経済・政治・国際

2009年9月20日 (日)

理想を追えるか

亀井静香が張り切っている。かつて自民党で派閥の領袖を務め、総裁候補の1人だったはずなのに、いつの間にか党追放の憂き目を見て、以来苦節4年、いや森内閣下での自民党政調会長以来の久々の檜舞台へのカムバックである。菅、岡田なにするものぞ、本来なら鳩山だって格下じゃないか、たぶん内心ではそう息まいているのだろう。郵政民営化見直しの私案を口にした原口総務相にさっそく噛み付き、平成版モラトリアムを提起して波紋を投げ、藤井財務相にたしなめられても、どこ吹く風の鼻息の荒さである。亀井のバイタリティやメッセージの発信能力は鳩山内閣にとって得難いものではあるが、これが閣内不統一や不協和音にまで高まってしまっては「過ぎたるは及ばざるがごとし」で、元も子もなくなってしまう。今後の鳩山首相の手綱さばきが注目される。

そして、もう1人政権交代に伴って浮上して来たのが、衆院外務委員長に指名された鈴木宗男新党大地代表である。

鈴木の指名については野党である自民、公明両党が鈴木が現在も公判中の刑事被告人であることを理由に「前例がない」と徹底して反対した。「彼が逮捕された時には、全会一致で辞職勧告決議案も可決されている」とも言ったそうだ。それに対して民主、社民の与党側は「有罪が確定していない以上、推定無罪」との論理で押し切り、横路孝弘新衆院議長が、他の常任委員長同様に指名して決着した。

早くも、ついこの間までのスタイルとは攻守逆転した姿が、明らかになったが、1、2審で実刑判決を受けている鈴木は、最高裁でこのまま刑が確定すれば、失職、収監を余儀なくされるのであり、今彼をこのような公職に就けることは、いささか時期尚早の感は否めない。橋本龍太郎が、自民党史上初の総裁選無投票再選を果たし、意気揚々と内閣改造を行い、当時ロッキード事件で有罪判決が確定したばかりの佐藤孝行を入閣させたら、途端に世論の猛反発をくらって人気が急下降したのを、思いだしたが、今のところはあまり厳しい反応は出ていないようではある。

思えば世間、マスコミからの袋叩きの中で逮捕されて以来、鈴木は一貫して「国策捜査」と訴え、無罪を主張して全面的に争い続けている。自分がいかに陥れられていったかを赤裸々につづった彼の著書「汚名」を、筆者は矢野絢也が書いた「黒い手帳」と立て続けに読んでしまい、かなり憂鬱な気分にさせられたが、それはともかく少なくとも鈴木本人は、外務省に裏切られ、人身御供にされたと信じ、2005年に国政に復帰して以降は復讐と怨念に満ちた告発と追及を続けており、かつて外務省を「支配」したともまた「庇護」としたとも言われた鈴木は今や、外務省の人間が「敵」と明言する存在になった。

だが、非難や反対にも当の鈴木は平然たるもの。北方領土が間近に望める道東に生まれ育ち、我が国有数のロシア通である彼がライフワークと公言しては憚らない「北方領土問題」に再び手を染め得るポジションに返り咲いたことが嬉しくて仕方ないらしい。

「鳩山総理からは、北方領土を頼みますと言われている。」

と意気軒高、その一方で国政復帰以来の彼の武器である「質問主意書」をこれからも出しまくって外務省を追及すると明言しており、外務省は戦々恐々とか。

正直、鈴木の「復帰」で、この超難問が急に動き出すとは思えないのだが、吉田茂の講和独立と並ぶ戦後外交の金字塔とされる一方で、現在まで領土という禍根を残したことで、批判の声も絶えない鳩山一郎の日ソ国交回復。爺さんのやり残したことを俺が成し遂げると、鳩山が意欲を燃やすのは良くわかる。そして鈴木、鳩山そして横路もみんな北海道選出の国会議員である。この解決を望んでいない日本国民は恐らく1人もいないのだから、彼らの奮闘を期待したいが、鈴木が結局監獄入りで途中退場などというなんともバツの悪い結末にならないよう、彼の為にまずは祈るしかない。

先日実家に寄って、暇潰しに持ち出した本がある。政治評論家の鈴木棟一氏がサンデー毎日から週刊ダイヤモンドと掲載誌を替えながら、中曽根内閣当時から今日まで同時進行で書き続けている政治ドキュメント「永田町の暗闘」である。今回持って来たのは、小渕内閣スタートから小泉内閣が誕生するまでの約3年間のものだったが、読んでみて驚いた。余りにもここ数年の状況と似ていたからだ。放り出しではなかったが、短期間でコロコロと内閣が替わり、出てくる首相達の人物の矮小化、政治家としての識見のなさは国民の政治離れ、自民党離れを助長するばかりで、森喜朗が登場するに至って、そのいらだちはピークに達しつつあった。ところが、そこに小泉という救世主が現れたのが、今回との大きな違いであった。

そして、第2の小泉は果たしているのか、再生を賭けた自民党総裁選が始まった。立候補者は3人だが、ベテラン勢をバックに優勢とされる谷垣禎一、失礼ながら当方の勉強不足で名前もよく知らなかった西村なんとかさんに対して、念願の総裁選出馬を果たした河野太郎が1人目立つ展開になっている。

党内融和、全員野球を訴える他の2人に

「全員野球には反対だ。悪しき伝統を引きずった人をベンチに入れてはいけない。」

と言い放ち、森と青木幹雄を名指しで非難、引退を求めただけでなく

「今回の選挙で選挙区で議席を得られず、比例で復活された幹部の方は後進に道を譲っていただきたい。」

と事実上、伊吹文明、額賀福志郎そして町村信孝と言った派閥会長クラスにまでパージを突き付ける暴れっぷり。これを「痛快」と見るか「単なるスタンドプレー」と見るかは、人それぞれであろうが、確かに森、青木それに安倍晋三なんて連中にはもううんざりではある。

「党内野党」的その言動は、かつての小泉純一郎を彷彿とするし、また先頃引退した河野の父洋平も、若い頃は離党して新自由クラブを結成するなど、大した暴れっぷりではあった。

だが、正直なところ、自民党の「若手」と称される連中が党の体質を批判し、暴れまわるという光景は見飽きてしまっている。洋平はもちろんのこと、石破茂、笹川尭そして太田誠一なんて面々も随分吠えまくり、一旦は離党までしながら、結局はうそうそと舞い戻り、いつの間にか幹部然として振る舞った揚句、笹川、太田あるいは小坂憲次、みんないなくなってしまった。彼らのように離党まで行かなくても、党を再生だの立て直すだのわめいていた連中は随分見たが、なぜかある時期からピタリと大人しくなり、あとは順調に「自民党の政治家」としてのふさわしくなる為の階段を登って行く。筆者はこれを「自民党若手議員のはしか現象」と呼んでいる。

もちろん野党に転落した今日、今までのような「お約束」のようなことを繰り返しているわけにはいかないだろうが、先の議員総会で総裁選推薦人の数を減らそうという緊急動議にほとんど賛成者がいなかったのを見ても、なんとも前途に不安を覚えないわけにはいかない。河野のいら立ちはわからないでもないが、あまりの過激論はただ空回りして、結局はなにも生み出さないのではないだろうか。

思えば、前回自民党が野党に転落した時、渡辺美智雄を破って総裁の座に就いたのは河野洋平だった。そして渡辺の子息の喜美は一足早く自民党に愛想をつかして離党、新党「みんなの党」を結成して、選挙に臨み、意外なほどの大善戦をした。そんな渡辺に河野はラブコールを送った、共に党を再生しようと。しかし、今のところは渡辺は公務員改革の同志と見て、民主党寄りのスタンスを崩す気配はない。巨大与党となった鳩山政権の前に、野党自民党の苦悩は深い。

だが、個性的なメンツを揃え、政治を変えると意気込む民主党及び社民、国新の連立内閣も、高い理想の前に立ちふさがる現実に、思考錯誤の毎日と見える。今は政治家も、マスコミもそして我々国民も、しばし学習の時のようである。

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2009年9月17日 (木)

歴史的1日

「日本の未来は明るい。」

今日の午前中、自らが任命した17名の閣僚から辞表を取りまとめ、自らも前内閣総理大臣そして前自由民主党総裁となった麻生太郎は、退任する首相としては異例の「サヨナラ会見」を行い、国民に対する最後のメッセージと称して、こんな言葉を残して、総理官邸を去って行った。花束を贈られ、黒塗りの車に乗り込んだ麻生は、見送りに集まった国民に車内から笑顔で手を振り、とうとう最後には車から降りて、歓声に応えていた。最後までノー天気な男だと、思わず苦笑いが浮かんでしまったが、しかしこれからの自民党にとって必要なのは、実はこのノー天気さだったのかもしれない。皮肉にとられてしまうかもしれないが、今更ながら麻生が惜しくなって来た。彼は明らかに時運に恵まれなかった、出番を間違えてしまった。これもまた運命と言うしかない。

