝率5割を切ったからである。

セがCSを導入した時、当時4年続けて優勝を逃していたジャイアンツの救済処置と揶揄する向きもあった。しかし皮肉なことに、それからジャイアンツはリーグ3連覇、逆に「敗者復活戦」と、声高に批判していた落合監督率いる中日ドラゴンズの方が、こちらに賭ける形となり、現に導入初年度からいきなりおいしい思いをした。

今更CS制度導入の是非を問うても、もう仕方あるまい。3年連続リーグ制覇チームのファンとして、「めんどくせぇな」という気持ちを抱いていないとは言わないが、それでもCS制度がなければ、昨年の大逆転優勝はなかったと思っているし、優勝が決まっても、尚勝敗の行方への興味を失わせず、いわゆる消化試合の激減につながり、野球界の盛り上がりに大いに寄与している事実は今更否定のしようもない。

だが、なのである。「プロ野球」である以上、見せること、魅せることを無視することはできないが、しかしスポーツである以上、最終的に称えられるべきは「勝者」のはずなのである。その一線を踏みにじってしまった時、それはもうスポーツとしての根本を踏み外したことになる。CS制度を導入してしまったのだから、そんな理屈はもう意味がないと言われるかもしれない、しかし守るべき最後の一線はある。

正直腹に据えかねる言動を繰り返す監督とチームであるが、それでも中日ドラゴンズには、断固第一ステージでスワローズを粉砕してもらいたい。万一、それが成し遂げられなかった時の我が読売ジャイアンツの責務は重い。「シーズン5割を切ったチームの日本シリーズ進出」、ましてや「優勝」など、断固あってはならないのである。

今年は今更どうしようもない、しかし是非「シーズン勝率5割を割ったチームはCSへの参加資格を失う」という規定を制定してもらいたい。スワローズというチーム自体になんら遺恨があるわけではない。しかし、彼らの躍進は「シーズンのプレーオフ化」というゆゆしき事態の招来の促進に他ならない。それは大袈裟ではなく、野球界そのものの崩壊につながりかねないのではないか。野球界首脳の英断を是非期待したい。

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2009年10月 7日 (水)

将棋順位戦異聞2009

長い歴史の中で、なかなか起こらなかったことも、1度起こってしまうと、もう壁がなくなってしまうのかもしれない。先日決着を見た将棋の王位戦は深浦耕市王位が昨年の竜王戦以来、タイトル戦史上2度目となる3連敗からの大逆転で2度目の防衛を果たした。敗れた木村一基八段にとっては、棋聖戦に続く今期2度目のタイトル挑戦となったが、悲願にはまたしても一歩届かず、立ちはだかる分厚い何かを痛感させられることとなってしまった。

その木村の挫折でタイトルホルター不在が続くことになった第68期A級順位戦は、これまた波乱に満ちた展開となっている。今期のA級が始まる前は、今年は「波乱」はないと思っていた。羽生名人への挑戦者は、誰がなっても不思議はないほど実力伯仲と思っていたが、陥落者2人は失礼ながら、今期カムバックして来た2人のベテラン、高橋道雄九段と井上慶太八段が、そのままB1に送り返されるだけだと思われたからである。とうに盛りを過ぎた40代の2人のA級復帰は快挙には違いないが、それにしてもいかんせん荷が重すぎる・・・はずであった。ところが、なのである。

3回戦が終了した現時点で、唯一の無傷はタイトル戦からすっかり遠ざかり、ここ2年の戦いぶりを見ると、そろそろA級維持も苦しくなったかに見えた谷川浩司九段。2勝1敗で高橋、井上の両名も含む6名が続き、1勝2敗という棋士はおらず、3連敗になんと佐藤康光、丸山忠久、藤井猛各九段という名人、竜王経験者がずらり並ぶという意外な事態となっているのである。

「藤井システム」を引っ提げ、一時は将棋界を席巻するかに見えた藤井も気が付けば、2001年に羽生に竜王位を奪われて以来、もうまる8年間タイトル戦とは無縁の存在となり、「丸山ワクチン」の効なく、丸山も2003年に棋王位を失って以来、タイトル戦への登場がない。今期ここまでの通算勝率も藤井が.384、丸山が.381と、とても差し盛りの九段の成績とは思えない。

そして佐藤である。丸山、藤井より順位が上の佐藤だが、ある意味深刻なのは、戦前「白星配給係」と踏んでいたはずの高橋、井上に立て続けに叩かれてしまっていること。2年前、地獄の淵から辛うじて生還したあの悪夢の再現に、おびえなければならないのか。

その佐藤がうめくようにつぶやいたと言う。

「40を目前にして、我々も羽生さん以外は、なかなか気持ちよく勝てなくなって来ている。」

と。長らく棋界に君臨してきたいわゆる「羽生世代」も来年、佐藤が達人戦への出場資格を得るのを皮切りに、続々と不惑を迎えることとなる。その年齢の壁が迫ってくるのを、佐藤もひしひしと感じているらしい。いや、羽生だって名人戦で郷田真隆を、棋聖戦で木村をうっちゃり、指定席とも言える王座戦では若手の山崎隆之七段の挑戦を軽く一蹴して見せたものの、今期のここまでの勝率.571は通算勝率が7割をゆうに超えている羽生としては、お世辞にもいい成績とは言えない。

ふと気付くと、現在のところ、羽生を含むA級棋士が軒並み苦戦しているのである。丸山、藤井の他、佐藤、高橋、郷田となんと5人が勝率5割を割り込み、谷川、木村、井上も辛うじて1,2の勝ち越し、まぁ合格点と言えるのは渡辺明竜王への挑戦を控えた森内俊之九段の.667と.611の三浦弘之八段の2人くらいなのである。

これが一過性のものなのかどうかは、もう少し推移を見ないとわからないが、対するB1タイトルホルダートリオのうち、渡辺が勝率8割台、久保利明棋王が7割台で突っ走ってリーグ戦をリード。深浦はやや遅れをとったが、それでも6割台後半の勝率で後に続いている。いよいよ待望久しい棋界の世代交代の息吹なのか、今後の展開は要注目である。

中川昭一元財務相の急逝には衝撃を受けた。筆者は中川氏の支持者でもなく、またその政治信条や姿勢に全くシンパシーを感じたこともなかったが、ついこの間まで重要閣僚として、日本の政治をリードしていた人物の突然の訃報には正直、言葉もない。確かにあの「もうろう会見」は失態以外の何物でもなく、その意味では落選までは「身から出たサビ」としか言いようがないのだが、そんな失意の政治家から命まで奪ってしまうというのは、運命というものの残酷さにおののくばかりである。

中川氏とは因縁浅からぬ鈴木宗男新党大地代表の号泣する姿がTVに映っていた。それを見て、空々しいと思う気持ちもなくはなかったが

「こんな別れ方をすることになるなんて・・・、昭一さんにも私に言いたいことがあったかもしれんし、私も昭一さんにわかって欲しいことがあった。」

という言葉には、胸をつかれる思いもした。

父一郎元農水相の急死を受けて、政界入りした中川氏。父も58歳の若さだったが、彼もそれよりまだ若い齢で天に召されてしまった。財務相、農水相、党政調会長など、要職を歴任して来た彼が、本当は政治家向きの性格ではなかったという評まで、聞こえてくる今、政治家の世襲のあり方にもまた、改めて一石を投じたのではないのだろうか。

それにしても中川元大臣といい、クレヨンしんちゃんの作者といい、人の命のはかなさについてつくづく考えさせられる秋である。

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2009年9月27日 (日)

土井正三さんの死を悼む

1974年10月14日、この日は「ミスタープロ野球」と呼ばれ、ジャイアンツ入団以来、球界の太陽であり続けた長嶋茂雄の現役最後の日であった。そしてそれは同時に「名選手、名監督に非ず」の格言を覆し、前人未到のV9を達成した川上哲治監督が、長年着慣れたジャイアンツのユニフォームと決別する日でもあった。

ダブルヘッダーで行われたこの日の試合、正真正銘ミスターの最終試合そして自らの監督生活最後となる第2試合で、川上は以下のスターティングメンバーを組んだ。

①(中)柴田勲②(左)高田繁③(一)王貞治④(三)長嶋茂雄⑤(右)末次利光⑥(遊)黒江透修⑦(二)土井正三⑧(捕)森昌彦⑨(投)高橋善正 (一部のちに改名している人もいるが、名前はいずれも当時のもの)

エース堀内恒夫が第一試合で先発してしまったのは画竜点睛を欠いてしまい、また9年の間には、当然選手の入れ替わりもあったが、しかしこれが紛れもない「V9戦士」達。川上は長嶋送別の花道を、そして自らの最終試合を飾るべく、苦楽を共にした彼らをスタメンに並べたのである。

それから35年、誇り高きV9戦士の1人、土井正三さんが逝ってしまった。享年67はあまりに早過ぎる最期だった。

追悼コメントに共通するのは「とにかく野球を、ジャイアンツを愛していた人」。川上勇退と共に退いた長嶋、森、黒江の現役時代は知らないが、他の5人のブレーは見たことがある。試合前の事故で視力が低下した末次が引退を余儀なくされたのが77年、そして翌年に土井さんも現役から引退した。その年の土井さんは規定打席にこそ足りなかったが、自身のキャリアの中で3番目となる打率を残し、ダイヤモンドグラブ賞まで獲得した。当然引退の「い」の字も頭になかった土井さんを強引に口説いたのが立大の先輩でもある長嶋監督。曰く

「後進に道を譲り、育てて欲しい。」

土井さんと二遊間コンビを組み、その後内野守備コーチをしていた黒江が、球団との折り合いが悪く、解任される事態が起こっていた。その後任にと長嶋が白羽の矢を立てたのが土井さんだったのだ。全く釈然としなかった土井さんが結局、しぶしぶながらもそれを受け入れたのは、超自己中男長嶋に逆らっても無駄だと諦めたのと、やはりジャイアンツを思えばこそであった。

2年コーチを務めて、長嶋辞任と共に退団した土井さんは、その後王監督の下でもコーチに就任、そして91~93年にかけて上田利治の後をうけて、オリックス・ブルーウェーヴの監督を務める。

3年連続3位とAクラスを死守しながらも、土井さんのキャリアの「汚点」とされるこの3年間。厳しい指導、采配で選手からほぼ総スカンを食っただけでなく、あの天下の大打者イチローを見出せなかったという「眼力のなさ」が、世間の嘲笑を買うことになってしまったのだ。これについては諸説あり、訃報にあたって、またいろいろな話が流れているが、土井さん本人は最後まで、自分のやり方に自信と信念を持っていたことだけは書いておきたい。

その後、長嶋に呼び戻される形で三度、ジャイアンツのユニフォームに袖を通したのが96年。3年務め、本人は尚も意欲十分だったが、長嶋に「若返り」を通告されて、退任を余儀なくされた。若返りと称して、長嶋に振り回されたユニフォーム生活との決別であった。

監督としては評判のよろしくない土井さんだったが、コーチとしての評価は高い。そして選手としても星野仙一か江夏豊のどちらかだったと思うのだが

「もし乱闘でもあって、一発ぶん殴ってやれるのなら土井やね。」

と言われたくらい、相手から嫌がられた選手だった。

そして何よりジャイアンツが大好きだった。オリックスの監督時代、二言目には「ジャイアンツでは」とやり、これも評判を落とす大きな要因になったらしい。これが土井さんの野球人としての限界だったのかもしれないが、それでも自らの野球人としてのバックポーンとなったジャイアンツそしてV9野球というものに、誰よりも誇りを持ち続けた人だった。

2年前、病魔にむしばまれていた身体を引きずるように、東京ドームに姿を現した時、土井さんは既に余命数ヶ月と宣言されていたという。しかし、それから土井さんは懸命に戦った。今月に入り、土井危うしの報に、川上以下ON、柴田、高田、吉田孝司らかつての戦友達が続々と土井さんを見舞った。そして、後輩達が自分達以来の3連覇という偉業を達成したのを見届けたのち、旅立って行った。心からご冥福をお祈りしたい、合掌。

3連覇を成し遂げたとは言え、今のジャイアンツは原監督復帰以来正二塁手不在の状態が続いている。千葉茂ー土井ー篠塚和典ー仁志敏久と続いた名手の系譜は途絶えたままだ。キムタクの頑張りには、敬意を表するが、脇谷、寺内、中井、藤村といった中堅、若手に奮起を期待し、早く冥府の土井さんを安心させて欲しいと思う。

もう1つ、今朝のスポーツ主要4紙の中で、土井さんの訃報をトップで扱わなかったのは報知だけだった。特ダネが入り、最終版で差し替えたようだが、これが功労者に対する読売グループのはなむけなのかと思うと、なんとも言えない憤りと寂しさを感じないわけにはいかなかった。

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2009年9月25日 (金)

掴み獲った栄光

気になって調べてみた。現在のジャイアンツの最古参選手、つまりもっとも長くジャイアンツに在籍している現役選手は誰なのだろう?と。答えは97年D4位入団鈴木尚広、であった。その後翌98年D1位入団の高橋由伸、99年D3位入団の加藤健、00年D1位高橋尚成、01年D1位阿部慎之助と続き、長嶋茂雄元監督下のジャイアンツに入団した選手はこの5人しかいなくなってしまっていた。

長嶋が2度目の監督に就任したのがもう16年前の話であり、退任してからも8年が過ぎた。古い話になってしまったと言えなくもないが、しかし長嶋復帰初年度のD1位はあの松井秀喜なのだから、もっと長嶋時代の生き残りがいても不思議ではないはずである。

ちなみにセの他球団を見渡すと、中日には84年D5位山本昌なんてとんでもない「長老」がいるが、他にも今年限りで引退とも言われる立浪和義が88年D1位、90年D2位の井上一樹と来て、その後少し飛んで96年D1位荒木雅博、97年D2位森野雅彦と続く。ついでに阪神は92年D4位の桧山進次郎が最古参、先頃引退試合を行った田中秀太が95年D3位で続き、後は97年入団の今岡誠と関本賢太郎、98年移籍の矢野輝弘となる。在籍10年以上の選手数は中日10阪神7ヤクルト9広島12横浜5に対してジャイアンツは4人と最小である。

原辰徳監督復帰初年度となった2006年、素晴らしいスタートダッシュを決めながらも交流戦に入るやいなや、今年のスワローズを彷彿とするような大失速を演じたことはまだ記憶に新しい。

「こんな弱いチームで野球をやったことはない。」

連日不甲斐ない戦いぶりを続けるナインを目の当たりにして、原は当時、日記にこう記したという。確かに、主力にケガ人が続出し、まともな戦いが出来ない時期もあった。しかし、原がなによりもショックだったのは、そのケガ人達がようやく揃った9月、さぁ最後の反攻と意気込んだ途端にチームはまたも失速、とうとうAクラスにすら残れなかったことであった。一方そんなジャイアンツを尻目に、着々と勝ち進んで来た中日は、ライバル阪神も突き放し、優勝へのマジックを1として、意気揚々と東京ドームに乗り込んできた。

目の前の胴上げだけはゴメン、とばかりに最後の力を振り絞って中日に立ちはだかったジャイアンツであったが、延長10回、当時ストッパーを務めていた高橋尚が、敵の4番タイロン・ウッズに決勝満塁本塁打を浴びて、力尽きた。宙に舞うかつてのチームメイト落合博満の姿を無念の思いで眺めながら、原はチームの再建を誓った。

「上手い選手はいらない、強い選手が欲しいんだ。」

以来、事ある毎に原はこの言葉を口にするようになる。長嶋茂雄監督下でかき集められ、主力となっていた選手達の多くが見かけ倒しに過ぎないことを痛感した原は大胆なチーム改革に打って出ることを決意する。

自らのチーム復帰と共に招聘した尾花高夫投手総合コーチの指導の下、ここ数年崩壊としか言い様のない惨状を示していた投手陣は、内海哲也、西村健太朗といった若手の台頭もあり、少しずつ立ち直りの兆しを見せ始めていた。がチームのお目付け役と期待した近藤昭仁ヘッドコーチが、ジェネレーションギャップもあって選手はおろか、コーチ陣からも浮き上がってしまい、結局機能せず、野手陣の整備が進まなかった反省から、伊原春樹元オリックス監督を当初は野手総合コーチとして、そして健康問題を理由に近藤が勇退する形になると、そのまま後任に昇格させ、以来原の片腕として、チームの改革に手腕を発揮している。昨日の優勝インタビューで原は、WBCで開幕前の1番大事な時期にチームをは離れなければならなかった不安を率直に述べていたが、大過なく、留守を預かった伊原、尾花両コーチ以下のスタッフの手腕は見事であった。

選手も大胆に入れ替えた、長嶋監督時代、いや自らの第1次監督時代の日本一にも貢献してくれた連中でさえ容赦しなかった。結果、今年育成契約を含めてジャイアンツに在籍した78名の選手の内、実に半分強の41名が07年以降の3年間にチームに加わった選手達となったのである。

ぬるま湯につかったひ弱な生え抜きに見切りをつけ、非難を浴びようと大胆に他球団から戦力を補強した。復帰初年度の李、豊田、木村拓らに続いて、07年は小笠原、谷、大道、らを、08年ラミレス、グライシンガー、クルーン、藤田、鶴岡そして今年もゴンザレス、M中村を獲得して、チームの根幹を為すべく配置、その多くが期待に応え、それぞれのあたえられたポジションで力を発揮した。特に小笠原、ラミレスの2人はかつてのONになぞらえる程の存在感を示し、このあと触れる若手育成に、原が大胆に踏み切れたのも、結局はチームの柱としての彼らがあればこそであると言って、全く差し支えないであろう。

安定性のなさを嘆かれるクルーンだが、彼の加入は長年頭痛の種であったストッパー不在を解消したことは間違いなく、グライシンガー、ゴンザレスはローテーションを守り続けた。移籍初年度以外はレギュラーとして扱われず、さぞ不満だったろうが、谷はやはり「実力者」というべき選手であった。木村や古城、鶴岡のようにバイプレーヤーとして、きっちり仕事をする姿は若い選手のよいお手本になったに違いない。

こういう他球団からやって来たツワモノ達を手本に、原の抜擢を受けた若手が芽を出し始めた。坂本勇人を筆頭に、越智、山口、松本、亀井、東野、木村正太・・・中井大介も終盤結果を出し始めたし、昨日ペナントを持っての球場内一周時に、トロフィーを持っていたのは大田泰示だった。この男に次代を担わせる、原のそんな思いが感じられた。

かつての主力達の多くがチームを去り、残った数少ない1人である高橋由は第一線から遠ざかり、高橋尚は原の信頼を失いつつあるように見え、シーズン後のFA移籍もささやかれる。キャプテン阿部を唯一の例外として、今までと全く違った力が、新たなジャイアンツの伝統と力を創り出そうとしている、そんな息吹と頼もしさを感じさせてくれた今年1年間の戦いぶりであった。

今年のペナントは数字から見ても、完勝であった。が原監督自らが言っていたようにまだ、戦いは全く終わっていない。

「これから本当の戦いが始まる。」

昨日の試合終了後、中日の落合監督はそううそぶいていたそうだ。いや、負け惜しみと言うべきかもしれない。3年前に強さを見せつけてやったはずの相手にお返しされ、あれほど蔑んでいたCSを「本番」と言わざるを得なくなってしまったのだ。ペナントは完敗、しかし2年前の夢よもう一度、落合としてはそこに拠り所を見出すしか、今はない。

だからこそ、そんな「邪な」考えをまず粉砕することはジャイアンツに与えられた「最低の義務」である。WBCに背を向け、自分達のことだけを考えて、おいしい思いをしようという輩がペナントを制するという暴挙はまず阻止した。そして更に、残された淡い希望も敢然と打ち砕くことが、今後の球界の為でもある。今年、WBCで厳しい戦いを演じた選手の多くがペナントに入ってから苦しんだ。その上、そんなチームが栄光のひとかけらでも掴むようでは、名誉の為に苦難の道を選んでくれる選手などいなくなってしまうだろう。

その上で、後一歩で掴むことができなかった「日本一」。これを勝ち取ることこそ、選手や球団関係者、そして我々ファンの最大の願いである。まだまだ道のりは長い、気を引き締めて、戦い続けてほしい。

ジャイアンツと中日の動向ばかり追いかけていて、ふと気付くとなんと楽天がCS争いどころか、優勝も夢じゃないところまで来ているじゃないか!いやぁ、もしポンハムをひっくり返すようなことにでもなれば、これは昨年のジャイアンツに負けず劣らずの快挙になる。こりゃ面白くなって来たゾ!!

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2009年9月24日 (木)

祝!三連覇!!

1990年から94年にかけてリーグ五連覇を果たした西武ライオンズ以来、セントラルリーグということになると、なんとあのV9ジャイアンツ以来のリーグ三連覇なのだそうだ。これは快挙と言うにふさわしいであろう、原辰徳監督以下読売ジャイアンツのコーチ、選手、スタッフ関係者のみなさんに、心から祝福申し上げると共に、一ファンとして本当にありがとうございましたと、心からお礼を申し上げる。

交流戦直後にヤクルトに1.5ゲーム差まで迫られ、8月に入ってからは今度は中日の猛追を受け、1ゲーム差まで詰められたが、まぁ今年は危なげない勝利と言って差し支えないだろう。勝っても勝っても中日を引き離せず、逆に中日も勝っても勝ってもどうしてもジャイアンツに追いつけない状況が続き、もはやどちらが踏んばり切れるかの勝負になったと思っていたが、思いもよらぬ月末の敵地ナゴヤドームでの3タテで一気に突き放し、最後は7連勝でのフィニッシュ、見事であった。

シルバーウィークとやらで、世間は5連休だったそうだが、筆者も終盤2日間は休みをいただき、昨日は子供の友達家族のお誘いを受けて、実に久しぶりに自然の中でのバーベキューなんぞを楽しませてもらい、今日は彼岸の墓参りで実家に寄ったところで、愛するジャイアンツの優勝を目の当たりにできた上に、少々遅い誕生祝いまでしてもらい、いい連休を過ごさせていただいた。今日はまずはお祝いまで、続きはまた改めて。

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2009年9月20日 (日)

理想を追えるか

亀井静香が張り切っている。かつて自民党で派閥の領袖を務め、総裁候補の1人だったはずなのに、いつの間にか党追放の憂き目を見て、以来苦節4年、いや森内閣下での自民党政調会長以来の久々の檜舞台へのカムバックである。菅、岡田なにするものぞ、本来なら鳩山だって格下じゃないか、たぶん内心ではそう息まいているのだろう。郵政民営化見直しの私案を口にした原口総務相にさっそく噛み付き、平成版モラトリアムを提起して波紋を投げ、藤井財務相にたしなめられても、どこ吹く風の鼻息の荒さである。亀井のバイタリティやメッセージの発信能力は鳩山内閣にとって得難いものではあるが、これが閣内不統一や不協和音にまで高まってしまっては「過ぎたるは及ばざるがごとし」で、元も子もなくなってしまう。今後の鳩山首相の手綱さばきが注目される。

そして、もう1人政権交代に伴って浮上して来たのが、衆院外務委員長に指名された鈴木宗男新党大地代表である。

鈴木の指名については野党である自民、公明両党が鈴木が現在も公判中の刑事被告人であることを理由に「前例がない」と徹底して反対した。「彼が逮捕された時には、全会一致で辞職勧告決議案も可決されている」とも言ったそうだ。それに対して民主、社民の与党側は「有罪が確定していない以上、推定無罪」との論理で押し切り、横路孝弘新衆院議長が、他の常任委員長同様に指名して決着した。

早くも、ついこの間までのスタイルとは攻守逆転した姿が、明らかになったが、1、2審で実刑判決を受けている鈴木は、最高裁でこのまま刑が確定すれば、失職、収監を余儀なくされるのであり、今彼をこのような公職に就けることは、いささか時期尚早の感は否めない。橋本龍太郎が、自民党史上初の総裁選無投票再選を果たし、意気揚々と内閣改造を行い、当時ロッキード事件で有罪判決が確定したばかりの佐藤孝行を入閣させたら、途端に世論の猛反発をくらって人気が急下降したのを、思いだしたが、今のところはあまり厳しい反応は出ていないようではある。

思えば世間、マスコミからの袋叩きの中で逮捕されて以来、鈴木は一貫して「国策捜査」と訴え、無罪を主張して全面的に争い続けている。自分がいかに陥れられていったかを赤裸々につづった彼の著書「汚名」を、筆者は矢野絢也が書いた「黒い手帳」と立て続けに読んでしまい、かなり憂鬱な気分にさせられたが、それはともかく少なくとも鈴木本人は、外務省に裏切られ、人身御供にされたと信じ、2005年に国政に復帰して以降は復讐と怨念に満ちた告発と追及を続けており、かつて外務省を「支配」したともまた「庇護」としたとも言われた鈴木は今や、外務省の人間が「敵」と明言する存在になった。

だが、非難や反対にも当の鈴木は平然たるもの。北方領土が間近に望める道東に生まれ育ち、我が国有数のロシア通である彼がライフワークと公言しては憚らない「北方領土問題」に再び手を染め得るポジションに返り咲いたことが嬉しくて仕方ないらしい。

「鳩山総理からは、北方領土を頼みますと言われている。」

と意気軒高、その一方で国政復帰以来の彼の武器である「質問主意書」をこれからも出しまくって外務省を追及すると明言しており、外務省は戦々恐々とか。

正直、鈴木の「復帰」で、この超難問が急に動き出すとは思えないのだが、吉田茂の講和独立と並ぶ戦後外交の金字塔とされる一方で、現在まで領土という禍根を残したことで、批判の声も絶えない鳩山一郎の日ソ国交回復。爺さんのやり残したことを俺が成し遂げると、鳩山が意欲を燃やすのは良くわかる。そして鈴木、鳩山そして横路もみんな北海道選出の国会議員である。この解決を望んでいない日本国民は恐らく1人もいないのだから、彼らの奮闘を期待したいが、鈴木が結局監獄入りで途中退場などというなんともバツの悪い結末にならないよう、彼の為にまずは祈るしかない。

先日実家に寄って、暇潰しに持ち出した本がある。政治評論家の鈴木棟一氏がサンデー毎日から週刊ダイヤモンドと掲載誌を替えながら、中曽根内閣当時から今日まで同時進行で書き続けている政治ドキュメント「永田町の暗闘」である。今回持って来たのは、小渕内閣スタートから小泉内閣が誕生するまでの約3年間のものだったが、読んでみて驚いた。余りにもここ数年の状況と似ていたからだ。放り出しではなかったが、短期間でコロコロと内閣が替わり、出てくる首相達の人物の矮小化、政治家としての識見のなさは国民の政治離れ、自民党離れを助長するばかりで、森喜朗が登場するに至って、そのいらだちはピークに達しつつあった。ところが、そこに小泉という救世主が現れたのが、今回との大きな違いであった。

そして、第2の小泉は果たしているのか、再生を賭けた自民党総裁選が始まった。立候補者は3人だが、ベテラン勢をバックに優勢とされる谷垣禎一、失礼ながら当方の勉強不足で名前もよく知らなかった西村なんとかさんに対して、念願の総裁選出馬を果たした河野太郎が1人目立つ展開になっている。

党内融和、全員野球を訴える他の2人に

「全員野球には反対だ。悪しき伝統を引きずった人をベンチに入れてはいけない。」

と言い放ち、森と青木幹雄を名指しで非難、引退を求めただけでなく

「今回の選挙で選挙区で議席を得られず、比例で復活された幹部の方は後進に道を譲っていただきたい。」

と事実上、伊吹文明、額賀福志郎そして町村信孝と言った派閥会長クラスにまでパージを突き付ける暴れっぷり。これを「痛快」と見るか「単なるスタンドプレー」と見るかは、人それぞれであろうが、確かに森、青木それに安倍晋三なんて連中にはもううんざりではある。

「党内野党」的その言動は、かつての小泉純一郎を彷彿とするし、また先頃引退した河野の父洋平も、若い頃は離党して新自由クラブを結成するなど、大した暴れっぷりではあった。

だが、正直なところ、自民党の「若手」と称される連中が党の体質を批判し、暴れまわるという光景は見飽きてしまっている。洋平はもちろんのこと、石破茂、笹川尭そして太田誠一なんて面々も随分吠えまくり、一旦は離党までしながら、結局はうそうそと舞い戻り、いつの間にか幹部然として振る舞った揚句、笹川、太田あるいは小坂憲次、みんないなくなってしまった。彼らのように離党まで行かなくても、党を再生だの立て直すだのわめいていた連中は随分見たが、なぜかある時期からピタリと大人しくなり、あとは順調に「自民党の政治家」としてのふさわしくなる為の階段を登って行く。筆者はこれを「自民党若手議員のはしか現象」と呼んでいる。

もちろん野党に転落した今日、今までのような「お約束」のようなことを繰り返しているわけにはいかないだろうが、先の議員総会で総裁選推薦人の数を減らそうという緊急動議にほとんど賛成者がいなかったのを見ても、なんとも前途に不安を覚えないわけにはいかない。河野のいら立ちはわからないでもないが、あまりの過激論はただ空回りして、結局はなにも生み出さないのではないだろうか。

思えば、前回自民党が野党に転落した時、渡辺美智雄を破って総裁の座に就いたのは河野洋平だった。そして渡辺の子息の喜美は一足早く自民党に愛想をつかして離党、新党「みんなの党」を結成して、選挙に臨み、意外なほどの大善戦をした。そんな渡辺に河野はラブコールを送った、共に党を再生しようと。しかし、今のところは渡辺は公務員改革の同志と見て、民主党寄りのスタンスを崩す気配はない。巨大与党となった鳩山政権の前に、野党自民党の苦悩は深い。

だが、個性的なメンツを揃え、政治を変えると意気込む民主党及び社民、国新の連立内閣も、高い理想の前に立ちふさがる現実に、思考錯誤の毎日と見える。今は政治家も、マスコミもそして我々国民も、しばし学習の時のようである。

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2009年9月17日 (木)

歴史的1日

「日本の未来は明るい。」

今日の午前中、自らが任命した17名の閣僚から辞表を取りまとめ、自らも前内閣総理大臣そして前自由民主党総裁となった麻生太郎は、退任する首相としては異例の「サヨナラ会見」を行い、国民に対する最後のメッセージと称して、こんな言葉を残して、総理官邸を去って行った。花束を贈られ、黒塗りの車に乗り込んだ麻生は、見送りに集まった国民に車内から笑顔で手を振り、とうとう最後には車から降りて、歓声に応えていた。最後までノー天気な男だと、思わず苦笑いが浮かんでしまったが、しかしこれからの自民党にとって必要なのは、実はこのノー天気さだったのかもしれない。皮肉にとられてしまうかもしれないが、今更ながら麻生が惜しくなって来た。彼は明らかに時運に恵まれなかった、出番を間違えてしまった。これもまた運命と言うしかない。

戦後の首相としては唯一の復へき(首相への返り咲き)を果たし、昭和20年代に長期政権を誇った吉田茂を飽くなき挑戦の末、引きずり下ろした鳩山一郎。そしてそれから55年後に両者の孫同士で繰り返された因縁は既にいろんなところで触れられてはいるが、とにかく16年ぶりに誕生した「非自民政権」、そして1955年の自民党結党以来、初めて自民党以外の政党が衆参両院で第1党として堂々と政権の座に就き、内閣を発足させた。8月30日同様、本日9月16日もまた、歴史に残る1日となったことは間違いない。

国会での指名を受け、正式に内閣総理大臣となり、記者会見に臨んだ鳩山由紀夫の表情は、今までとは一変、厳しいというか引き締まったものになっていた。凛々しいと言ってもいいかもしれない。その語り口も今までのなんともたどたどしいというか、ぎこちなさというものが、とりあえず影を潜め、まっすぐに我々国民に訴えかけようという姿勢にあふれていたように思う。鳩山に1番欠けていたと見える「重厚さ」、もちろんそれが首相になった途端に、急に身に付くものだとは思っていないが、「地位が人を変える」という言葉を思い出させてもらった。

新官房長官平野博文によって発表された鳩山新内閣の布陣、これについては人によって様々な評価があるのだろうが、今の民社国3党連立内閣のスタッフとしてはまぁ妥当な人選なのではないかと筆者は思っている。

菅直人副総理兼国家戦略室担当相は当初官房長官説もあり、本人も不満を抱いた時期もあったやに聞くが「雀100まで踊り忘れず」という言葉もある通り、市民運動家から政界に転じ、ついに内閣のNO2にまで上り詰めたこの人物は一言で言えば「目立ちたがり屋」。これは決して政治家菅に対する悪口ばかりではないつもりだが、しかし「イラ菅」の異名を取り、また破壊、攻撃を得意技とする菅がいわゆる「女房役」「調整役」とされる官房長官に適任とはどうしても思えないが、鳩山内閣最大の売りである「脱官僚依存」の最前線に立つのは、やはり菅が最適任ではないか(もっとも平野官房長官っていうのも華がないねぇ。華やかさが、官房長官の最大の適性資格ではないのだろうが「内閣のスポークスマン」である以上、イメージ戦略っていうのは無視はできない。町村信孝、河村建夫と2代続けて見てるだけで、気が滅入るような長官が続いただけになんとかならなかったのかなぁとは率直に思う)。

長妻昭厚生労働相は今内閣の最大の目玉人事。本人が熱望して、他ポストから入れ替わっての就任と聞くが、これは鳩山の決断だったと思う。長妻の熱血が空回りして、役所の中で浮き上がって、かえって逆効果となるとも懸念もあったようだが、それなら仰々しく「脱官僚依存」なんてお題目は最初からうたわない方がいい。4年前の大敗からの反転攻勢の大きなきっかけを作ったのは紛れもなく長妻、彼が今日の民主党政権誕生に果たした役割の大きさを思い、また彼を先頭に立てて自公政権を攻め立て続けながら、いざ政権を獲ったら、年金担当は別の人では、国民の不信を買おう。原口一博総務相と並んで、内閣のメリハリをつける存在になっていくことを期待したい。

藤井裕久財務相は久々に見た「内閣の重鎮」と呼ばれるにふさわしい存在ではないか。自民離党以来の仲だったはずの小沢一郎の横やりから入閣が危ぶまれた時期もあったようだが、鳩山が初心を貫いたのはいろいろな意味でよかったと思う。就任記者会見でも「識見」というものを政治家から感じたのも随分久しぶりのような気がした。引退予定を鳩山が、引き留めたそうだが、どうやら正解だったようだ。

秘密のアッコちゃんは全部表に出してもらうと飄々と語っていた仙谷由人行政刷新担当相は、小沢一郎に面と向かって苦言を呈する度胸を生かして、官僚機構に切り込めるか?久々の檜舞台復帰の亀井静香郵政・金融担当相はいろいろな意味で、今後台風の目となっていくだろう。

その亀井が当初就くと伝えられた防衛相。ここが民主党にとって鬼門のポストであることは周知の事実で、これを他党の亀井に丸投げはいかがなものとは思っていたら、とりあえずそれが避けられたのはまずはめでたいことだが、代わり?に登場の北沢俊美とは何者か?他にも千葉景子法相、小沢鋭仁環境相、川端達夫文部科学相あたりは逆に先行きやや不安な気配である。

当たり前のことかもしれないが、新閣僚は口ぐちに「マニュフェストの誠実な実施」と述べていたのは好感は持った。また、新閣僚が官僚の入れ知恵なしに、自らの言葉で就任会見に臨んだのも、国民の目から見れば清新に映ったのではないか。それなりの個性的なスターを揃えた以上、後問われるのは実行力そして、彼らを束ねる鳩山の首相としてのリーダーシップである。

鳩山由紀夫首相の誕生は1つの歴史であり、また感慨深い出来事ではあった。しかし感傷にひたれるのは今日まで、時間も懸案も待ってはくれない。もはや、日々がイザッ勝負!である。

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2009年9月15日 (火)

今日はとりとめなく

もはや時間の問題になっていたとは言え、イチローの立て続けの偉業達成には、改めて大きな拍手を送りたい。メジャーで9年連続200本安打って、当たり前だが、やはり常人の為せる業ではないよね。セコイ内野安打が多いとか、ガタガタ抜かす輩もいるらしいが、だったら前進守備でもなんでもして阻止してみろってんだ!

「やっと解放されましたね。」

さしものイチローもこうコメントして、半端でなかったプレッシャーを告白していたが、この記録はまだまだ伸ばせそうな気配。無人の野を行くがごとく、こうなったら後進が全く手の届かないくらいの「神の領域」まで、突き進んでもらいたいものである。

「あいつしかいないよ、こんな時くらいにしか役に立たないだろ。」

と言ってたのは筆者の弟だが、その予言通り、ババの押し付け合いの観を呈していた自民党総裁選に谷垣禎一元財務相が立候補第1号として名乗りを上げた。かつてはリーダー候補には事欠かなかったはずの自民党だったのに、いつの間にかこういう無難かもしれないが、なんとも線の細さを感じざるを得ない人材しかいなくなってしまったのか。少なくとも野党党首として、戦いの第一線に立つにしてはなんとも迫力不足だよなぁ。

当選10回の谷垣を主に派閥領袖クラスのベテランが推すのに対し、中堅若手と称される人々は石破茂や河野太郎、あるいは小野寺五典といった面々を担ごうとしているやに報道されている。今週の週刊朝日の見出しに

「森喜朗や安倍晋三なんてもう引っ込め。」

という若手議員の言葉が掲げられていた。それは確かに同感なのだが、と言って若返ればなんでもいいのかと言えば、それも疑問がある。

4年前、今と全く正反対の立場に追い込まれた民主党は岡田克也代表の後任に菅直人と前原誠司が名乗りを上げ、大接戦の末、予想を覆して若い前原が当選を果たした。中堅、若手で執行部を固め、一応お目付け役として起用したはずの鳩山由紀夫幹事長は事実上蚊帳の外に置き

「もはや鳩山、菅の時代じゃない。」

と大はしゃぎしていた結末は、わずか半年後にニセメール事件でずっこけてジ・エンド。壊滅寸前に追い込まれたかに見えた民主党を救ったのは「平成の黄門」大長老の渡部恒三であり、その後を受けて党勢立て直しに辣腕を揮ったのは小沢一郎だったのである。いたずらに世代間でいがみ合うだけでは、なにも始まらないのだということを、この反対党の顛末は教えてくれていると思うのだが、さて?

以前も書いたことがあるのだが、現日本将棋連盟会長の米長邦雄という人はつくづく「乱を好む人」だと思う。とにかく敵を作り、それと戦っていないと気が済まないらしい。大山康晴や中原誠とは盤上ではもちろんのこと、盤外でもしばしば丁々発止とやりあっていたし、それ以外にも、彼が敵とした人物や組織は枚挙にいとまがない。そして念願の将棋連盟トップの座に就いて早4年、今の彼の怨敵はLPSAと通称される「日本女子プロ将棋協会」なる組織のようだ。自らがトップを務める組織に、言わば反旗を翻す形で設立されたこの団体がどうやら米長は目ざわりで仕方ないらしく、自らのHPで攻撃するだけでは飽き足らず、今は連盟の公式HPで「真実を伝える」と称して延々といかに、LPSA側が卑劣なやり方で独立して行ったかを、喧伝しようとしている。

無論、中井広恵をトップとするLPSA側も全面的に被害者とは言い難い面が多々見受けられるが、とにかくこうなった以上、表面的な繕いや嫌がらせの延長のような提案ではなく、本気で共存していく姿勢を見せないと、最終的には自分達の首を絞めるような不幸な結果を招きかねないと思う。まずは、米長会長に大組織のトップたる度量の広さを是非見せてもらいたい、そこがスタートのような気がするのだが。

そしてもう1つ、自分達の対局は確かに大事だろうが、羽生善治以下のトップ棋士が少なくとも外から見ている限り、「我関せず」の姿勢で全く部外者のような顔をしているのもいかがなものか?連盟の運営の責任は確かに米長以下の執行部に第一義的にあるのは承知しているが、一世代上の谷川はもちろんのこと、いわゆる「羽生世代」もそろそろ「政治」に関心を示す義務はあるはずである。もっとも、今のような連盟ならいっそ壊れてしまえとでも内心思っているのなら、まぁ話は別なのですがね・・・。

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2009年9月 9日 (水)

続・自民党はどこに行く?

最初にイチロー選手のメジャーリーグ通算2000本安打達成の快挙を心から祝福いたします。長いメジャーの歴史の中でも前人未到の9年連続200本安打の偉業ももう目前、間違いなく記録にも記憶にも残る偉大なプレーヤーを、リアルタイムで見られる幸運を感謝したくなる。これからも末長い活躍を期待しています。

昨日触れた、例の自民の首班指名への対応が今日、決着した。16日の内閣総辞職に合わせて麻生太郎は自民党総裁も辞任、総裁空席のまま、衆院本会議に臨む異例の事態。そして肝心の候補は両院議員総会での1時間余りに渡る「白熱した議論=ただの、ののしり合い」の末、「両院議員総会長・若林正俊」に決した。ご記憶の方も多いだろうが、悪魔に魅入られたように起用する農水相が次々とトラブルを起こし、その度に火消し役の後任を務めた人物。「困った時の若林頼み」がとんだところでまた、発動される形になったが、決定を受けて挨拶に立った御当人は満更でもない表情だったのはご同慶の限りではある。が、再出発の門出としてはなんとも間の抜けた話であることは間違いなく、自民党落日の印象をますます深めることになった。

2年前の参院選で敗退し、第2院でとは言えついに結党以来の第1党の座を失って以降の自民党というのは、正常な判断能力を失ってしまったとしか思えない醜態を度々見せてきた。安倍の居座りを認め、また突如の投げ出しを恥じることもなく、当然のように後任を決め、それをなんとまた1年後に繰り返して、衒うこともなかった。参院で少数派になった以上、今までのように、なんでも自分達の意思通りに物事が進まなくなるのは、誰の目にも明らかなはずだったのに、民主党以下の野党の意見には全く耳を貸すそぶりも見せずに、無為な激突を繰り返し、最後は衆院での再議決というダンピラを振り回して、ただ突進していくだけ。民主党の態度に全く問題がなかったとは言わないが、自民党の側にも、与党として、情勢を打開しようという責任感も、野党の言い分も呑んでやろうという度量も全く感じさせることもなく、非難の応酬に終始する形になってしまった。

世間の非難に耳をふさいで、懸命に担ぎ出した看板がこれまたひどかった。無責任安倍、無気力福田と来て、ついに無教養・傲岸麻生という「真打ち」が登場するに至って、国民の不信は極まった。それを払拭しようとするどころか、解散直前まで内輪もめの醜態をさらし続け、いざ選挙戦になったら「責任」「安心」「実績」を臆面もなく主張し、あとはヒステリックに民主党を非難するだけ。そしてついに当然の結末を迎えたのである。

どうやら自民党の面々は最後まで、本当に自分達が選挙に負け、政権を失うという危機感を抱いていなかったとしか思えない。結局は国民が頼るべきは俺達、民主党なんかに政権を委ねる選択なんてするわけがないと、タカをくくっていたフシがある。そうでなければ、あんな出鱈目を続けられるはずもなく、もし危機感を抱いていたのだとしても、それに対する適切な対処が出来るだけの人材が、もはや自民党にはいなかったのだということになのだろう。

かくして歴史的惨敗を喫した自由民主党。しかし、彼らもいつまでも呆然としているわけにはいかない。鳩山民社国連立内閣は間もなく発足する。自分達のこれまでのやり方をことごとく否定しようとしている鳩山内閣に対して、長年日本の政治を司って来た政党としての名誉と誇りにかけて、例え数では及ばないにしても、敢然と立ち向かわなくてはならないのである。しかし、その前途は多難としか言い様がない。

その戦いにリーダーとして、最前線に立たねばならない新総裁を決めるのが、既におぼつかない。だから大事な首班指名選挙で「若林」などというみっともない投票をしなくてはならないのであるが、労多くて益少ない野党総裁を進んで引き受けようなどという奇特な人はなかなかいないらしく、今のところその意思を見せているのは、石破茂農水相と加藤紘一くらい。大本命と目された舛添要一は早々に撤退、他の総裁選出馬経験者やいわゆる派閥領袖の間からも出馬の声は上がらず、若手と称される人々からも今のところ、威勢のいい声は聞こえて来ない。実は、野党自民党を率いるに、もっとも適任と思われる方が、もうすぐ辞めなくてはならない立場にあるというのも皮肉なものである。

だいたい舛添は先の選挙で東京ブロックから比例出馬を打診されながら、けんもほろろに断っている。応援には随分駆けまわっていたらしいが、所詮は局外者の立場を崩さなかった。同じ候補者として、厳しい選挙戦を共に戦ったなら、まだ党内の支持も盛り上がったとは思うが、それをしなかったことで、既に野党に転落した自民党に見切りを付け、2年後の東京都知事選狙いとの噂もある。また1度は意欲を見せながら、森喜朗、青木幹雄と会談した直後、なにを言われたかは知らないが、慌てて出馬辞退を表明したという情報もある。ここ3代、あまりにもお粗末な首相が続いたことで、やや記憶が薄れつつあるが、その在任中の言動は決して彼らに「ひけをとることはなかった」森と参院自民党のドンと言われながら、小泉と組んで党の支持組織を破壊し、今日の惨状を作り上げた張本人とも言うべき青木が、なぜにいまだに、隠然たる力を持ち続けているのか、筆者には全く理解できない。この期に及んで、尚もキングメーカー面した彼らの暗躍を許すようなら、まぁこの党に明日はありませんな。

いずれにしても、総裁選には党所属の国会議員しか出られない以上、今更画期的な人材が浮上してくる望みは全くない。この際、推薦人20人集めなきゃ出られないなんて、アホなことは言わないで、とにかく出たい人は全部出る、それで喧々諤々の議論を徹底的にやればいい。いまや野党となった自民党の総裁が決まるのが多少時間がかかったって、あなた方がよく気にされる「政治の空白」なんて起こりませんから、どうぞご安心を(笑)。

前途多難であることは間違いない、ここまで負けては党の再建は難しいとの弱気な声も聞かれる。かくゆう筆者も「自民党はどこに行く?」などと大層なタイトルをつけてはいるが、実は「自民党はどこにも行かない」と思っている、行きようがないじゃないか。

前回、つまり94年の細川連立政権が出来、野党に転落した直後の自民党は情けなかった。与党恋しさに、党を逃げ出す輩が続出、あと1年も連立内閣が続いていたら、あの時点で自民党は終わっていただろう。しかし、今回はそんなことは起こり得ない。あの時は小選挙区制度の導入が決まっていたとはいえ、中選挙区の時代であり、党の間をうろついて、うまく立ち回ることが出来た。しかし、既に小選挙区制での選挙も5回を数え、各選挙区に2大政党の候補がほぼ立ち尽くしている。まして今回、民主党は比例復活者も含めてほとんど選挙区で立候補した面々は当選して議員になっている。そんなところへ僕を入れてくださいなんて、のこのこ行ったところで相手にされるわけがないのである。前回そして、今回とあまりにも大きな選挙結果のブレが起き、小選挙区への批判がくすぶっているが、問題のない制度などない。ようやく、2大政党制が定着しつつある我が国ではあるが、それは明らかにこの制度に拠っているのである。破廉恥な議員の右往左往や合従連衡をガードしているこの制度を導入したメリットは、今はデメリットを遥かに上回っていると筆者は評価している。

そうだ、思い出してみればいい。前回の総選挙はほぼ、これと正反対の結果が出て、自民党が大勝したのである。あれからまだ4年しか経っていないのである。悲観する必要がどこにある、居場所がなくなるなんて有り得ない。自民党の存在価値がなくなるなんて有り得ない。泣きごとを言うのは、あまりに早すぎる、あなた方を追い落とすのに、反対勢力はなんと約60年の月日を必要としたのだ。例え、野党生活が5年や10年、続いたとしたって、そんなのに音を上げるなんて甘過ぎる。

自称「先天性自民党不信論者」の筆者とて、自由民主党が日本の繁栄の為に、果たして来た役割を否定できるものではない。しかし、自民党はあまりに変わらな過ぎた、過去の自己の実績と経験にあぐらをかき、自分にとって代わる政党など現れるはずがないと安心しきって来た。しかし、根拠のない自信はついに、幻想として打ち破られた。政治家となった以上、野党になりたいと思う人はほとんどいないはずだ。まして、自民党に入党したということは、自民党が与党であるという前提で身を投じているのだろうから、この事態は全くもって不本意に違いない。しかし、ここから逃げ出す道はたぶんない、ない以上は現状を変えて、自己改革して出直すしかない。そう腹をくくって、鳩山内閣に立ち向かっていく以外に道はない。

今回の民主党の大勝は自民党の自滅が、その大きな要因であったことは間違いない。そして、いつの日か自民党の巻き返しが実現した時、その主要素が「民主党の自滅」であったとしたら、こんな国民にとって不幸はない。そう易々と反撃をくらう民主党であっても困るが、このまま自民党がいくじなく引っ込んでしまっても困るのだ。筆者は「民主党支持者」では断じてない、「政権交代実現可能な政治制度」の支持者なのだ。それが、現状2大政党制なのだとしたら、片方の党の衰退のみを期待することはできない。まずは総裁選がどういう経緯をたどって行くのか、注目である。

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2009年9月 8日 (火)

自民党はどこに行く?

そのニュースを聞いた時は思わず耳を疑ってしまった。

「自民党、新総裁選出が間に合わず、16日の特別国会での首班指名選挙で麻生現総裁に投票」

ギャグにしては相当センスが悪いなと思ったら、どうやら本気だったらしい。あまりの惨敗についに頭に来たのかと、唖然として眺めていたら、さすがにあまりにみっともないということに気づいた連中がいたらしく、総務会では反対が相次ぎ、それでも一旦は執行部は押し切ったものの、結局はこの件が沙汰やみになったのは、自民党の為には大変喜ばしいことではあった。

が、事はそれでは終わらない。じゃあ誰に投票するのだ、という問題が残る。幹事長説が麻生に投票するのとなにが違うんだと一蹴されてしまうと後は百家争鳴と言えば、まだ聞こえがいいが、要は誰にも妙案はなく、加藤紘一の総裁選挙管理委員長案という奇説が鼻で笑われるに至って、ついに出た結論が「白紙投票」・・・。いやはや前途は多難である。

それにしても自民党支持者や苦杯をなめた多くの自民党衆院選候補者達がやりきれなかっただろうと思うのは、自分達をここまでの苦境に陥れた張本人とも言える連中が、結局は続々と生き延びてしまったことではないか。「一将なって万骨枯る」という言葉を地で行くような結末であった。

麻生太郎は選挙後の会見やインタビューで今回の歴史的惨敗について

「積年の自民党に対する不満を払拭することができなかった。」

と繰り返した。そこにはこれは俺だけのせいじゃねぇよ、という麻生の自己弁護が思いが多分に含まれてはいるのだが、しかしそれは全くその通りである。

麻生の言う「積年」がどのくらい前からのことを指しているかは定かではないが、少なくとも4年前の郵政選挙での大勝以降、自民党は公明党と組んで、特に参院選で敗北してからこの2年の間、大袈裟でなく「神をも恐れぬ所業」を繰り返して来た。今日の事態を迎えたのは、全く持って自民党自らが招いたものであり、そこには一片の同情を寄せる余地もない。

4年前、小泉純一郎のワンフレーズに酔って、踊った有権者にも問題はあったのだが、その大勝を背景に小泉がやったことは、先に廃案となった郵政民営化4法案の復活、可決だけであり、それが選挙後1ヵ月でほぽ片が付くと、あとは腑抜けのようになって1年を過ごし、自民党総裁の任期切れを理由に退陣して行った。

それはそれで、潔い去り方と言えなくはなかったが、あれだけの国民の支持を得ながら、早々に政権の座を去るというのは、無責任とも言えた。そして、重大なのは小泉の成功を実感した自民党は

「総裁には『選挙の顔』となるべき、すなわち国民の人気の高い人物を担ぐに限る。」

という大きな錯誤を抱くこととなった。ポスト小泉の総裁レースが、早々に安倍晋三の独走となったのは、ひとえに安倍の人気にすがって、いや利用して次の選挙も楽々と勝ち抜けたいという議員のさもしい根性の賜物に他ならない。そこにはその人物の首相としての適性や資質など、全く議論の対象にもならなかった。

人気と実力は決してイコールではない。若さへの期待が、やがて実力と修練不足の馬脚を現し、失望に変わっていくのに、さほど時間は要さなかった。選挙の顔として擁立されたはずの安倍の言動が明らかなマイナス要素になって、敗退した07年夏の参院選以降の自民党は、あたかもブレーキの壊れた暴走機関車の様相を呈した。

すべての始まりは、安倍の厚顔無恥な居座りにあった。その居座りを自民党の多くが容認した。それだけならまだしも、その居座りを強行した当の本人が、わずか1ヵ月余りで理由にもならない理由をあげて、政権を放り出したのである。そしてそんな人物が今年に入って、恥ずかしげもなく「勝手に復権し」、いや勝手にそう思い込み、麻生のアドバイザー面して、また永田町を闊歩し始めた。どの面下げて、国民はそう思ったし、また自民党の議員の多くもそう感じたはずだと思うのだが、しかしそんな安倍に対して諫言を行う人物すらついに現れなかった。

にも関わらず、安倍その人は、全国的自民党大敗の中、悠々と当選を果たした。後を襲って、これまた自民不信に拍車をかけただけに終わった福田康夫も、彼らを総裁そして首相に送り込んで、キングメーカー面して自民党を牛耳っていた森喜朗も民主党女性候補の猛追をかわして当選した。苦戦を伝えられた古賀誠も生き残り、小選挙区では落選した他の何人かの「派閥領袖」達も、結局は比例で復活してしまった。

「手痛い敗北を喫した軍隊でも、結果、無能な将軍共が一掃され、有為な若手によって再建されることは多々ある。」

選挙戦中、自民党苦戦の評にこう述べていたのは軍事評論家の田岡俊次氏だが、皮肉にも一掃されたのは「有為な(?)若手」の方であり、「無能な将軍」達は尚、全く懲りることなく、自民党の「再建」に奔走すべく意欲満々の様子である。まさに「最悪のシナリオ」と言ったところではないか。

というところで、続きはまた改めて。

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2009年9月 7日 (月)

ミスター幹事長?・・・

三木武吉という大正から昭和20年代にかけて活躍した政治家がいた。敗れたりとは言え、絶大な権力を誇った東条内閣に敢然と立ち向かった、硬骨の言論人であったが、彼の真骨頂はむしろ戦後、鳩山一郎を擁して、ワンマンと称され政界に君臨していた吉田茂をついに引きずり下ろした一連の攻防に発揮された。そしてなによりも、特筆すべきは戦前から対立を続けた保守陣営の大同団結を成し遂げ、単一の強大な保守政党を立ち上げた事実上の立役者だったことである。そう、今の自由民主党の生みの親なのである。

その三木の政治家としての歩みには大きな特徴がある。多くの時間を野党、在野で過ごしたこともあるが、彼が政府の役職に就いたのは、その長い政治家人生の中で、大蔵参与官というポストを1年ほど務めただけで、あとは一貫して党の役職のみにその経歴が偏っていることである。根っからの黒子、裏方向きの政治家だったのだろう。

そんな三木の生き方を彷彿とさせる政治家が現代にもいる、小沢一郎である。元々自民党所属だった小沢は、ごく普通の自民党議員がたどる出世コースを歩み、科学技術政務次官、建設政務次官を務めたあと、85年に中曽根内閣で自治大臣・国家公安委員長として初入閣を果たしており、この点生涯大臣ポストに縁のなかった三木とは違うのだが、以来もう24年の長きに渡って、政府に入っていないというのは、「実力者」と称される政治家の歩みとしては異例である。逆に自民党を皮切りに渡り歩いた5つの政党のうち、なんと4つの政党で「幹事長」なるポストに就いている(新生党では「代表幹事」、また民主党では現在のところ「就任予定」だが)。これは間違いなくレコードであり、今後も破られることはまずないだろう。もっともそれが誇るべきものかどうかはまた別問題になるのだが・・・。

戦前の政友ー民生の対立を引きずり、更に吉田ー鳩山の角逐でその根が一層深まっていた保守2党を、丹念に説得してまとめ上げた三木に対して、小沢の歩みは全く逆。所属していた竹下派を分裂させたのを皮切りに、自民党を飛び出してからも、政党を作っては壊しを飽きもせず繰り返し、付いた異名が「壊し屋」。

政権可能な2大政党制を作るということは、確かに竹下派NO2の時代から言い続けてはいるが、とすると自民党を今日まで延命させる決定打となった自自連立(自民党と彼がかつて率いていた自由党との連立、これを先駆けとして自民党は更に公明党を与党に引き込むことに成功、以来いわゆる『自公政権』がつい先ごろまで日本の政界を牛耳っていたことは今更言うまでもない)とは一体なんだったのか?

小沢という政治家の存在が、国民から見て、なんとなく胡散臭く、またやりきれないのは、彼が一体何を目指しているのか、見えてこないことにある。93年に彼が自民党を離党した直後には、それなりの主義主張を述べ、それに対する喧々諤々の論議も巻き起こったものであるが、今日、その主張の多くを小沢は引っ込めた・・・とは言わないが、声高に主張することはなくなってしまった。

また、彼が意識的に政府に入ることを避けているように見えるのも、彼のイメージを悪くしていることは否めない。自民党離党以来、意に反して、多くの時間を野党生活に費やさざるを得なかった小沢だが、それでも細川内閣でも自自連立の時でも、小沢が望めば、内閣に入ることは容易だったはずだ。もっとも小沢にも言い分はあろう、自分が内閣に入れる状況ではなかったと。

そういう意味では、あの西松事件というのはかえすがえすも残念であった。あの事件が起こらなければ、今、首相になろうとしているのは間違いなく小沢だったはずだ。国政のトップに立った小沢が、何を語り、なにを為そうとするのか、それを見た時に初めて小沢一郎なる政治家の正体が白日の下にさらされたはずだった。小沢が民主党代表を辞した時、筆者は「さらば剛腕」なる文を書いて、小沢がもはや過去の政治家になったと記した。ところが、それはとんでもない浅はかな見方であり、小沢はどうやら尚も与党有数の実力者として、永田町を民主党を闊歩し続けていくようだ。しかし、「内閣総理大臣候補者」としての小沢はやはり、もう甦ることはない。

先月30日の開票速報番組で幹事長岡田克也を差し置いて、まずテレビに登場したのが小沢だったことに筆者は正直驚いた。選挙対策担当の代表代行だからということらしかったが、代表として戦った2年前の参院選後の開票番組にも登場しなかった男が、どういう風の吹きまわしかと思ったが、インタビュアーの問いに、実も蓋もないような返答を繰り返し、一体なにをしに出てきたのか首をひねらされたまま、すぐに姿を消してしまったのには、苦笑いを禁じえなかった。

小沢の行くところには、常に摩擦が生じる。熱狂的な味方がいる一方、小沢は許せないとばかりに公然と敵視する勢力も枚挙にいとまがないくらいに存在する。味方からは絶大なる信頼、支持を受ける一方で、敵からは異常なほどに畏怖される。その存在感は他の追随を全く許さず、まもなく首相になる鳩山由紀夫ですら、遠く及ばない。

今回の政権交代、民主党圧勝の立役者は鳩山ではなく、小沢なのだという。前回の郵政選挙で国民の多くは小泉純一郎の言動に酔いしれ、自民党に票を入れた。「自民党が勝ったのではない、小泉が勝ったのだ」という評は全く的確であった。今回の選挙結果がそれをいみじくも証明することになった。が今回の民主党の大勝に鳩山の影響力を見る人は少ない。自民党ノーという民意を的確にとらえ、コツコツと候補者擁立に力を注ぎ、政権交代への風を漏らさず受け止めることを成功させた小沢こそが、立役者なのだという評はうなづけなくもない。

小沢はずっと繰り返してきた。

「政権交代の実現こそが、私の政治家としての悲願。」

そして政権交代は実現した。その新しい政権下で小沢はなにを目指し、そして自らはなにをしようとしているのか?

選挙直後、問われて

「政権交代は私の悲願だった。それが実現した以上、私の望むものは何もない。」

と答えながらも、少したつと鳩山が何も言ってこないと周囲に不満を漏らしたという。そして鳩山から幹事長就任を要請された小沢は、上機嫌で記者団の前に現れたそうだ。

小沢の幹事長就任が報道されるやいなや、自民党は浮足立った。敵が浮足立つのはまだいいのだが、マスコミには「小沢支配」の文字が踊り、民主党内までもがざわめき出した。

「小沢に党を乗っ取られる!」

そう叫んだ民主党議員がいたそうだ。いやはやと思わざるを得ないが、実は、小沢の自民党離党以来の行動で手痛い目にあった経験があるのは自民党ではなく、実は民主党内の方に多くいるというのは皮肉な事実ではある。

その筆頭が誰あろう鳩山由紀夫その人で、小沢が新生党代表幹事として、「与党代表者会議」なるのを事実上主宰して、政府を引きずりまわし、結果的に連立内閣を崩壊させてしまった時、内閣官房副長官として鳩山はその姿を苦々しく眺めていた。鳩山や菅直人ら当時の新党さきがけが、羽田内閣誕生の際に閣外に転じ、事実上連立から離脱してしまったのは、そうした小沢に対する嫌悪感からであった。

そして鳩山は小沢に幹事長就任を要請するに当たって、こう述べたと言う。

「政府のことに関しては私がやります。党務に関しては、幹事長にしっかりやっていただきたい。」

これに対して、小沢は了承すると共に、政策には口を出さないと明言したと伝えられる。細川、羽田政権下でのいわゆる「二重権力」体制の再現だけは、絶対に阻止するという鳩山の強い意志を感じるし、また「脱官僚」と表裏一体の「官邸主導、政治主導」体制は民主党新政権の1枚看板でもある。

それが、言葉通り行くのか、機能するのかということはとりあえず置こう。政策決定の場から外され、小沢は一体なにを目的に、そしてなにをして行こうというのだろう。党、国会の人事を行い、そして来月に迫った2つの補選を皮切りに、もう1年を切った次期参院選の勝利の為に骨を折っていくのだろうが、何のために、小沢はそれに邁進していくのだろうか。新しい政治を根付かせる為の下働きを買って出るというのだろうか、それとも参院選に勝って、単独で両院の多数を握った暁には、いよいよ腹案の実現に動き出すというのか・・・その意図を知る人はいるのだろうか?

岡田克也は著書でこう書いている。

「細川、羽田連立内閣を短命に終わらせた最大の要因は最大実力者であった小沢一郎さんが閣内に入らなかったことだ。」

菅直人は選挙戦のある時期まで、こう主張し続けていた。

「幹事長を含む党役員がすべて閣内に入らなければ、政治主導の体制はとれない。」

一方、鳩山由紀夫は一貫して幹事長は閣内に入らず、党務に専念させると言って来た。西松問題を抱え、入閣は難しいと見られる小沢の幹事長起用を念頭に置いた発言であったことは言うまでもない。

そして党内の不安とか細い反対の声を尻目に、小沢は念願の(恐らく)幹事長ポストに就くことになった。小沢の一挙手一投足にいちいち、すわっと過剰反応するのはどうかとは思う。しかし、突如として大連立に動き出すなど小沢の「高邁な政治哲学と行動」はあまりにも唐突で理解に苦しむことがあると国民にも、また多くの政治家にも映るだけに、その行き先や言動にはなはだしい不安を感じてしまうのも無理からぬところかもしれない。ただ小沢の顔色を伺いながらの政権運営では、先は知れている。まさかかつての過ちを鳩山が、そして小沢その人も繰り返すとは思いたくはないのだが・・・。

骨格が続々内定を伝えられる鳩山新体制。意外と誰も指摘しないのだが、注目は法相ポストではないだろうか。小沢の西松問題に、鳩山の献金問題を抱え、明らかに民主党に敵対しようとしている検察を統括する法相に誰を置くかは、なかなかデリケートでシビアな人選を強いられるのではないか。かつて田中角栄は自分の裁判を少しでも優位に運ぼうと、息のかかった政治家を続々と法相に送り込んで顰蹙を買ったが、鳩山にそこまでの度胸・・・いや破廉恥さはないだろう。仙谷由人、あるいは社民党の福島瑞穂党首あたりはいかがかと思うが、さて?

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2009年9月 2日 (水)

望むことはただ1つ、すべてをオープンに!!