戦後の首相としては唯一の復へき(首相への返り咲き)を果たし、昭和20年代に長期政権を誇った吉田茂を飽くなき挑戦の末、引きずり下ろした鳩山一郎。そしてそれから55年後に両者の孫同士で繰り返された因縁は既にいろんなところで触れられてはいるが、とにかく16年ぶりに誕生した「非自民政権」、そして1955年の自民党結党以来、初めて自民党以外の政党が衆参両院で第1党として堂々と政権の座に就き、内閣を発足させた。8月30日同様、本日9月16日もまた、歴史に残る1日となったことは間違いない。

国会での指名を受け、正式に内閣総理大臣となり、記者会見に臨んだ鳩山由紀夫の表情は、今までとは一変、厳しいというか引き締まったものになっていた。凛々しいと言ってもいいかもしれない。その語り口も今までのなんともたどたどしいというか、ぎこちなさというものが、とりあえず影を潜め、まっすぐに我々国民に訴えかけようという姿勢にあふれていたように思う。鳩山に1番欠けていたと見える「重厚さ」、もちろんそれが首相になった途端に、急に身に付くものだとは思っていないが、「地位が人を変える」という言葉を思い出させてもらった。

新官房長官平野博文によって発表された鳩山新内閣の布陣、これについては人によって様々な評価があるのだろうが、今の民社国3党連立内閣のスタッフとしてはまぁ妥当な人選なのではないかと筆者は思っている。

菅直人副総理兼国家戦略室担当相は当初官房長官説もあり、本人も不満を抱いた時期もあったやに聞くが「雀100まで踊り忘れず」という言葉もある通り、市民運動家から政界に転じ、ついに内閣のNO2にまで上り詰めたこの人物は一言で言えば「目立ちたがり屋」。これは決して政治家菅に対する悪口ばかりではないつもりだが、しかし「イラ菅」の異名を取り、また破壊、攻撃を得意技とする菅がいわゆる「女房役」「調整役」とされる官房長官に適任とはどうしても思えないが、鳩山内閣最大の売りである「脱官僚依存」の最前線に立つのは、やはり菅が最適任ではないか(もっとも平野官房長官っていうのも華がないねぇ。華やかさが、官房長官の最大の適性資格ではないのだろうが「内閣のスポークスマン」である以上、イメージ戦略っていうのは無視はできない。町村信孝、河村建夫と2代続けて見てるだけで、気が滅入るような長官が続いただけになんとかならなかったのかなぁとは率直に思う)。

長妻昭厚生労働相は今内閣の最大の目玉人事。本人が熱望して、他ポストから入れ替わっての就任と聞くが、これは鳩山の決断だったと思う。長妻の熱血が空回りして、役所の中で浮き上がって、かえって逆効果となるとも懸念もあったようだが、それなら仰々しく「脱官僚依存」なんてお題目は最初からうたわない方がいい。4年前の大敗からの反転攻勢の大きなきっかけを作ったのは紛れもなく長妻、彼が今日の民主党政権誕生に果たした役割の大きさを思い、また彼を先頭に立てて自公政権を攻め立て続けながら、いざ政権を獲ったら、年金担当は別の人では、国民の不信を買おう。原口一博総務相と並んで、内閣のメリハリをつける存在になっていくことを期待したい。

藤井裕久財務相は久々に見た「内閣の重鎮」と呼ばれるにふさわしい存在ではないか。自民離党以来の仲だったはずの小沢一郎の横やりから入閣が危ぶまれた時期もあったようだが、鳩山が初心を貫いたのはいろいろな意味でよかったと思う。就任記者会見でも「識見」というものを政治家から感じたのも随分久しぶりのような気がした。引退予定を鳩山が、引き留めたそうだが、どうやら正解だったようだ。

秘密のアッコちゃんは全部表に出してもらうと飄々と語っていた仙谷由人行政刷新担当相は、小沢一郎に面と向かって苦言を呈する度胸を生かして、官僚機構に切り込めるか?久々の檜舞台復帰の亀井静香郵政・金融担当相はいろいろな意味で、今後台風の目となっていくだろう。

その亀井が当初就くと伝えられた防衛相。ここが民主党にとって鬼門のポストであることは周知の事実で、これを他党の亀井に丸投げはいかがなものとは思っていたら、とりあえずそれが避けられたのはまずはめでたいことだが、代わり?に登場の北沢俊美とは何者か?他にも千葉景子法相、小沢鋭仁環境相、川端達夫文部科学相あたりは逆に先行きやや不安な気配である。

当たり前のことかもしれないが、新閣僚は口ぐちに「マニュフェストの誠実な実施」と述べていたのは好感は持った。また、新閣僚が官僚の入れ知恵なしに、自らの言葉で就任会見に臨んだのも、国民の目から見れば清新に映ったのではないか。それなりの個性的なスターを揃えた以上、後問われるのは実行力そして、彼らを束ねる鳩山の首相としてのリーダーシップである。

鳩山由紀夫首相の誕生は1つの歴史であり、また感慨深い出来事ではあった。しかし感傷にひたれるのは今日まで、時間も懸案も待ってはくれない。もはや、日々がイザッ勝負!である。

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2009年9月 9日 (水)

続・自民党はどこに行く?

最初にイチロー選手のメジャーリーグ通算2000本安打達成の快挙を心から祝福いたします。長いメジャーの歴史の中でも前人未到の9年連続200本安打の偉業ももう目前、間違いなく記録にも記憶にも残る偉大なプレーヤーを、リアルタイムで見られる幸運を感謝したくなる。これからも末長い活躍を期待しています。

昨日触れた、例の自民の首班指名への対応が今日、決着した。16日の内閣総辞職に合わせて麻生太郎は自民党総裁も辞任、総裁空席のまま、衆院本会議に臨む異例の事態。そして肝心の候補は両院議員総会での1時間余りに渡る「白熱した議論=ただの、ののしり合い」の末、「両院議員総会長・若林正俊」に決した。ご記憶の方も多いだろうが、悪魔に魅入られたように起用する農水相が次々とトラブルを起こし、その度に火消し役の後任を務めた人物。「困った時の若林頼み」がとんだところでまた、発動される形になったが、決定を受けて挨拶に立った御当人は満更でもない表情だったのはご同慶の限りではある。が、再出発の門出としてはなんとも間の抜けた話であることは間違いなく、自民党落日の印象をますます深めることになった。

2年前の参院選で敗退し、第2院でとは言えついに結党以来の第1党の座を失って以降の自民党というのは、正常な判断能力を失ってしまったとしか思えない醜態を度々見せてきた。安倍の居座りを認め、また突如の投げ出しを恥じることもなく、当然のように後任を決め、それをなんとまた1年後に繰り返して、衒うこともなかった。参院で少数派になった以上、今までのように、なんでも自分達の意思通りに物事が進まなくなるのは、誰の目にも明らかなはずだったのに、民主党以下の野党の意見には全く耳を貸すそぶりも見せずに、無為な激突を繰り返し、最後は衆院での再議決というダンピラを振り回して、ただ突進していくだけ。民主党の態度に全く問題がなかったとは言わないが、自民党の側にも、与党として、情勢を打開しようという責任感も、野党の言い分も呑んでやろうという度量も全く感じさせることもなく、非難の応酬に終始する形になってしまった。

世間の非難に耳をふさいで、懸命に担ぎ出した看板がこれまたひどかった。無責任安倍、無気力福田と来て、ついに無教養・傲岸麻生という「真打ち」が登場するに至って、国民の不信は極まった。それを払拭しようとするどころか、解散直前まで内輪もめの醜態をさらし続け、いざ選挙戦になったら「責任」「安心」「実績」を臆面もなく主張し、あとはヒステリックに民主党を非難するだけ。そしてついに当然の結末を迎えたのである。

どうやら自民党の面々は最後まで、本当に自分達が選挙に負け、政権を失うという危機感を抱いていなかったとしか思えない。結局は国民が頼るべきは俺達、民主党なんかに政権を委ねる選択なんてするわけがないと、タカをくくっていたフシがある。そうでなければ、あんな出鱈目を続けられるはずもなく、もし危機感を抱いていたのだとしても、それに対する適切な対処が出来るだけの人材が、もはや自民党にはいなかったのだということになのだろう。

かくして歴史的惨敗を喫した自由民主党。しかし、彼らもいつまでも呆然としているわけにはいかない。鳩山民社国連立内閣は間もなく発足する。自分達のこれまでのやり方をことごとく否定しようとしている鳩山内閣に対して、長年日本の政治を司って来た政党としての名誉と誇りにかけて、例え数では及ばないにしても、敢然と立ち向かわなくてはならないのである。しかし、その前途は多難としか言い様がない。

その戦いにリーダーとして、最前線に立たねばならない新総裁を決めるのが、既におぼつかない。だから大事な首班指名選挙で「若林」などというみっともない投票をしなくてはならないのであるが、労多くて益少ない野党総裁を進んで引き受けようなどという奇特な人はなかなかいないらしく、今のところその意思を見せているのは、石破茂農水相と加藤紘一くらい。大本命と目された舛添要一は早々に撤退、他の総裁選出馬経験者やいわゆる派閥領袖の間からも出馬の声は上がらず、若手と称される人々からも今のところ、威勢のいい声は聞こえて来ない。実は、野党自民党を率いるに、もっとも適任と思われる方が、もうすぐ辞めなくてはならない立場にあるというのも皮肉なものである。