8月30日の深夜に開票速報を見ながら、更新するつもりだったのだが、正直、あっけにとられたまま、テレビを見続けるだけに終わってしまった。そして今、パソコンの前に座って、書きたいことはたくさんあるはずなのに、なにから書いていいかわからない。未だに興奮状態から醒めていない自分がいるらしい。

昨年9月、早いものでもう1年前の話になるが、麻生太郎が颯爽と(?)と自民党総裁として登場し、衆院を解散する構えを見せた時、正直アホめと思った。いや2度の破廉恥な政権投げ出しを末に登場した麻生に解散先送りなど、許されないとは思っていたが、しかし自民党の立場で言えば、あの時点で解散するなど無謀としか思えなかった。自民党の支持率も、内閣の支持率も今にして思えば、夢のように高かった。それでもいざ選挙になれば、民主党の圧勝だったろう。それが小選挙区選挙の恐ろしさなのだ。それに気づいたのか、麻生は一転、選挙を引っ張りにかかった、時間を稼ぎ、敵失を待つ以外の方策がもはやなかったからである。民主党が、その無策の策をついに、打ち破ることができなかったにも関わらず、結局西松問題という絶好のチャンスもあたら見逃してしまった麻生と自民党は、時間に迫られ、とうとうやけっぱちとも言える解散に打って出るしかなくなってしまった。

それでも解散から投票日までたっぷりとった日程は、有権者の反自民の熱を冷ますのに十分な時間に思えた。天災、有名タレントの薬物騒動、そしてお盆・・・。郵政選挙一色の報道だった4年前とは打って変わって、テレビも静かなものだった。その上、選挙戦突入後、各マスコミに踊った民主圧勝、300超えの報道。有権者は政権交代に土壇場で躊躇し、投票率はせいぜい50%代半ば、民主は270まで取れれば上等というのが、筆者の見立てだった。ところが・・・投票率は前回をも上回り、事前予測通り、民主は文字通りの圧勝を果たした。自分だけが「憂国の士」とまでうぬぼれていたつもりはないが、筆者は少々思い上がっていたようである。

このブログを始めて約2年半、政権交代をすべきとバカの1つ覚えのように繰り返して来た。いや、それ以前からこの国の前途の為には、それしか道はないと、偉そうな言い方をすれば「信念」を持っていた。89年

「山が動いた。」

という名言を吐いた時の土井たか子の輝いた表情を筆者は忘れることができない。しかし、土井の至言は残念ながら幻だった。4年後、永久与党としか思えなかった自民党をなんとか引きずり下ろした時、ようやく新しい時代の扉が開かれたと思った。にも関わらず、引きずり下ろしたはずの側の滅びはあっけなかった。それからまた、15年の月日が流れた。

どう見ても、自由民主党という政党の役割も、賞味期限も終わっているとしか思えなかった。しかし、結党以来、実に半世紀以上に渡って、政権をほぼ独占し続ける自民党の牙城は堅固そのものだった。更にその自民党をなぜか誠実に下支えし続ける公明党、創価学会とのタッグはほとんど無敵にも見えた。これを打ち破る方法があるとしたら、それは投票率を上げて、学会の恐ろしく強固な組織票を効かなくする以外にないのだが、それにも有効な手段が見当たらなかった。お手上げ・・・としか思えない時が続いた。

そんな「敵」のほころびが見えたのは2年前、参院選で自公は大敗を喫し、過半数を失った。奇才小泉純一郎を擁して、わが世の春を謳歌したのもつかの間、その小泉が去ってみると、人材の払底は覆い隠すべくもなくなっていた。以降の迷走ぶりは今更繰り返すまでもない。

そして、ついに日本国民は事実上初めて、自らの手による政権交代を実現させた。今までは、首相が退陣しても、後継を選んできたのは与党の中枢に座る自民党であり、その都合、お家事情がすべてに優先されていた。しかし、今回、一政党のそんな勝手な思惑は全く入り込む余地もなく

「あんたはクビ、代わってこの人。」

と国民が明確に意思表示をしたのだ。随分遠回りだったが、こうして2009年8月30日という日は、日本の歴史に間違いなく刻まれる日となった。

今日を迎えられた最大の要因が、1994年に導入された小選挙区制度にあることはまず、疑う余地はない。この制度に引きずられて、ようやく日本は2大政党制、すなわち政権交代可能な政治制度にたどりつくことができた。今まで、一方的に与党である自民党に集中してきた人材が、この制度によって分散せざるを得ない状況となった。民主党というとにもかくにも、自民党にとって替われそうな政党を15年かけてようやっと育て上げたのが、この小選挙区制度だったのである。そして、極めて大雑把に言えば、今の民主党にはかつて、政治改革の名の下にこの制度導入を推進した勢力が拠り、自民党にはそれに反対した勢力が集っていた。「政治改革派」の悲願は15年の時を経て、ついに結実したとも言える。

来る16日には国会の首班指名選挙を経て、鳩山由紀夫が内閣総理大臣に指名され、恐らく社民、国民新両党との連立による民主党政権が誕生することになる。現憲法下において、全く閣僚経験のないままに、首相の座に就くのは戦後間もない片山哲を除いても、細川護熙、村山富市に続く3人目、経験不足は否めないし、片山を含めてすべて連立内閣の首班、全員お世辞にも長期政権だったとは言い難い。

正直言って、鳩山が首相になるなんてほんの数ヶ月まで、考えてみたこともなかった。「リーダー」というなら、小沢一郎や菅直人の方が、遥かにリーダーシップを感じさせるし、政策能力という面なら岡田克也の足元にも及ぶまい。かつて安倍晋三や福田康夫にも投げかけた言葉だか、彼がもし鳩山一族の4代目でなかったら、果たして宰相の印綬を帯びることができただろうか?

だが、鳩山には彼らにはない勲章がある。それは今のままでは、日本の政治はどうしようもないと、2大政党制を志し、その実現の為に、敢然と野党にその身を投じたことである、それも2度までだ。これも前に書いたことがあるが、鳩山はあのまま自民党に留まっていれば、麻生や安倍のような道を歩み得た存在であった。にも関わらず、それを振り捨てて、困難な道を選択した政治家としての勇気と愚直さには素直に感服するしかない。鳩山の決断がなければ、今日の事態が来るのはもっともっと先になっていた可能性は極めて高い。

その勇気と決断を今度は、内閣総理大臣として是非見せてもらいたい。残念ながら、鳩山政権の前途は決して揚々たるものではないだろう。いささか大風呂敷を広げ過ぎた感のあるマニュフェスト、そして自身の「故人献金」に端を発した政治資金不正疑惑というアキレス腱も抱えている。自民党が解散を引っ張りに引っ張った結果、次の参院選までもう10ヵ月しかなくなってしまった。そこまでにある程度の目に見える成果を上げなくてはという焦りもあるだろう。

やっと手に入れた政権、当然抱負も使命感もあるはずだ。しかし、欲張っても時間には限りがある。とりあえず、鳩山民主党政権の為すべきことは1つしかない。それはタイトルにも書いたように

「すべてものをオープンにする。」

それしかないと思う。長年政権を独占し続けた自民党内閣の下で、一体どんな政治が、政権運営が行われて来たのか、それをいわゆる国家機密と言われる事項以外は悪いことも、いいことも、すべて国民の前にオープンにして開示する。税金の使い方しかり、政策決定のプロセスしかり、そして外交交渉しかりである。それなくして、政権交代を実現し、自民党を与党から放逐した意味などないと言って、全く差し支えないないだろう。無論、そこには反対も抵抗もあるだろうし、開示するには勇気のいることもあるだろう。それでもあれだけの国民の支持を受けて、発足する政権なのである。是非、前を向いて、進んで行ってもらいたい。鳩山新首相並びに民主党政権の「勇気」と「愚直さ」に期待したい。

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2009年8月27日 (木)

駆け抜けて行く夏

21日の金曜から、1週間の夏季休暇をいただいている。休暇の過ぎて行くは今年の夏のようにあっという間、残りもう1日となってしまった。

不況の波は我が家にも例外なく押し寄せて来ている。手当、残業のカットで給料、ボーナスは目に見えて減っていき、逆に子供の成長に合わせて、出費は右肩上がり。今年はついに、恒例の夏の家族旅行を断念するという結論に達し、双方の実家に順番に転がり込んで「たかりの夏」でも過ごすかと、半ばやけっぱちで妻とも話していたのだが、その空気を一変させたのが、長男の無邪気な一言

「ねぇ、今年はどこに行くの?僕、山で虫取りがしたい。」

筆者にとってはほとんど唯一無二の趣味である旅行、これを止めることには実は内心、忸怩たるものがあったのだが、結局この子供の言葉の尻馬に乗り、筆者の両親を孫で釣り、同行者という名のスポンサーに仕立て、とにもかくにも決行にこぎつけたのは、休暇開始のわずか3日前のことであった。

23日の日曜から一泊、目的地は千葉白浜の「グランドホテル太陽」である。息子の虫取りの希望には添えなかったが、海水浴ならまぁ納得してくれるだろう。宿泊地には「いい温泉」をまず求める筆者として、本来あり得ないチョイスなのだが、一泊二食付き9800円は今の我が家にとっては魅力、「ぜいたくは敵」なのである。

天気はまぁまぁ、実家を10時には出ようと思っていたが、結局はほぼ1時間遅れのスタートは、妻を唯一の例外とした極度の朝弱集団である我が一族らしい。道路は順調、が海ぼたるは満車、入口が閉鎖されているのを筆者は初めて見た。通行料はETCを持っていると現在1000円らしいが、夏休みとあいまって、この盛況らしい。もっとも当方はETC未搭載でしっかり正規料金を取られるのがいまいましいが、生産が追いつかず、品薄状態が続いているETCも、近々無用の長物と化すやもしれず、ざまぁみろと思うのは、所詮負け惜しみ、遠吠えの類に過ぎない。

湾岸道路から館山道に入る。筆者の車に搭載されている5年前のカーナビでは未完成の部分も既に開通済で、1車線とはいえ、なかなか快適なドライブである。確かに海岸沿いを走る心地よさはなくなったが、半島特有のやりきれない渋滞から解放されたメリットの方が大きいだろう。昼食休憩をとって、チェックイン可能の3時ちょうどに宿に到着した。

太陽には、平成元年に今は亡き祖父母のお伴で訪れて以来、丸20年ぶりである。なかなかいい宿だったという記憶があったが、最近リニューアルしたとかで、なかなか小ぎれい。筆者達は6Fに泊まったのだが、部屋の窓に広がる一面の海の景色はやはり、圧巻であった。子供達を遊ばせる海岸にも無論、事欠かない。

夕食はバイキング(夏場のみらしい、前回泊まった時は確か部屋食だった)。値段からもほとんど期待していなかったのだが、これがどうしてどうして、嬉しい誤算であった。天麩羅は揚げたてがふんだんに振る舞われ、肉も焼き立て、刺身、寿司の類はもちろんのこと、マグロのカマまで用意してあったのには驚かされた。筆者が口にした中では、ソバだけが倒れそうなくらいまずかったが、あとはデザートも含めていけた。ちなみに当然朝もバイキング、こちらはまぁありふれた内容だったが、それでも刺身があったのは海の宿ならではだろうか、特にイカの柔らかさは絶品だった。

夕食後は、ジャンケン大会、貝殻のストラップ作りといったイベントも用意され(これも夏休みだけらしいが)、後はお楽しみの風呂・・・まぁこれは、それぞれの好みとなる。千葉で筆者の望む「いい風呂」に巡り合うことは、まず不可能なのだから割り切るしかない。

翌朝、目覚めたら予想もしなかった雨だったのには驚いたが、それも出発時には上がり、この日の目的地は「鴨川シーワールド」。祖母の実家がこちらだったこともあり、子供の頃は何度か訪れたことがあったが、久々である。かつて、この辺のレジャー施設としてシーワールドと張り合う存在だった行川アイランドは既になく、ディズニーランドは別格としても、千葉県の施設としては1人勝ちとは聞いていたが、入口から広がる海、さまざまなアトラクション、夏休みにふさわしい混雑ぶりも納得できた。老若男女、楽しめる施設であろう。

2日間の短い旅ではあったが、千葉の気候、自然、食べ物を十分楽しめた。千葉はいい所、今更ながらそう思わされた旅であったが、1つだけ不快なことがあった。初日の昼食を野島崎灯台近くのある海鮮料理屋で摂った。料理自体は決してまずくはなかった、いやうまかったのだが、子供の食べていた飯か味噌汁のどちらかから、なんと人の差し歯が出てきたのだ。全く信じられないことだが、事実である。知らずに口に運んだ子供が

「これ何?」

と口から出して、それを見せた時、筆者達は正直言葉を失った。すぐさま店の人間を呼んで抗議したが、なんとも誠意の感じられない対応に怒りが増幅する。店側は断固否定するが、要は他の客の食べ残しを流用しているとしか考えられなく、どこの誰ともわからない人間の口から出た物が、幼い子供の口に入ってしまったという事実は大袈裟でなく、背筋が寒くなった。普段は大人しいが、こと子供のことになると人が変わる妻の猛抗議に、しぶしぶ店主(らしき人物)が頭を下げたが、ただにするからもういいでしょ的対応には、怒りを通り越してあきれてしまった。全く食物を扱う資格すら感じさせないこの店の実名を本当ははっきりここで書きたいくらいだが、とりあえずは我慢しておく。ただ、商売とは厳しいものであるということくらいは知っているつもりだが、儲けの為には、なんでもありと言わんばかりのこの店の姿勢。こういう店が生き残ることがないように、我々消費者はかしこくならなければならないと、強く思った出来事であった。

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2009年8月18日 (火)

いよいよ、時来る

遅くなってしまったが、先の地震、そして集中豪雨で被害に合われた方々にお見舞い申し上げ、また不幸にして尊い命を落とされてしまった方に、心からお悔やみ申し上げます。自然の猛威の前に、人間はあまりにも無力であることは、今更改めて言うまでもないことかもしれないが、人間のエゴがその被害をより増してしまっている節もあるだけに、文明の発展とは残念ながら、いいことばかりではない。いろいろと考えさせられる夏である。

長かった前哨戦がようやく終わり、衆院選はようやく公示日を迎えることとなった。先ほど帰宅して、ポストを覗くと、早くも投票所整理券が投函されていた。いよいよ時来る、候補者でもないのに、思わず気合が入ってしまった(笑)。

筆者がここで訴え続けたことがいよいよ実現するのか、否か、それはもはや神のみぞ知ることになる。筆者に出来ることは、自分に与えられた一票を自分の信念に基づいて行使するのみである。しかし、この場において最後の呼びかけをさせていただきたい。みなさん、是非選挙に行きましょう。筆者と思いを同じくする人もいれば、当然全く正反対の考えを抱いている方も多々いらっしゃるはずである。もちろん、私としては自分と同じ考えの人が多数になってくれることを祈っているが、しかしどんな考え方をお持ちの方でも、是非その考え方を共に意思表示してみませんか?どちらの考えが多数を占めるにしても有権者の半分が行くか行かないか程度の投票率じゃ、どちらの結果が出たとしても釈然としない。

政治なんて誰がやったって同じ、そう斜に構えるのも1つの姿勢なのかもしれないが、我々市井の人間が政治に意思表示が出来る唯一の機会が選挙なのではないか。それも今回は我が国の政治の行方を直接左右する第一院の選挙なのである。投票は国民の義務、なんて大上段に構えるつもりはないが、この機を逃す手はないんじゃないのというのが、当方の正直な気持ちなのである。

一般的に投票率の上下は、いわゆる「無党派層」の動向にかかっており、彼らは政治に高い関心を持ちながらも、容易に腰を上げず、またどちらかというと野党寄りと言われている。筆者はかねがねこの「通説」に疑問を持っているのだが、それはともかく、どうも今回、言われている程に選挙は盛り上がらず、投票率がかなり低くなってしまうのではないかという危惧を筆者は抱いている。それがどちらに利するかは問題ではない、低い投票率の選挙で勝った、負けたと言ってもただ虚しいだけ、まして今回の選挙が本当に「政権選択選挙」なのだとしたらである。

政治に、政治家に対する思いは人によって様々なのだろう。しかし、その思いをぶっつける数少ない機会が「国政選挙」だと筆者は思う。もう一度だけ言わせて欲しい、みなさん是非選挙に行きましょう。そして8月30日の夜を「傍観者」ではなく「当事者」として是非迎えてはみませんか?

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2009年8月10日 (月)

いつも、あいつが憎かった

いやぁ、それにしても打てないチームを応援するというのは本当にしんどい。土曜日、対ヤクルト戦を久々にじっくり見たのだが、とにかくくたびれた。やっとこさ取った1点を守ろうと、毎回のようにノーアウトのランナーを背負いながらも、敵の拙攻にも助けられ、グライシンガーは懸命に投げ続けたが、7回に8番打者に打たれ、ついに同点に追いつかれてしまう。もっともこちらの1点も7番が叩き出したのだが。勝ちがなくなっても、グライシンガーは腐らずに投げ、後を継いだ山口もまず、危なげなく2イニングを抑え、決めてくれたのはこのところ神かがった感もある亀井。今日も亀井の一撃で勝ったようで、優勝するにはこういうラッキーボーイ的存在は確かに必要ではある。当面の敵の一つであるヤクルトを3タテしたのも、めでたいことなのだが、こう勝ち味が遅いとまだまだ先は長いだけに厳しい。戦いぶりの安定感では明らかに中日の方が上回っていることは認めざるを得ない今、打線のつながりをどう構築して、リードを保って行けるか、原監督の手腕が問われる時である。

筆者が見た頃のV9エース堀内恒夫はもう現役最晩年だった。なんともとぼけたメガネをかけた顔で、たまに敗戦処理に現れては大歓声を浴びていた。が、1983年の6月、場所は阪神ファン一色の甲子園、ローテーションの谷間で久々の先発マウンドに上った堀内は6回途中まで、タイガース打線を翻弄、結果として現役最後の勝利を上げる。そのピッチングはまさに芸術的、一世を風靡した大投手がまさに最後の力を振り絞っての置き土産と見えた。それだけではない、それから4か月後、地元後楽園で設定された引退試合で彼は回って来た打席でなんとホームランを放つ。千両役者は最後までやることが違っていた。

堀内の後にエースの座に就いた小林繁は理不尽としか言い様のない理由でジャイアンツを放出され、その後は、怨念むき出しで立ち向かってくる明確な敵になっていた。その後のエース新浦壽夫は、監督やファンの期待が自分から他の若い投手に移ったことですっかりやる気を失い、やがて日本球界を去って行った。数年後、再びその姿を現した彼は、ジャイアンツ時代とは全く別人の技巧派投手となって、ジャイアンツの前にたびたび立ちふさがることになる。そしてジャイアンツのエースは「あの男」の時代になっていた。そう、小林をチームから追い、新浦の輝きを奪ったあの男の・・・。

江川卓、高校時代から「怪物」の名を欲しいままにした彼は常に、世間の注目を浴びる存在だった。そしてそれは、あの「事件」でピークに達する。多くの悪意に満ちた視線と、どれだけやれるのかという好奇の視線の中、ジャイアンツに入団した江川はやはり本物だった。筆者が実際に見た中で、最高の投手は誰かと聞かれれば、文句なく江川卓だと答える。トルネードの野茂英雄が豪快なフォームで日米を股にかけてどんなに投げまくっても、平成の大エース斎藤雅樹が完投を重ねても、松坂大輔のうなるような快速球に何度息を呑んでも、しかしその思いは変わらない。それは決して筆者の幼い頃の記憶が美化されているからだけではないはずである。

特に1980年後半戦から82年前半戦にかけての2年間の江川はほぼ無敵だった。見ていて負けるということがほとんど考えられなかった。9回、完投直前になるとストレートがいよいようなりを上げ出して、三振の山を築く投手。5回を投げれば「試合を作った」と意気揚々と引き上げ、あとはリリーフに任せてベンチで観戦しているだけの昨今の先発投手を見慣れていると、やはり「怪物」としか言い様がない。その上、その江川の球種はストレートとカーブ、たった2つしかなかったのである。

そんな怪物に牙を剥き続けた男、それが「雑草」西本聖だった。年齢は江川の1つ下、しかし入団は江川より5年早い。ドラフト外入団といういわばおまけのような存在から、文字通り這い上がってローテーション投手の座をつかみつつあったその時、割り込むように現れた怪物に、雑草は臆することなく挑みかかった。己の存在感の証明の為に。

西本と言えば思い出す試合が2つある。1つは81年、直前に夫人が事故で重傷を負うという大アクシデントに見舞われながら、初の開幕投手を見事に完投勝利で飾った試合。もう1つはその7年後のやはり開幕戦、鳴り物入りでパリーグから移籍して来た落合博満に対して、西本はなんと全打席、全球シュートで勝負を挑んで見せた。辛うじて1安打はしたものの、すっかり調子を狂わされた落合はその年は結局、期待されたほどの成績を上げられなかった。江川以外のセの投手なんて目じゃない、そううそぶいていた落合の鼻っ柱を折った西本の気迫は忘れられない。

そう、江川がストレートなら西本はシュートである。江川は言う。

「僕が現役時代、他の投手の球ですごいと思ったのはただ1つ、西本のシュートだけだった。」

性格も、球歴も、そして投球スタイルもなにからなにまで正反対だった2人。自分に対するライバル心を隠そうともせず、むき出しに挑みかかってくる西本に対し、江川は我関せず、軽くあしらっていたのかと筆者はずっと思って来た。しかし実際はとんでもなかった。

「西本、今日は打たれてくれ。明日は俺が抑える、そうすれば俺の評価が上がる。」

江川はある時期からずっと、そう思いながら、マウンドの西本を見ていたと言う。西本の言葉はもっと激しい。

「打たれろ、負けろ。」

阪急ブレーブスの黄金時代を支えた山田久志は事あるごとにこう言う。

「今は右のエースに左のエース、リリーフエースに中継ぎエースまでいる。冗談じゃない、エースなんてそんな安売りするもんじゃない。『エース』と呼ばれる存在はチームにただ1人、それが本当のエースなんだ。」

そして、それと同じ意味の言葉を江川も西本も異口同音に吐いた。

「エースは1人。」

当時のエースは江川だった、それを西本も認めざるを得なかった。だからこそ、西本は江川を必死に引きずり落としにかかり、江川もまたそんな西本を懸命に蹴落とそうとした。たった1つのものを死に物狂いで奪い合う、本当の「ライバル」とはそういうものなのだろう。そこには一片の友情もなく、ただ憎しみしか生まれないのかもしれない。

絶対的なエースは江川、しかしここ一番で頼りになるのは実は西本、当時筆者だけでなく、かなりのジャイアンツファンはそう思っていたのではないか。1982年、ジャイアンツは1勝の差で優勝を逃すのだが、ここで勝てば優勝確実という大洋(現横浜)との最終戦に先発した江川は大洋の一発攻勢に沈み、ライバル中日に息を吹き返させてしまった。その2年後、球団創立50周年の年にVを義務づけられて開幕を迎えたジャイアンツはエース江川をオープニングピッチャーに送り込んだが、大乱調。解説の青田昇が

「よりによってジャイアンツは1番調子の悪いのを開幕投手にしたんじゃないの。」

と呆れ果てていたのを思い出す。どちらのときも西本が絶好調なのにも関わらず、監督の

「エースは江川。」

というこだわりが裏目に出てしまったのである。そして、それが極まったのが83年、西武との日本シリーズだった。このシリーズのことは、前にも少し触れたことがある。思い出したくもない、本当に悪夢のようなシリーズだった。シリーズ直前にケガをしたこともあって、江川は出ると打たれの無様なピッチング、一方の西本はそんな江川の尻拭いをするかのように、キッチリ完投勝利でチームを救う。その2年前のポンハムとのシリーズ同様、頼りになるのは西本、みんなにそう思わせる内容だった。そしてあの運命の第6戦がやってくる。

日本一まで後1勝と迫っていたジャイアンツは土壇場の9回、現横浜投手コーチの杉本正から中畑清が起死回生の逆転三塁打を放ち、いよいよクライマックスを迎えた。そして9回、最後を締めるべくマウンドに上がったのは2日前に完投した西本だった。筆者は当然のことと受け止めた、たぶん多くのジャイアンツファンも同じ気持ちだっただろう、今までの投球内容から見て、江川のリリーフなど考えられなかったと言ってもいい。

あのもどかしさ、いまいましさはあれから26年も経つというのに、まざまざと思い出せる。ワンアウトを取っていけると思ったのもつかの間、以降の西武の打者の放った打球はボテボテの当たりながら、ことごとく我々ジャイアンツファンを嘲笑うかのように、三遊間を抜けて行く。そして同点に追いつかれた当たりもショート鈴木康友が追いつきながらもどこにも投げられない。あの回、西本が打たれた当たりでいわゆる「いい当たり」は1つもなかった。なのに同点、そして延長10回、代わって出て来た江川は今までの流れそのままの生彩のないピッチングでサヨナラ負け。西本で勝てなかったのなら仕方がない、そう思うしかなかった。

ところが内情は全く違っていたらしい。あの勝ち越した9回、当初行くのは江川の予定だった。確かに投球練習をしていたのはずっと江川1人だった。が、勝ち越したと同時に西本がブルペンに走る、ベンチに迷いが生じたのだ。それでも江川は行く気満々だった、エースのプライドに賭けて、ここで行くのは自分しかいない、そう信じていた。

「あの時は(肉離れを起こしていた足が)切れてもいいからリリーフ行こうと思っていた。自分しかいないと思ってた。僕は、結構この試合、野球人生選手生命を賭けていた。」

自らクールな性格と認める江川が、この時の心境をこう言い切っている。ところが・・・藤田元司監督が告げたリリーフは「西本」だった。このシリーズでの両者の調子、昨年終盤の痛い負け、藤田監督の決断はわかる気がする。だが問題は、本来なら意気に感じてマウンドに駈け上がらなければならない当の西本を含むチームのほぼ全員が、この起用を想定していなかったことだった。

西本は大決戦となるはずの第7戦の先発、みんながそう思っていた。しかし、第6戦を、あと1イニングを抑えれば、第7戦を戦うまでもなく、栄冠はこの手につかむことができる。藤田監督の方針変更を責めることはできないと思う。だが、この決断は西本を動揺させ、江川の心を折ってしまった。10回の江川は単に不調を引きずっていただけでなく、もう抜け殻になってしまっていたのだ。

続く7戦を思い出すのはもっとつらい。中1日で先発のマウンドに立った西本は、2点のリードを懸命に守り抜こうと渾身の投球を続けたが、7回テリーに決め球のシュートを左中間に運ばれ、走者一掃の逆転タイムリーを浴びる。その前、ノーアウト1塁から投手ゴロを弾いてゲッツー一転無死一、二塁になってしまったのが、すべてだったのかもしれない。守備の名手とうたわれ、実際ダイヤモンドグラブ賞を何度も受賞している彼が、おあつらえ向きのゲッツーゴロをつかみ損ねて、自らピンチを広げ、そして打たれた。疲れもあっただろう、しかしこんなことを言っては失礼かもしれないが、そこには、西本といい、中畑といい、真のヒーロー、真のナンバーワンになれない男の運命が感じられてならない。

「僕はいつもNO2、NO1になったことがない。でもあそこで勝ってれば(江川に)勝ったと思えた試合だったかもしれない。」

西本聖悔恨の述懐であり

「俺なら勝てたと思ってる、今でも。あの状況で行ったら、俺は抑えたという自信は今でも持っている。」

一方の江川卓の譲れないプライドがそこにあった。

2人のライバル関係はそれから4年後、江川の突然の引退で、唐突に終わりを迎える。「空白の1日」騒動の時、当時既に23歳だった江川に対して

「大学を卒業したいい大人が、こんなことをしてもいいのかという判断力もないのか。」

という声があった。しかし、子供心に、それは違うと思った。ジャイアンツにどうしても入りたく、その方法があるから任せておけと言われれば、お願いしますと言うだろう。入団の経緯で江川を責めるのは酷だと、筆者は今でも思っている。だが、引退の時に彼は言った。

「選手にとって、唯一認められている権利は辞める権利。」

FAなんて夢のまた夢だった時代、確かにそうだったかもしれない。まして腕の折れるまで投げるなんていうのは彼の思考の中に全くなかっただろう。しかし、ジャイアンツがまだ、君を必要としていると言っている以上、彼にはそれに応える義務があったはずだ。事の善悪はともかく、あそこまでのことをして、また犠牲を払ってまでも、ジャイアンツは江川卓を迎え入れてくれたのである。

なのに、江川はそんなチームに後ろ足で砂をかけて去って行った、それも嘘までついて。その心根の醜さがやりきれない。以来、筆者はジャイアンツファンとして、江川という人物を許していない。可能性はかなり低くなったとは思うが、尚もくすぶり続ける彼の監督就任説。あんな人物を三顧の礼で、監督に迎え入れた時、筆者は間違いなく愛するジャイアンツと決別するつもりでいる。そんな日が、絶対に来ないことを祈るしかない。

江川の去ったジャイアンツの中で、西本は急速に居場所を失い、中日更にはオリックスと渡り歩き、最後の死に場所を求めて、恩師長嶋茂雄を頼って、94年再びジャイアンツのユニフォームを着る。しかし、その力の衰えは覆い隠すべくもなく、そのオフ引退する。なんとか引退の花道をと、長嶋はタイミングを計り続けていたが、チームの優勝決定が最終戦にまでもつれ込み、その余裕がなくなってしまったのは不運であった。結局西本は、自らがプロ野球人としての生まれ故郷と語る旧ジャイアンツ多摩川グラウンドで、有志が催した引退セレモニーでひっそりと去って行った。新装なった東京ドームのオープン戦で、華々しい引退試合を挙行してもらった江川のそれとは、やはりあまりにも対照的であった。

そして今年の6月、テレビ番組の企画で江川と西本は初めて、腹を割って話をした。去る7月20日にTBS系列で放映された「ライバル伝説 光と影」という番組内のことである。こういうものはタイムリーに取り上げるべきものなのだろうが、とにかく面白い番組だった、本当に久しぶりにいい番組をみせてもらった気がした。

対談の中で、西本に問われた江川ははっきり言った。

「(西本は)僕にとって、完全な唯一のライバル。」

有り余る才能に恵まれ、他人から嫉妬されることがあっても、決して嫉妬することがなかった江川卓の野球人生の中でたった一人現れたライバル、それが西本聖だった。江川がそれを認めたのは恐らく初めてだったろう。それに対して西本は

「素直に嬉しい。」

と答えていたのも印象的だ。そして江川の存在があればこそ、自分を高めることができたのだから本当に感謝していると言う西本に江川はこう答えた。

「それはお互い様だよ。お前がいなかったら、俺もっと手抜いてたもん。」

こういうウイットに富んだ江川のセリフはさすがである。

江川が西本を意識し始めたのは沢村賞を西本に奪われてからのことだそうだ。長くなってしまったから、この経緯にはもう触れないが、あれもひどい話だった。沢村賞の選考方法が現在のように、受賞経験者を中心とした選考委員会の手に委ねられることになったキッカケになったはずである。

以来、2人は憎悪とそれとは裏腹のなんとも形容のし難い敬愛の情をお互いに抱いたまま、競い合い続けてきた。そこにはきれいごとでは決して済まないどろどろした怨念と、しかし、全力を賭けて戦い抜いた者同士のみが共有できる奇妙な友情が感じられて感動させられた。

番組の最後に映った1枚の写真、2人がじゃれあう姿を写したあの写真はいつ、どのような場面で撮られたのだろう。本当に興味をそそられる。そう言えば、それまでのインタビューでは一貫して「江川さん」と呼びながら、実際に会うと西本は江川のことを「卓ちゃん」と呼んでいた。そこにも複雑微妙な2人の関係が息づいているようにも思える。スポーツって、野球っていいなぁ、そんなことを改めて感じさせてくれたひとときであった。

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2009年8月 6日 (木)

おいおい、ホントにこんなんで、だいじょぶなのかい?

首相在任中に倒れ、結局そのまま還らぬ人となった小渕恵三はこんな言葉を残している。

「なんたって龍ちゃんは4日で政権を失ったからな。」

龍ちゃんとは、小渕の首相としての前任者で、やはり先年、故人となった橋本龍太郎のこと。小渕と橋本は同年生まれで衆院初当選も同期、佐藤栄作派から田中角栄派ー竹下登派とずっと同じ道を歩み続けて来た。

1996年、初めて行われた小選挙区比例代表並立制での総選挙で、野党陣営のまぬけな選挙戦略にも助けられ、堅調に勝利を収めた橋本龍太郎内閣は、いよいよ長期政権への道を歩み始めたかに見えた。直後に召集される特別国会では首班指名に先立ち、院の正副議長が選出されるのだが、ここで土井たか子の後任衆院議長に小渕が擬せられ、小渕本人もその気になったとされる。既に党幹事長、副総裁を務め、格付けこそ首相と同格だが、実態は一丁上がりの名誉職である議長の座に就くことは、もはや過去の政治家という烙印を押されるに等しい。同派閥の橋本の長期政権の後を自分が継ぐことは、かなりむずかしいと踏んだ小渕の決断に待ったをかけたのは他ならぬ橋本だった。

「恵ちゃん、あまり短気は起こさん方がいい。もし俺に何かあったら、一体誰が後を継ぐんだい。」

こうして小渕は土壇場で踏みとどまり、議長の椅子は山中貞則元通産相も辞退し、伊藤宗一郎元科技庁長官に回ることになったのだが、それから2年後、参院選で橋本自民党は敗退、橋本は退陣を余儀なくされ、後任に収まったのは結局、小渕だった。橋本の「慧眼」を称えるべきなのかはよくわからないが、選挙前は楽勝を伝えられた自民党が一転、時の首相が辞任に追い込まれる程の大敗を喫したのは、土壇場での橋本首相や閣僚の恒久減税に関する発言の迷走であった。小渕が「4日」と言ったのは、そのくらい劇的な形勢逆転だったということなのである。

そして今、あの共産党から

「この総選挙後には、民主党を中心とした政権が誕生する可能性が極めて高い。」

という御宣託が出るなど、世の流れは政権交代、鳩山民主党政権誕生に向けてとうとうと流れているやに見える。夕刊紙、週刊誌の類はもともとセンセーショナルな報道を売りにしている輩ではあるが、連日自民党の苦戦、獲得予想議席数では民主が300超なんて記事が乱舞している。かくゆう筆者も、もし解散当日の7月21日に投開票があれば、4年前の郵政選挙とは全く逆の目が出るくらいの結果になったと思っているし、あとは40日の間に、民主がいかに取りこぼしを少なくするか、逆に言えば自民がどれだけ巻き返せるかの勝負に過ぎないとは見ている。しかし、しかしなのである・・・。

解散から随分時が経ったように思うのだが、現実には選挙公示日までまだ2週間もあるのである。あまりに長過ぎる前哨戦、何度も書いたが、ここに自民党はすべてを賭けている。もはや逆転の秘策などはあろうはずはなく、後はひたすらに民主党の失策を、鳩山が10年前に橋龍が演じた迷走の二の舞を踏んでくれることを祈り続けているのである。

それにしても、民主主義を標榜しながらも、野党にここまで高いハードルを用意する国家はたぶんまれだろう。ある外国人学者の言葉を借りれば

「完全に準備の出来た野党など、存在し得ない。」

というのが当たり前のはずなのに、政権を失うまいと必死の与党はまだしも、マスコミひいては国民までもが、完璧な政権担当能力と実施する政策の開示を厳しく野党に求めるというのは、はっきり言ってナンセンスの極みである。これまで懸命に政権交代から逃げ続けて来た我が国民、そしてお上に弱いとされる我が国民性の面目躍如としか思えない。

誤解を恐れずに言えば、野党のマニュフェストなど所詮は絵に描いた餅に過ぎない。現実を知らず、また知りえないのが野党なのである。夢みたいなことを語るのは、いわば野党の「特権」であり、また間違ったことを言っても、すべての真実を把握し得ないのだから、仕方ないのである。開き直りと言われても、それが本当のところであろう。

問題は、にも関わらずそういう風潮に圧され、民主党があたふたと浮足立っていることだ。もともとカッコよく政権交代をしたいという見栄の強すぎる政党ではあったが、そんな「ええかっこしい」精神の発揮ならまだしも、ボロを出すまいと、あちらで批判の声が上がれば、慌てふためき、こちらで火の手が上がれば、すわとばかりに消しに飛んでいく姿はあまりに情けない。だいたい、大仰に記者会見で発表しておきながら、舌の根も乾かぬうちに代表自らが

「あれは正式なマニュフェストではない。」

などとのたまうというのは、どういう神経をしているのだろう。麻生のことを随分ぶれた、ぶれたとバカにしていたが、これではとても人のことを言えた義理ではないだろう。

鳩山由紀夫という人は、もともと口が軽く、失言も多い政治家である。前回、彼が代表だった時の2000年の総選挙の時も随分やらかしてくれたが、その時はたまたま相手が、その道なら絶対に負けられないという自負をお持ちだった(?)森喜朗だったことでまだ救われた面があった。今回の相手も、その点やはり「期待」できる人ではあるが、もし付き合ってくれないとすると、困ったことになりかねない。

民主党は根本的に勘違いをしている。民主党はあくまで野党、つまりは「チャレンジャー」なのである。今のまま、なんとか逃げ切って政権にありつこうなんていう姿勢はおこがましすぎる。すべてに大風呂敷を広げ、八方美人と化すことは、最終的に自分達の首を絞めるだけである。だいたい、なんだか知らないが偉そうにいろいろと各党のマニュフェストを論評している地方首長の連中なんていうのは何様のつもりなのだろう。要はあいつらの言ってることはもっと金をよこせと言っているだけのこと、都市部の金をいただく立場なのに、あんなに威張っているのは何故なのか、全く理解に苦しむ。そんな連中の言に右往左往している有様はあまりに見苦しい。だまっとれ、ガタガタ抜かすなら俺達が政権獲っても一銭もやらんぞと一喝してやればいい。もっともそんなことをホントに言ったら大問題になるだろうけどね(笑)。

まぁそれはともかく、野党のマニフェスト、それは本来

「これだけは絶対やります。」

ということを訴えるべきはずなのである。今回で言えば、政治を官僚主導から政治主導に切り替えるというこの一点で本来なら十分かもしれない。だが、それ以上に今回は

「ストップザ自民党、自公政権。」

こそが訴えるべき最大の公約である。長妻昭は言った。

「我々が政権を獲ったら、各省庁の金庫をすべてひっくり返して、すべて精査したい。是非それをやらせて欲しい。」

ここがすべての出発点である。この国を財政的、ひいては道徳的に立て直す為の第一歩、それは今現実に、国民の税金がどのように使われているか、そしてその結果、我が国の財政は本当にどういう状況になっているかを白日の下にさらすことである。それは現政権が続く限り、永遠に不可能なことである。もちろん、政権交代しても不可能なのかもしれないが、しかし可能性は今より確実に出てくる。そして、使い方を改めるべきところは改め、そしてそれでも足りない時には、やむを得ず増税する。その道筋をつけるのは、今の手あかのつき切った自民党政権ではこれまた絶対に不可能であろう。

そしてもう1つ、それは

「失政をした内閣・政党は政権を失う。」

という当たり前のシステムをなんとしても日本の政治に根付かせる、今回はその最大のチャンスなのである。

民主党の責任は重大なのである。大袈裟でなく、日本のこれからの命運がかかっているのが今回の選挙なのである。にも関わらず、もし今回、この期に及んで、政権交代を逸する、もしくは「政界再編」などという破廉恥な陰謀を企む輩の跋扈を許すような結末を許した時には、民主党の責任は万死に値する。増税も、政界再編もいずれは必要だろう、しかし今は絶対に順番が違う、まず為すべきは54年もの長きに渡った自民党政権の総括であり、それなしに我が国は次のステップに進むことは絶対に出来ない。それをうやむやにして「先に進む」とすれば、すべてがうやむやとなり、誰も責任をとらず、また問われない「無責任体制」の維持であり、その先に待っているのはもはや・・・。

来る8月30日は日本という国の命運を決する日、筆者はそう公言して憚らない。

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2009年8月 4日 (火)

さぁ、前を向いて行こうぜ!

体調不良の為、少しご無沙汰をしてしまった。夏風邪というのは、なかなか抜けないものである。

ジャイアンツの足取りがすっかりおぼつかなくなってしまった。確か、一時は2位に6.5ゲームくらい離したと思うが、今や1.5ゲーム差まで詰まり、V3に暗雲などという記事も見かけるようになった。7月は結局、貯金0。今月に入っても1勝1敗、なんとも冴えない試合が続いている。原因としては、昨年から、今年前半に駆けて、チームを引っ張り続け、また活性化して来た若い投打の2人、坂本勇人と越智大祐がすっかりくたびれてしまったのが、最大の要因だとは思うが、無論それだけではない。

本当は、オールスター期間中に、前半戦の総括のような記事を書こうと思っていたのだが、その時のタイトルは『得点力なきところに覇権なし』とするつもりだった。今年のジャイアンツの戦いぶりを振り返ってみると、過酷なまでの登板に耐えてきた中継ぎ、抑えの面々の活躍もあり、投手陣はそこそこ踏ん張っていると思うが、一方の打撃陣に昨年特に後半のような迫力がなく、結局は競り負けるという試合が、シーズンが深まるにつれて増えてきた印象がある。

原監督自身が、開幕前に「今年は野手陣についてはむしろパワーダウン」と語っていたように、二岡、清水がチームを去り、高橋由伸は消息不明。李はもはや燃え尽きたような哀れな打撃を繰り返し、阿部も往時の迫力がない。昨年、やっといいリードオフマンになってくれたと喜んでいたら、鈴木尚広はもうその輝きを失ってしまった。亀井は頑張っているとは思うが、5番打者の打撃力を身に付けたとはまだ思えない。昨年の破壊力には及ばないが、ガッツとラミレスはそれなりの存在感を保っているから、要はその前後を打つ打者連が奮起してくれないことには、なかなか点は入らない。坂本と松本、この2人の飛躍は見事だが、彼らに続く若手も現状、残念ながら見当たらない。

先ほど消息不明と書いた高橋由が一塁手としての復帰を目指すという記事が出た。現状の打撃陣の低迷を見れば、由伸の存在はまさに喉から手が出るほどだが、まぁ期待薄だと思った方がいい。李もアルフォンゾもこれまで、ファームからの救世主もまず、望みなしだとすれば、いる人間でやっていくしかない。谷を固定で使うことを是非提案したい。

投手陣は開幕前はクローザーとも期待されたM中村の調子が一向に上がってこないのが最大の誤算。更に調整の失敗から西村健太朗も姿を消し、クルーンもケガで2度戦線を離脱し、結局越智、山口、豊田の3人に負担が行き、豊田はとうとういなくなってしまった。無論、頼りない先発陣も責任は免れず、ゴンザレスを獲っていなかったら、どうなっていたのだろうと思うとゾッとする。

不安要素をこれでもかと書き並べてしまったが、しかしそれでもまだ首位なのである。中日の追い上げ、勝ちっぷりは強烈だが、それでもまだジャイアンツには追いつけないのである。1年、ずっとチームが好調に勝ち続けるということはない。今がジャイアンツにとって踏ん張りどころなのである。一昨年も昨年も、もはやこれまでというところから、這い上がって優勝をもぎとった。それに引き換え、今年は堂々を首位を走っているのである。スタート時の快調さを失って、焦る気持ちはあるだろうか、チャンピオンとして、ここはどっしりと足を地につけて、戦うべきである。自分達の力を信じて、まっすぐ前を向いてつき進むのみである、明日からまた、いい戦いを期待したい。

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2009年7月20日 (月)

「時間」という名の魔物

あれからちょうど1年の時が過ぎた。今年も、時間という名の巨大な怪物に、1人の名ゴルファーが敢然と戦いを挑んだ。そしてその英雄の死闘が先ほど、終わった。それにしても勝負というものはなぜ、かくも非情なものなのか。恐らく、テレビを見ていた人、もちろんコースにいた人々の圧倒的多数がトム・ワトソンの勝利を待ち望んでいたに違いない、無論筆者もである。昨年のグレッグ・ノーマンに続き、今年の「ジ・オープン」全英オープンはもうすぐ還暦を迎えようという59歳のワトソンがなんと最終日、最終ホールまで単独トップに立っていたのだ。あとたった4打で上がれば、26年ぶりの全英オープンV、そして歴代1位タイの6勝目を掴みとれたのである。

昨年も同じことを書いたが、スポーツの世界で年長者が、それも峠をとうに超えたそれが、年少者を打ち破ること、それは奇跡と言っても過言ではない。どんな偉人でも、素晴らしいアスリートでも加齢という定めから逃れることはできない。しかし、その奇跡にワトソンは本当に、後一歩まで迫ったのだ。18番の第2打、あれはナイスショットだった。しかし、久々の晴れ舞台、体内のアドレナリンはみなぎりきっていたのだろう。歴戦の雄であるはずのワトソンの計算を狂わせてしまったのだ。そして、プレーオフになった時点で、残念ながらもう、ワトソンに勝ち目はなかった。本当に、久々に死力を尽くして72hを戦い抜いた老雄に、尚もエキストラホールを戦う余力を期待するのは、あまりにも酷というものであろう。

ラウンドレポーターとしてずっとワトソンの戦いに付き、その結末を目の当たりにした青木功は

「悲しい。」

と言った。勝負事で、同情されたら終わりとはよく聞く言葉ではある。ここまでの戦いを繰り広げたこと自体が、すでに奇跡、偉業なのかもしれない。しかし、勝負とはやはり最終的には、勝者以外に称えられることはない。なんとしても勝たねばならない、それがプロという世界なのである。もちろん理屈では、厳しい勝負の世界とは全く無縁の生き方をしている筆者とて知らないわけではない。しかし、あの場面で、恐らく最後のチャンスに違いない栄光をワトソンの手から奪い取る、勝負の神様というのがいるのだとしたら、それは随分理不尽で、残酷なことをするものである。

戦いが終わって今、筆者の中に残ったのは、悲しさ、虚しさ、そして持って行き場のない憤り・・・だけである。世の中とはやっぱり感動的にはできていないものなのだ、つくづくそう実感させられたひと時であった。

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2009年7月16日 (木)

あまりに、往生際が悪すぎる

試合は大敗を喫したようだが、神宮での対ヤクルト戦。ニッポン放送から懐かしい声が流れて来た。深沢弘アナ、おん年73歳、かつての同局野球実況の大エースである。筆者の子供の頃、印象としてはニッポン放送の実況は毎日この人がやっていたような気がする。その重厚な声、メリハリの利いた実況は子供心にほれぼれさせられた。この人の実況に憧れて、筆者は一時期、将来ニッポン放送に入って、実況アナウンサーになることを本気で夢見ていた。

かつ舌は多少、衰えた感があっても、しかしまぁほとんど現役時代にひけをとらないその実況ぶりは、「さすが名人」というしかなかった。相棒の解説者、関根潤三翁は齢80を過ぎて、尚も現役。こちらも全くかつてと変わらない独特の語り口は、往年の名コンビ健在と感動させられた。ニッポン放送55周年の記念企画だそうだが、もったいなぁ。是非これを機に、また実況席にたびたび座って欲しいものである。

前稿で自信満々に「一本道」と断言したら、恥ずかしながら、一夜にして覆されてしまった。まさかの麻生首相による異例の「解散宣言」、次週21日火曜に解散、来月30日に投開票だそうである。昨日は野党が提出した内閣不信任案が衆院で否決、問責決議案が参院で可決され、野党は以降の国会審議を完全にボイコット。儀式も終わり、いよいよ解散に向けてまっしぐら、かと思われたのだが・・・。

13日以降の自民党は大混乱に陥るというのは、予想されてはいた。その機先を制する為に、麻生は解散宣言をしたのだが、党内の混乱は一向に収まる様子がない。1955年の結党以来、ほんの一時期を除いて、54年間に渡ってこの国の政治を与党として担い続けて来た自由民主党。しかし、その終焉が近づきつつあるように見える今、彼らの断末魔とも見える言動の見苦しさは、敵ながらあまりにも情けない。

今日の自民党の不評のすべてとは言わないが、かなりの部分が、「自由民主党総裁=内閣総理大臣・麻生太郎」に因るものであることはもはや否定はできまい。昨年九月の就任以来、その言動はぶれにぶれ、迷走に迷走を重ねた。そもそも、当時の小沢民主党に一大決戦を挑むべく、自信満々に登場した麻生が、結局初志貫徹できないまま、解散を先送りしたことがもうすべてのボタンの掛け違いの始まりだったのである。今では信じられないことだが、発足当時麻生内閣の支持率は「40%もあった」のである。ところが、内閣発足直後のご祝儀相場を期待していた麻生はこの数字を「意外にはねなかった」と見て、ビビッてしまい、直後に起こったリーマンショックに端を発した世界不況への対策を「奇化として」総選挙から逃げ出してしまったのだ。もともと内閣発足、すぐ解散という方針のもとにすべての戦略、人事を組み立てていたのに、肝心の解散を先送りにした結果、全く辻褄が合わなくなり、それを国民に見透かされ、その時点で早くも信頼を失ってしまう羽目となってしまったのである。

それでも尚、神は麻生を見捨てなかった、いや検察という「切り札」があったと言うべきか。一夜にして小沢民主党は苦境に陥り

「みんなで南無阿弥陀仏を唱えて行くんですな。」

とある議員が捨て鉢に語るまでの状況に追い込まれた。しかし、にも関わらず、ここでも格好つけた麻生は解散に踏み切らなかった。

「今は政局より政策、百年に一度の経済危機に対する手当てが最優先。」

という解散に対する逃げ口上が、結局自分に跳ね返って、好機に身動きがとれなかったとも見える、かくして、絶好の反撃機はあたら過ぎ去ってしまった。あとは坂道を転げ落ちるがごとく・・・と言うしかない。麻生がなぜ、これほどまでに自らの手による解散にこだわるのか、どこに光明を見出しているのか、筆者には全く理解できない。しかし、解散権は間違いなく、今は麻生その人の手にあり、麻生が解散すると言ったら、今の憲法の下においては、何人もそれを阻止することはできない、はずなのであるが・・・。

戦後、現憲法下において、解散権を行使しようとして、ついに果たせなかった首相が2人いる。三木武夫と海部俊樹、奇しくもこの両名は師弟関係にある。もう1人、三木の後任だった福田赳夫も機をうかがっていたが、結局果たせず、逆に解散権の行使からひたすら逃げ回り、ついに内閣を放り出したのが赳夫の息子の福田康夫である。三木は党内の「三木おろし」に対抗すべく、解散に打って出ようとした。だが、20人の閣僚のうち、三木の方針を支持するのはわずかに5人、いったんは15閣僚を罷免して、強行突破の腹をくくったはずの三木だったが、土壇場で逡巡、結局は12月の任期満了選挙に追い込まれ、退陣した。のちに「自民党の一番暑い1日」と言われ、「党分裂の深淵をのぞいた」とも言われたこの時、三木が決断していたら、この時点で自民党は分裂、その後の政治の流れは間違いなく変わっていただろう。

「私は独裁者ではない。」

のちに三木は、言い訳のようにこう述懐したそうだ。筆者は三木という政治家を尊敬しているが、このことと片山、芦田内閣のたらい回しを推進したという2点については納得できないでいる。

三木や海部を反面教師にしたと言われるのが小泉純一郎で、無謀とも思われた郵政解散に踏み切ろうとした時、閣内にはイエスマンばかりを揃えてあった。それでも、4人の閣僚が当初反対(その1人に当時総務相だった現首相麻生もいた)を表明、小泉はその一人一人を個別に説得、ただ一人ノーを貫いた島村宜伸農水相の置いて行った辞表を突き返して、罷免して解散に突入、くだんの大勝利を収めた。

そして麻生は都議選翌日の13日に解散を断行しようとするも、周囲の反対で果たせず、代わりに解散予告をして、またも1週間先延ばしにした。それでも解散を宣言したことで、「麻生降ろし」に手ぐすね引いていた連中の機先を制することに、成功したかに見えた。

先延ばしにした最大の理由も、もはや聞き飽きた「公明党への配慮」。まぁ確かに都議選でのあの手堅い学会票を見れば、公明、学会のご機嫌をとりたくもなるのだろうが、「またしても所信を貫徹できなかった姿」を国民の前にさらし、また反麻生の連中に反撃の時間を与えてしまったことが、事態をいよいよ迷走させることになった。

14日の午前中にまず、飛び出したのが「古賀誠選挙対策委員長の辞意表明」。麻生の前任、福田康夫に自ら売り込み、党三役並みに格上げまでしてもらって就いたポジションを、いよいよ本番という時に、投げ出してしまったのだから、党内も国民も唖然の一言。永田町では「策士」で通る古賀だけに、真意をいろいろ憶測する向きもあるが、はっきり言って、この人の仕掛けが効を奏したのをあまり見た記憶がない。特に師とも後見人とも言われた野中広務が引退してからは、その傾向が顕著であり、結局のところ、小沢一郎同様、買い被られ過ぎというのが本当のところではないだろうか。尾辻秀久参院議員会長も辞意を漏らしたとも伝えられているが、この人に至っては、一応、一連の地方選敗退の責任を理由にしている古賀とも違って、なぜ今そんなことを言い出すのか、全く理解できず、要は党執行部にいるのが嫌になって、逃げ出しそうとしているという以外の思惑は感じられない。

こうして総裁以下執行部の威信はますます低下、もはや一種の無政府状態に陥り、反麻生陣営は、残された時間に最後の希望を託してクーデターに出ようとしている。都議選前からくすぶっていた「両院議員総会開催による党則の改正=総裁選の前倒し」である。都議選を始めとした地方選連敗の総括もせずに、解散になだれ込むとはなんたることという一応、理にかなっていそうな理屈で署名を集め、執行部に開催を迫っている。党則によると、党所属国会議員の1/3以上の要求で開催ができるそうで、このハードルは高くない。なにしろ、何度も書くが、とにかく彼らは生き残りに必死なのである。自民党がどうなろうと関係ない、まして麻生と心中する気などさらさらない、その為にはどんなことだってするのである。筆者が一本道と書いたのは、結局そんな彼らを抑えることなど絶対に誰にもできないと思ったからだ。

言っておくが、だからといって彼らの行動を筆者が支持し、または同情しているということでは全くない。ただ、どんなに止めようと、非難しようとそれは全くの無駄であると諦めているだけである。

火曜日、野党が提出した内閣不信任案を自公連立与党は「一致結束して」否決した。つまり、繰り返すが、近々国民の審判を受けることになる自民党の衆院議員は全員、麻生内閣を「信任した」のである。にも関わらず、その舌の根も乾かぬうちに、「麻生降ろし」とやらに奔走する輩がいる。そこを突っ込まれて

「首相と総裁は別ですから。」

とのたまった佐藤ゆかりなるバカ議員の言葉は、ここに大書しておきたい。この程度の奴を議員に押し上げた前回の郵政選挙の罪は、後世まで語り継ぐ必要がある。

議員総会でのクーデターが実り、総裁選が前倒しされることになったとしても、これも繰り返しになるが内閣総理大臣たる麻生の地位は変わらない。そして「しゃらくさい」とばかりに麻生が、そのまま解散に打って出たらどうするつもりなのだろう。それこそ渡りに船とばかりに、「反麻生」を旗印に分裂選挙を戦うつもりなのか、それともそんな暴挙が許されるはずがないとでも言うのか、クーデターと暴挙、どっちもどっちという気がするが。

その暴挙を防ぐ手段がなくもない。閣僚に造反させ、解散詔書への署名を拒否させるのである。現に与謝野馨や石破茂あたりが不穏な動きを見せているやにも聞く。しかし、いざという時、公明党出身の斎藤鉄夫環境相を唯一の例外として、麻生が首を切るのに、躊躇する閣僚がいるだろうか。あくまで理論上ではあるが、麻生が全閣僚を兼務して、解散を打つことだって可能であり、かつて海部が、閣僚の造反に合い、総辞職を選択した時に

「なんで海部さんはやらないんだ?反対する閣僚を全部罷免してやればいいんだよ。」

と周囲にもらしたと伝えられる麻生なのである。

いや、さすがにそこまで行けば無理筋と、麻生が恐れ入って退陣したとして、その後に彼らがどんなに立派な新総裁を選び出そうとしているかは知らないが、それで本当に今の流れを逆転できると信じているのだろうか?

今の自民党に対する逆風のかなりの原因を麻生その人が作り上げているのは事実だが、麻生1人の責任でないのも間違いない。国民は長年の、特に2007年夏の参院選以降の自民党の傲慢さ、破廉恥さ、不感症ぶりにほとほと嫌気が差しているのである。そこに来て、とどめを差すかのごとくのこのゴタゴタである。麻生がこのまま、なんとか押し切って21日(以降)に予定通り解散に打って出られたとしても、反麻生陣営の「麻生降ろし」が効を奏し、解散日程はこの期に及んでまたしても、いったん白紙、「めでたく」新総裁・首相誕生の上で改めてさぁ解散となったとしても、国民の自分達に対する不信感、嫌悪感を払拭できると信じているのであろうか?

細田博之は不信任案に対する反対討議で

「これは民主党による『鳩山疑惑献金隠し決議案』だ。」

となにやらボソボソと迫力なく言っていた。さらに昨日、なんとか「貨物検査特別措置法案」だけでも上げてくれと民主党に泣きついたが、一蹴され

「民主党は無責任だ、あんな政党に政権担当能力があるのか。」

とわめき散らしていたようだが、

「何言ってるんだ、あんた達、もともと月曜に解散するつもりだったんだろ。」

と冷笑されてジ・エンド。もはや、なにをやっても墓穴を掘っているだけである。

筆者はもはやこの流れは変わらない、いよいよ念願の政権交代が、目の前まで迫って来たと信じているが、しかし、しかしである。投開票日とされる8月30日までまだ「50日近くも」あるのである。まだなにがあるかわかったものではない、なにしろ相手はあの「ホップ・ステップ・肉離れ」をお家芸としている(!)民主党なのである。更には、投票するのは自民党に「お灸をすえる」ことまではやって来たが「鉄槌をくらわす」ことからは、ひたすら逃げ回って来た日本国民なのである。今度の衆院選挙はやっぱりその時、運の良かった政党が勝つのである。

しかし、今の自民党はその最後の、それは奇跡的なものかもしれないが、そのわずかな可能性すら、自らの手で捨て去ろうとしているとしか見えない。今の自民党の状況を見て、自民党に対する好感度が高まったり、信頼感が増す人がいるとしたら、その人は相当変わり者か、相当な民主党嫌いか、どちらかだろう。今や、自民党の面々には、今の自分達が、国民の目に、どんな風に映っているのか、そんなことすら、冷静に判断できる人物もいないのだろう。このままなら、民主党はただ、相手を嘲笑ったまま、易々と政権を手に入れられるだろう。

筆者は「正当なる政権交代」が今の日本の為にはどうしても必要だと思い、その為には、何度も裏切られながらも民主党という政党を応援して来た。その思いがついに結実する日が来る、それは本当に喜ばしい。そして、長年、政権、権力にあぐらをかき、日本の政治を停滞させて来た自由民主党なる政党がついに崩壊しようが、分裂しようが全くご勝手になさればいいと思う。だが、自民党にも戦後日本の繁栄を築きあげてきた矜持と王者としての誇りはないのか?いや、そんなカッコいいセリフを敵に投げ掛けられる余裕なんて、民主党には所詮はないんだけどね・・・。

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2009年7月13日 (月)

後は一本道・・・のはず

先週の土曜、所用で実家に泊まっていた筆者は張り切って周囲を「ねり走る」共産党都議候補に叩き起こされた。時計を見ると8時過ぎ、法律的に文句を言う筋合いはないのだが、もはや都民ではなく、部外者となった身としては迷惑そのものだった。まぁもっとも当事者の方は、とにかく必死であっただろうが。

その都議選が終わった。予想通りの民主の大勝、自民を44年ぶりに都議会第1党の座から追い落としただけでなく、中選挙区制度での選挙ながら自公を過半数割れに追い込むおまけつき。更に、都議選の影に隠れて全く注目されなかった奈良市長選も民主推薦候補が自民推薦の前衆院議員(元市長)を圧倒。全国で2番目に若い市長が誕生する運びとなり、全国的な民主躍進、自民退潮の流れはもはや、止められない勢いと見える。

前稿で、もはや一本道と書いた。それ以上のことを書かなかったのは、都議選の結果が出ていなく、迂闊なことを書くとこんな個人的ブログでも、選挙妨害を問われかねなかったからだが、いよいよ事態は大詰めを迎える。

報道によれば、麻生首相は尚も、自らの手による解散に意欲満々だそうだが、それは選挙の結果も出ないうちから、弱気なことは言えなかったろうし、また仮にも内閣総理大臣たるものが、都議選の結果で退陣に追い込まれるなどありうべきことではないというプライドもまぁ、お持ちであろう。しかし、このまま突っ張ったところで、もはやどうにもなるものではないことをまさか本当にわかっていないわけでもないだろうし、形勢挽回、大逆転への秘策を胸に秘めてるとも、到底思えない。逆にこの選挙結果を受け、自民党内の「反麻生」「麻生降ろし」の声は、止めどもなくなって行くだろう。

今日、民主党は衆院で麻生内閣不信任案を、参院で麻生内閣問責決議案をそれぞれ提出する方針と聞く。問責の方は可決確実、そのまま参院での審議は完全にストップする。問題は不信任案で、これも与野党の議席差を考えれば、難なく否決されるはずなのだが、この期に及んで麻生を「信任したい」と本気で考えている自民党議員が果たして何人いるかということだ。

と言って本会議で造反もできずに、しぶしぶ反対票を投じれば麻生内閣は衆院で信任されたことになり、反麻生の連中は麻生を降ろす口実を失う。今回の不信任案提出は麻生の手でなんとしても解散させる為に麻生の居座りにお墨付きを与えようという、野党側の「勝負手」なのだそうだ。不信任案は提出されれば、ただちに本会議に上程され、審議されなくてはならない最優先案件で、採決を引き延ばすことはできない。

不信任案を受けて、麻生が採決前に解散に打って出る可能性はある。しかし、これには与党の猛反発が予想され、この与党への大逆風の中、都議選で1議席を増やし、不気味な存在感を示した公明党の斎藤鉄夫環境相の首を切ってまで、今の麻生に突っ走れる力があるとは思えない。もちろん、信任してそれを「花道」に辞めてもらうというのも、とても国民に通る理屈ではないだろう。

だいたい、今解散するとすれば、それは麻生の意地とプライドを満たすだけのものになり、多くの自民党議員に無理心中を強いる行為に等しい。それほどの度胸も麻生にはやはりないだろうし、ただいたずらに人の恨みを買うだけのことである。結論としては、不信任が出た時点で、麻生は辞任せざるを得ないと思う。

麻生辞任を受けて総裁選が始まる。民主党や国民からどんなに非難を浴びたところで、我関せず、この人達に物の道理や理屈を説いても全くの無駄である。少なくとも、自民党の議員達に一片の政治的良心があったら、遅くても福田退陣の時に、一緒に下野するだろう。自らの都合で総裁・首相を取り替えることになんの躊躇もなく、それを3年続けようとしているのである。言っておくが、国民はその間、なんの意思表示もさせてもらっていない。勝手に自分達でスカを担ぎ上げ、そして自滅しているのである。「バカ」としか言いようがない。

候補はさっそうと自民の救世主に名乗りを上げたのはいいが、国民にその三文役者ぶりを見透かされ、ほぼ総スカン状態のまま、舞台からそのまま転げ落ちた東国原某の線は消え、やはり党内からの選出。となると、昨秋に麻生と戦った連中がまずは有力候補になる。だが、石原伸晃は、今回の都議選の責任を問われる立場となり、声は上げにくくなったろうし、やはり同じ東京選出の与謝野馨はただでさえ、決して選挙に強くないのに、この結果に今頃震え上がっているだろう。石破茂は内閣の一員にいる今、後継に名乗りを上げるのは云々と理屈を言ってるようで、今回はパス。となると残るは小池百合子に鳩山邦夫、舛添要一、ひょっとしたら野田聖子。中川秀直は自ら出るか、それとも前回同様、小池を担ぐか、以上の「豪華メンバー」で争われることになろう。

有力とされるの舛添。口を極めてののしっていた安倍の内閣に、一転潜り込んで、以来今日まで厚生労働大臣の座に居座り続けているが、これと言った実績もないのに、なぜか「よくやっている」とされ、国民の人気も高いらしい。筆者には全く理解できないのだが、それに気を良くしたか、このところご本人も意欲を示す発言を繰り返している。自民党発足以来、参院議員が総裁になった例はなく、また所詮は議員になってまだ8年のタレント上がりのバフォーマンス野郎と、党内の人気は決して高くはないのだが、それでも他に適当なのは見当たらず、片山さつき以外は最終的には、みんなしぶしぶ認めるのだろう(笑)。手はともかく口だけは間違いなく八丁な新総裁・首相にいただき(そうか、あいつが首相になっちまうのか・・・)、そしていよいよ9月に解散という流れである。だが、ひょっとするともう一幕あるかもしれない、それは「鳩山辞任」・・・。

今の自民党への逆風は麻生のせいだけではないが、麻生の存在によるところも極めて大きい。その疫病神が消え、新総裁の下、自民党は遮二無二、鳩山由紀夫の政治資金問題を突いてくる。もはやそれしか望みがないのだから、その攻撃は恐らく死に物狂い。とにかく国会をギリギリまで引っ張り、連日猛攻撃を続けるだろう。

先日の記者クラブでの講演で鳩山は

「細川政権の教訓は生かさなくてはならない。」

と述べたそうだが、これは皮肉な予言になりかねない。細川護熙は与党内部の対立もあったが、佐川急便からの資金提供疑惑を野党自民党に徹底的に突かれ、退陣に追い込まれた。報道を見る限り、鳩山の一連のそれは、なかなか説明がつきそうもなく、例えなんとか選挙までは逃げ切ったとしても、政権を樹立したとたんに立ち往生しかねない恐れがある。

まして選挙前にダウンした時の民主党のダメージは計り知れない。だからと言って、それで自民党が盛り返すという期待は甘い、どっちもどっちということで、国民はしらけ、棄権に回る。でなければ、渡辺や平沼の第3極志向の連中に走る。その票は今の流れなら、民主党に回るであろう票であり、断じて自民の票を食うわけではない。かつて森喜朗が望み、最近では古賀誠が口走った「無党派層が寝てくれる」が現実となり、民主は伸び悩み、こうなると、学会票というとてつもない固定票を持つ自公が相対的に浮上する。なんだかんだ言って自民は公明、学会をやっぱり粗末に扱えないのである。そうなってしまったら、選挙後の政局はもう、収拾がつかず、筆者がもっとも忌み嫌う「政界再編」という魑魅魍魎が跋扈するという最悪のシナリオに突入する。

それにしても、昨日の都議選、投票率は55%にも満たなかった、大雑把に言って、都民の2人に1人は選挙に行かなかったのである。国政選挙、それも政権交代のかかった大一番のそれなら話は別?繰り返すが、この逆風下、公明は一議席ながらも議席を増やした。それは中選挙区制のマジックの賜物でもあるが、この期に及んでも、選挙に踊らぬ有権者があまりにも多いことが大きな原因なのである。ローマは1日にしてならず、日本の政権交代への道のりも、まだまだ平坦ではない。

あまりの酷使にさすがに気が引けたか、原監督は昨日の阪神戦、とうとう越智と山口をベンチから外した。そんな試合に先発のマウンドを託された内海は元気のないタイガース相手とは言え、見事な完投勝利。これぞエースである、お見事!それにしてもここ1ヵ月以上にわたる貧打はなんなのだろう。リリーフ陣の酷使の原因は、開幕当初の先発陣の不甲斐なさから、点の取れない打線に、明らかに変わっている。坂本の下降、李の不振、阿部の不在という要素も無視できないか、要はつながりがないということなのだろう。間もなく、オールスター、その前に打線の梅雨明けは果たしておきたいものである。

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2009年7月 7日 (火)

勝負とはゲタを履くまでわからんものだ

先日、暇潰しにチャンネルをガチャガチャやっていると、大リーグ中継が出て来た。見るとはなしに見ていると、バッターがヒットを放ち、セカンドランナーが悠然とホームに返って来た・・・と思いきや、矢のようなバックホームが送られて来て、余裕ぶっこいていたそのランナーはなんとタッチアウトとなってしまった。なんとも間抜けなプレーだと呆れたが、この憤死が後で重大な事態を引き起こすことになるとは、その時は思いもしなかった。

得点は10-6、が、実はちょっと前まで10-1だった試合が、前の回の反撃で一気に差が詰まったらしかった。その直後の攻撃での追い上げられている側のボーンヘッドである。このままではすまないかもという思いはよぎったが、それでもマウンドに上がったのが日本人プレーヤーの岡島秀樹でなければ、もともとメジャーになんの興味もない当方は、チャンネルを替えていただろう。