だいたい舛添は先の選挙で東京ブロックから比例出馬を打診されながら、けんもほろろに断っている。応援には随分駆けまわっていたらしいが、所詮は局外者の立場を崩さなかった。同じ候補者として、厳しい選挙戦を共に戦ったなら、まだ党内の支持も盛り上がったとは思うが、それをしなかったことで、既に野党に転落した自民党に見切りを付け、2年後の東京都知事選狙いとの噂もある。また1度は意欲を見せながら、森喜朗、青木幹雄と会談した直後、なにを言われたかは知らないが、慌てて出馬辞退を表明したという情報もある。ここ3代、あまりにもお粗末な首相が続いたことで、やや記憶が薄れつつあるが、その在任中の言動は決して彼らに「ひけをとることはなかった」森と参院自民党のドンと言われながら、小泉と組んで党の支持組織を破壊し、今日の惨状を作り上げた張本人とも言うべき青木が、なぜにいまだに、隠然たる力を持ち続けているのか、筆者には全く理解できない。この期に及んで、尚もキングメーカー面した彼らの暗躍を許すようなら、まぁこの党に明日はありませんな。

いずれにしても、総裁選には党所属の国会議員しか出られない以上、今更画期的な人材が浮上してくる望みは全くない。この際、推薦人20人集めなきゃ出られないなんて、アホなことは言わないで、とにかく出たい人は全部出る、それで喧々諤々の議論を徹底的にやればいい。いまや野党となった自民党の総裁が決まるのが多少時間がかかったって、あなた方がよく気にされる「政治の空白」なんて起こりませんから、どうぞご安心を(笑)。

前途多難であることは間違いない、ここまで負けては党の再建は難しいとの弱気な声も聞かれる。かくゆう筆者も「自民党はどこに行く?」などと大層なタイトルをつけてはいるが、実は「自民党はどこにも行かない」と思っている、行きようがないじゃないか。

前回、つまり94年の細川連立政権が出来、野党に転落した直後の自民党は情けなかった。与党恋しさに、党を逃げ出す輩が続出、あと1年も連立内閣が続いていたら、あの時点で自民党は終わっていただろう。しかし、今回はそんなことは起こり得ない。あの時は小選挙区制度の導入が決まっていたとはいえ、中選挙区の時代であり、党の間をうろついて、うまく立ち回ることが出来た。しかし、既に小選挙区制での選挙も5回を数え、各選挙区に2大政党の候補がほぼ立ち尽くしている。まして今回、民主党は比例復活者も含めてほとんど選挙区で立候補した面々は当選して議員になっている。そんなところへ僕を入れてくださいなんて、のこのこ行ったところで相手にされるわけがないのである。前回そして、今回とあまりにも大きな選挙結果のブレが起き、小選挙区への批判がくすぶっているが、問題のない制度などない。ようやく、2大政党制が定着しつつある我が国ではあるが、それは明らかにこの制度に拠っているのである。破廉恥な議員の右往左往や合従連衡をガードしているこの制度を導入したメリットは、今はデメリットを遥かに上回っていると筆者は評価している。

そうだ、思い出してみればいい。前回の総選挙はほぼ、これと正反対の結果が出て、自民党が大勝したのである。あれからまだ4年しか経っていないのである。悲観する必要がどこにある、居場所がなくなるなんて有り得ない。自民党の存在価値がなくなるなんて有り得ない。泣きごとを言うのは、あまりに早すぎる、あなた方を追い落とすのに、反対勢力はなんと約60年の月日を必要としたのだ。例え、野党生活が5年や10年、続いたとしたって、そんなのに音を上げるなんて甘過ぎる。

自称「先天性自民党不信論者」の筆者とて、自由民主党が日本の繁栄の為に、果たして来た役割を否定できるものではない。しかし、自民党はあまりに変わらな過ぎた、過去の自己の実績と経験にあぐらをかき、自分にとって代わる政党など現れるはずがないと安心しきって来た。しかし、根拠のない自信はついに、幻想として打ち破られた。政治家となった以上、野党になりたいと思う人はほとんどいないはずだ。まして、自民党に入党したということは、自民党が与党であるという前提で身を投じているのだろうから、この事態は全くもって不本意に違いない。しかし、ここから逃げ出す道はたぶんない、ない以上は現状を変えて、自己改革して出直すしかない。そう腹をくくって、鳩山内閣に立ち向かっていく以外に道はない。

今回の民主党の大勝は自民党の自滅が、その大きな要因であったことは間違いない。そして、いつの日か自民党の巻き返しが実現した時、その主要素が「民主党の自滅」であったとしたら、こんな国民にとって不幸はない。そう易々と反撃をくらう民主党であっても困るが、このまま自民党がいくじなく引っ込んでしまっても困るのだ。筆者は「民主党支持者」では断じてない、「政権交代実現可能な政治制度」の支持者なのだ。それが、現状2大政党制なのだとしたら、片方の党の衰退のみを期待することはできない。まずは総裁選がどういう経緯をたどって行くのか、注目である。

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2009年9月 8日 (火)

自民党はどこに行く?

そのニュースを聞いた時は思わず耳を疑ってしまった。

「自民党、新総裁選出が間に合わず、16日の特別国会での首班指名選挙で麻生現総裁に投票」

ギャグにしては相当センスが悪いなと思ったら、どうやら本気だったらしい。あまりの惨敗についに頭に来たのかと、唖然として眺めていたら、さすがにあまりにみっともないということに気づいた連中がいたらしく、総務会では反対が相次ぎ、それでも一旦は執行部は押し切ったものの、結局はこの件が沙汰やみになったのは、自民党の為には大変喜ばしいことではあった。

が、事はそれでは終わらない。じゃあ誰に投票するのだ、という問題が残る。幹事長説が麻生に投票するのとなにが違うんだと一蹴されてしまうと後は百家争鳴と言えば、まだ聞こえがいいが、要は誰にも妙案はなく、加藤紘一の総裁選挙管理委員長案という奇説が鼻で笑われるに至って、ついに出た結論が「白紙投票」・・・。いやはや前途は多難である。

それにしても自民党支持者や苦杯をなめた多くの自民党衆院選候補者達がやりきれなかっただろうと思うのは、自分達をここまでの苦境に陥れた張本人とも言える連中が、結局は続々と生き延びてしまったことではないか。「一将なって万骨枯る」という言葉を地で行くような結末であった。

麻生太郎は選挙後の会見やインタビューで今回の歴史的惨敗について

「積年の自民党に対する不満を払拭することができなかった。」

と繰り返した。そこにはこれは俺だけのせいじゃねぇよ、という麻生の自己弁護が思いが多分に含まれてはいるのだが、しかしそれは全くその通りである。

麻生の言う「積年」がどのくらい前からのことを指しているかは定かではないが、少なくとも4年前の郵政選挙での大勝以降、自民党は公明党と組んで、特に参院選で敗北してからこの2年の間、大袈裟でなく「神をも恐れぬ所業」を繰り返して来た。今日の事態を迎えたのは、全く持って自民党自らが招いたものであり、そこには一片の同情を寄せる余地もない。

4年前、小泉純一郎のワンフレーズに酔って、踊った有権者にも問題はあったのだが、その大勝を背景に小泉がやったことは、先に廃案となった郵政民営化4法案の復活、可決だけであり、それが選挙後1ヵ月でほぽ片が付くと、あとは腑抜けのようになって1年を過ごし、自民党総裁の任期切れを理由に退陣して行った。

それはそれで、潔い去り方と言えなくはなかったが、あれだけの国民の支持を得ながら、早々に政権の座を去るというのは、無責任とも言えた。そして、重大なのは小泉の成功を実感した自民党は

「総裁には『選挙の顔』となるべき、すなわち国民の人気の高い人物を担ぐに限る。」

という大きな錯誤を抱くこととなった。ポスト小泉の総裁レースが、早々に安倍晋三の独走となったのは、ひとえに安倍の人気にすがって、いや利用して次の選挙も楽々と勝ち抜けたいという議員のさもしい根性の賜物に他ならない。そこにはその人物の首相としての適性や資質など、全く議論の対象にもならなかった。

人気と実力は決してイコールではない。若さへの期待が、やがて実力と修練不足の馬脚を現し、失望に変わっていくのに、さほど時間は要さなかった。選挙の顔として擁立されたはずの安倍の言動が明らかなマイナス要素になって、敗退した07年夏の参院選以降の自民党は、あたかもブレーキの壊れた暴走機関車の様相を呈した。

すべての始まりは、安倍の厚顔無恥な居座りにあった。その居座りを自民党の多くが容認した。それだけならまだしも、その居座りを強行した当の本人が、わずか1ヵ月余りで理由にもならない理由をあげて、政権を放り出したのである。そしてそんな人物が今年に入って、恥ずかしげもなく「勝手に復権し」、いや勝手にそう思い込み、麻生のアドバイザー面して、また永田町を闊歩し始めた。どの面下げて、国民はそう思ったし、また自民党の議員の多くもそう感じたはずだと思うのだが、しかしそんな安倍に対して諫言を行う人物すらついに現れなかった。

にも関わらず、安倍その人は、全国的自民党大敗の中、悠々と当選を果たした。後を襲って、これまた自民不信に拍車をかけただけに終わった福田康夫も、彼らを総裁そして首相に送り込んで、キングメーカー面して自民党を牛耳っていた森喜朗も民主党女性候補の猛追をかわして当選した。苦戦を伝えられた古賀誠も生き残り、小選挙区では落選した他の何人かの「派閥領袖」達も、結局は比例で復活してしまった。

「手痛い敗北を喫した軍隊でも、結果、無能な将軍共が一掃され、有為な若手によって再建されることは多々ある。」

選挙戦中、自民党苦戦の評にこう述べていたのは軍事評論家の田岡俊次氏だが、皮肉にも一掃されたのは「有為な(?)若手」の方であり、「無能な将軍」達は尚、全く懲りることなく、自民党の「再建」に奔走すべく意欲満々の様子である。まさに「最悪のシナリオ」と言ったところではないか。

というところで、続きはまた改めて。

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2009年9月 7日 (月)

ミスター幹事長?・・・

三木武吉という大正から昭和20年代にかけて活躍した政治家がいた。敗れたりとは言え、絶大な権力を誇った東条内閣に敢然と立ち向かった、硬骨の言論人であったが、彼の真骨頂はむしろ戦後、鳩山一郎を擁して、ワンマンと称され政界に君臨していた吉田茂をついに引きずり下ろした一連の攻防に発揮された。そしてなによりも、特筆すべきは戦前から対立を続けた保守陣営の大同団結を成し遂げ、単一の強大な保守政党を立ち上げた事実上の立役者だったことである。そう、今の自由民主党の生みの親なのである。

その三木の政治家としての歩みには大きな特徴がある。多くの時間を野党、在野で過ごしたこともあるが、彼が政府の役職に就いたのは、その長い政治家人生の中で、大蔵参与官というポストを1年ほど務めただけで、あとは一貫して党の役職のみにその経歴が偏っていることである。根っからの黒子、裏方向きの政治家だったのだろう。

そんな三木の生き方を彷彿とさせる政治家が現代にもいる、小沢一郎である。元々自民党所属だった小沢は、ごく普通の自民党議員がたどる出世コースを歩み、科学技術政務次官、建設政務次官を務めたあと、85年に中曽根内閣で自治大臣・国家公安委員長として初入閣を果たしており、この点生涯大臣ポストに縁のなかった三木とは違うのだが、以来もう24年の長きに渡って、政府に入っていないというのは、「実力者」と称される政治家の歩みとしては異例である。逆に自民党を皮切りに渡り歩いた5つの政党のうち、なんと4つの政党で「幹事長」なるポストに就いている(新生党では「代表幹事」、また民主党では現在のところ「就任予定」だが)。これは間違いなくレコードであり、今後も破られることはまずないだろう。もっともそれが誇るべきものかどうかはまた別問題になるのだが・・・。

戦前の政友ー民生の対立を引きずり、更に吉田ー鳩山の角逐でその根が一層深まっていた保守2党を、丹念に説得してまとめ上げた三木に対して、小沢の歩みは全く逆。所属していた竹下派を分裂させたのを皮切りに、自民党を飛び出してからも、政党を作っては壊しを飽きもせず繰り返し、付いた異名が「壊し屋」。

政権可能な2大政党制を作るということは、確かに竹下派NO2の時代から言い続けてはいるが、とすると自民党を今日まで延命させる決定打となった自自連立(自民党と彼がかつて率いていた自由党との連立、これを先駆けとして自民党は更に公明党を与党に引き込むことに成功、以来いわゆる『自公政権』がつい先ごろまで日本の政界を牛耳っていたことは今更言うまでもない)とは一体なんだったのか?

小沢という政治家の存在が、国民から見て、なんとなく胡散臭く、またやりきれないのは、彼が一体何を目指しているのか、見えてこないことにある。93年に彼が自民党を離党した直後には、それなりの主義主張を述べ、それに対する喧々諤々の論議も巻き起こったものであるが、今日、その主張の多くを小沢は引っ込めた・・・とは言わないが、声高に主張することはなくなってしまった。

また、彼が意識的に政府に入ることを避けているように見えるのも、彼のイメージを悪くしていることは否めない。自民党離党以来、意に反して、多くの時間を野党生活に費やさざるを得なかった小沢だが、それでも細川内閣でも自自連立の時でも、小沢が望めば、内閣に入ることは容易だったはずだ。もっとも小沢にも言い分はあろう、自分が内閣に入れる状況ではなかったと。

そういう意味では、あの西松事件というのはかえすがえすも残念であった。あの事件が起こらなければ、今、首相になろうとしているのは間違いなく小沢だったはずだ。国政のトップに立った小沢が、何を語り、なにを為そうとするのか、それを見た時に初めて小沢一郎なる政治家の正体が白日の下にさらされたはずだった。小沢が民主党代表を辞した時、筆者は「さらば剛腕」なる文を書いて、小沢がもはや過去の政治家になったと記した。ところが、それはとんでもない浅はかな見方であり、小沢はどうやら尚も与党有数の実力者として、永田町を民主党を闊歩し続けていくようだ。しかし、「内閣総理大臣候補者」としての小沢はやはり、もう甦ることはない。

先月30日の開票速報番組で幹事長岡田克也を差し置いて、まずテレビに登場したのが小沢だったことに筆者は正直驚いた。選挙対策担当の代表代行だからということらしかったが、代表として戦った2年前の参院選後の開票番組にも登場しなかった男が、どういう風の吹きまわしかと思ったが、インタビュアーの問いに、実も蓋もないような返答を繰り返し、一体なにをしに出てきたのか首をひねらされたまま、すぐに姿を消してしまったのには、苦笑いを禁じえなかった。

小沢の行くところには、常に摩擦が生じる。熱狂的な味方がいる一方、小沢は許せないとばかりに公然と敵視する勢力も枚挙にいとまがないくらいに存在する。味方からは絶大なる信頼、支持を受ける一方で、敵からは異常なほどに畏怖される。その存在感は他の追随を全く許さず、まもなく首相になる鳩山由紀夫ですら、遠く及ばない。

今回の政権交代、民主党圧勝の立役者は鳩山ではなく、小沢なのだという。前回の郵政選挙で国民の多くは小泉純一郎の言動に酔いしれ、自民党に票を入れた。「自民党が勝ったのではない、小泉が勝ったのだ」という評は全く的確であった。今回の選挙結果がそれをいみじくも証明することになった。が今回の民主党の大勝に鳩山の影響力を見る人は少ない。自民党ノーという民意を的確にとらえ、コツコツと候補者擁立に力を注ぎ、政権交代への風を漏らさず受け止めることを成功させた小沢こそが、立役者なのだという評はうなづけなくもない。

小沢はずっと繰り返してきた。

「政権交代の実現こそが、私の政治家としての悲願。」

そして政権交代は実現した。その新しい政権下で小沢はなにを目指し、そして自らはなにをしようとしているのか?

選挙直後、問われて

「政権交代は私の悲願だった。それが実現した以上、私の望むものは何もない。」

と答えながらも、少したつと鳩山が何も言ってこないと周囲に不満を漏らしたという。そして鳩山から幹事長就任を要請された小沢は、上機嫌で記者団の前に現れたそうだ。

小沢の幹事長就任が報道されるやいなや、自民党は浮足立った。敵が浮足立つのはまだいいのだが、マスコミには「小沢支配」の文字が踊り、民主党内までもがざわめき出した。

「小沢に党を乗っ取られる!」

そう叫んだ民主党議員がいたそうだ。いやはやと思わざるを得ないが、実は、小沢の自民党離党以来の行動で手痛い目にあった経験があるのは自民党ではなく、実は民主党内の方に多くいるというのは皮肉な事実ではある。

その筆頭が誰あろう鳩山由紀夫その人で、小沢が新生党代表幹事として、「与党代表者会議」なるのを事実上主宰して、政府を引きずりまわし、結果的に連立内閣を崩壊させてしまった時、内閣官房副長官として鳩山はその姿を苦々しく眺めていた。鳩山や菅直人ら当時の新党さきがけが、羽田内閣誕生の際に閣外に転じ、事実上連立から離脱してしまったのは、そうした小沢に対する嫌悪感からであった。

そして鳩山は小沢に幹事長就任を要請するに当たって、こう述べたと言う。

「政府のことに関しては私がやります。党務に関しては、幹事長にしっかりやっていただきたい。」

これに対して、小沢は了承すると共に、政策には口を出さないと明言したと伝えられる。細川、羽田政権下でのいわゆる「二重権力」体制の再現だけは、絶対に阻止するという鳩山の強い意志を感じるし、また「脱官僚」と表裏一体の「官邸主導、政治主導」体制は民主党新政権の1枚看板でもある。

それが、言葉通り行くのか、機能するのかということはとりあえず置こう。政策決定の場から外され、小沢は一体なにを目的に、そしてなにをして行こうというのだろう。党、国会の人事を行い、そして来月に迫った2つの補選を皮切りに、もう1年を切った次期参院選の勝利の為に骨を折っていくのだろうが、何のために、小沢はそれに邁進していくのだろうか。新しい政治を根付かせる為の下働きを買って出るというのだろうか、それとも参院選に勝って、単独で両院の多数を握った暁には、いよいよ腹案の実現に動き出すというのか・・・その意図を知る人はいるのだろうか?