残り2イニングの4点差、騒ぎになる展開とは思えなかったが、岡島が筆者にとってはあまりにも「見慣れた岡島」のピッチングを繰り広げ、キャッチャー前のゴロを緩慢な動きで内野安打にしてしまうお粗末も手伝って、あっという間に無死満塁。ここで岡島はお役御免となって、同じくジャパニーズメジャーリーガーの斎藤隆がおっとり刀で登場して来たが、こうなっては斎藤ではなく、他の知らない投手が出てきたところで、チャンネルを替える気はもうさらさらなくなった(笑)。

その斎藤も相手の勢いを全く止められず、一死はとったものの、ついに1点差まで追いつめられ、たまりかねてベンチはクローザーを送り込む。解説は大島康徳だったが

「一死というのがむずかしいですね。あと一つのアウトならとり易いんですが、こういう場面で二つアウトを取らなくてはならないというのは、結構しんどいんですよ。」

という予言は見事に的中、最初の打者は三振に切ってとったものの、続く打者に左中間を深々と破られ、七回表まで10-1のワンサイドだったはずのゲームがとうとう、10-11の大逆転試合になってしまった。すべてを見ていたわけではないが、こうなるとあの油断としか言えない走塁でみすみす逃した一点の重み・・・後悔先にたたず、勝負はゲタを履くまでわからないという格言をまさに地で行った試合となってしまった。

日曜日に投開票された静岡県知事選は大接戦の末、民国社野党3党が推薦する元大学学長が、自公が推薦する元参院議員らを押さえて当選を果たした。一時は、勝たなくてもいいなどという不遜な声もあったやにも聞くが、ここで負けていたら民主は大騒ぎになっていた可能性が高い。

政権交代に向けてまっしぐらの感もある民主党の重大な足枷になりかねない、鳩山由紀夫代表の「故人献金」問題。負けていれば、この影響を指摘する声は強まり、逆に自民に反攻のきっかけと勢いを与えることになりかねなかった。いや、事前から接戦の予測ではあったものの、ここまできわどくなったのは、やはりこの問題が影を落としていたと見ることもできる。

それにしても鳩山のあの問題は少々ひど過ぎないだろうか。「政治資金収支報告書」なんて所詮、砂上楼閣のような辻褄合わせの作文という面は否定しないが、あそこまで不真面目なものを堂々と掲げられては、あいた口が塞がらない。どういう意図であんなものを作って出したのかは、知らないが、少なくともあれを鳩山本人が全く目を通していないことだけは間違いない。いくらなんでも見ていれば、仮にも「恩師」と慕う人物の名が不当に使われていることくらい、すぐにわかるだろう。その杜撰さ、無責任さは非難されてしかるべきだし、当然、なぜそんなことをしたか、鋭く追及されても仕方ないだろう。

鳩山や小沢が93年に自民党を離党した時に、掲げていた理念は「政治改革」だった。政治改革とはなにか、それはリクルート事件に端を発した「政治と金」に対する国民の不信感の払拭を目的にしていたはずである。それから16年、長年の苦労が実り、いよいよ彼らの悲願だった政権交代が目前に迫って来たはずなのに、その彼らが「政治と金」で足元をすくわれようとしている。小沢も鳩山も自民党にとどまっていれば、党内に今、それなりの地歩を築いていただろう。いや、ひょっとしたら麻生や安倍なんて輩を差し置いて、首相の座を射止めていた可能性だってある。あえて茨の道を選んだ彼らの政治的決断と勇気を称賛することには、やぶさかではないが、それにしても彼らの16年とはなんだったのだろうという思いはぬぐい去れない。

そんな彼らの失策が今や唯一の拠り所となった自民党。今彼らが、懸命に追いかけているのが鳩山の疑惑であり、生色を一瞬取り戻したのは、検察をけしかけて小沢を世論の非難の的にした時だけである。もはや、自民党は政策で攻勢をかけることなど、全くおぼつかない政党になり下がったのである。

鳩山を追いつめれば、まだ希望があると自公は躍起になっているが、静岡知事選は接戦とは名ばかり、民主系候補に元民主党参院議員に投じられた票を足せば、大差。元議員は予想以上の健闘だったと思うが、それでも自公は勝てなかったという事実は重い。

前稿を書いた直後に、にわかに再浮上した内閣改造と党役員人事。下馬評だけは華々しかったが、結局どうでもいい「人事をやった」というアリバイ工作以外のなにものでもない閣僚補充が精一杯。もはや国会も閉じようという中、それになんの意味もなかったことは言うまでもない。

またしても自身の威光を傷つけるだけの結果となっただけでなく(もうそんなもの、とうにないという説も濃厚だが)、替えられかけた三役の威信も低下、そして首になりかけた連中はふてくされて、いよいよ麻生にそっぽを向く、何一ついいことのない結末に、国民がどういう判断を下すか火を見るより明らかなことだった。

それでも尚、わが国の内閣総理大臣である麻生太郎は、サミットに出席すべく日本を旅立って行った。思えば昨年、洞爺湖サミットが行われた時、来年は小沢一郎か岡田克也が行ければいいと書いた。だが、今年まさか麻生がサミットに行くなんて、まして今もって総選挙も行われていないとは、あの時点では夢にも思っていなかった。自らの保身と権力欲の為に、ひたすら総選挙を先送りにし、政治の停滞を長く放置してきた麻生及び自公勢力の罪は、当然迫りくる総選挙で断罪されなくてはならない。

12日の日曜には都議会議員選、それ以降自民党はいよいよ大混乱状態に陥るとも言われている。選挙の結果が、まだ出ていない今、迂闊なことは書けないが、筆者はもう1本道だと思っている。そしてその結果、小池だか東国原だかしらないが、新しい顔が相手に誕生した時、ふと気がつくと自分の方の党首は疑惑に包まれたままだった・・・。

勝負というのはゲタを履くまで本当にわからない。それはまだ3ヶ月も先のことなのだから・・・。

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2009年6月30日 (火)

本気で自分で解散しようと思ってるのか?

少し前にやっていたドリフターズによるパチンコのCMには驚かされた、長さんは実はどこかで生きているんだね(笑)。本当にそうとしか見えなかった。更に少し前にやっていたコーヒーのCMでは桑田佳祐が、植木等と歌い踊り、ジャイアント馬場と戦っていた・・・凄い世の中になったものである。

これらは無論、現代の最新技術を駆使した「合成」の産物だが、今回某コーヒーのCMで復活した「太陽にほえろ!」はなんとゴリさん(竜雷太)、殿下(小野寺昭)、テキサス(勝野洋)、ロッキー(木之元亮)の4刑事が往年の衣装を身にまとって、熱演、最年長69歳のゴリさんも含め、なんと犯人追跡の激走シーンまで見せてくれているのだ。「太陽にほえろ!」を知っている人なら、現実にこの4刑事のフォーショットはありえなかったことはわかっているのだが、それにしても録り方の妙、そしてやはり技術の助けはあるのだろうが、4人の俳優さん達の往時と変わらない雰囲気と熱演ぶりには、胸が熱くなった。テキサスなんてホント、若々しかったもんなぁ、いやいい物をみせてもらったものである。

同情する気は全くないが、それにしても麻生太郎首相の迷走ぶりはもはや憐れと言う他はない。今更ながら繰り返させてもらえば、首相の力の源泉は「人事権」と「解散権」。それを遅まきながら行使しようと、もそもそと動いてはみたものの、党内の反発が強く、全くままならない。だが、とっくに「死に体」化し、国民の支持も、党内の支持も失っていながらも、とうのご本人だけはひるむことがない。その「強靭な精神力」には、ある意味、感嘆してしまう。

とっくに退陣しててもおかしくない首相が、とにもかくにもまだ、自ら解散をしようと足掻くことが出来る理由は2つ、1つは衆院議員の任期切れがもう2ヵ月強で来てしまう事、もう1つは自己都合による4度目の総裁交代を自民党がさすがに躊躇し続けてきたことである。しかし、度重なる不手際、失言で国民の信を完全に失い、見放された首相・総裁の下で選挙を戦えば、どうなるのかは自明の利。もはやためらっている場合ではないと、自民党議員の多くがガタつき出した。かねて麻生に含むところがある中川秀直元幹事長は、ついにブログで「万歳突撃はゴメン」とはっきり本音を書いて、倒閣を宣言した。

麻生が目指したとされる党役員の交代、一部閣僚の交代、補充による内閣改造は論外である。代わりに、どんなすばらしい人物が入ったとしても(そんなのがいるとも思えないが)、それは麻生体制が続くということであり、麻生その人に国民が愛想を尽かしているのだから、全く無意味なことでしかない。

と言って、一部の強硬派が主張するように総裁選の前倒しにより、強制的に総裁を代え、その下で選挙を戦うというのもうまくいくとは思えない。その手段によって「自民党総裁」は代わっても「内閣総理大臣」は代わらない。解散権を持つのは、総裁ではなく首相、つまり麻生太郎その人のままなのである。下手をすれば、自民党は分裂、戦わずして下野の道を歩むことになりかねない。結局は、自民党の多くの衆院議員、及び次期総選挙立候補予定者はまさに、祈るような気持ちで麻生が自主的に総辞職してくれることを願うしかないのである。しかし、麻生にそのつもりは全くなさそうである、彼は現状をどう分析しているか、本当にこのままで勝機があると思っているのだろうか?不思議な人物である。

とりあえず鍵を握るのは、今週末の静岡県知事選そしてその翌週の東京都議選であることは間違いない。うがった見方ではあるが、実はこの両選挙、自民、民主とも本音は勝ちたくないという説がある。1つでも自民が勝てば、麻生降ろしのタイミングが失われ、自民は困るし、逆に民主はその方がいいと言うのである。なんとも言えないが、一面の真理はついているかもしれない。

先週、吹き荒れた「東国原旋風」はやや、ここに来て沈静化しつつあるように見えるが、しかし自民党が、あそこまで東国原に拒否反応を示したのはなぜなのだろう?この期に及んで自民党に味方しようなどという奴は、筆者にとってはもはや国賊だが、しかし自民党が本気で生き残りたいと考えているのだしたら、彼は救いの神だったかもしれない。「東国原総裁」対「鳩山代表」、国民がどう判断するかは、微妙だが、ひょっとすると劇的な形勢大逆転は起こり得たかもしれない。

日曜日に投開票された横須賀市長選は、33歳の前市議が2期目を目指した現職を接戦の末、破った。国民の間で、尚も絶大の人気を誇るとされる小泉純一郎元首相のお膝元で、彼が懸命にテコ入れした候補が敗れたのである。小泉及び一緒に現職を支持した自公が赤っ恥をかくのは、まぁどうでもいいことなのだが、問題はその現職を民主まで一緒担いでいたこと。出口調査によると、民主支持層の半数くらいが当選した前市議に流れていた由で、このことは、政権交代、「チェンジ」への期待が必ずしも、民主だけに向いているわけでなく、なにか目新しいなにかが、登場すれば、有権者はそちらに食いついてしまうようなもろい優勢に過ぎないことを如実に証明してしまった。そのなにかに、「東国原総裁」がなった可能性はあったはずである。

このままなら、政権交代は実現し、民主党を中心とした民・国・社連立政権が誕生するのは間違いないだろう、「このまま」なら・・・。岡田克也民主党幹事長は問われて、政権交代実現の可能性を50%と言った。

「60年も政権を維持して来た人々がそんな簡単に政権を放すとは思えない。まだまだいろんな仕掛けをして来ると思う。それを乗り越えて行くことが、我々の試練だ。」

東国原爆弾は投げつけられた自民党の方がビビッて避けてしまい、このままでは不発に終わりそうだが、一か八か、乗ってみようという空気がまた出てこないとは限らない。それに平沼、渡辺それに橋下などがうごめく第3極勢力が、このままなら思わぬ伸張を見せる可能性もある。そして、何より民主党が得意とする「ホップ ステップ 肉離れ」がこの土壇場で出ないと誰が保証できるだろう。

今度の衆院選はその時、運の良かった政党が勝つ、そしてその鍵は、どうやら依然として「麻生太郎」が握っているのである・・・。

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2009年6月26日 (金)

今日は徒然なるままに

前回、書き漏らしてしまったのだが、交流戦の日程はどうにかならないものなのだろうか?5月のGW明けから1ヶ月強に渡って行われている交流戦だが、予備日等の問題もあるのだろうが、試合が飛び飛びでなんとも間の抜けた日程になっているし、中だるみといった感が否めない。コンディションが厳しくなるとされる梅雨時に、楽な日程は選手にとっては歓迎なのだろうが、ファンとしてはペナントがグッと佳境に入ってきたところで、なんか水を差されてしまうような気になる。

スタート当初の6戦スタイルから4戦スタイルに試合減にもなっていることだし、スタート時期は同じにして、まず一巡。通常のリーグ戦をはさんで、オールスター前に後半戦というような形はとれると思う。是非一考を願いたいものである。

ファン投票で圧倒的票数でトップ選出されながら、宝塚記念を回避したウオッカ陣営の決断には、賛否両論あったようだが、まぁ妥当の判断ではないだろうか。海外遠征2戦を含む春4戦(それも残りの2戦はGⅠ)で更に、夏場にもう1戦というのは、牝馬にはあまりにも過酷すぎ、このまま無理をすれば、サイレンススズカの二の舞だって踏みかねない。今はゆっくり休養して、秋にまた元気な姿を見せて欲しいものである。

ウオッカの回避によって「一強」状態になってしまったディープスカイはいよいよ負けられない立場に立たされた。その上、父アグネスタキオンの急死というドラマ性まで加わって、人間の方は否が応でも勝手に盛り上がっており、馬としてはさぞ迷惑であろうが、しかしここでは負けて欲しくないというのが、筆者も正直な気持ちだ。なにしろフルゲートにも満たず、1600万条件の馬まで出ているのである。勝ったら、凱旋門賞も視野に入れているやに聞く、恥ずかしくないレースを期待したい。

フルセットにもつれ込んだ、将棋の名人戦はカド番に追い込まれながらも、例によってそこから粘り腰を発揮した羽生善治名人が逆転で防衛を果たした。挑戦者の郷田真隆九段にとっては2年前の対森内俊之名人(当時)戦に続くフルセットでの敗退であり、またしてもあと一歩で大魚を逃した形になった。羽生相手では、やはり第6戦で一気に決めてしまわないと厳しかったということなのだろう。これで今期のA級順位戦はタイトルホルダー不在でのスタートという異例の形が確定した。

それにしても今更ながら、羽生のおそるべき粘り腰よ。棋聖戦で木村一喜八段の挑戦を受けながらの防衛、ただただ恐れ入りましたとしか言い様がない。この強さは一体どこまで続くのか、本当に興味をそそられる。

その閉店は突然だった、いや予兆はあった。開店からほぼ1年、広い店ではなかったが、完全に客がついていたようだったし、筆者はそこの「つけ麺」に凝っていた。なのにある日新メニュー開発の為と称して、メニューがそのつけ麺だけになってしまった。いや、それも筆者が好きだった味とは似て非なる味となって。それから数日、とうとう店のシャッターは閉じられた、1ヵ月後のリニューアルを目指して、しばし休業との張り紙を一枚残して。以前、ここでも取り上げた「ラーメン創房 一茎草」である。

明らかに変であった、パソコンで調べてみると、HPは閉鎖されている。店主の名前で検索すると、ブログにたどりついた。どうやら、店主とオーナーがもめて、決別したようなことが、書かれていた。いやだねぇ、大人の世界は・・・(笑)。

店主の方は心機一転、高田馬場の方に店を出すらしいが、同じ東京とは言え、今までのフラッと寄れる環境とは訳が違う。いやぁもうなかなか行けないなぁ、久々に口に合ったラーメン屋なのに・・・残念。

一方の「オーナー」なる人が、どういう人なのかは全く知らないが、張り紙をみる限り、やはりラーメン職人なのだろうか。それにしてもなんかこのままフェードアウトの予感は強いし、あのツケ麺を食べた限りではあまり期待できないかなぁ・・・。どこかに、おいしい醤油ラーメン食べさせてくれる店、ご存知ありませんかね?心当たりのある方は是非教えてください。それでは、また。

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2009年6月23日 (火)

「実力のパ」の時代?

交流戦が終わった。ジャイアンツは12勝9敗3分、まぁまぁというところだろう。06年の歴史的とも言っていい大失速のイメージが強く、ジャイアンツにとって交流戦は鬼門、苦手という評をいまだに聞くが、05年の交流戦スタート以来、あの年を除いてはすべて勝ち越している。

交流戦が始まる前は、はや独走の気配もあったのに、気がつくとヤクルトが2ゲーム差までに迫ってきている。いいタイミングというか、リーグ戦再開最初のカードでいきなり、両チームが激突するということもあり、マスコミは早くもざわめいているが、ついこの間まで6ゲーム差あったのを、ヤクルトが終盤7連勝で一気に詰めて来ただけであり、確かに決して気分はよくないが、それにしても、なんと言っても先は長い。これからまだまだ、熱い戦いは続いて行くということなのである。

最終戦は内海以下の投手が乱れての大敗であったが、交流戦を通じて投手陣はよくやったのではないか。ただ、途中の4連続延長戦に象徴されるように全体的に打線が低調で、得点能力が落ちているのは気がかりだ。一時の勢いはないものの、坂本は頑張っているが、あとの小笠原、ラミレス、亀井、谷といったところはその日暮らしというか、調子が安定せず、一向に調子の上がってこない李は不調なのではなく「衰えた」のではないかも感じさせられる。

そしてなにより、気がかりなのは打者阿部慎之助からめっきり迫力が消えてしまったこと。昨年の日本シリーズ、あるいは一昨年の五輪アジア予選のように短期間に爆発することはあっても、いよいよジャイアンツの4番を張るのでは期待させた頃の輝きはすっかり影を潜めてしまった。体調不良もあるのだろうが、なにより打席での姿勢が淡白になった。大田泰示は未来の大器を予感させるデビューを飾ったものの、まだまだ海のものとも山のものともわからず、中井大介はチャンスは与えられているが、昨年の坂本のような「何か」を原監督に感じさせないのか、短期間でファームに戻されることを繰り返している。そして高橋由伸がもはや絵に描いたモチと化してしまった現在、阿部に求められているものは大きい。李と違い、「衰えた」などと言われてはまだ困るのである。

投手の方も楽な交流戦日程に救われたものの、越智、山口プラス豊田にオンブに抱っこ状態にあまり変化は見られない。クルーンが無駄な張り切りがもとのケガで長期離脱、マイケルと西村健も一向に調子が上がらず、一軍復帰のメドがたたない現状では3人、特に他に後ろで投げるまともな左腕が見当たらないチーム事情から山口にかかる負担はべらぼうに重くなってしまっている。先発投手陣の奮起を改めて促しておきたい。

「人気のセ、実力のパ」という言葉がある。その昔、「巨人、大鵬、卵焼き」と言われ、多くの野球少年達が誇らしげにYGマークの野球帽をかぶっていた時代、「巨人にあらざれば、野球選手にあらず」というわけで、他の5球団はジャイアンツの寄生虫、パに至っては全くの問題外扱いだった時代、マスコミに取り上げられることもなく、ファンにかえりみられることも、ほとんどなかったパの選手達は「お祭り」と言われたオールスターゲームで、目の色を変えてセにそしてジャイアンツに戦いを挑み、そして圧倒してきた。そんな様子を見ながら、いつしか人々が

「実はパの方が強いんじゃねぇか?」

と思い出して、囁かれた言葉であった。しかし、実際には「夏の祭典」ではともかく、真剣勝負の日本シリーズともなると、古くは西鉄ライオンズ、少し下がって阪急ブレーブスや西武ライオンズが一時代を画した時期はあったにしても、ジャイアンツを始めとしたセ覇者の壁は厚かったというのが、現実であった。

ところが、近年明らかにその傾向に待ったがかかっている。日本シリーズは2002年にジャインツがライオンズを圧倒して以降は、2007年以外はパリーグのチームが制している。それもはっきり言ってほぼワンサイド、昨年のシリーズも互角のねじりあいに見えたが、まぁ正直あまり認めたくはないのだが、結局は最後は、ジャイアンツが力でねじ伏せられた感は否めない。

そして5年目を迎えた今年の交流戦はソフトバンクの連覇で終わり、これで始まって以来パチームの5連覇である、もっとも今年は5年目にして初めて通算対戦成績ではセが勝ち越したそうだが。

リーグを独走して、意気揚々と札幌に乗り込んだジャイアンツはいきなりパトップのポンハムの洗礼を受ける。怒涛の攻撃に為すすべなく連敗した姿を目の当たりにした筆者は

「こりゃ、パは強ぇな。」

といささかショックを受けたものである。そのあとすかさず楽天を連破して五分に戻したので大事には至らなかったが(話はそれるが、楽天を結局4タテしてやったのは痛快だった。野村克也という人物は大監督であることは間違いないが、それにしても球界長老の立場にある人間としては、あまりに発言に、自覚も節度もなさすぎる)選手の粒もなんとなくパの方がそろってるかなぁと思わされることが多々あった。

FA導入以来、他リーグやメジャーに活躍の場を求めるのは圧倒的にパの選手であった。主力を続々と抜かれ、失いながらも、めげずに選手を抜擢、育成した球団とその期待に応えてのし上がった選手、どちらにも雑草のような強さがあるのかもしれない、フッとそんなことを考えさせられた、今回の交流戦であった。

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2009年6月21日 (日)

もはや手段は選ばず

17日の水曜日に行われた麻生太郎首相と鳩山由紀夫民主党代表による2回目の党首討論を

「麻生首相は遅まきながら、冷静かつ誠実に説明責任に努めていたが、一方の鳩山代表は相変わらずのスローガンの羅列に終始していた。」

と評したのは産経新聞だった。しかし、これはあくまで自民党命、というより民主党をひたすら嫌い、そして足を引っ張ろうという趣旨で一貫している産経ならではの見方であり、実際のところは、政治家の中では稀有なほどの演説、討論下手の鳩山が、余裕を持って麻生をあしらったと言って、差し支えないだろう。過去にないくらいに落ち着いた雰囲気で行われた今回の討論は

「ハコ物ではなく、国民一人一人の生活を守る為に、予算を使う政治。」

と切々と訴えた鳩山の主張はなかなか心に響いてよかったと思う。一方の麻生は相変わらずの財源論、筆者はこの論争は前々から不毛だと思っている。だいたい野党に、与党と同じような完璧な裏付けのある財政政策を求めることに無理があるし、片方は税金の無駄遣いが一杯あると言い、片方はそんなものはほとんどないと言い張る以上、その決着をつける方法は、あると言っている方を政権の座につけ、やらせてみる以外に検証の方法がないからである。そして国民は「ある」と言っている方の勢力に、軍配を上げつつあるように見える。そして唐突に「第七艦隊うんぬん」とのたまいだして、失笑を買っていた姿は哀れですらあった。

前回も書いたが、麻生首相の命運は尽きようとしている。いや2月に郵政民営化にもともと反対だったと言ってしまった時点で、本当なら終わっていたはずだったのに、その後敵失から、一瞬蘇生したように「錯覚」しただけだったのである。もはやその権威は与党内にもほとんどなく、総裁選の前倒しや、信任投票を求める声が公然と吹き出しているだけでなく

「都議選で負けたら、あの人だってわかっているだろう。」

などという発言が、公然と語られるに至っては、もうどうにもなるまい。だが、麻生はこれまででも、自民党がこれまでとはまだ決まったわけではない。少なくとも彼らはそう思い、そして必死にあがいている。

彼らの希望の星はやはり「小沢一郎」。西松裁判が始まり、冒頭陳述で検察は小沢事務所がいかに、岩手を始めとした北東北の公共事業に対する影響力を保持していたかを語り、対する被告の西松建設前社長も事実関係を争う姿勢をみせないことから、再び小沢への、ひいては民主党への風当たりは強まりつつある。更に鳩山にも故人から献金を受けていたという不可思議な事実も発覚し

「政治と金の問題は、当然今国会後半の重要なテーマとなる。」

と自民党が張り切るというかつてない情景が現出している。

が、これが前回のような劇的な効果を挙げるかは、疑問も残るところで、まず検察のとにかく小沢ありきの姿勢に対する疑問、批判もまた高まってきており、それが自民の方に跳ね返ってきかねず、更に小沢その人が既に民主党代表の座を退いてしまっていることも、かつてほど、小沢攻撃に迫力を与えない。現に民主党は、これは小沢個人の問題という姿勢を強めており、世論がそれをどう判断するか?そして、なによりも致命的なのは、麻生が日本郵政のゴタゴタで、国民の信用を決定的に失っており、もはや麻生が今のままの地位にとどまっている限り、なにが起ころうと、形勢逆転の目は100%ない。

静岡県知事選は野党分裂、都議選は民主が首都東京で意外なほどの不人気で、麻生はまんざら希望を捨ててないらしいが、ここで連敗するようなら、もはや有無も言わせず、引き摺り下ろされるだろう。その前に、一か八か解散などという説もあるが、もはや麻生にそんな力があろうはずがなく、麻生と心中する気など、もとより自民党にはない。

自民党はやる、間違いなく総裁交代=首相交代を。舛添か、野田か、小池か石破かそれとも中川秀直かはまぁ知らないが、絶対にやる。民主党が小沢から鳩山に党首を替えただけで、ここまでの形勢逆転を成し遂げた以上、自民党にも可能性はある・・・かどうかはともかく、新首相の下で10月に総選挙、決まりだろう。静岡知事選と都議選のどちらかでも勝ったら案外自民党さん、困るんじゃないですかい?

一連の鳩山邦夫の言動は、後への野心があまりにもミエミエで、全く関心が湧かなかったのだが、彼が三木武夫の名前を出して、改革を叫んだとなると、今後の言動には、ちょっと興味をひかれる。所詮は民主党政権阻止を訴えている以上、筆者にとっては、敵であることは間違いなく、ただ、自民党さんの方で勝手にごたついてくれる分には、まぁウェルカムというところであろうか。そうだ、ヤケッパチついでに、自民党もいっそのこと由紀夫-邦夫の兄弟対決でも実現させてみたらどうだろう、ワッハッハッ。

今日は父の日。筆者にとって2度目にして、上の息子の最後の保育参観が昨日あった。自分の子供を見てというより、今年幼稚園に入ったばかりの年少児を見た時に、その成長を強烈に感じた。そしてその後、実家に父のご機嫌伺いに行ったのだが、リタイヤして1年、すっかり威勢が影を潜めてしまった父の姿は正直寂しかった。人間はやはり、平等に年をとる、それは嬉しいことであり、また悲しいことでもある。そんなことを実感した1日であった。

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2009年6月 4日 (木)

「なんだよ、2人してだましてたのかよ!」・・・(笑)

ダービーが終わった、競馬サークルの人々にとって1年の区切りは有馬記念ではなく日本ダービーなのだそうだ。ダービーが終わると

「今年も終わったなぁ、またこれから1年頑張ろう。」

と思うらしい。

それにしてもひたすら雨が降り続き、グチャグチャのコンディションだった今年のダービー。武豊騎手はブログで

「GⅠの馬場としてはタイキシャトルが勝った安田記念、いやそれよりひどかったのでは。」

と書いていたが、あの時はたまたまデートで八景島シーパラダイスに行っていて、何にも出来ずに帰って来た思い出があり、確かにひどい雨だった(そんな時、機転もきかず予定通りノコノコ行くから振られちゃうんだよね・・・)。あとはその前の年だったかキョウエイマーチが逃げ切った桜花賞あたりがパッと思い出されたが、どの道もう10年以上前の話である。

筆者が初めて馬券を買ったのは92年のJC、よりにもよってデビューにそんなレースを選ぶなんて、モノを知らないというのは怖いものである。そして翌93年から本格的に参戦と相成ったわけなのだが、その年のダービーは「記念すべき」筆者にとっての初的中レースとなった。3強と言われたウィニングチケット、ビワハヤヒデ、ナリタタイシンによる文字通りの激闘、そして鞍上は当時のビック3と言える柴田政人、岡部幸雄、武豊、すごいレースであった。結果的にではあるが、ラストチャンスをモノにして悲願のダービージョッキーの座に就いた柴田の執念と、そこに騎乗馬の持てる力をすべて発揮して立ちはだかろうとした岡部と武の好騎乗、ビギナー時代に見せられたプロの凄みはあまりにも衝撃的であった。以来もう16年、しかし筆者にとって、このレースを越えるレースは未だに現れていない。

初めて見たダービーがあまりにも劇的過ぎたこともあり、以来ダービーを予想する時だけは「ドラマ性」あるいは「騎手や陣営のダービーに対する思い入れの強さ」というファクターを考慮するようになった。なにせ、このレース体系がきっちり整備されている時代において、賞金が足りたからと、それまで全く別路線を歩んでいた馬が、突如として矛先を向けてくるなんてことが起こるGⅠは今や、間違いなくこのダービーだけだろう。勝ち負けになるならないは関係ない、まして自分の馬が割り込むことで迷惑を被る陣営があるなんていうことは全く考慮の外、とにかく出られる以上、参加しなければ始まらない、プロフェッショナルのはずの競馬人達に、そう思わせる魔力がある、それが日本ダービーなのだから。

前置きが長くなってしまった、そして今年のダービーである。「戦国」なのか、それとも「1強」なのか、焦点はそこにあった。皐月賞におけるアンライバルドの強さは圧倒的だった、あの力をまともに発揮されたら、他馬は顔色がないかもしれない。しかし、あの雨、そして大外枠、波乱要素は充分にあった。それにいろいろ惑星的馬はいるにはいた、しかし筆者の見るところ、結局は皐月賞で3強と言われた馬プラス青葉賞馬、この4頭以外はいらないように思えた。とすると勝つのはどの馬か?