岡田克也は著書でこう書いている。

「細川、羽田連立内閣を短命に終わらせた最大の要因は最大実力者であった小沢一郎さんが閣内に入らなかったことだ。」

菅直人は選挙戦のある時期まで、こう主張し続けていた。

「幹事長を含む党役員がすべて閣内に入らなければ、政治主導の体制はとれない。」

一方、鳩山由紀夫は一貫して幹事長は閣内に入らず、党務に専念させると言って来た。西松問題を抱え、入閣は難しいと見られる小沢の幹事長起用を念頭に置いた発言であったことは言うまでもない。

そして党内の不安とか細い反対の声を尻目に、小沢は念願の(恐らく)幹事長ポストに就くことになった。小沢の一挙手一投足にいちいち、すわっと過剰反応するのはどうかとは思う。しかし、突如として大連立に動き出すなど小沢の「高邁な政治哲学と行動」はあまりにも唐突で理解に苦しむことがあると国民にも、また多くの政治家にも映るだけに、その行き先や言動にはなはだしい不安を感じてしまうのも無理からぬところかもしれない。ただ小沢の顔色を伺いながらの政権運営では、先は知れている。まさかかつての過ちを鳩山が、そして小沢その人も繰り返すとは思いたくはないのだが・・・。

骨格が続々内定を伝えられる鳩山新体制。意外と誰も指摘しないのだが、注目は法相ポストではないだろうか。小沢の西松問題に、鳩山の献金問題を抱え、明らかに民主党に敵対しようとしている検察を統括する法相に誰を置くかは、なかなかデリケートでシビアな人選を強いられるのではないか。かつて田中角栄は自分の裁判を少しでも優位に運ぼうと、息のかかった政治家を続々と法相に送り込んで顰蹙を買ったが、鳩山にそこまでの度胸・・・いや破廉恥さはないだろう。仙谷由人、あるいは社民党の福島瑞穂党首あたりはいかがかと思うが、さて?

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2009年9月 2日 (水)

望むことはただ1つ、すべてをオープンに!!

8月30日の深夜に開票速報を見ながら、更新するつもりだったのだが、正直、あっけにとられたまま、テレビを見続けるだけに終わってしまった。そして今、パソコンの前に座って、書きたいことはたくさんあるはずなのに、なにから書いていいかわからない。未だに興奮状態から醒めていない自分がいるらしい。

昨年9月、早いものでもう1年前の話になるが、麻生太郎が颯爽と(?)と自民党総裁として登場し、衆院を解散する構えを見せた時、正直アホめと思った。いや2度の破廉恥な政権投げ出しを末に登場した麻生に解散先送りなど、許されないとは思っていたが、しかし自民党の立場で言えば、あの時点で解散するなど無謀としか思えなかった。自民党の支持率も、内閣の支持率も今にして思えば、夢のように高かった。それでもいざ選挙になれば、民主党の圧勝だったろう。それが小選挙区選挙の恐ろしさなのだ。それに気づいたのか、麻生は一転、選挙を引っ張りにかかった、時間を稼ぎ、敵失を待つ以外の方策がもはやなかったからである。民主党が、その無策の策をついに、打ち破ることができなかったにも関わらず、結局西松問題という絶好のチャンスもあたら見逃してしまった麻生と自民党は、時間に迫られ、とうとうやけっぱちとも言える解散に打って出るしかなくなってしまった。

それでも解散から投票日までたっぷりとった日程は、有権者の反自民の熱を冷ますのに十分な時間に思えた。天災、有名タレントの薬物騒動、そしてお盆・・・。郵政選挙一色の報道だった4年前とは打って変わって、テレビも静かなものだった。その上、選挙戦突入後、各マスコミに踊った民主圧勝、300超えの報道。有権者は政権交代に土壇場で躊躇し、投票率はせいぜい50%代半ば、民主は270まで取れれば上等というのが、筆者の見立てだった。ところが・・・投票率は前回をも上回り、事前予測通り、民主は文字通りの圧勝を果たした。自分だけが「憂国の士」とまでうぬぼれていたつもりはないが、筆者は少々思い上がっていたようである。

このブログを始めて約2年半、政権交代をすべきとバカの1つ覚えのように繰り返して来た。いや、それ以前からこの国の前途の為には、それしか道はないと、偉そうな言い方をすれば「信念」を持っていた。89年

「山が動いた。」

という名言を吐いた時の土井たか子の輝いた表情を筆者は忘れることができない。しかし、土井の至言は残念ながら幻だった。4年後、永久与党としか思えなかった自民党をなんとか引きずり下ろした時、ようやく新しい時代の扉が開かれたと思った。にも関わらず、引きずり下ろしたはずの側の滅びはあっけなかった。それからまた、15年の月日が流れた。

どう見ても、自由民主党という政党の役割も、賞味期限も終わっているとしか思えなかった。しかし、結党以来、実に半世紀以上に渡って、政権をほぼ独占し続ける自民党の牙城は堅固そのものだった。更にその自民党をなぜか誠実に下支えし続ける公明党、創価学会とのタッグはほとんど無敵にも見えた。これを打ち破る方法があるとしたら、それは投票率を上げて、学会の恐ろしく強固な組織票を効かなくする以外にないのだが、それにも有効な手段が見当たらなかった。お手上げ・・・としか思えない時が続いた。

そんな「敵」のほころびが見えたのは2年前、参院選で自公は大敗を喫し、過半数を失った。奇才小泉純一郎を擁して、わが世の春を謳歌したのもつかの間、その小泉が去ってみると、人材の払底は覆い隠すべくもなくなっていた。以降の迷走ぶりは今更繰り返すまでもない。

そして、ついに日本国民は事実上初めて、自らの手による政権交代を実現させた。今までは、首相が退陣しても、後継を選んできたのは与党の中枢に座る自民党であり、その都合、お家事情がすべてに優先されていた。しかし、今回、一政党のそんな勝手な思惑は全く入り込む余地もなく

「あんたはクビ、代わってこの人。」

と国民が明確に意思表示をしたのだ。随分遠回りだったが、こうして2009年8月30日という日は、日本の歴史に間違いなく刻まれる日となった。

今日を迎えられた最大の要因が、1994年に導入された小選挙区制度にあることはまず、疑う余地はない。この制度に引きずられて、ようやく日本は2大政党制、すなわち政権交代可能な政治制度にたどりつくことができた。今まで、一方的に与党である自民党に集中してきた人材が、この制度によって分散せざるを得ない状況となった。民主党というとにもかくにも、自民党にとって替われそうな政党を15年かけてようやっと育て上げたのが、この小選挙区制度だったのである。そして、極めて大雑把に言えば、今の民主党にはかつて、政治改革の名の下にこの制度導入を推進した勢力が拠り、自民党にはそれに反対した勢力が集っていた。「政治改革派」の悲願は15年の時を経て、ついに結実したとも言える。

来る16日には国会の首班指名選挙を経て、鳩山由紀夫が内閣総理大臣に指名され、恐らく社民、国民新両党との連立による民主党政権が誕生することになる。現憲法下において、全く閣僚経験のないままに、首相の座に就くのは戦後間もない片山哲を除いても、細川護熙、村山富市に続く3人目、経験不足は否めないし、片山を含めてすべて連立内閣の首班、全員お世辞にも長期政権だったとは言い難い。

正直言って、鳩山が首相になるなんてほんの数ヶ月まで、考えてみたこともなかった。「リーダー」というなら、小沢一郎や菅直人の方が、遥かにリーダーシップを感じさせるし、政策能力という面なら岡田克也の足元にも及ぶまい。かつて安倍晋三や福田康夫にも投げかけた言葉だか、彼がもし鳩山一族の4代目でなかったら、果たして宰相の印綬を帯びることができただろうか?