申し訳ないが、岩田康誠がまだ勝つとは思えなかった。彼の出番はもう少し先、それに今年の彼はここ数年の中では決して乗れている方ではないのではないか。それでも勝つとしたらそれはアンライバルドが相当強く、このまま3冠を獲るくらいの器ということになる。3月にダービーのことを書いた時、実はアンライバルドの「ア」の字も書かなかった。つまりその時点で全く買っていなかったわけで、その不明を恥じるしかないのだが、しかしそれにしても3冠ロードを突っ走るだけの馬とはどうしても思えなかった。

その3月の時は正直、今年は横山典弘のものだろうと思っていた。ロジユニバースの力は他馬より、1枚上に見えたし、横山は年明けから絶好調、神がかった騎乗を見せていた。それよりもいい加減、横山に順番が回ってきてもいい頃だった。だが、皐月賞は全くの惨敗、原因がつかめず陣営が呆然としている有様では、こちらとしてもどうしていいかわからなくなる。

今回のダービーで多くの人が頭を悩ませたのは、このロジユニバースの取捨だったろう。2番人気でこれまた惨敗したリーチザクラウンはまだわかる、ワンパターンのレースしかできずに、それにはまらず自滅したということが。しかしロジに関しては、なんであんなに負けたのか、今でもキチンと説明できる人はいないはずだ。それだけに、結局この馬が2番人気に支持されたということは、見てる人はちゃんとみてるんだなぁと感心させられた。

リーチが人気を落とし、結果5番人気というのは仕方ないだろう。武は3年前のダービーでアドマイヤメインでなくアドマイヤムーンを選ぶという選択ミスで、つかめたかもしれない5勝目のダービーをみすみす逃した(と筆者は思っている)ことにより、当分、いやひょっとしたらもうダービーは勝てないと思っているのだが、管理する橋口弘次郎調教師のダービーに対する思いは、たぶん横山に負けないものがあるはずで、この馬の大駆けはありそうだった。アプレザンレーヴは強いと思った、セイウンワンダーの後塵を拝しての4番人気は納得できなかった。鞍上内田博幸はJRA2年目で、これも少しダービーを勝つには早いとも思うが、内田の時の勢いがあればいけるかもしれなかった。

今回のタイトルに借用した言葉は、ダービーの結果を聞いた同僚が思わず口にした言葉、偶然横に居た筆者は思わず吹き出した。(笑)というのは、筆者の行動である。馬券を買わず、岡目八目で適当なことを考えているだけの筆者に対して、実際に勝負をし、なにを買ったかは知らないが、見事に玉砕した同僚の悲痛な叫び。笑ってしまったが、同情もしてしまった。1、2番人気を背負いながら、揃ってふたケタ着順に惨敗したと思ったら、一転、今度はワンツーフィニッシュでは、それは文句を言いたくなる向きもあるだろう。

横山が

「勝てると思ってなかった。」

とインタビューで語ったそうだから、一転今回は本当に自信がなかったのだろう。それがあの圧勝、今更ながら競馬とは本当にわからないものである。逆にアンライバルドを始め、あの雨への恨み節は多いだろうが、それも競馬

「ダービーはその時に1番運のいい馬が勝つ。」

という古くからの至言を改めて実感させられる結果となった。

もちろん、ロジユニバースはやっぱり強かったのだと言うことが、改めて証明された結果でもあったし、リーチザクラウンが「3強」と言われるだけの力の持ち主だったこともアピールできた。アンライバルドともども順調に夏をすごして、是非にまた秋に力いっぱいぶつかり合って欲しい、期待したいものである。

ついにダービージョッキーの座を射止めた横山典弘、その喜びはいかばかりのものかと思うが、しかし少なくともインタビュー等では必要以上にはしゃぐでなく、涙を流すでなく、いつもクールな彼らしかったのは、さすがであった。岡部幸雄を追い落として関東リーディングを初めて獲ったのは確か95年だったのではないか。いよいよ武追走かと思われながら、その後、岡部にリーディングを奪還されるなど精彩を欠いたままの日々が続いて来たが、子息の競馬学校入学、そして内田というあまりにも大きな刺激剤の登場に、ついに覚醒した感がある。これからまた、凄みのある騎乗を見せてくれるのではないか。

ダンスインザダーク、エアシャカールに次ぐ3度目のダービー2着は横山と並ぶ歴代2位タイ。不調、冴えないといわれながらも昨年は3着、そして今年は2着。大舞台でそれなりの見せ場を作るのはやはりさすがと言うべきか、武豊。ダンスがフサイチコンコルドの末脚に屈して悔し涙を見せて以来、4度の栄冠を勝ち取った彼だが、ダンスの敗北に呆然と座り込んでいたとされる橋口師はこれまた3度目の2着。現役調教師最多のダービー出走馬を送り出しながらも、未だに遠い栄光。橋口の調教師生活も残り少なくなってきた、武は果たして橋口にダービートレーナーの座をプレゼントできるのだろうか。

今回のダービーで残念だったのは前人未到の3連覇がかかっていた四位洋文騎手がついに出走かなわず、戦わずして偉業への道を絶たれてしまったことである。プロの世界は弱肉強食、厳しいものであるが、そう言えば、先週6勝を積み上げて、武を引き離し、横山を抜き去った内田博幸がついに、全国リーティングに躍り出た。南関東で長らく続いた石崎隆之、的場文男の時代を終焉させた男がJRAでも武豊の一人天下に終止符を打つのか。なんとなく武の足取りがおぼつかない今、リーディングは、岩田、藤田、池添、松岡らを含めていよいよ群雄割拠の時代に突入したようである。

4戦連続延長戦、そのうち3試合が12回引き分けとは恐れ入った。今日の試合も全部見ていたわけではないが、打てないのも確かだが、ベンチワークも選手の動きもなんとなく冴えないねぇ。唯一の失点のきっかけとなった鶴岡の落球はお粗末の一言だし、延長11回、相手の投手がアップアップしているのに、ボール球をバントしてフライを上げるキムタクのとてもベテランとは思えないプレー。逆に、その前の回の無死二塁で売り出し中の坂本の打席とは言え、バントの気配全くなしというのはいかがなものか。そしてこれは今更、言っても、もう仕方ないのだが、あのクルーンの1人相撲はなんとかならんのか。12回、二死から8番バッターに四球、そして9番にヒットを打たれ、あわやサヨナラの危機、なんとか最後のバッターを抑えたものの、得意の天井ポーズしてる場合かよ、と言いたくもなる。

一時当たり始めたかに見えた阿部も李も、あっという間に失速。ラミレスもここ2年が出来すぎ、まぁこんなもんなんじゃないのという感じで、小笠原が孤軍奮闘しても追いつかず。なんか、高橋由伸が恋しくなってきちゃったなぁ・・・。

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2009年5月28日 (木)

まだまだ、先はこれから

先日の民主党代表選の際、立候補挨拶に訪れた鳩山由紀夫に対して、党最高顧問の渡部恒三はこう言ったそうだ。

「いよいよ、吉田と鳩山、孫同士の対決だな。」

昭和20年代後半の政界を彩った吉田茂と鳩山一郎の政権の座を賭けた文字通りの「死闘」は、もはや歴史の1ページであるが、今読み物として読んでも、その迫力は胸に迫って来るものがある。まして渡部翁は、当時早大雄弁会の重鎮だったはずで、多感な「政治青年」として、この戦いをまさに、血湧き肉踊る思いで眺めていたに違いない。

戦後の復興、混乱期に長きに渡って政権を担い、一時代を画した吉田がついに下野を余儀なくされ、変わって鳩山が悲願の政権の座に就いてから、もう半世紀以上の時が流れた。紆余曲折を経て、吉田の孫と鳩山の孫が、政権を賭けて対峙する、それは確かに、因縁を感じないではないが、世襲批判が今更なぜか、急激に高まりを見せる今日、白けた気分を味わってもいる。

あの時、もしこんな制度があって、吉田と鳩山が国会で対決したら、さぞかしド迫力のバトルが繰り広げられたに違いないと、ふっとそんな詮のない妄想にかられながら、昨日の党首討論を見た。爺さんと孫では随分役者が違っていたのかしれないが、しかし我々国民は、後4ヵ月の間に、この両者のどちらかを国のリーダーとして選ばなければならないのである。

2002年以来、鳩山は実に7年ぶりにこの舞台に「復帰」した。この制度の発足時の民主党代表だった鳩山は小渕恵三、森喜朗、小泉純一郎という3人の首相を相手に論戦に挑んだのだが、まぁ目を覆うばかりの有様だった。対小渕というのは、正直全く記憶にないのだが、まさに口から生まれたような森には屁理屈で言い負かされ、すかされ、確かに時流に乗っていたのかもしれないが、小泉にはその迫力で常に圧倒されていた。対する鳩山は、その性格からか気迫もなく、切り返しの術も持たず、空しく敗退するのが常であった。今でこそ、自民党総裁たる首相と野党第一党民主党代表の一騎討ちの場となった党首討論だが、当時は他野党党首にも発言権があった。

が、彼らの持ち時間は数分であり、現実にはなにもできずに終わっていた。まぁ自由党党首だった小沢一郎はともかく、あとの共産党委員長志位和夫と社民党党首だった土井たか子が、時間さえあればもう少しまともな議論を挑めそうな人物だっただけに、いっそ彼らに時間を譲ったらどうかと思う程であった。とにかく、鳩山には野党のトップとして不可欠な与党に挑みかかる、追い詰めるという姿勢も迫力も、そして能力も欠如しているとしか思えなかった。この人がリーダーでは政権交代など絶対に無理、筆者は嘆息したものである。

そんな人物が、党首討論に帰って来た。筆者は正直、憂鬱だったが、月日が鳩山を変えたのか、それとも相手の質が落ちたのかはわからないが、思ったよりは頑張っていた。が、半年前の麻生ー小沢戦もそうだったが、自分の言いたいことをただ言い合っているだけで、「討論」の名にふさわしいかは、今回も疑問に思わざるを得なかった。それに西松問題の傷は覆い隠すべくもなく、小沢の代表代行就任と更に「一連托生」と言いながら、結局鳩山が、後任に納まった経緯を鋭く突いた麻生の発言には、筆者もうなづけるものがあった。その辺は麻生が技ありだったかなとは思うが、政策論議の方は冴えず、今日のところはどちらが優勢、あるいは得点を稼いだというレベルではなかったのではないか。

まぁしかし、党首討論の生みの親と言われながら、逃げ回っていた前任者と違い、鳩山は大いにこれからもやろうと言い、麻生もそれに応じていたから、これから4ヵ月(筆者は任期満了選挙だと思っているので)、我々国民の前で、是非丁々発止とやり合っていただきたい。そう言えば、その前任の方は、党首討論など我関せず、この日も地方の空の下だったそうだ。記者団の問いに

「僕は選挙担当、他のことは他の人に聞いてよ。選挙のことならいくらでも話すから。」

と、ある新聞によると「にこやかにかわし」、別の新聞によると「にべもなく言い放った」そうだ。逮捕されていた秘書もようやく釈放され、いよいよ俺は選挙三昧ということらしい。そんなもんなんですかねぇ・・・。

ところで最近「安倍元首相」なる人物の発言が、度々マスコミで取り上げられるようになって来た。よくわからないのだが、安倍という名の首相経験者は筆者が知る限り、恐らく1人しかいないから、たぶんあの人のことなのだろう。無責任極まりない政権放り出しからまだ2年も経っていないのに、またぞろ動き出し、なにやら発言したり画策しているやに仄聞するのだが、この人物には「恥」という観念がないのだろうか。どの面下げて、今更偉そうなゴタクな並べ、またマスコミも無批判にそんな人物の発言を垂れ流しているのだろう。本来なら首相辞任どころか、議員も辞めるべきであり、だとすれば、せめて次の選挙の洗礼を受けるまでは「謹慎、蟄居」すべきが普通の感覚だと思うのだが、いいがなものか?

ま、要するにどっちもどっちってことですかな、ア~ァ・・・。

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2009年5月25日 (月)

風は秋まで、吹き続けるか?

お隣の某国から、前大統領が投身自殺を遂げるという衝撃的なニュースが飛び込んで来た。お国柄なのかどうかは知らないが、その某国では退任した大統領自身もしくはその親族が、次期政権下でスキャンダルを追求されるということが、繰り返されており、筆者はかねがね学ばない人々だと「感心」させていただいていたのだが、その前大統領もご多分に漏れず、夫人の金銭スキャンダルが捜査対象となり、進退窮まった末の行動だったらしい。このような結末を迎えてしまった以上、今は前大統領のご冥福を祈る他はないのだが、それにしても「権力は腐敗する」という古くて、しかし永遠に解決することはないだろう真実を改めて思い知らされる出来事であった。

我が地元であるさいたま市の市長選挙の投開票が昨日行われた。国政選挙はともかく、地方レベルの選挙にはまず無関心、ましてや「仮の宿」に過ぎない今の地元のそれには全くといっていいくらい興味がなかった筆者がめずらしく期日前投票に足を運んだ理由はただ1つ

「旧浦和市長時代から5期18年に渡って、在任し続ける今の市長の居座りをこれ以上、許すわけにはいかない。」

というその一点だけであった。どんなに偉い人でも、実績のある人物であろうと、長く権力の座にあり続ければロクなことはない、人物、政策の如何に関わらず、長期政権を誇る奴は追放すべしというのが、筆者が参政権を行使する際の唯一、かつゆるぎない判断基準なのである。

地元民ヅラをして、解説らしきものをさせていただけば、筆者がまだ都民だった2001年に旧浦和、大宮、与野の三市が合併して以来(その後、岩槻市も合併して今日に至る)、そして初代さいたま市長に浦和市長であった現市長が就任して以来、旧大宮と旧浦和の感情的対立は未だ尾を引いている。それだけではなく、市議会は自公民3党が与党であったのだが、内情は複雑。自公は一応、現市長を推薦したが、民主は多選現職を支持しないという原則に基づいて対立候補を擁立した。しかし、その候補は元自民党県議、例の政界のハグレカラス渡辺喜美に共鳴して、自民を飛び出したという変わり者(?)であった。

更に事情を複雑としていたのは、自民も民主も1枚岩でないことで、民主は一部が公然と現市長側に付き、自民も少なくても県連レベルは現市長支持だが、4年前に現市長に惜敗し、その後国会議員に転じていた女性候補がリベンジを掲げて立候補。野田聖子、小渕優子といった現職閣僚を含む自民党の女性国会議員が続々とそちらの応援に入る有様。それだけでなく、前々回の市長選に落選、その後埼玉5区から自民党公認で衆院選に出た経歴のある候補も参戦、結局共産党を除く各政党はついに、党中央レベルでの推薦、支持は出せずじまいとなってしまったのである。6人の候補が立った今回の市長選、反市長側がこれだけ乱立してしまえば、普通は現職の楽勝だったろう。しかし結果は民主党市議会議員団が「支持」した元自民党県議の圧勝だった。

マスコミの分析、報道、あるいは各陣営のコメントによれば、この選挙は市長選でありながら、結局は近づく衆院選の前哨戦、あるいは各政党の代理戦争の様相を日に日に深め、先週の鳩山新代表の誕生で民主が一気に勢いづいてそのまま、勝ってしまったというのである。それが市長選の正しい姿か、あるいはさいたま市民にとって、幸せであったかどうかは議論の余地があるだろうが、とにもかくにも、そういう流れの中、結果として鳩山の「初陣」となったこのさいたま市長選で民主(系)の候補が勝利したという事実は軽視できない。

先週の土曜の代表選で鳩山が勝ち、国民的には人気の高かった岡田は敗れ、そして小沢が代表を退いた。だが、小沢は尚も事実上のNO2として執行部に居残り、選挙対策責任者として、我が物顔で地方行脚を続けている。一昨日は鹿児島で

「なんとか太郎とかいうグズな首相が、自分の保身に汲々として、解散総選挙を先送りにしている。」

と痛烈な言葉を浴びせかけていたらしい。まぁそれはそれでいいのだが、2ヵ月に渡って政治を停滞させ、民主党を窮地に追い込んだあの騒動とは一体なんだったのか?説明責任を果たせと小沢と民主党に厳しい声を投げつけていた「世論」はどこに行ってしまったのか?結局、鳩山と民主党がやったことは単に、小沢を隠しただけに過ぎないのに・・・。

結論としては「とりあえず小沢が首相にならない」ということと引き換えに、国民は民主党を許したということ、というよりもはや自民党への国民の反感は、民主党の多少の粗相や頼りなさには目をつぶろう、というところまで高まっていると考えるしかなさそうだ。わずか4年弱の間に、自分達の都合だけで4人の首相、総裁を誕生させるという体たらくを演じながら、それになんら恥じることもなく、またその地位に全くふさわしくない人物を平然と担ぎ出し続けることに、全く罪の意識もなさそうな驚くべき不感症ぶり。そして、かつてない衆院の多数をカサに、ろくな議論もしないまま、平然と国民に負担を次々と押し付け、それに灸を据えた2年前の参院選の後も、自らを悔い改める姿勢をかけらも見せることなく、自分達の施政こそが絶対に正しいという態度を貫き、野党との話し合いなどハナから無視してはばからない傲慢な政権運営。もはやここは1回「政権交代」をさせてみるしかない、国民の意識がいよいよこう固まって来たと見るべきなのかもしれない。昨秋のオバマ当選以来の「チェンジの風」はまだ、吹いている・・・のだろうか・・・。

勇気を欠いて、勝負を避け続けて、とうとうここまで自民党を延命させてしまった民主党に対して、「なんとか太郎」さんの方にも、乾坤一擲、敵失に付け込む度胸がなく、勝負はやはりこのまま9月の任期満了まで先延ばしだろう。一時有力視された7月の都議選とのW選挙もこうなっては友党公明党を怒らせてまで、やりきれないだろうしサミットもある。8月9日は長崎原爆投下の日で、思わぬ反感を受けかねず、16日はお盆の真っ最中。古賀誠の投票率うんぬんの失言もあり、痛くもない腹を探られかねない。となると、もはや解散するタイミングすらなく、任期切れの9月10日に解散、10月総選挙という「最大引っ張り日程」で時間を稼ぐ。考えてみれば西松事件だって、まだ検察は捜査終結を宣言してはいないんだし、諦めるのは早すぎる、「そうだ、頑張れ特捜!」。こうして、天が再度なにか僥倖を与えてくれるのをひたすら祈り続ける・・・しかないのだろうね、きっと。

権力は腐敗する、にも関わらず今の自民党政権はあまりにも長く続き過ぎた。日本を再生する第一歩、それは「正当なる」政権交代を実現することである。その筆者の信念には自信はある。そして、その思いを共有する人が増えていることも実感する。しかし、その人達が今度の投票日まで多数であるということに対する自信は残念ながら、全く持てない。結局、今度の衆院総選挙はその時、運の良かった政党が勝つ、今確かなことはそれだけらしい。

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2009年5月24日 (日)

いい旅だった

現在、当方は1週間の休暇の真っ最中。先日の21日の木曜から一泊で温泉に出掛けてきた。目的地は山梨県西山温泉の「慶雲館」である。

年に2回の休暇の内の1回を最近、5月のこの時期に取ることにしているのは、月末に父が誕生日を迎えるので、続けられる限り、家族で毎年旅行でもして祝おうということにしているからだ。ところが、今年は色々な与件が重なり、行けるのが両親と筆者の3人だけになってしまった。筆者のチビ共も不参加となり、そこで今回の目的地として浮上したのが慶雲館だった。

この旅館には前から目を付けていたし、実際に評判もいい。数年前に行った友人も絶賛していたのだが、しかし、いざ行こうとするには2つのネックがあった、それは「値段」と「立地」。

かつては湯治場だったこの地は、その時代とは比べ物にならないくらい交通網も整備されたが、本によっては未だに「人気の秘湯」として扱われているくらいで、道は険しく、子供連れのマイカ-でチャレンジするにはちと勇気がいった。夫婦2人旅だった友人も「道は怖い所があった。」と言っていた。それになんと言っても一泊最低料金が2万円台半ばという価格は家族旅行には正直シンドイ。だが今回、母がJR運賃込みで3万を切るというある旅行社の企画を発見してくれた。運転せずともよく、自分一人なら、多少のヘソクリ(?)を崩せばなんとかなる、こんなチャンスはしばらくないと、思い切って申し込んでしまった。

当日、天気は薄曇、ずっと雨マ-クだったのだが、土壇場で週末にずれて行った。もっとも申し込んだ企画は既に列車の時間が決められており、途中下車など一切できず、ただ温泉と自宅を往復するだけなので、観光するわけでもなく、天気などどうでもいいと言えばいいのだが、まぁ傘をさす面倒臭さから逃れ、カンカン照りでもないという気候は年寄り連れの旅としてはありがたい(どうでもいいことだが、前日はまさに真夏のような暑さで、遠足で動物園に行った上の息子と妻はフラフラになって帰って来た)。

12:00新宿発の特急で甲府へ向けて出発。特急列車を使って旅をするのは、いつ以来かちょっと思い出せないほど久しぶりだったのだが、驚いたのは、あの鬱陶しい「乗車券拝見」がついに周ってこなかったこと。どうやら指定席だったので、もういちいち拝見するまでのこともないということらしかったが、だったらもっと早くそのシステム導入してくれよと言うところてある。あの馬鹿馬鹿しいことで、何度安眠を妨害され、また睡魔と闘わざるを得なかったか!

甲府から先は別料金、どうぞご自由にいらっしゃいということなのだが、選択肢は実はない。平日の身延線など、特急料金を払うなんて本来なら全くの無駄なのだが、これに乗らないと、日にたった1本しかない宿からの送迎バスに乗れず、もしこれを逃せば、タクシ-かバス。しかし最寄駅の身延から宿まではゆうに1時間かかるというから、タクシ-料金なんていくらかかるかわからず、バス(これも日に何本あるかわかったものではない)も最寄のバス停から徒歩30分(!)と書かれている、これではどうにもならん。

身延の駅にはちょっと興味があった。それは日蓮宗総本山の最寄駅だから・・・ではなく、今から3年前の夏、急に思い立って実施した青春18きっぷを使った乗り尽くし旅の時、ここでの乗り継ぎ時間を利用して、少し早めの夕食を採る予定だったのが、列車が遅れて果たせなかったという因縁(?)があったからだ。駅やその周辺に飯が食える場所が、本当にあるのかあるかどうかも、未知数だったのままだったのだが、実際改札を出てみると、その時狙っていた駅ソバも、数件の土産物屋、食事処もあり、狙いは間違っていなかったという「満足感」と、ここで夕食をとれなかったという計算違いから、結局帰宅した11時近くまで飯にありつけなかった「苦い思い出」が同時に胸に去来した。

30分ほど待って乗ったマイクロバスでの宿までの時間はお世辞にも快適とは言えない。別に舗装していないガタガタ道があるわけではないのだが、細い道や川沿いの道、更にはもっといい道路を作ろうとしているそうで、あちこちで工事が進められているといった具合である。もう少し暗くなってから通ったら相当心細かったのではないか。同乗したオヤジグル-プのけたたましさに閉口しながらも、これはやはり自分で運転せんでよかったと心から思った。

「お客様はかなり心細い思いをしていらっしゃるようですが、建物が見えた途端、びっくりされるようです。」

というスタッフのコメントをどこかで見た記憶があるか、1時間あまりのドライブの果てに現れる宿は、周りの情景とはあまりにも似つかわないほどの近代的な建物。一軒宿ではないのだが、見かけということだけで言えば、ここ以外の宿に泊まる人はよっぽどの変わり者か通としか思えないくらいの差がある。

建物も出迎えてくれたスタッフ、更に担当の若い仲居さんの応対もグ-なのだが、とにかくここの宿で堪能すべきなのは、絶品かつ豊富な温泉。もともと、湯治場だったのだから良質な湯を誇っていたのだろうが、4年前にとてつもない湧出量の源泉を掘り当てたとかで、貸し切り露天風呂2つを含む計6つの浴槽には、湯がジャンジャン掛け流され、各湧出口にはコップが備え付けてある。つまり飲泉可能ということで、ついでに各部屋の蛇口からも、ひねれば温泉が出て来るのである。源泉52℃の湯は友人からかなり熱いと脅かされていたのだが、実際には快適、いつまででも入っていられた。

「いい湯に入ると自然に眠くなる。」

とは松田忠徳さんの言葉だが、全くそれを実感させられた。

食事は夕、朝ともに部屋食。友人はこちらも相当誉めていたが、今回は、ここの宿にしてはやや安価な企画で来ているからあまり期待をしていなかったのだが、上品な味で多からず少なからずで、良かった。筆者は赤出汁というものを旨いと思ったことがないのだが、本当に初めておかわりしたいと思った。年齢のせいか、海の豪勢な料理より、最近は山の質素なしかし、上品な料理の惹かれるようになって来たようだ。

部屋には川のせせらぎが心地よく響き、それを直接感じたければ、部屋の外にはゴロリと横になれる木のスペ-スが。チェックアウト11時というのもいい、ただしこの恩恵をフルに受けるには自力で来るしかない。帰りの送迎バスは10:20には出発してしまうからだ。それでも普通より1時間遅いチェックアウトのおかげで、朝食後、もう1度ゆっくり風呂に入れる。時間で男女入れ替えになるので、風呂は是非すべて入ってみてほしい。

今回は、団体もおらず、ここの宿としてはかなり空いていたそうで、ラッキ-だった面もあったとは思うが、本当にすべての面でいい思いをさせてもらった。周りに施設は何もない、値段も安いとは言えないが、このくらい取られても仕方ないなと正直思った。ファミリ-で来る宿ではなく、大人同士でのんびり、ゆったりと来る宿であるのは間違いないであろう。

帰り道、行きのパワ-はどこへやら、すっかり大人しくなったおじさん連中を横目で見ながら、ガタガタとまたマイクロバスに揺られ、身延駅までの道のりに耐えながら筆者は

「ああ、こんな思いをして、ここまで来たんだから、少々無理してももう一泊するべきだったなぁ。」

という深い後悔の念を抱いたのであった。

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2009年5月18日 (月)

「僕が苦しい時、いつもウオッカが助けてくれる。」

この土日の民主党代表選とそれに続く党役員人事はなんとも言い難い顛末であった。相手の党の面々がこぞって

「歓迎する。」

とのたまうような人物を一所懸命(?)に党首に押し上げようとしている姿は理解に苦しむばかりだったし、鳩山由紀夫なる政治家の力量を全く買わず、まして

「どの面下げて、代表選に出られるんだ。」

と思っている当方としては、岡田克也の健闘を祈るしかなかったのであったが、百票にも満たない得票では、どうにもなるまい。内輪の論理ばかりがまかり通るのは、決して自民党の専売特許ではなかったのである。

だが、驚いたのは、この結果を受けて一部マスコミで実施された緊急世論調査で、なんと鳩山が「次期首相にふさわしいのはどちら調査」で、麻生首相を10ポイント以上引き離したのである。まぁ回答トップは「どちらもふさわしくない」というオチがつくのだが、それにしても政党支持率でも、次期総選挙で比例区での投票先調査でも民主が自民を逆転あるいは引き離したのだから、やっぱり人間なんでも諦めずにやってみるものである(笑)。

要するに、このところの自民党の復調ムード、麻生の反転ムードはひとえに国民の小沢一郎に対する嫌悪感の裏返しでしかなかったということになる。一連の献金疑惑、更には代表選で報じられた彼の恫喝、強権的な票集めや日程決定などの様子を見ると、まさに往年の田中角栄そのまんま。これでは、国民から嫌われても仕方あるまい。

それでも、民主党内での「小沢信仰」は依然止まない。まぁその1番の信仰者が、後任代表になったのだから、当たり前なのかもしれないが、岡田新幹事長を差し置いて「選挙担当代表代行」とやらに推され、先任代表代行2人の「推挙」で3人の代表代行の中の「筆頭」ということで、鳩山新執行部に堂々居座ることになったのには、もはや開いた口がふさがらない。「筆頭代表代行」ということは、鳩山になにかあった時には、代わって代表職を務めるのは小沢ということであり、つまり事実上のNO2ということになる。降格と言えば、まぁ確かに降格ではあるが、それにしても・・・である。「代表」ならまずく、「代表代行」なら許されるという理屈が、どう考えても成り立つとは思えず、自民党やマスコミからは当然、ここを突かれ続けることになる。

前記、世論調査は当然この不可解というか、理屈に合わない人事の発表前に行われたはずであり、これを見た国民の反応はまた、変わってくることは充分予想される。衆院議員の任期満了まであと4ヵ月を切った、どうやら次期総選挙は、その時、たまたま運の良かった政党がきっと勝つのだろう。

ここ2週間は正念場だと思って見ていた。NHKマイルカップのブレイクランアウトとビクトリアマイルのウオッカ、恐らく圧倒的一番人気に推され、なおかつそれだけの力を持っていると思われる両馬で、ぶざまな競馬をするようなことになれば、これはいよいよ大変なことになる、たぶん本人もそう思っていたのでないか。

ところが、ブレイクランアウトは惨敗。確かに休み明けに実績がなく、枠にも恵まれなかったが、無理に抑えて惨敗という毎度のパターンを繰り返されては、文句の1つも言いたくなる。内枠に先行馬が揃い、ただでさえ差し馬には厳しいレースになるのは誰の目にも明らかだっただけに、イチかバチかなにか策はなかったのか。行って足をなくせば、それはそれで非難を浴びる、人気背負って無茶はできないという言い分もあろうが、結局負けるなら、せめてなにかしてよ、という気持ちにもなる。

そして今週、他に適鞍がないのだから、仕方ないのだが、本来ならもう牝馬限定戦に出てくるなんていうのは「反則」とも思える程の実績を持つ馬に乗る今週こそ、本当に負けは許されない。だが、昨年の同レースもそう思われながら2着に甘んじ、前走も全く不可解な敗戦だったと聞く。牝馬は急激にガタッと来ることがよくあり、この馬もひょっとしたら・・・。

結果は既にご存知の通り、やはり反則としか思えない強さだった。

「これで勝てなかったら、僕自身が競馬に対して不信感を抱きます。」

とまでブログに書いていた鞍上は、GⅠ勝利の後の得意のガッツポーズも出なかったくらいだった。

今日のタイトルの言葉は、レース後武豊騎手が語った言葉。勝って当たり前、また勝てると思いながらも、しかし心のどこかに湧き上がる不安を抑え切れなかったここ何日間かの彼の思いが伝わってくる。「不甲斐ない」、最近の武の騎乗ぶりを、何週間か前にとうとう筆者はこう書いてしまったが、多分1番そう思っていたのは武本人だったのだろう。昨年の秋天以来のGⅠ勝ち、その時のパートナーもウオッカ、重賞が勝てず、半年ぶりに挙げた勝利だった。そして今回も、外野がうるさく騒ぎ出した中で、やっぱりウオッカが勝利の女神となってくれた。こうして、武豊は辛うじて、そのメンツを保つことができた。

今週5勝を挙げた豊は、海外遠征で不在の岩田康誠を突き放し、内田博幸を捉え、ついにトップの横山典弘に2勝差と迫るリーディング2位まで浮上した。さぁいよいよ一気に定位置に・・・となかなか行かないのが今の豊。しかし

「これで僕も吹っ切れました。」

という本人の言葉がウソでないことを祈りたい。

週末のオークスは1頭強すぎる馬がいる上に、まぁ「武豊」の名前でなんとか騎乗馬が見つかったものの、まぁオリンピック参加に等しい。やはり、注目は次の日本ダービーである。

前人未踏の3連覇を目指す四位洋文騎手が、なんとお手馬の故障で参戦すら危ぶまれている中、どうやら豊はリーチザクラウンで皐月賞の雪辱を目指すことになったようだ。皐月賞の結果から、これもひょっとしたら一強?との声もあるが、別路線組で面白そうな馬が出てきてるし、ロジユニバースもこのまま黙って引き下がるとは思えない。そして、騎手も陣営も「吹っ切れて」、絶対逃げると宣言しているリーチザクラウン、豊のきっぷのいい逃げに期待したい。面白いレースにきっとなるに違いない、楽しみである。

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2009年5月12日 (火)

さらば「剛腕」

小沢一郎民主党代表がついに辞意を表明した。正式には今日の民主党の役員会の了承を経て、辞任することになるのだが、いずれ辞めるにしても、昨日唐突にということに、驚きの声が多かったのは事実だ。もちろん筆者も全く予想もしていなかった。なぜ昨日だったかについては、様々な解説が流布されているが、1番大きな理由は「水曜の党首討論から逃げたかった」というのが、案外本音なのではないか。

辞任に対する国民の反応はまぁ、予想されたとは言え鈍い。

「遅きに失した。」

という感想以外、浮かんでこないというのが正直なところだ。ただ、1989年の自民党幹事長就任以来、20年に渡ってこの国の政治の主役、キーマンであり続けた「剛腕小沢」は、ついにその真価を発揮することなく(?)表舞台から姿を消すことになった。筆者にとって小沢という政治家は決して好きな政治家ではなかったが、それでも振り返れば、結果として、小沢がなにかしてくれる(つまり政権交代)のではと、小沢に期待し、応援するスタンスで多くの時間を過ごしていたことに気づく。小沢の退場は確実に1つの時代の幕引きであり、そういう意味では、いささかの感慨を覚えないわけにはいかない。

小沢は去る、しかしこれで民主党がいよいよ反転攻勢などというのは甘すぎるというのは、既に指摘して来た。国民は小沢の居座りにうんざりしており、やっと辞めたかと、冷ややかに思っているだけだ。昨日の小沢の辞任表明会見、なぜかにこやかに、そしていつもの小沢らしからず朗々と語っていたが、その言っていることは有り体に書けば

「俺は別に悪いことは何にもしてないが、あんた達がガタガタうるさいから、しょうがないから辞めてやるよ。」

ということだ。小沢は最後まで、自分のなにが批判され、何を語らなければならなかったのか、わからないまま去って行く。彼が首相の座についにたどりつけなかったのは仕方のないことなのだろう。

そんな小沢に面と向かって辞めてくれという人間はとうとう現れず、彼に辞任を迫る運動を起こす人間すら現れなかった民主党という政党は、これからも国民からの厳しい視線から逃れることはむずかしいだろう。小沢には辞めて欲しいが、でも小沢がいなくなったら自分達は一体どうなるのだろう、そんなジレンマからとうとう抜けだせないままに、今日の事態を迎えてしまったという事実は重い。小沢は去る、そして声に出さなくても、民主党のかなりの政治家はそれを望んでいたはすだ。それが、現実となった今、ボールはついに彼らの手に渡った。これから自分達はどうするのか、どうしようとしているのか、それを明確に国民の前に示す機会がすぐにやって来る。小沢の後任を決める代表選挙である。

代表選は行われるだろう、今までさんざん自民党の総裁選につき合わされ、地団駄踏んできたのだから、まぁほんのお返しというところだ。無投票ではなく複数の候補者による選挙戦をやるのだろう。まぁそれでも傍で見ている限り、岡田克也以外の選択肢はないと思えるのだが、党内の空気はそんな簡単ではないらしい。

言うまでもなく岡田は4年前の総選挙惨敗の「立役者」。まさかその人が、次の選挙にまた顔として登場することになるなんて、誰も想像しなかったろう。それはさておいても、群れず、引き連れず、党内で孤高を保つこの人のスタンスは、当然手足となる仲間や手下を持たず、更に「タリバン岡田」の異名をとったくらいのすさまじい「原理主義者」。自分の信念を一歩も譲らないその姿勢は、時に人を辟易とさせて来た。

「小沢さんの下、選挙を戦うための『マニュフェスト』は既に骨格が固まっている。今更岡田にひっくり返されてはたまらない。」

との声があるのは事実だ。が、傷ついた党のイメージ回復にはその一本気の姿勢と清潔感がいいのだという声もまた高い。

その一方で、ここに来て鳩山由紀夫幹事長の呼び声が高まっているのには、正直耳を疑っている。事実上の民主党のオーナーとされ、そのせいか、意外なほどに党内の人気が高い鳩山ではあるが、筆者は鳩山由紀夫という政治家の力量を全く評価していない。

代表、幹事長として民主党を長年率いてきた鳩山だが、この人からリーダーとしての資質や魅力を感じたことがない。弁舌は冴えず、迫力なく、定期的に珍言、迷言を発し続け、政策も何を言っているかよくわからない。いささか古い話だが、この人が代表だった2000年の衆院選挙の最中、唐突に

「選挙後の首班指名選挙では自民党の加藤紘一氏を担いでもいい。」

とのたまった時には、そのあまりの政治オンチぶりに呆れ果てた記憶がある。

よしんば、鳩山への筆者の評価が、その節穴ゆえだとしても、幹事長として断固として小沢を守る姿勢を崩さなかった政治的責任は絶対に免れるものではない。幹事長辞任は当然としても、今の体制を堅持するためには鳩山さんがいいなどという声にうそうそと乗って、イケシャーシャーと出馬してきたら、世間の物笑いに種になるくらいでは済まないはずである。小沢亜流、小沢隠しと非難されるのがオチで、それだったら政治家としての力量から見ても、小沢が居座ってた方がまだマシというものである。「鳩山代表ー小沢幹事長」なる冗談のような構想を口にするムキもあり、もしそんなことになったら、民主党は完全におしまいであると、はっきり警告しておきたい。

幹事長はともかく、新執行部で小沢に選挙を仕切るポジションについて欲しいというのは、はっきり言って多くの民主党議員の本音だと思われる。しかし、代表は辞めて欲しいが、選挙の面倒は見てくれというのは、あまりにムシのいい言い分ではあるまいか。代表はダメでも、他のポストならいいのかという批判にもなかなか反論しにくいのではないか。ここは小沢に退いてもらった以上、もう小沢には頼らないという姿勢を見せることこそ大事だと思うのだが、いかがなものであろうか?