だが、鳩山には彼らにはない勲章がある。それは今のままでは、日本の政治はどうしようもないと、2大政党制を志し、その実現の為に、敢然と野党にその身を投じたことである、それも2度までだ。これも前に書いたことがあるが、鳩山はあのまま自民党に留まっていれば、麻生や安倍のような道を歩み得た存在であった。にも関わらず、それを振り捨てて、困難な道を選択した政治家としての勇気と愚直さには素直に感服するしかない。鳩山の決断がなければ、今日の事態が来るのはもっともっと先になっていた可能性は極めて高い。

その勇気と決断を今度は、内閣総理大臣として是非見せてもらいたい。残念ながら、鳩山政権の前途は決して揚々たるものではないだろう。いささか大風呂敷を広げ過ぎた感のあるマニュフェスト、そして自身の「故人献金」に端を発した政治資金不正疑惑というアキレス腱も抱えている。自民党が解散を引っ張りに引っ張った結果、次の参院選までもう10ヵ月しかなくなってしまった。そこまでにある程度の目に見える成果を上げなくてはという焦りもあるだろう。

やっと手に入れた政権、当然抱負も使命感もあるはずだ。しかし、欲張っても時間には限りがある。とりあえず、鳩山民主党政権の為すべきことは1つしかない。それはタイトルにも書いたように

「すべてものをオープンにする。」

それしかないと思う。長年政権を独占し続けた自民党内閣の下で、一体どんな政治が、政権運営が行われて来たのか、それをいわゆる国家機密と言われる事項以外は悪いことも、いいことも、すべて国民の前にオープンにして開示する。税金の使い方しかり、政策決定のプロセスしかり、そして外交交渉しかりである。それなくして、政権交代を実現し、自民党を与党から放逐した意味などないと言って、全く差し支えないないだろう。無論、そこには反対も抵抗もあるだろうし、開示するには勇気のいることもあるだろう。それでもあれだけの国民の支持を受けて、発足する政権なのである。是非、前を向いて、進んで行ってもらいたい。鳩山新首相並びに民主党政権の「勇気」と「愚直さ」に期待したい。

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2009年8月 6日 (木)

おいおい、ホントにこんなんで、だいじょぶなのかい?

首相在任中に倒れ、結局そのまま還らぬ人となった小渕恵三はこんな言葉を残している。

「なんたって龍ちゃんは4日で政権を失ったからな。」

龍ちゃんとは、小渕の首相としての前任者で、やはり先年、故人となった橋本龍太郎のこと。小渕と橋本は同年生まれで衆院初当選も同期、佐藤栄作派から田中角栄派ー竹下登派とずっと同じ道を歩み続けて来た。

1996年、初めて行われた小選挙区比例代表並立制での総選挙で、野党陣営のまぬけな選挙戦略にも助けられ、堅調に勝利を収めた橋本龍太郎内閣は、いよいよ長期政権への道を歩み始めたかに見えた。直後に召集される特別国会では首班指名に先立ち、院の正副議長が選出されるのだが、ここで土井たか子の後任衆院議長に小渕が擬せられ、小渕本人もその気になったとされる。既に党幹事長、副総裁を務め、格付けこそ首相と同格だが、実態は一丁上がりの名誉職である議長の座に就くことは、もはや過去の政治家という烙印を押されるに等しい。同派閥の橋本の長期政権の後を自分が継ぐことは、かなりむずかしいと踏んだ小渕の決断に待ったをかけたのは他ならぬ橋本だった。

「恵ちゃん、あまり短気は起こさん方がいい。もし俺に何かあったら、一体誰が後を継ぐんだい。」

こうして小渕は土壇場で踏みとどまり、議長の椅子は山中貞則元通産相も辞退し、伊藤宗一郎元科技庁長官に回ることになったのだが、それから2年後、参院選で橋本自民党は敗退、橋本は退陣を余儀なくされ、後任に収まったのは結局、小渕だった。橋本の「慧眼」を称えるべきなのかはよくわからないが、選挙前は楽勝を伝えられた自民党が一転、時の首相が辞任に追い込まれる程の大敗を喫したのは、土壇場での橋本首相や閣僚の恒久減税に関する発言の迷走であった。小渕が「4日」と言ったのは、そのくらい劇的な形勢逆転だったということなのである。

そして今、あの共産党から

「この総選挙後には、民主党を中心とした政権が誕生する可能性が極めて高い。」

という御宣託が出るなど、世の流れは政権交代、鳩山民主党政権誕生に向けてとうとうと流れているやに見える。夕刊紙、週刊誌の類はもともとセンセーショナルな報道を売りにしている輩ではあるが、連日自民党の苦戦、獲得予想議席数では民主が300超なんて記事が乱舞している。かくゆう筆者も、もし解散当日の7月21日に投開票があれば、4年前の郵政選挙とは全く逆の目が出るくらいの結果になったと思っているし、あとは40日の間に、民主がいかに取りこぼしを少なくするか、逆に言えば自民がどれだけ巻き返せるかの勝負に過ぎないとは見ている。しかし、しかしなのである・・・。

解散から随分時が経ったように思うのだが、現実には選挙公示日までまだ2週間もあるのである。あまりに長過ぎる前哨戦、何度も書いたが、ここに自民党はすべてを賭けている。もはや逆転の秘策などはあろうはずはなく、後はひたすらに民主党の失策を、鳩山が10年前に橋龍が演じた迷走の二の舞を踏んでくれることを祈り続けているのである。

それにしても、民主主義を標榜しながらも、野党にここまで高いハードルを用意する国家はたぶんまれだろう。ある外国人学者の言葉を借りれば

「完全に準備の出来た野党など、存在し得ない。」

というのが当たり前のはずなのに、政権を失うまいと必死の与党はまだしも、マスコミひいては国民までもが、完璧な政権担当能力と実施する政策の開示を厳しく野党に求めるというのは、はっきり言ってナンセンスの極みである。これまで懸命に政権交代から逃げ続けて来た我が国民、そしてお上に弱いとされる我が国民性の面目躍如としか思えない。

誤解を恐れずに言えば、野党のマニュフェストなど所詮は絵に描いた餅に過ぎない。現実を知らず、また知りえないのが野党なのである。夢みたいなことを語るのは、いわば野党の「特権」であり、また間違ったことを言っても、すべての真実を把握し得ないのだから、仕方ないのである。開き直りと言われても、それが本当のところであろう。

問題は、にも関わらずそういう風潮に圧され、民主党があたふたと浮足立っていることだ。もともとカッコよく政権交代をしたいという見栄の強すぎる政党ではあったが、そんな「ええかっこしい」精神の発揮ならまだしも、ボロを出すまいと、あちらで批判の声が上がれば、慌てふためき、こちらで火の手が上がれば、すわとばかりに消しに飛んでいく姿はあまりに情けない。だいたい、大仰に記者会見で発表しておきながら、舌の根も乾かぬうちに代表自らが

「あれは正式なマニュフェストではない。」

などとのたまうというのは、どういう神経をしているのだろう。麻生のことを随分ぶれた、ぶれたとバカにしていたが、これではとても人のことを言えた義理ではないだろう。

鳩山由紀夫という人は、もともと口が軽く、失言も多い政治家である。前回、彼が代表だった時の2000年の総選挙の時も随分やらかしてくれたが、その時はたまたま相手が、その道なら絶対に負けられないという自負をお持ちだった(?)森喜朗だったことでまだ救われた面があった。今回の相手も、その点やはり「期待」できる人ではあるが、もし付き合ってくれないとすると、困ったことになりかねない。

民主党は根本的に勘違いをしている。民主党はあくまで野党、つまりは「チャレンジャー」なのである。今のまま、なんとか逃げ切って政権にありつこうなんていう姿勢はおこがましすぎる。すべてに大風呂敷を広げ、八方美人と化すことは、最終的に自分達の首を絞めるだけである。だいたい、なんだか知らないが偉そうにいろいろと各党のマニュフェストを論評している地方首長の連中なんていうのは何様のつもりなのだろう。要はあいつらの言ってることはもっと金をよこせと言っているだけのこと、都市部の金をいただく立場なのに、あんなに威張っているのは何故なのか、全く理解に苦しむ。そんな連中の言に右往左往している有様はあまりに見苦しい。だまっとれ、ガタガタ抜かすなら俺達が政権獲っても一銭もやらんぞと一喝してやればいい。もっともそんなことをホントに言ったら大問題になるだろうけどね(笑)。

まぁそれはともかく、野党のマニフェスト、それは本来

「これだけは絶対やります。」

ということを訴えるべきはずなのである。今回で言えば、政治を官僚主導から政治主導に切り替えるというこの一点で本来なら十分かもしれない。だが、それ以上に今回は

「ストップザ自民党、自公政権。」

こそが訴えるべき最大の公約である。長妻昭は言った。

「我々が政権を獲ったら、各省庁の金庫をすべてひっくり返して、すべて精査したい。是非それをやらせて欲しい。」

ここがすべての出発点である。この国を財政的、ひいては道徳的に立て直す為の第一歩、それは今現実に、国民の税金がどのように使われているか、そしてその結果、我が国の財政は本当にどういう状況になっているかを白日の下にさらすことである。それは現政権が続く限り、永遠に不可能なことである。もちろん、政権交代しても不可能なのかもしれないが、しかし可能性は今より確実に出てくる。そして、使い方を改めるべきところは改め、そしてそれでも足りない時には、やむを得ず増税する。その道筋をつけるのは、今の手あかのつき切った自民党政権ではこれまた絶対に不可能であろう。