それにしても、小沢辞任を受けて、自民党が結構動揺をあらわにしていたのにも驚かされた。まさか、このままずっと小沢が居座ってくれると信じていたのだろうか。

「これで検察は動きやすくなった。」

と「期待」する声や

「岡田が出てくるとまずい、こっちも麻生を替えるべきじゃないか。」

と騒ぎ出す面々まで現れ、いやはやと思わざるを得ない。思えば、自民党も民主党も得点は相手のエラーからという低レベルの争いを結局この4年、延々と繰り返して来ただけ、そしてこの「チキンゲーム」はどうやらもう少々続く気配、濃厚である。

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2009年5月10日 (日)

わだかまり

13日にいよいよ昨年11月末以来、麻生太郎首相(自民党総裁)と小沢一郎民主党代表による2度目の党首討論が行われるそうな。自民党側の挑発を、いろいろ理由をつけて断ってきた(あえて「逃げていた」とは言わないが)小沢が、しぶしぶ重い腰を上げた形だ。

前回は小沢が攻めに攻めていたのが、今となっては懐かしいというか夢のようだ。今回の討論が、小沢及び民主党にとって反転攻勢の第1歩になると思っている人は民主党内にもほとんどいないだろう、ひょっとしたら小沢本人も思っていないかもしれない。

「俺が辞めるまでマスコミは叩き続けるんだろうな。」

これは先日、小沢が鳩山由紀夫幹事長に漏らしたとされる言葉。この時の会談で、小沢は世論の情勢に強い関心を示し、党首討論やタウンミーティングを通じて、なんとしても国民への説明責任を果たすべきと強い口調で迫る鳩山に対して

「わかっている。」

と答えたと言う。説明責任を果たしてくれというのは、国民の声であり、またそれを受けた党内からの悲痛な叫びであり、岡田克也も前原誠司も繰り返し、それを訴え続けている。しかし、その訴えに一向に応えようとしない小沢の姿勢に、もはや党内、更には国民の苛立ちはピークに達しつつある。

自分の今の姿勢、ひいては存在そのものが、いかに民主党の足枷になっているか、まさか小沢だって気づいていないわけではないだろう。しかし、小沢は動かない、いや動けないのだ、なぜ?理由は実は簡単である。

小沢は説明責任を果たしているのである。

「私及び私の事務所としては、一連の献金は西松建設からの献金とは認識しておりませんでした。従って、献金は適切、適法に処理をしており、なんらやましいことはありません。また献金に対する西松への『便宜供与』もございません。」

彼の主張はこれで一貫しており、逮捕された秘書もどうやら、一連の献金を西松からの迂回献金だったと認識していなかったという主張を崩してないらしい。よしんば、そう認識していたとしても、それは修正報告をすればいいだけのことではないか、それをいきなり逮捕、強制捜査とは、いささか度が過ぎてはいませんか、ということだ。

それに対して「世論」やマスコミの反応は

「いや、そんなわけないだろう。知らなかったなんて考えられないしありえない。企業が見返りも求めないで、献金をするわけがない。」

であり、様々な「疑惑」がマスコミの中で踊り、結果

「小沢はウソをついている、胡散臭い。」

という決定的な心象を国民は持つに至った。さぁこれに対して、どう弁明、説明する?

人間、何事でも「やっていない」ということを証明、説明することは極めて難しい。西松に対して便宜供与を図っていませんということをどうやって証明するのか、西松からの「迂回献金」だとは本当に認識していなかったことをどうやって証明するのか、「私は知りませんでした。」と言い続けるしかないだろう。そうでなければもう

「申し訳ありません、実はみなさんのおっしゃる通りでした。」

頭を下げるしかない。もし、違っているのなら、そんなことはできないし、もし本当だとしたら、いよいよもって認めるわけにはいかないのだ。

つまり、小沢にはもはや語る言葉、説明する言葉が既にないのである。あとは人の噂も75日と、ひたすら首をすくめてやり過ごすか、しかしどうやらそれも望み薄。なにせ選挙はもうどんなに遅くても4ヵ月先にはやってくるのである。すべてを達観しているのは仙谷由人だ。

「歴史的選択選挙を国民にお願いするのだから、代表には歴史的評価に耐えうる決断を早くしていただきたい。時間は代表辞任後、2ヵ月は欲しい。代わらないなら、みんなで目をつぶって『南無阿弥陀仏』を唱えて行くんですな。」

「公共事業を見直すと主張している民主党のトップが西松建設からあんなに金をもらっている。それはどういうことなのかというのが、国民からの批判なのだ。」

この言葉に答える言葉が、小沢にあるのだろうか?

もはや政権交代など、彼方に消えたという空気が日に日に増していく中、大の民主党嫌い、小沢嫌い、というより猛烈な「自民党命」である読売、産経は今や連日、鬼の首を取ったように小沢批判、民主批判を垂れ流し、民主党がいかにだらしなく、頼りないか、もはや自壊寸前のような書きっぷりである。政局に対しては、比較的冷静なスタンスをとっていると思われる毎日も、小沢民主党に対する姿勢は冷ややかだ。

そんな中、やや民主党、小沢寄りと見られる朝日は、さすがに新聞本体でやる勇気はなかったらしく、傘下の「週刊朝日」で検察批判の特集を組んできた。小沢民主党に奇跡の神風が吹くとしたら、それは麻生太郎が大エラーをしでかすか、このままなんとなく捜査を終結させた時に、検察に対する大ブーイングが起こり、一転小沢に対する同情論が高まった時だけだろう、まぁ全く望み薄だろうけどね。

たまたまだが、最近検察を批判する著書を立て続けに2冊手にした。1冊は鈴木宗男衆院議員が書いた「汚名」、もう1冊が石塚健司産経新聞記者の「『特捜』崩壊」である。

前者は、様々な汚職の疑惑をかけられた末に逮捕、起訴され、二審まで有罪判決を受けながらも、尚も自らの無罪を主張し、

「私は『国策捜査』にはめられた。」

と訴え続ける著者が、いかに検察がズサンな捜査をし、自分を「陥れていった」かを「赤裸々」に書き記したものであり、後者は長年、検察庁を担当し、東京地検特捜部の捜査を記者として取材、観察して来た著者が、昨今の「特捜」の能力の低下を憂い、また慄然とする思いをおさえかねて著したようだ。

現状、有罪判決を現実に受けている鈴木の(無論確定していない以上、有罪ではないのだが)の主張を一方的に受け入れることは、筆者にはできなかったが、それでも「負け犬のたわ言」と片付けるには、そこに書かれている内容は重すぎた。そして一方

『特捜部は、自ら事件を掘り起こす能力を弱め、マスコミ等から持ち込まれる情報に飛びついて捜査を始めるパターンが増えた。情報が正しかった場合はいいが、初めに描いた筋書きが狂った場合、強引な捜査で世間の期待に応えようとする姿が目立つようになった。(中略)幻影をマスコミに吹聴して増幅させながら進められた劇場型捜査。(中略)現在の検察は捜査によって特捜部の存在意義を世間にどう示すかを強く意識して舵取りされているように見える。』

引用が少し長くなってしまったが、石塚氏はなぜ特捜部の捜査能力が落ちてしまったか、その経緯を記しつつ、ある事件に対する特捜、検察の姿勢をこう批判した。そしてこうも記されている。

『「○○だけは絶対に排除しなければならない。」

「この捜査は○○を取り除くことができたことに、大きな意義がある。」

といった言葉が出てくることが何度かあった。最終的に起訴に持ち込めなくても、捜査によって相手を権力の座から引きずり降ろすことができれば、それで一定の成果をあげたと考える空気が、特捜部の現場には現在もあるようだ。』

これは見事なまでに、今回の西松捜査の顛末と符号しないだろうか。

これは繰り返しになるが、今回の検察の小沢サイドに対する一連の捜査には、どうしても素直にうなづけないものを感じざるを得ない。田中角栄ー金丸信という多年、検察、特捜と戦いを繰り広げた政治家の系譜にある小沢。その小沢を危険視し、なんとしても首相就任だけは阻止したいという検察の「正義感」の発露なのか、それとも小沢を戴いた民主党の政権誕生だけはなんとしても阻止したいという「官僚の危機感」からの暴走なのか、それともこの捜査を機に小沢まで行けると踏んだ「正当な捜査」だったのか・・・。

高野孟氏は週刊朝日誌上でこう主張した。

「今回のことは、民主主義の重大な危機である。ここで引き下がり、小沢を引っ込めることは許されない。民主党は小沢を守り、小沢と共に戦う決意を固めるしかないのだ。」

筆者は政権交代を願い、その為には現状民主党に期待するしかないと判断し、その民主党が選挙に勝つ為には、今や小沢一郎の存在は障害でしかないと思い、彼の辞任を主張して来た。その考えはこれからも変わらないはずだが、その一方で、この捜査は一体なんだったのか、これをこのままで終わらせるのもあまりに釈然としない。だが、これについてもし、検証出来る時が来るとしたら、それは政権が交代し、民主党の議員が大臣として法務省に乗り込む以外にはないのかもしれない。まぁその時は「岡田首相」の下、「小沢法相」でも送り込みますか?まぁ少々、冗談が過ぎましたかな(笑)

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2009年5月 7日 (木)

「原辰徳」は非情か

今日でGWも最後だが、あいにくの雨。妻が体調不良でダウンしてしまったこともあり、予定していた外出もできず、結局1日家の中で、上の子の「ヤッターマンごっこ」に付き合う羽目になってしまった。

ジャイアンツは開幕直後に元気を戴いたおかげで今日の地位があると言える横浜との3連戦中。しかし打てないね、本当に打てない。当たっているのはラミレスと坂本くらい、その坂本も「8番」以外の打順じゃ冴えないんだよなぁ、なんて思っていたら9回にドカン!恐れ入りました。原監督は当分1番から外さないと明言していたようだが、2番松本とのニューコンビが定着できるか?ご贔屓の鈴木尚広は1番復帰直後のあの大当たりがウソのように、すっかり音なしとなってしまったし、李や阿部を差し置いて亀井が5番を打っている現実も厳しい。今日だって、本当なら一方的に勝っていても不思議ない展開だったのに、この辛勝。勝ちはしたものの、当分苦しい試合が続くんだろうなぁと思わされる一戦であった。

ところで坂本がサヨナラホームランを浴びせた真田裕貴というピッチャーは去年の今頃はまだ、ジャイアンツのユニホームを着ていた。昨日は46歳の「ハマのおじさん」、工藤公康が中継ぎでナイスピッチングをしたようだし、仁志敏久もファームで懸命に復帰に向けての調整をしているらしい。

テレビ中継もなく、肝心な場面を子供を風呂に入れていて聞き損ねてしまったこともあり、報道ステーションのスポーツコーナーにチャンネルを合わせると、上原浩治がKOされていた。ルールである以上仕方ないのだが、彼のメジャー行きはやはり3年は遅かった。ネットを開けば、西武に移籍した清水隆行が打撃不振でファーム落ちしたとの記事が飛び込んで来たし、そういえばこちらが獲ったM中村も期待外れのピッチングを繰り返しているが、交換で本ハムに行った二岡、林の消息もあまり聞かないような気がする。

原辰徳が堀内恒夫の後を受けて、ジャイアンツの監督に復帰してから早いもので、もう4シーズン目を迎えた。今触れた面々の他にも桑田真澄、小久保裕紀といった大物がチームを去って行ったし、門倉健、野口茂樹のように三顧の礼で迎えられながらも、全く期待に応えられないまま、早々にチームを離れていった連中もいる。パウエル、姜建銘なんて名前は、もはや多くのジャイアンツファンにとって記憶の彼方かもしれないが、彼らが上原と並んで「先発三本柱」と期待されていたのは、07年の開幕前、そんな古い話ではない。

改めて、今日の横浜戦のスタメン9人の内、原が監督に復帰した時点でジャイアンツのユニフォームを着ていたのは、高橋尚成ー阿部慎之助のバッテリーと亀井の3人だけ、李だってキャンプ直前に急遽ロッテを飛び出して来たのだし、脇谷も06年入団のルーキー、松本と坂本はまだ学生、小笠原もラミレスもその時点では、いずれ自分がジャイアンツのユニフォームを着ることになるなんて、きっと夢にも思っていなかったろう。そういえば、高橋由伸なんていい選手もいたが、今はどうしているのだろう、このチームは4年前には考えられないような別のチームになったのだ。

2002年、原の監督一年目のこの年、ジャイアンツは圧倒的な強さでセリーグを制し、パの覇者西武ライオンズに4タテを食らわせて、一蹴して見せた。その時、前出の真田は高校出の1年生として、ローテーションの一角を占め、8勝を挙げた。それから6年、シーズン途中でその真田を放出する事になった時、原は

「彼は私の監督1年生の時のドラ1、正直思い入れは大きい。」

とコメントした。しかし、その真田との交換で獲得した鶴岡一成という捕手のその後の存在感の大きさは、ここで書くまでもないだろう。

仁志が子供の頃からの熱烈なジャイアンツファン、そして原ファンだったことはよく知られている。仁志は原と入れ替わるようにジャイアンツに入り、そして背番号8を継承した。原の中で仁志は決して可愛くない存在ではなかったはずだ。だが、監督就任後、原は仁志をそれまでの不動のトップバッターから2番に配置転換する。そして仁志がそれに適応できないと見るや、すぐに8番に降格させ、2年目にはレギュラーからも外す。代わって抜擢されたのは鈴木尚広という足こそ抜群に速いが、ケガが多く、全く日の目を見ることなく、ファームでくすぶっていた中堅選手だった。2年のブランクを経て復帰した原は、仁志を信用せずに、ロッテから小坂誠を獲得、彼をレギュラーに据え、更にルーキーだった脇谷をサードからセカンドにコンバートして育てる姿勢を見せた。原に見限られた形となった仁志が希望して横浜に去って行ったのはその年、06年のオフだった。

仁志の2番は彼にその適性を見出したわけではなく、むしろ長嶋茂雄監督時代に不適な2番を打たされ、右投手専門バッター的扱いを受けていた清水をトップに据えることが主目的であった。清水は見事にその期待に応え、不動のトップバッターとして定着、当時イチローしか達成していなかった年間200本安打に迫ろうかという好成績を残した。だが、翌年にはケガでその輝きを失い、原復帰後もレギュラーとして扱われることもなく、ほぼ仁志と似た経緯でチームを去ったのは記憶に新しい。

その爽やかなイメージとは裏腹に、原の選手に対するコメントは結構手厳しい。特に期待の大きいに選手に対するそれほど、厳しくなっている。ジャイアンツのリーダー、クリーンアップとしてコーチ時代から期待していた二岡智宏など、随分言われていたが、しかし坂本勇人が急成長し、私生活でも不始末を仕出かしたこともあり、選手会長就任1年で異例のトレードとなった。桑田も工藤もそして江藤智も、決して望んでジャイアンツを去ったわけではない。小久保も強くは引き止められなかったし、上原以外、恐らく全員が原にわだかまりを持ったまま、ジャイアンツを離れていったのではないか。

だが、彼らに代わってジャイアンツのユニフォームを着た面々の見事さよ。ガッツ、ラミレスは言うに及ばず、クルーン、グライシンガー、豊田清、谷佳知。更に彼に引き上げられて、今ジャイアンツを担う若き戦士達、坂本、越智、山口、福田、東野、松本・・・。その一方で木佐貫、久保、金刃のようにまるで忘れ去られたかのように、置き去りにされる面々。野間口はそのボーダーラインにいるし、大エースとなるべき存在ながら、足踏みが続く内海哲也には「ニセ侍」なる名コピー?を浴びせかけた。

松井秀喜のチーム離脱に端を発したジャイアンツの低迷。これは相当、長引くと思っていた。が、今年は始まったばかりだが、ここまで安定した戦いを続け、とにもかくにも過去2年のリーグ制覇も達成している現状には、正直筆者は目を見張る思いがしている。情にとらわれず、切るべき人間は切り、金にあかせてと非難されようとも、必要な人材は獲り、そして有為な人材はためらうことなく抜擢する。組織を立て直すためにはかくあるべしという見本と言っては褒めすぎか?無論それは原辰徳1人の功に帰すものではないのだろうが、しかしもっと評価されてもいいのではないか。

申し訳ないが、原に切られ、ふつふつたる怨念を胸にチームを去った連中で、その後目を見張るような活躍を示した選手は、まぁ今のところ、皆無ではないか。原のジャイアンツを強くしようとするその方向性は、決して間違っていないのだと、改めて強くエールを送りたい。

今日のブログのタイトルは清武英利ジャイアンツ球団代表の著書「巨人軍は非情か」からパクらせていただいたものだ。雑誌に連載していたコラムを集めたというこの本は、なかなか読み応えがあった。さすが新聞記者という文章の巧さはもちろんのこと、時には熱く、時には辛く、そして時にはシビアにジャイアンツをそして球界全体の問題を語る清武代表の緩急自在の語り口に、すっかり引き込まれた筆者はあっという間に読み終えてしまった。著者がジャイアンツフロントということで、他球団のファンはもちろん、ジャイアンツファンでも敬遠する向きがあるかもしれないが、そういう色眼鏡は是非、捨てていただき、手にとってみては、と僭越ながら思っている。

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2009年5月 3日 (日)

ナイスディ、ナイスゲ-ム

世はゴ-ルデンウィ-ク真っ只中。筆者には全く縁のないものだが、それでも別に通常の休みが召し上げられるわけではない。今週の休みは4/29の昭和の日と今日、連休とはいかないが、バカンス気分はしっかりと満喫させてもらった。

29日はジジ、ババも誘って家族で葛西臨海公園へ。実家に両親を迎えに行く道も、葛西までの道も快調そのもの。筆者は初めてだったが、天気は最高、前に広がる海の先にはディズニ-リゾ-トが臨め、ちょっと中に入ると今度は、木や水の宝庫。子供達にせがまれて、ミニ機関車に乗って、一周してみたが、本気で周ったらとても一日では周り切れないほどの広さ。併設されている水族館も、子供達は大喜び。とにかく、子供達が走りまわっても、車の心配をしなくてもいいし、海を眺めて見れば、ここが本当に東京かと思うくらいのまさにリゾ-ト景色。ただ、すっかりいい気持ちになって、高所恐怖症を忘れて、勢いで乗ってしまった観覧車にはすっかりビビッてしまい、親父の権威は形無しとなってしまったのである(最初からそんなもの、どこにもないという説も濃厚だが・・・)。それはともかく、すっかり気に入ってしまった、また行こうと思っている。

そして今日は、妻は子供を連れて実家に行ってしまい、一人残された筆者は母親と叔母のお供で江ノ島へ。大人だけなので、電車で行ったのは大正解。車の方は見ていて気の毒なくらいに進まない。行きは藤沢から小田急、帰りは江ノ電で鎌倉まで出たが、どこも座れて快適な旅、江ノ電からの眺めもいい。もちろん天気は最高、人も多かったが、天気のいい日の海ほどいいものはやはりない。久しぶりに我ながらよく歩いたが、なんとも心地よい時間が過ごせた。葛西で食べた握り飯もうまかったが、江ノ島という所が、あんなに海鮮物を食べさせる店があるとは知らなかった。どこに入るか迷うくらいだったが、どこも大きく宣伝していた生しらすも1500円の刺身定食もなかなかの美味であった。その上、夕食は途中下車して、いい歳して親に、中華街でたかってしまい、すっかり満足して帰宅した次第である(笑)。

そんなリゾ-ト気分満喫の時でも気になるのはジャイアンツ戦。こんな所まで来てと、母親に呆れられても、見ないわけにはいかない。中継が始まった時には1-2で負けていたが、すぐに坂本の3ランで逆転、更に谷の追い討ちソロで今日は楽勝と呑気に構えていたら、なんと7回に同点に追いつかれてしまう、どうもジャイアンツの先発はみんな7回が鬼門だね。

やっぱり野球で1番むずかしいのは継投だ、あの7回、1点とられた時点でスパッとグライシンガ-を諦めていたら、あのまま押し切れたのではないか。原監督も随分迷っていたが、グライシンガ-が中盤安定したピッチングを続けていたし、リリ-フ陣をやはり少しでも使いたくないという気持ちもあっての続投も結果は守備の乱れもあったらしく(全部見てません)裏目に出てしまった。

そのベンチのミスを帳消しにしたのが坂本、9回に放った決勝ソロは、見舞った相手があの藤川なのだから、お見事としか言いようがない。思えば前回のド-ムでの3戦目で、ミスミス勝てる試合をドロ-されてしまったのは、8回に駄目押しのチャンスにゲッツ-を打ち、9回大事なところでクル-ンの足を引っ張った坂本のプレ-が大きかっただけに、その借りを返して余りある今日の活躍だった。

そして同点になるのは防げなかったとは言え、8回もランナ-を3塁に進められながら、しのいだ山口と、既に中継が終わりやきもきしていた9回を2死からスリ-ベ-スを打たれながらも、動揺せずに抑えた新守護神越智と、ウ-ンいいねぇ。いいところまで反撃しながらも、結局はJFKに跳ね返されていたかつての戦いぶりが、すっかり立場が入れ替わった形となっているのを、実感した試合であった。ナイスゲ-ム!それにしても、確かに手痛い一発ではあったが、7回5失点の先発が責められず、「藤川の乱調が誤算」と書かれるのだから、やっぱりリリ-バ-は厳しいねぇ。

葛西は家族連れが多かったが、今日の江ノ島は、もちろん家族連れも多かったが、場所柄、やはりカップルが目についた。手をつなき、腕を組み、そして彼氏にペタリと寄り添う彼女の表情はみんななんとも嬉しそうというか、幸せそうであった。彼らにこれからも幸多かれと、思わず祈らずにはいられない、そんな微笑ましいカップルが今日は多かった。まぁ柄にもなく、そんなことを考えるようじゃ、俺もオッサンになったっていうことなんだろうけどね(苦笑)。

そして、豚インフルの騒ぎがあっという間にエスカレ-トしてしまった。本当に「飛ぶように」マスクが売れている。ついこの間まで、いつまでマスクなんか置いてるんだと騒いでいた上司が、マスクが足りないと喚き出す始末で、なんともはやという感じだが、しかし国民の不安を余計煽るような厚生労働省や舛添厚労相の言動は、困ったものである。まずは彼らに落ちついてもらわなくては、話にならん、松沢神奈川県知事と罵り合っている場合ではないと思うのだが・・・。

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2009年4月28日 (火)

先発は気楽な稼業と来たもんだ?

牛、鳥と来てついに豚である。長年、自分達を食い荒らし続けた人類に対する鳥獣類の復讐・・・などと言うつもりはないが、「衛生」「除菌」そして「殺菌」へとエスカレートしていく一方の現代社会への痛烈なしっぺ返しの様相が濃い。怖い話である。

はて、今は何月だったっけな、と思わずカレンダーを見直してしまうような光景である。セリーグの貯金を独り占めする現在のジャイアンツではあるが、異常なまでに酷使されているリリーフ陣の頑張りの賜物であることは、言うまでもない。開幕してから、まだ1月も経っていないのに、繰り広げられている光景は、はやシーズン終盤、胸突き八丁の正念場といった風情である。当然の成り行きとして、早くもリリーフ陣は息切れ、崩壊の兆しが出て来ている、当たり前である。もっともこれは当方だけではなく、中日の岩瀬などは、土曜日に亀井にサヨナラホームランを打たれた時が7連投目だったそうな、とにかく異常である。

いつの頃からか、当たり前のように定着したプロ野球投手の「分業制」。野村克也に

「プロ野球の革命。」

とまで言わしめた「JFK」の登場で、それはいよいよ極まった感がある。

とにかく、6回までにリードを奪えば、あとは鉄壁の3投手がガッチリ締めて、相手に反撃の隙を与えない。9回を戦う間に、敵より1点でも多く、得点を挙げれば勝つことができるのが、野球というゲームのはずだったのに、それより3イニングも短い間に勝負をかけなくてはならなくなった相手チームは、いわばハンディキャップマッチを強いられているようなものである。後ろを充実させない限り、現代野球で勝利はない、他球団垂涎の的だった「JFK」は結果、各チームをリリーフ陣の充実に狂奔させることとなった。

ジャイアンツは06年西武の守護神豊田清を、更に08年には横浜のクローザーM・クルーンを迎え入れた。そして高橋尚成、上原浩治という先発投手を一時的に配置転換するという荒業もし、山口哲也、越智大祐という自前のセットアッパーも育て上げた。それだけではない、原監督が「鉄人」と呼ぶロングリリーフOKの西村健太朗が居て、ロッテ時代はJFKの向こうを張って、「YFK」トリオの一角を担ったベテラン藤田宗一を獲り、それでも飽き足らずに今シーズンは日本ハムからストッパーM中村を獲得した。豊田、クルーンそして中村と100セーブ以上を記録した投手が同時に在籍するという前代未聞の事態が現出し、かくして今やジャイアンツは、ほんの少し前まで、リリーフ陣の貧弱さに泣いていたのが嘘のような、分厚い布陣となった。

それが、今の快進撃の原動力になっているのは、もう繰り返すまでもないのだが、はて・・・なのである。現実には西村、中村は不調で機能せず、藤田も往年の力はなく、今やワンポイントが精一杯なのであるが、それでも山口、越智、豊田そしてクルーンの4人がフル回転して、チームを支えてきた。だが、その中で1番頑丈そうだったクローザーのクルーンが戦線離脱、他の3人も明らかに疲労困憊、おいおいまだ4月、シーズンは始まったばかりなのである。

ところで、現在のプロ野球は6連戦システムであり、従って先発投手は6枚いるというのが定説になっている。筆者もそれを当然のことと受け入れていたのだが、現在のジャイアンツの先発投手はS・グライシンガー、内海哲也、高橋尚成、東野峻、福田聡志と5人しかいない。当然足りないわけで、一昨日はグライシンガー、そして先々週は高橋が中4日でいって撃沈した。なんでこんな時期から先発を「酷使」しなくてならんのだと、昨年までなら原を批判したところなのだが、今年から趣旨替えした。きっかけは前監督堀内恒夫の著「バカでエースがつとまるか」を読んだことである。

内容は前のコラムでも引用した。その趣旨は

「今の先発投手はあまりにも優遇されていないか、いやだらしなさすぎないか。」

ということにつきる。かつてのエース達のように、完投するのが当たり前、場合によっては中1日で今度はリリーフなんていう時代に戻れと言っているのではない。メジャーの先発投手は中4日100球で回っている、ところがこちらでは中6日、それも100球あたりでフーフー言っている。5回を投げればまぁ試合は作ったとの評価で、あとはリリーフさんよろしくで風呂場へ直行なんて、あまりに甘すぎないだろうか。後の4回をなんとかすべく、リリーバー達は連日のように登板を余儀なくされ、たまに失敗すれば、それこそ罪人のように責めたてられるのである。これではリリーバー達もたまったものではないだろう。

火曜日に完投して、リリーフ陣を休ませたグライシンガーはともかく、内海、福田、東野の3人は若さの割りに降板が早すぎる。先発した以上、7回を投げるのは最低の義務と思って欲しい。いや、投げる意思はあるが、投げさせてもらえないという言い訳はむろん通用しない。自分のピッチングがだらしないという証明にしかならないのだから。

もっとも首脳陣にも我慢が足りないのも事実。先発が頼りないからリリーバーの負担が増えるのか、リリーバーに頼るから先発が育たないのかは、鶏が先か、卵が先かみたいな議論になってしまうのだが、JFKを擁した阪神もエース井川慶がいなくなったという事情もあるが、ロクな先発投手がいなかった。不安定な先発を見るに忍びず、自慢のリリーフ陣に手を伸ばしたくなるのは、わからないでもないが、ペナントレースが4月ひと月の短期決戦でもあるまいし、半年の長丁場をとても乗り切れない。昨年の阪神の驚くべき失速ぶりをまさか、見忘れたわけではあるまい。「明日はわが身」では困るのである。

ただでさえ手薄な先発陣から高橋が離脱。代わって野間口貴彦を上げるつもりだったようだが、思わぬアクシデントでいったん延期。何事もなければ、週の後半には戦列に加わってくることにはなろうが、更にゴンザレスあたりの補充も考えなくてはならないにしても、とにかく先発陣は踏ん張るしかない、中4日がたまに回ってきたくらいで悲鳴を上げているようでは困るぜ!と熱くゲキをとばしておこう。

にわかにふって湧いた形の千葉ロッテマリーンズの本拠地移転騒動は傍目から見ていて、よくわからない。ボビー・バレンタイン監督の今期限りの退任が、早々に決定しながらのシーズン突入という異例の事態がやはり、ごたつきの原因なのだろうか。チームもなにか歯車のかみ合わない戦いを繰り返している。ボビーファンとしては、事態が変な方向に進むことなく、彼に日本での最後のシーズンを飾って欲しいと願うばかりである。

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2009年4月27日 (月)

歓声なき勝利

昨日投開票が行われた名古屋市長選挙は、河村たかし前衆院議員の圧勝と終わった。千葉、秋田両県知事選で完敗を喫した民主党としては、3連敗を免れる貴重な勝利となった。これを機に、いよいよ反転攻勢、党内の空気は盛り上が・・・る雰囲気は全くない。

今回はいろいろ意味で、民主党の名物男であった河村の圧倒的知名度と、4年前の総選挙でも、揺らぐことのなかったほどの強固な民主党の牙城である名古屋での選挙ゆえの勝利に過ぎない。これで流れが変わるなどとおめでたいことを言っているのは、今や小沢続投の唯一最大の支援者となった鳩山由紀夫だけであり、党内の空気は全く白けきっている、もちろん国民もである。いや、鳩山とて本気で言っているわけではないだろう。

千葉も秋田も民主系の候補は前知事からの後継指名を受けながら、勝てなかった。前知事のお墨付きが、必ずしも有利に働くとは限らないが、2人の知事はいずれも、決して石持て追われるような形で去る知事ではなかった。むろん、千葉は当選した候補が、今回の河村のように圧倒的知名度を誇っていたし、秋田は地元の事情から野党が分裂していた。が、それでも「あの事件」が起こる前であったら、民主系の候補が勝っていたような気がしてならない。

「民主党代表のポストにも次期首相の座にもなんの未練もない。私の悲願は次期総選挙で政権交代を実現することであり、私の進退の判断基準は、その一点しかない。」

こう言い続けていたはずの小沢一郎が、実際には全然それとは反対のことをやり続けている。国民からは冷ややかな視線を浴び続け、党内からも説明責任をと言われても、もはや語る言葉もなく、半ば強引に再開した得意の「地方行脚」とやらも、結局コソコソと身内を回ってお茶を濁しているに過ぎない。小沢は今、どういう見通しを持って、行動しているのだろうか、筆者には全くわからない。

今回の検察の一連の動きは確かにひどい。ここまで政治的意図を露骨にした捜査は長い東京地検特捜部の歴史の中にもないであろう。目的はとにかく小沢を傷つけること、その一点であり、その目的を達成した今となっては、後のことなど、どうでもいいという態度に終始している。小沢周辺に対する捜査も、その後全く進展せず、一時は小沢より悪質、場合によっては本人の立件も、とすら噂された「二階ルート」など、もはや雲散霧消の気配。要するに、そんな程度のネタしか握っていないにも関わらず、あの時期に強制捜査に突っ込んだと検察の姿勢は、本来もっと批判されてしかるべきだろう。しかし、その批判が国民から起こってくるとしたら、それは小沢が辞任した後だろう。万事休す、その一言である。

自民党にとって、今回の敗戦は織り込み済、痛くも痒くもないだろう。むしろ、ここで勝ちでもしようものなら、さすがにこれは小沢への最終通告になったろうから、かえって自民党にとってまずいことになったかもしれない。今や自民党にとって小沢は最大の「守り神」と言っても過言ではない、彼が居座り続ければ、続けるほど、自民党は政権維持に近づけるのである。逆に言えば、大喜びしている河村には申し訳ないが、彼の勝利は民主党の大勢にとって「迷惑」だった・・・と言ってはさすがに失礼か。

更に、民主党にとってまずいのは、今や「小沢辞任」が形勢再逆転の切り札には、もはやならなそうなこと。不思議なもので、あれだけ口を開けば、物議を醸し、世の中を呆れさせる発言を繰り返していた麻生太郎が、小沢がけつまずいてからというもの、すっかり「大人しく」なった。そしてなりふり構わぬ経済対策や例の北朝鮮のミサイル騒動の際の「毅然たる対応」がそれなりに、国民の支持を得始めている気配がある。ただ、小沢の不人気だけで、相対的に麻生が浮かび上がっているだけでは、なさそうなのだ。

あのミサイル騒動は明らかに、意識的に過剰反応をして、国民の危機感をあおった形跡が濃厚だが、それでも現実にああいうわけのわからん国家が、すぐ隣にあるということを、国民も改めて認識せざるを得なかったわけで、これに対する野党陣営の対応がなんとも頼りないものだったことも、麻生と自民党に得点を稼がせる結果となった。