そしてもう1つ、それは

「失政をした内閣・政党は政権を失う。」

という当たり前のシステムをなんとしても日本の政治に根付かせる、今回はその最大のチャンスなのである。

民主党の責任は重大なのである。大袈裟でなく、日本のこれからの命運がかかっているのが今回の選挙なのである。にも関わらず、もし今回、この期に及んで、政権交代を逸する、もしくは「政界再編」などという破廉恥な陰謀を企む輩の跋扈を許すような結末を許した時には、民主党の責任は万死に値する。増税も、政界再編もいずれは必要だろう、しかし今は絶対に順番が違う、まず為すべきは54年もの長きに渡った自民党政権の総括であり、それなしに我が国は次のステップに進むことは絶対に出来ない。それをうやむやにして「先に進む」とすれば、すべてがうやむやとなり、誰も責任をとらず、また問われない「無責任体制」の維持であり、その先に待っているのはもはや・・・。

来る8月30日は日本という国の命運を決する日、筆者はそう公言して憚らない。

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2009年7月16日 (木)

あまりに、往生際が悪すぎる

試合は大敗を喫したようだが、神宮での対ヤクルト戦。ニッポン放送から懐かしい声が流れて来た。深沢弘アナ、おん年73歳、かつての同局野球実況の大エースである。筆者の子供の頃、印象としてはニッポン放送の実況は毎日この人がやっていたような気がする。その重厚な声、メリハリの利いた実況は子供心にほれぼれさせられた。この人の実況に憧れて、筆者は一時期、将来ニッポン放送に入って、実況アナウンサーになることを本気で夢見ていた。

かつ舌は多少、衰えた感があっても、しかしまぁほとんど現役時代にひけをとらないその実況ぶりは、「さすが名人」というしかなかった。相棒の解説者、関根潤三翁は齢80を過ぎて、尚も現役。こちらも全くかつてと変わらない独特の語り口は、往年の名コンビ健在と感動させられた。ニッポン放送55周年の記念企画だそうだが、もったいなぁ。是非これを機に、また実況席にたびたび座って欲しいものである。

前稿で自信満々に「一本道」と断言したら、恥ずかしながら、一夜にして覆されてしまった。まさかの麻生首相による異例の「解散宣言」、次週21日火曜に解散、来月30日に投開票だそうである。昨日は野党が提出した内閣不信任案が衆院で否決、問責決議案が参院で可決され、野党は以降の国会審議を完全にボイコット。儀式も終わり、いよいよ解散に向けてまっしぐら、かと思われたのだが・・・。

13日以降の自民党は大混乱に陥るというのは、予想されてはいた。その機先を制する為に、麻生は解散宣言をしたのだが、党内の混乱は一向に収まる様子がない。1955年の結党以来、ほんの一時期を除いて、54年間に渡ってこの国の政治を与党として担い続けて来た自由民主党。しかし、その終焉が近づきつつあるように見える今、彼らの断末魔とも見える言動の見苦しさは、敵ながらあまりにも情けない。

今日の自民党の不評のすべてとは言わないが、かなりの部分が、「自由民主党総裁=内閣総理大臣・麻生太郎」に因るものであることはもはや否定はできまい。昨年九月の就任以来、その言動はぶれにぶれ、迷走に迷走を重ねた。そもそも、当時の小沢民主党に一大決戦を挑むべく、自信満々に登場した麻生が、結局初志貫徹できないまま、解散を先送りしたことがもうすべてのボタンの掛け違いの始まりだったのである。今では信じられないことだが、発足当時麻生内閣の支持率は「40%もあった」のである。ところが、内閣発足直後のご祝儀相場を期待していた麻生はこの数字を「意外にはねなかった」と見て、ビビッてしまい、直後に起こったリーマンショックに端を発した世界不況への対策を「奇化として」総選挙から逃げ出してしまったのだ。もともと内閣発足、すぐ解散という方針のもとにすべての戦略、人事を組み立てていたのに、肝心の解散を先送りにした結果、全く辻褄が合わなくなり、それを国民に見透かされ、その時点で早くも信頼を失ってしまう羽目となってしまったのである。

それでも尚、神は麻生を見捨てなかった、いや検察という「切り札」があったと言うべきか。一夜にして小沢民主党は苦境に陥り

「みんなで南無阿弥陀仏を唱えて行くんですな。」

とある議員が捨て鉢に語るまでの状況に追い込まれた。しかし、にも関わらず、ここでも格好つけた麻生は解散に踏み切らなかった。

「今は政局より政策、百年に一度の経済危機に対する手当てが最優先。」

という解散に対する逃げ口上が、結局自分に跳ね返って、好機に身動きがとれなかったとも見える、かくして、絶好の反撃機はあたら過ぎ去ってしまった。あとは坂道を転げ落ちるがごとく・・・と言うしかない。麻生がなぜ、これほどまでに自らの手による解散にこだわるのか、どこに光明を見出しているのか、筆者には全く理解できない。しかし、解散権は間違いなく、今は麻生その人の手にあり、麻生が解散すると言ったら、今の憲法の下においては、何人もそれを阻止することはできない、はずなのであるが・・・。

戦後、現憲法下において、解散権を行使しようとして、ついに果たせなかった首相が2人いる。三木武夫と海部俊樹、奇しくもこの両名は師弟関係にある。もう1人、三木の後任だった福田赳夫も機をうかがっていたが、結局果たせず、逆に解散権の行使からひたすら逃げ回り、ついに内閣を放り出したのが赳夫の息子の福田康夫である。三木は党内の「三木おろし」に対抗すべく、解散に打って出ようとした。だが、20人の閣僚のうち、三木の方針を支持するのはわずかに5人、いったんは15閣僚を罷免して、強行突破の腹をくくったはずの三木だったが、土壇場で逡巡、結局は12月の任期満了選挙に追い込まれ、退陣した。のちに「自民党の一番暑い1日」と言われ、「党分裂の深淵をのぞいた」とも言われたこの時、三木が決断していたら、この時点で自民党は分裂、その後の政治の流れは間違いなく変わっていただろう。

「私は独裁者ではない。」

のちに三木は、言い訳のようにこう述懐したそうだ。筆者は三木という政治家を尊敬しているが、このことと片山、芦田内閣のたらい回しを推進したという2点については納得できないでいる。

三木や海部を反面教師にしたと言われるのが小泉純一郎で、無謀とも思われた郵政解散に踏み切ろうとした時、閣内にはイエスマンばかりを揃えてあった。それでも、4人の閣僚が当初反対(その1人に当時総務相だった現首相麻生もいた)を表明、小泉はその一人一人を個別に説得、ただ一人ノーを貫いた島村宜伸農水相の置いて行った辞表を突き返して、罷免して解散に突入、くだんの大勝利を収めた。

そして麻生は都議選翌日の13日に解散を断行しようとするも、周囲の反対で果たせず、代わりに解散予告をして、またも1週間先延ばしにした。それでも解散を宣言したことで、「麻生降ろし」に手ぐすね引いていた連中の機先を制することに、成功したかに見えた。

先延ばしにした最大の理由も、もはや聞き飽きた「公明党への配慮」。まぁ確かに都議選でのあの手堅い学会票を見れば、公明、学会のご機嫌をとりたくもなるのだろうが、「またしても所信を貫徹できなかった姿」を国民の前にさらし、また反麻生の連中に反撃の時間を与えてしまったことが、事態をいよいよ迷走させることになった。

14日の午前中にまず、飛び出したのが「古賀誠選挙対策委員長の辞意表明」。麻生の前任、福田康夫に自ら売り込み、党三役並みに格上げまでしてもらって就いたポジションを、いよいよ本番という時に、投げ出してしまったのだから、党内も国民も唖然の一言。永田町では「策士」で通る古賀だけに、真意をいろいろ憶測する向きもあるが、はっきり言って、この人の仕掛けが効を奏したのをあまり見た記憶がない。特に師とも後見人とも言われた野中広務が引退してからは、その傾向が顕著であり、結局のところ、小沢一郎同様、買い被られ過ぎというのが本当のところではないだろうか。尾辻秀久参院議員会長も辞意を漏らしたとも伝えられているが、この人に至っては、一応、一連の地方選敗退の責任を理由にしている古賀とも違って、なぜ今そんなことを言い出すのか、全く理解できず、要は党執行部にいるのが嫌になって、逃げ出しそうとしているという以外の思惑は感じられない。

こうして総裁以下執行部の威信はますます低下、もはや一種の無政府状態に陥り、反麻生陣営は、残された時間に最後の希望を託してクーデターに出ようとしている。都議選前からくすぶっていた「両院議員総会開催による党則の改正=総裁選の前倒し」である。都議選を始めとした地方選連敗の総括もせずに、解散になだれ込むとはなんたることという一応、理にかなっていそうな理屈で署名を集め、執行部に開催を迫っている。党則によると、党所属国会議員の1/3以上の要求で開催ができるそうで、このハードルは高くない。なにしろ、何度も書くが、とにかく彼らは生き残りに必死なのである。自民党がどうなろうと関係ない、まして麻生と心中する気などさらさらない、その為にはどんなことだってするのである。筆者が一本道と書いたのは、結局そんな彼らを抑えることなど絶対に誰にもできないと思ったからだ。