それでも民主党の反攻は、小沢に去ってもらうことが、その第1歩とならざるを得ない。だが、去ってもらったとして、その後の代表をどうやって登場させるかが、実は意外な難問だ。まさか小沢に後継指名してもらうわけにもいかず、代表選をやるゆとりが果たしてあるか?落とし所は恐らく「岡田克也」しかないのだが、さぁそこまでどうやって持って行くか、代表選を告示したが、候補は岡田1人だった、という図式が1番いいのだろうが、あまりにも見え透いているとの批判は出かねない。

そして、「岡田代表」が決まったとして、幹事長以下の執行部の選任も容易ではない。とにかく今の小沢執行部には、ほとんど民主党のオールキャストが集っており、彼らは1度は小沢続投でゴーサインを出しているのだから、小沢が辞めるなら、当然一連托生となるのが筋だ。厳密に言えば、岡田も前原誠司も小沢の下の副代表なのだから、原理原則を言えば、彼らすら出られなくなるのだが、そこまで否定すると、もはや人がいなくなってしまう。だが、現幹事長の鳩山、それに菅直人、輿石東両代表代行は小沢と共に去るしかないだろう。菅あたりは、かつての中曽根よろしく、素早く体をかわして、岡田執行部への居座りを目論んでいる節があるが、それはさすがにずうずうしい。ただ、彼らの他に幹事長として選挙を仕切れる人物がいるのだろうか?一時期、小沢の幹事長就任というウルトラCもささやかれたが、これは国民の顰蹙を買うだけだろう。すると、仙谷、野田、枝野、まさか「困った時の黄門様」で渡部恒三・・・・?まぁとにかく、民主党反攻の道は険しい。

「今日は最悪の展開、折り合いが全くつかなかった。」

これが、昨日のフローラSで1番人気ミクロコスモスをぶっ飛ばした後の武豊のコメント。最悪の展開、不利があって残念、わからない・・・もう聞き飽きた。よくも恥ずかしげもなく、毎週、同じような能のないコメントを出し続けられるものである。最悪の展開の中で、なんとかしようと、少なくても努力するのが一流騎手ではないのか。あまりに無為無策、第一人者としての誇りはもう、彼にはないのだろうか。

「いつまでもあると思うな、人気と騎乗依頼。」

である。ここまで毎週のようにファンの、そして関係者の期待を裏切り続けては、有力馬の騎乗依頼など早晩なくなるだろう。彼に残された時間は本当にもう残りわずか、だが、その自覚はどうやら武にはなさそうである。グッドラック、今や筆者にはこれしかもう、彼に送る言葉は見当たらない・・・。

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2009年4月21日 (火)

土俵際

あまりにも浮かれすぎて、昨日触れるのを忘れてしまったのだが、イチローの日本人最多安打記録更新は改めて偉業である。これまでの記録保持者である張本勲の目の前で颯爽と決めるあたりはさすが、役者である。思わぬアクシデントで出遅れてしまったが、9年連続200本安打という大記録に向けて好発進、これからの活躍に期待したい。

昨日の皐月賞後、武豊騎手の「コメント」が波紋を呼んだ。

「みなさんも見て、もうおわかりでしょうけど、この馬には(距離が)長すぎますよ。」

???・・・橋口弘次郎調教師をして

「この馬でダービーを勝てなかったら、もうどうやってダービーを勝ったらいいかわからない。」

とまで言わしめたリーチザクラウンにとって、皐月賞の2000mは長いと言うのである。ということは当然、2400mのダービーなんてお呼びでないということになる。気性の難しい馬とは聞いていたが、今まで距離適性うんぬんなどという言葉は、武騎手本人からも、周囲からも、そして報道からも聞こえてきたことがない。それがいかに惨敗の後とは言え、唐突に鞍上の口から出てくるとはどういうことなのか。自身のブログでは例によって

「順調、絶好調。」

とアピールしながら、手の平を返したような発言は、当然戸惑いや反発、そして一部には共感の声を巻き起こすこととなった。正直、筆者も突然何を言い出したんだと、目を疑ったが、その一方で、本当にこんなことを言ったのかという思いも、浮かんでいた。このコメントはラジオNIKKEIのホームページに載っていたのだが、不思議なことに他のメディアでは、そういう発言になっていないからだ。

そして今日、ギャロップ、サンスポ、スポニチあたりを確認してみたが

「みなさんも見てもうおわかりだと思いますが、この馬は逃げなきゃダメですよ。」

というコメントでほぼ一致していた。更に帰宅後、ネットを開いてみると、なんとNIKKEIのHPから距離適性に関するコメントが、バッサリ削除されているではないか。昨日の皐月賞で実況アナがゴール直前に

「また、安藤勝己だ!(実際に勝ったのは、言うまでなく岩田康誠)」

と絶叫するという大失態を演じていたが、それに続く誤報、ということなのだろうか。まぁ距離騒動は誤報としても、「逃げなきゃダメだということがわかったでしょう。」という少々投げやりとも聞こえるこのコメントも気になる。

リーチが大外18番枠と聞いて、とっさに97年の2冠馬サニーブライアンを思い出したのは筆者だけではないだろう。これは躊躇なく行くだろうな、と筆者は思った。そして実際、ちょうど休憩時間でワンセグで見ていた限り、リーチはイレ込みが激しく、とても抑えていける状況には見えなかった。これは遮二無二でも行くしかない、と思われたのだが・・・。実際の顛末は既にご存知の通りだ。他の行く馬がいたからか、控えることを選択し、折り合いを欠いた結果、全く見せ場もないままの惨敗である。

武のコメントは明らかに橋口師に向けられている。橋口師は、前走のきさらぎ賞前にも、控えた競馬をさせたい旨のコメントをしている。能力を過信して、気持ちよく逃げさせたら、ロジユニバースにぶっちぎりられた暮れのラジオNIKKEI賞の結果がよほどこたえたらしい。

対する武は、終始この馬の良さを殺してしまうだけという気持ちだったと思われる。結局、このギャップを埋めきることなく、レースに臨んだ結末がこれ、ということなのだろう。レース後、橋口は早々にダービーでの逃げを宣言したようだが、1度もつれた糸が、そう簡単にほぐれるかどうか・・・。

それに、はっきり言って馬や陣営のせいばかりにはしているわけにはいかないのだ。武豊の昨今の冴えない騎乗ぶりは一体どうしたのだろう。勝利数、勝率、連対率そして獲得賞金、どの数字1つとっても、そこに「武豊」が感じられるものはない。年明けから、神がかったような騎乗ぶりを見せていた横山典弘の勢いが、ここに来てピタッと止まり、差を詰めるチャンスにも関わらず、岩田、安藤、内田博幸といった面々が目立つばかり。気がつけば、すぐ後ろに福永祐一、松岡正海といった中堅どころがヒタヒタと迫ってきている。

とにかく不可解な敗北が多すぎる。昨年からずっと不利、不運そして「わからない」、しかしそれもここまで続くと、これは鞍上、つまり武豊自身になにかしらの問題があるのでは、と言わざるを得まい。安易に自分のミスを認めることは、プロとして決して正しいことではないとは思うが、しかしそれに対する対応策を本当に講じているのか、講じようとしてもできないのか、それとも本当になにもわからないままなのか。

競馬サークル内での武に対する信頼の低下が、最近目に見えてわかる。数は武豊の名前でそれなりにまだ集まっているが、騎乗馬の質が本当に落ちた。いわゆる「お手馬」といえる馬が本当に減ってしまった。そしてなにより騎乗馬が1番人気になることがめっきり減った、ファンももう「武豊」という名前に踊らなくなって来たのだ。そしてその数少ない人気馬でも勝てない・・・。

武豊の時代は終わった、ここ数年囁かれて来たこの言葉。しかし、なんと言っても武豊、そう簡単に王座を明け渡すことはないと思っていたのだが、さしも豊びいきの筆者もこの精彩のなさを見せつけられては、いよいよ今年が「Xイヤー」かと観念するしかなくなってくる。一時のように、後方待機から届かずというレースを繰り返すことはなくなったが、それでもレース展開の読みも仕掛けどころも、ペース配分にも往年の冴えが全く見られなくなってしまったのは、どういうことなのか。デビューからひたすらトップを走り続けて来た「勤続疲労」なのか、それとも達成感から「燃え尽きた」のか、それとも身体の具合でも悪いのか・・・。

思うように馬が集まらず、思うようにレースが運べず、そして思うように勝てない、その現実に1番苛立っているのは、間違いなく武豊本人だろう。が、今のまま、同じことを繰り返していても、事態が好転することはあるまい。このまま、沈没の道を歩むのか、それともどこかで反転攻勢に出るきっかけをつかめるのか、結局は本人の力次第でしかないのは言うまでもないのだが、

「重賞の武豊は迷わず切り。」

などとあちこちのブログに書かれたままじゃ、「武豊」の名がすたるんじゃないのかと思うんですがねぇ・・・。

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2009年4月20日 (月)

痛快、痛快

いやいや、とにかく痛快ですな。中日相手に見事3タテ、それも敵地ナゴヤドームでとくれば、余計である。いつまでこだわっているのだと、言われるかもしれないが、なんと言われようと今年は絶対中日だけは優勝させたくない。もっと言えば、CSにも出させたくない。とにかく、これからも中日には勝って勝って勝ちまくれ!

それにしても先週は5勝1分、今週は4勝1敗、開幕で広島にさんざんいじめられたのが、ウソみたいな絶好調ぶりである。1試合2本塁打で、復調気配かと思われた李承燁を次の試合、あっさりとスタメンから外したり、土曜日は伏兵寺内が決勝本塁打を放ったりと層の厚さも見せ付けて、早くも独走か、なんてついニマニマしてしまう。

が、浮かれてばかりもいられない。既にいろいろなところで指摘されているが、この快進撃の影で、中継ぎ、抑えの投手が相当酷使されている。移籍のM中村の調子が上がらないこともあり、越智、山口、豊田、クルーンの4人がフル回転を余儀なくされている。他球団垂涎の的であった阪神のJFKは既に解散、代わって我がチームの4人衆の時代到来と言いたいところだが、このペースで登板し続けけば、遠からずみんな潰れてしまうのは目に見えている。

リリーフ陣の充実度と先発陣の弱体度は表裏一体、宿命である。阪神もそうだったが、いい中継ぎ、抑えを持っていると、結局そちらへの依存度が高くなり、先発陣の力が付かないということになる。今のジャイアンツはただでさえ、先発が1枚足りない上に、みな安定性に欠ける連中ばかり。今日の試合もいきなり4点をもらいながら、3回しか持たなかった高橋尚成、前回アクシデントで降板した影響があったのかどうかはわからないが、中6日空けての登板で、この体たらくでは困ってしまう。

江川卓は、4人への負担を少しでも減らすには、彼らを勝ち試合限定で投げさせるしかないと言っていたが、言うは易けれどで、負け試合のロングリリーフ要員だった栂野はファーム落ち、代わって西村健太朗が上がってきたが、まだ本調子ではなさそう。中村は言うに及ばず、そうすると後はワンポイント要員の藤田だけということになる。結局は先発陣の奮起に期待するしかない。

「今の若い投手には投げたいという欲求がないのかな?先発なんて中5日も6日も空けてもらって、物足りなくないのかね?」

とはかつてのV9エース堀内恒夫前監督の言葉。そして更に

「肩は消耗品と言われれば、そうかもしれないし、メジャーの先発投手は確かに100球で降板するが、その代わり中4日で投げている。日本の投手はメジャーの優しい数字だけを取り込んで、それに甘えているんじゃないのかな?」

昔のようにガムシャラに投げ続けて、あたら投手寿命を縮めるのがいいと言っているわけではないが、という前置きの上での、この言葉、特に内海や東野にはよく聞いて欲しいと思うのだが。

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2009年4月10日 (金)

「小沢一郎」がわからない

ジャイアンツは元気のない横浜を予定通り(?)3タテ。申し訳ないが、今の横浜に躓いているようでは、お話にならない。とにかく、今の時期はどこから勝っても1勝は1勝。開幕3連戦の嫌なムードを払拭できたのはでかい。明日からはドームに戻って阪神との3連戦、タイガースも今日は負けたようだが、ジャイアンツが煮え湯を飲まされたカープを相手に、なかなか豪快な勝ちっぷりを示していたようだ。注目は日曜の第3戦にジャイアンツが誰を先発に持ってくるか、ローテーション通りなら中4日で高橋尚成だが、中継ぎで好投している栂野雅史あたりを持ってくるかどうか。

憂鬱な日々が続いている、本当にもう手の届くところまで来ていたように見えた「正当なる政権交代」が日1日遠ざかって行くのが実感できる。「経済対策」を逃げ口上に、ひたすら選挙を先送りし続けてきた麻生首相がついに堂々と「解散」を口にするようになった。

定額給付金の交付が始まった。筆者の住んでいる所ではまだだが、仕事場の地区では既に案内が来たらしく、火曜日、たまたまコピー機の近くで仕事をしていた筆者は、何人もの人に、コピーのとり方を案内する羽目になった。給付金の申請書に通帳の表紙かカードのコピーを添付する必要があるそうで、コピーなどとったこともない老人達がニコニコ顔でやって来ていた。ついこの間まで、「後期高齢者医療制度」に激怒していた人たちである。たかが2万でなんだよ、節操のない連中だと思うが人間誰しも現ナマには弱い。かくゆう筆者だって「貰わない」などという選択肢は全くない。流れは変わった、もはや敗れることはない、麻生も自民党の多くの議員連中も、その実感を日々深めているように見える。

識者からは、今回の検察の一連の捜査手順に対する疑問、批判がいくつも出ている。

「民主党が政権を獲ったら、小沢一郎が首相になったら、官僚機構は今までの既得権益を軒並み取り上げられる危険性がある。今回の小沢事務所に対する捜査は、官僚の『総意』をバックにした小沢失脚、民主党政権阻止の為の完全なる狙い撃ち。」

との指摘はうなづけなくはないが、しかし国民の批判はやっぱり、検察には向かず、小沢そして小沢を庇い続ける民主党に向いたまま。

囁かれ続ける二階俊博経済産業相周辺への強制捜査が始まれば、また流れは変わると期待している向きもあるようだが、二階は実力者なのかもしれないが、所詮は一閣僚に過ぎず、党首自らへの捜査とはインパクトが違う。それに二階辞任の先手でも打たれれば、かえって逆効果にすらなりかねず、もっと言えば、民主も自民も両方ダメと国民からソッポを向かれるだけかもしれない。

それでも小沢は居座り、いや続投意欲満々・・・らしい。先日の代表就任3周年の記者会見でも、政権交代への道筋は着実に進んでいると自信たっぷりに語ったそうだ。小沢は「裸の王様」か、それとも大逆転の秘策でもあるのか・・・。

小沢はいったんは辞意を固めたという報道がある。例の涙の続投会見で、実は本人は辞任表明するつもりだったらしいのだが、周囲が懸命におしとどめ、なんとか翻意させた。会見が予定時間よりだいぶ遅れたのは、そのせめぎあいによるものだったというのである。

皮肉なことに、小沢の「側近」あるいは「盟友」と言われている近しい人々には辞任論が強かったらしい。

「今度、民主党が政権を獲ったとしても、それは本格政権にはならない(参院で民主は単独過半数を持っておらず、社民党や国民新党との連立政権にならざるを得ない)。来る来年の参院選で単独過半数を取った暁には、堂々たる単独政権を作り、そこで小沢を登場させる。今回は辞任し、一時待機の体勢をとった方がいい。」

という論理なのだが、

「小沢さんは政権交代に賭けている。政権交代実現が、自分の政治家としての最後の使命という、あの言葉に嘘はない。」

つまり、いったん引いて、他日を期すつもりが、本人には全くないというのである。そこで鳩山由紀夫を筆頭にした「小沢続投派」が勢いを増した。

「今の我々は小沢体制で選挙をするという前提で、準備を進めている。その前提が崩れたら、もはや戦いにならない。現実問題として、選挙を仕切れるのは小沢をおいて他にいないのだ。」

菅直人は面と向かって辞任を勧めたが受け入れられず、逆に後で外向けに釈明させられる羽目になった。執行部にいながら、小沢とは一線を画す岡田克也、前原誠司の両元代表、現副代表も、ゴニョゴニョと口ごもりながら、不満をもらしただけで、結局は続投を容認してしまう。国民の厳しい声を間近に聞いて、風向きの変化を肌で感じているはずの議員連からも続投反対の声はほとんど上がらず

「言い訳に終始して、選挙に勝てるわけがない。」

とか細い声の正論はあっという間にかき消された。小沢におんぶに抱っこ、小沢にモノの言えない党の内情をここまで、あからさまにさらしては、国民の支持が逃げていくのも当然だろう。ついこないだまでの自分達を写し鏡で見ているような情勢に、自民党はただ、高笑いをしているだけである。

「選挙に勝てるか、勝てないか、私の進退の判断基準はその1点である。」

と小沢は言い続けている。党独自の情勢調査も指示したらしいが、今はまだ小沢は勝てると踏んでいるということか。あのやること為すこと、総スカンで物笑いの種だった麻生から

「補正予算に対する民主党の対応次第では解散する。」

と挑発されても、自民党から党首討論開催を嫌がらせのように提案されても、まともな対応1つできず、ただ首をすくめて、嵐が過ぎるのを待ちわびているだけにしか見えない今の状況で、本当に選挙に勝てるつもりなのだろうか。もし、「二階スキャンダル」に賭けてるのだとしたら、あれだけ非難した検察に、結局すがっているということではないか、小沢が辞めれば、それだけでまた、風向きが変わるほど、甘くはないと思うが、このまま居座っていいことがあるとはとても思えないと、前にも書いたが、どうしてその判断が出来ないのか。

「検察の横暴に屈しない。」

という論理があるらしいが、残念ながら、その主張は全く国民の心に響いていないのである。結局、なんの成算なく、メンツだけで居座りを敢行した挙句、野垂れ死にした安倍晋三の二の舞を踏もうというのか、いや野垂れ死ねればまだいいが、その前に解散されたら、もう目も当てられないことになるのではないか。小沢一郎は一体なにを考えているのか、全くわからない、本当にわからない。

今週の日曜はクラシックレース第一弾の「桜花賞」。ネットを眺めていると、今更ながら、競馬の予想サイトを開いている人の多さに驚く。馬券を買うつもりもなく、武豊騎手の勝ち負けくらいしか興味のない筆者が、予想などというおごがましいことをするつもりはないが、ブエナビスタがどういうレースをするかは注目である。断然一強の前評判が高く、筆者も敵はいないだろうとは思うが、それでもメジロドーベル、シーザリオそしてウオッカといった幾多の名牝が苦杯をなめた現実もある(まぁ、ウオッカの時は、勝ったのがダイワスカーレットだから仕方ないかもしれないが・・・)。

といって、じゃあどの馬がブエナにけたぐりを食らわせるのか、ということになると正直ねぇ・・・。さしもの豊贔屓の筆者もアイアムカミノマゴの名前を挙げる勇気はない。ブエナと初対決という未知の魅力を買って四位騎手騎乗のレッドディザイヤくらいかなぁ・・・まぁ、とにかくいいレースを期待しましょう。

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2009年4月 7日 (火)

「野球の神様」なんてやっぱりいない

「イチロー、神経性胃潰瘍で戦線離脱、故障者リスト入り。」

というニュースには驚かされた。WBCでの戦いが、どんなに選手とって過酷であったのかを、改めて思い知らされる形になった。国民注視の中で戦いで、思うようなパフォーマンスを残せないという重圧は、イチローほどのタフでプレッシャーに強い(と見える)男の神経をも蝕んでいたのである。改めて、侍ジャパンの面々に敬意を表するとともに、イチロー選手の1日も早い復帰を祈るばかりである。

そんなWBCの激闘が終了してから2週間、先週末に日本のプロ野球のペナントレースがいよいよスタートした。広島東洋カープを迎えて、3年ぶりに、本拠地東京ドームで開幕を迎えた我がジャイアンツの戦いぶりは、しかし残念ながら、お世辞にも褒められたものではなかった。試合の主導権を握りながら、それを守りきれずに逆転され、追いつかれの2敗1分。開幕3連戦で1つの勝星も挙げられなかったのは他は中日にいいようにあしらわれた横浜と、エースダルビッシュで開幕戦を落としたショックを引きずったまま、楽天に3タテされてしまった日本ハムの3チームだけであった。

いずれの試合も、じっくり観戦したわけでなく、あくまでニュースで見た限りなのだが、要は初戦はグライシンガー、2戦目はM・中村、そして3戦目はクルーンを悪者にすればいいということになる。グライシンガーの替え時が遅いと、ナベツネや滝鼻オーナーは吼えていたそうだが、この2人はよほど原辰徳が嫌いらしい。原のやること為すことにいちいちケチをつけて、うっとうしい限りなのだが、開幕投手の重みがわからないのなら、観戦になど来ない方がいいだろう。上記3人がいずれも外国籍選手であることから、ジャイアンツには「日本力」が足りない、あるいは活かしていないとか、中村、クルーンの乱調から早くも「抑え崩壊」などという論調まである。負けている以上、なにを言われても仕方ないのであるが、まぁかしましいものである。

別に昨年、開幕から5連敗し、なおかつ一時は首位チームから13ゲームも離されていたのを逆転したから、余裕をぶっこいているつもりはないが、それにしてもまだ始まったばかり、慌てる必要なんてない。中村は打たれたが、明らかに緊張していたね。まぁ仕方がない、ああいう場面で使う為に、獲った投手なんだから、また今度ということだ。クルーンはまぁ、あんなものなのかぁ。横浜時代から、決して安定性のあるクローザーではなかったが、昨年終盤からのドタバタぶりは、ちょっとひどいね。もうちょっと様子を見たいが、逆にオープン戦メロメロだった越智が、見違えるようなピッチング。豊田、山口を含めたリリーフ陣の再編は、視野に入れておいた方がいいのかもしれない。

投手ばかりが言われているが、この3連戦ははっきり言って打者の責任だよね、まぁ打てないね、いやヒットは出るけどつながらない。ただでさえ、重戦車みたいな人たちの集まりなのに、走塁ミスが加わっちゃ、どうしようもない。だからこそ、お前達がしっかりせねばどうにもなるまいということで、昨日原監督から1、2番コンビが槍玉に挙げられたんだろうが、この1番亀井、2番鈴木という並びはどうなのかな?というより昨年の大逆転劇の原動力だった「1番鈴木」をなんで替える必要があるのだろう。

アルフォンゾという選手を、結構喜んで獲っていたような気がするが、動きが悪い、守備範囲が狭いということで、開幕2戦目から早くもベンチに下げられた。一体、わざわざテストで呼んで、なにを見ていたのだろう。

投手に戻ると、西村健太朗の先発転向もうなづけない。甲子園で鳴らした投手だが、成績を見る限り、明らかに先発より後ろの方に適性があるとしか思えない。結局、調子が上がらず、開幕2軍スタートと、なんかやってることがちぐはぐのような気がしてならない。これはやはり大事な時期に監督がチームを離れたことが、影響しているのだろうか。

WBCで横浜の村田が怪我をした時、とっさに頭に浮かんだのは、実は

「横浜の開幕の相手ってどこだったっけ?」

だったのである。そして、それが中日だと気づいた時に愕然となった。

ナベツネは

「11球団が結束したおかげで、WBCで優勝できた。」

と痛烈な皮肉を浴びせていたが、いろいろなご意見はあろうが、中日のあの態度は筆者にはどうしても許せない。あんなチームがのうのうと、今年優勝するなど、俺が許しても「野球の神様」が許さない、そう思い込んでいたのだが、ところがである。

激闘の代償に4番打者を失った昨年のダントツ最下位チームは、予想通り完敗。世間の冷たい視線にも我関せず、黙々とチームを鍛え上げてきた落合中日の敵ではなかった。あいつの薄ら笑いが目に浮かんできて腹が立つ。もし、中日が優勝でもしてしまったら

「WBCにも踊らず、じっとチームを鍛え抜いた落合監督の名手腕」

などと賞賛する記事が出てくるのだろう。

そうだ、「野球の神様」なんて所詮はいないのだ。この世界は実力あるのみ、自力で落合に吠え面をかかせるしかないのだ。WBCで疲れました、チームを把握できませんでしたなんてのは、言い訳にもならない。ただ、戦うのみである。

ジャイアンツは明日から、なんと横浜戦。とにかく全力を尽くして叩きのめすのみ、ここでつまづいているようじゃ、お話にならないよ。

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2009年3月31日 (火)

ブラックマーチ

2008年度のA級順位戦は史上まれに見る激戦になると思っていたが、予想に違わぬ大混戦であった。最終戦を迎えて、名人挑戦者も2人の降級者も全く決まっていなかったのは、かなり久しぶりだったのではないか。

去る3日に行われた「将棋界の1番長い日」、A級順位戦第9局の一斉対局。中でも最大の注目カードは挑戦権をかけて争われた郷田ー木村戦ではなく、敗れた方が降級という文字通りのサバイバル戦となった谷川ー鈴木大戦であったことは間違いない。

言うまでもなく谷川は17世名人資格保持者、99年の中原誠以来、史上2人目の永世名人のA級陥落の危機だったが、勝負は早々に谷川勝利。谷川はさすがの底力を見せつけ、逆に鈴木大介八段は3年ぶりのA級復帰も、わずか1年でまたB1に逆戻りの憂き目を見ることとなった。

かくして、残る1人の降級は三浦弘行八段か深浦康市王位のどちらかに絞られた。前期は羽生現名人と挑戦者争いを繰り広げ、今期は自己最高位の2位まで順位を上げた三浦は、序盤は快調に飛ばしていよいよ今期は挑戦かと、思わせた時期もあったのだが、途中から一転連敗街道に突入、そして谷川が勝った少し後に、森内俊之九段に敗れ、3勝6敗。前期とは一転、首を洗って待つ身となった三浦は感想戦の最中、ずっと世界で僕ほど不幸な人はいませんといわんばかりの沈痛な表情のままであった。

筆者が仕事を終え、帰宅したのは12時過ぎ。上記2局は既に終わっており、少し経つと郷田ー木村戦は郷田真隆九段が勝って、2年ぶり2度目の挑戦権獲得。直接対決で郷田を叩いて、なんとかプレーオフに持ち込みたかった木村一喜八段は1歩及ばず、藤井猛九段に勝って、プレーオフ進出に望みをつないでいた佐藤康光棋王の夢も絶たれることになった(ちなみにキチンと調べたわけでないので、間違っているかもしれないが、ここ何年か、この将棋界の1番長い日を見ているが、藤井が勝ったのを見たことないような気がするのだが・・・)。

そして残るは深浦と丸山忠久九段の一戦のみ。対局が始まる時点では自力残留の目がなかった深浦だが、三浦が敗れたことにより、とにかく勝てば3度目のA級登場で初めて残留できる。昨年、羽生から王位を奪取、今年もその挑戦を返り討ちにしたほどの実力者が、なぜかA級戦では星が伸びない。過去2回は順位に泣いた不運な陥落だったが、今回はタイトルホルダーとして臨んだA級戦。無様な真似はできないはず、だったが・・・。

既に残留の決まっている丸山は、焦る深浦をあざ笑うかのように落ち着いた重厚な差し回し。そしてついに午前1時過ぎ、深浦投了。ここに史上初の現役タイトルホルダーのA級陥落が決定した。3回続けてのアタマハネでの陥落は確かに不運ではあるが、タイトルホルターとして3勝6敗の成績は褒められた内容ではない。

一方の三浦は土壇場で命拾い。A級在位今年で7年目の三浦だが、最終戦を待たずして、残留を決めたことが2度しかなく、常にきわどくA級の座を死守して来た。人呼んで「残留の神様」、まさに面目躍如と言ったところであった。

A級陥落の痛手を癒す間もなく、深浦には大勝負が待っていた。羽生に挑戦している王将戦、3勝2敗と羽生をカド番に追い込みながら、第6局を返されタイ。ここ2年の王位戦では羽生の猛烈な追い上げを跳ね返してきた深浦、ここで羽生を七番勝負で3タテして、2冠となれば、いよいよ深浦時代到来の第1歩を記せる。是が非でも負けたくない、はずだったのだが・・・。

最終局は終始羽生リードの展開。深浦も粘ったが、羽生の完勝と言っていい内容だった。王位戦で深浦に返り討ちに合い、竜王戦で渡辺に手痛い逆転をくらったものの、森内から名人位を佐藤から棋聖位を奪って4冠として、2008年度の戦いを終えた。もう1度7冠に手が届くかもしれない、そんな予感さえ抱かせる羽生の牙城はしばらくは揺るぐ気配はなさそうだ。逆に深浦には、なんともつらい3月、まさに「ブラックマーチ」となってしまった。タイトルホルダーの意地にかけて、またやり直しである。

深浦、鈴木に代わってA級に上がるのが高橋道雄九段と井上慶太八段という両ベテラン。高橋は5期ぶり、井上は実に10年ぶりのA級復帰、失礼ながら大万馬券と言っていい。この頑張りには心から敬意を表するが、今のA級の壁は厚い。結局今期も鈴木、深浦という昇級組が、そのままB1に送り返される形になった。彼らの健闘を祈るばかりである。

そしてこの両ベテランが抜けたB1級はなんとタイトルホルダーが、今日佐藤を破って、念願の初タイトルを獲得した久保利明棋王を含め3人が在籍する「豪華版」。逆に佐藤が7年ぶりに無冠に転落し、羽生4冠が順位戦に参加しないこともあり、A級順位戦は現時点でタイトルホルダーが1人も参加しないことになった。これも珍事ではないだろうか。

羽生時代はまだまだ続きそうだが、その一方で久保の初戴冠、佐藤の無冠転落、そして中原の引退、更にはこれまで先手番有利が当たり前であった将棋界の常識を覆すように、今期は記録をとりはじめてから、初めてプロの棋戦で後手番が先手番に勝ち越したのだそうだ。時は確実に流れている、そんなことを実感させられる将棋界の3月であった。

いよいよ「2008年度」は今日で終わりである。そして、それはむろん、将棋界だけのことではない。

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2009年3月30日 (月)

無駄な抵抗、無為な時間

しばらく政治のことを書かなかったのは、他に書きたいことが多かったこともあるが、千葉知事選が終わるのを待っていたからでもある。こんなヘッポココラムでも、下手なことを書くと選挙妨害を問われかねないのだそうだ。

前回、政治について書いた1ヶ月弱前の時点で、正直未だに小沢が民主党代表に居座っているとは思いもよらなかった。彼の今までの行動パターンから見て、とっとと投げ出すのは時間の問題だと思っていたからだ。

今の小沢は投げるに投げられないで、未練がましく指し手を進めている棋士と同じだ。敗北は目に見えているのに、どうしてもそれが納得が出来ずに投了できない棋士と同じである。

先日の小沢の涙の続投会見は内外から不評を買っているが、筆者は1つだけ理解できたことがあった。それはなにはともあれ、小沢という政治家が政権交代を悲願とし、それにより政治を変えようという思いを強く持っていることだけは間違いなさそうだということだ。それが目前に迫ったかと思われた矢先のこの騒動、小沢は無念なのだろう。しかし、だからと言って、筆者が小沢の続投を了とし、再起に声援を送るかと言えばそれは「ノー」である。

小沢にとって検察はある意味、不倶戴天の敵かもしれない。彼が師と仰いだ田中角栄も、「先生が1番好きだったんです」と言いながら遺骸にすがって泣いたほど敬愛した金丸信も、検察によって逮捕され、法廷闘争を余儀なくされた。そして自分も、いよいよという時に検察に足を引っ張られた、ここで引くわけには絶対にいかないというところなのだろう。

しかし、それはあくまで小沢の論理である。この期に及んで、小沢の秘書を逮捕すれば、それがどういうリアクションが起こり、政局がどう流れていくか、検察がわからなかったはずはない。にも関わらず、突っ込んだのは、これははっきり小沢への宣戦布告である。言葉が適切でなかったら、これは

「小沢は絶対に首相にしない。」

という検察の明確な意思表示である。今回、明らかに検察は最終的に小沢本人をターゲットにしていた。しかし、どんな見込み違いかは知らないが、それが果たせぬまま、秘書の起訴が精一杯の情勢となり、バランスをとる形で自民党にもある程度、手を突っ込まないと、小沢の検察批判に一定の説得力をもたせてしまいかねないところに追い詰められてしまった。

あっせん利得罪にも、贈収賄にもなりそうもない状況に、頭にきた検察はお得意のリーク戦法に出た。小沢事務所と西松建設側の不透明な金の流れをマスコミを通じて、国民の目にさらし、小沢という政治家がいかにうさんくさい存在かをアピールしようとした。こんな政治家が、首相になっていいんですか?検察はそう国民に投げかけたのだ。

小沢としてはたまったものではないだろう。あくまで大久保秘書が逮捕された容疑は「政治資金の虚偽記載容疑」なのだから。しかし、連日の報道で小沢は完全に「黒い政治家」なった。このダメージは決定的である。ミスをしたかもしれないが、それは訂正すればすむことで、我々は、いや少なくとも私は、やましいことなど全くないと、小沢は当初から主張し続けている。

小沢という政治家の限界がここにある、小沢はわかっていないのだ。小沢が「政治改革」を唱えて、自民党を離党して、もう16年の月日が流れようとしている。事ある毎に、政権交代を唱え、政治を変えると主張し続けてきた男がやっていることは旧態依然たる角栄流の金権・土建政治そのものであることが、白日の下にさらされ、彼の言葉には、もはやなんの説得力もなくなってしまったのである。彼は