言っておくが、だからといって彼らの行動を筆者が支持し、または同情しているということでは全くない。ただ、どんなに止めようと、非難しようとそれは全くの無駄であると諦めているだけである。

火曜日、野党が提出した内閣不信任案を自公連立与党は「一致結束して」否決した。つまり、繰り返すが、近々国民の審判を受けることになる自民党の衆院議員は全員、麻生内閣を「信任した」のである。にも関わらず、その舌の根も乾かぬうちに、「麻生降ろし」とやらに奔走する輩がいる。そこを突っ込まれて

「首相と総裁は別ですから。」

とのたまった佐藤ゆかりなるバカ議員の言葉は、ここに大書しておきたい。この程度の奴を議員に押し上げた前回の郵政選挙の罪は、後世まで語り継ぐ必要がある。

議員総会でのクーデターが実り、総裁選が前倒しされることになったとしても、これも繰り返しになるが内閣総理大臣たる麻生の地位は変わらない。そして「しゃらくさい」とばかりに麻生が、そのまま解散に打って出たらどうするつもりなのだろう。それこそ渡りに船とばかりに、「反麻生」を旗印に分裂選挙を戦うつもりなのか、それともそんな暴挙が許されるはずがないとでも言うのか、クーデターと暴挙、どっちもどっちという気がするが。

その暴挙を防ぐ手段がなくもない。閣僚に造反させ、解散詔書への署名を拒否させるのである。現に与謝野馨や石破茂あたりが不穏な動きを見せているやにも聞く。しかし、いざという時、公明党出身の斎藤鉄夫環境相を唯一の例外として、麻生が首を切るのに、躊躇する閣僚がいるだろうか。あくまで理論上ではあるが、麻生が全閣僚を兼務して、解散を打つことだって可能であり、かつて海部が、閣僚の造反に合い、総辞職を選択した時に

「なんで海部さんはやらないんだ?反対する閣僚を全部罷免してやればいいんだよ。」

と周囲にもらしたと伝えられる麻生なのである。

いや、さすがにそこまで行けば無理筋と、麻生が恐れ入って退陣したとして、その後に彼らがどんなに立派な新総裁を選び出そうとしているかは知らないが、それで本当に今の流れを逆転できると信じているのだろうか?

今の自民党に対する逆風のかなりの原因を麻生その人が作り上げているのは事実だが、麻生1人の責任でないのも間違いない。国民は長年の、特に2007年夏の参院選以降の自民党の傲慢さ、破廉恥さ、不感症ぶりにほとほと嫌気が差しているのである。そこに来て、とどめを差すかのごとくのこのゴタゴタである。麻生がこのまま、なんとか押し切って21日(以降)に予定通り解散に打って出られたとしても、反麻生陣営の「麻生降ろし」が効を奏し、解散日程はこの期に及んでまたしても、いったん白紙、「めでたく」新総裁・首相誕生の上で改めてさぁ解散となったとしても、国民の自分達に対する不信感、嫌悪感を払拭できると信じているのであろうか?

細田博之は不信任案に対する反対討議で

「これは民主党による『鳩山疑惑献金隠し決議案』だ。」

となにやらボソボソと迫力なく言っていた。さらに昨日、なんとか「貨物検査特別措置法案」だけでも上げてくれと民主党に泣きついたが、一蹴され

「民主党は無責任だ、あんな政党に政権担当能力があるのか。」

とわめき散らしていたようだが、

「何言ってるんだ、あんた達、もともと月曜に解散するつもりだったんだろ。」

と冷笑されてジ・エンド。もはや、なにをやっても墓穴を掘っているだけである。

筆者はもはやこの流れは変わらない、いよいよ念願の政権交代が、目の前まで迫って来たと信じているが、しかし、しかしである。投開票日とされる8月30日までまだ「50日近くも」あるのである。まだなにがあるかわかったものではない、なにしろ相手はあの「ホップ・ステップ・肉離れ」をお家芸としている(!)民主党なのである。更には、投票するのは自民党に「お灸をすえる」ことまではやって来たが「鉄槌をくらわす」ことからは、ひたすら逃げ回って来た日本国民なのである。今度の衆院選挙はやっぱりその時、運の良かった政党が勝つのである。

しかし、今の自民党はその最後の、それは奇跡的なものかもしれないが、そのわずかな可能性すら、自らの手で捨て去ろうとしているとしか見えない。今の自民党の状況を見て、自民党に対する好感度が高まったり、信頼感が増す人がいるとしたら、その人は相当変わり者か、相当な民主党嫌いか、どちらかだろう。今や、自民党の面々には、今の自分達が、国民の目に、どんな風に映っているのか、そんなことすら、冷静に判断できる人物もいないのだろう。このままなら、民主党はただ、相手を嘲笑ったまま、易々と政権を手に入れられるだろう。

筆者は「正当なる政権交代」が今の日本の為にはどうしても必要だと思い、その為には、何度も裏切られながらも民主党という政党を応援して来た。その思いがついに結実する日が来る、それは本当に喜ばしい。そして、長年、政権、権力にあぐらをかき、日本の政治を停滞させて来た自由民主党なる政党がついに崩壊しようが、分裂しようが全くご勝手になさればいいと思う。だが、自民党にも戦後日本の繁栄を築きあげてきた矜持と王者としての誇りはないのか?いや、そんなカッコいいセリフを敵に投げ掛けられる余裕なんて、民主党には所詮はないんだけどね・・・。

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2009年7月13日 (月)

後は一本道・・・のはず

先週の土曜、所用で実家に泊まっていた筆者は張り切って周囲を「ねり走る」共産党都議候補に叩き起こされた。時計を見ると8時過ぎ、法律的に文句を言う筋合いはないのだが、もはや都民ではなく、部外者となった身としては迷惑そのものだった。まぁもっとも当事者の方は、とにかく必死であっただろうが。

その都議選が終わった。予想通りの民主の大勝、自民を44年ぶりに都議会第1党の座から追い落としただけでなく、中選挙区制度での選挙ながら自公を過半数割れに追い込むおまけつき。更に、都議選の影に隠れて全く注目されなかった奈良市長選も民主推薦候補が自民推薦の前衆院議員(元市長)を圧倒。全国で2番目に若い市長が誕生する運びとなり、全国的な民主躍進、自民退潮の流れはもはや、止められない勢いと見える。

前稿で、もはや一本道と書いた。それ以上のことを書かなかったのは、都議選の結果が出ていなく、迂闊なことを書くとこんな個人的ブログでも、選挙妨害を問われかねなかったからだが、いよいよ事態は大詰めを迎える。

報道によれば、麻生首相は尚も、自らの手による解散に意欲満々だそうだが、それは選挙の結果も出ないうちから、弱気なことは言えなかったろうし、また仮にも内閣総理大臣たるものが、都議選の結果で退陣に追い込まれるなどありうべきことではないというプライドもまぁ、お持ちであろう。しかし、このまま突っ張ったところで、もはやどうにもなるものではないことをまさか本当にわかっていないわけでもないだろうし、形勢挽回、大逆転への秘策を胸に秘めてるとも、到底思えない。逆にこの選挙結果を受け、自民党内の「反麻生」「麻生降ろし」の声は、止めどもなくなって行くだろう。

今日、民主党は衆院で麻生内閣不信任案を、参院で麻生内閣問責決議案をそれぞれ提出する方針と聞く。問責の方は可決確実、そのまま参院での審議は完全にストップする。問題は不信任案で、これも与野党の議席差を考えれば、難なく否決されるはずなのだが、この期に及んで麻生を「信任したい」と本気で考えている自民党議員が果たして何人いるかということだ。

と言って本会議で造反もできずに、しぶしぶ反対票を投じれば麻生内閣は衆院で信任されたことになり、反麻生の連中は麻生を降ろす口実を失う。今回の不信任案提出は麻生の手でなんとしても解散させる為に麻生の居座りにお墨付きを与えようという、野党側の「勝負手」なのだそうだ。不信任案は提出されれば、ただちに本会議に上程され、審議されなくてはならない最優先案件で、採決を引き延ばすことはできない。

不信任案を受けて、麻生が採決前に解散に打って出る可能性はある。しかし、これには与党の猛反発が予想され、この与党への大逆風の中、都議選で1議席を増やし、不気味な存在感を示した公明党の斎藤鉄夫環境相の首を切ってまで、今の麻生に突っ走れる力があるとは思えない。もちろん、信任してそれを「花道」に辞めてもらうというのも、とても国民に通る理屈ではないだろう。

だいたい、今解散するとすれば、それは麻生の意地とプライドを満たすだけのものになり、多くの自民党議員に無理心中を強いる行為に等しい。それほどの度胸も麻生にはやはりないだろうし、ただいたずらに人の恨みを買うだけのことである。結論としては、不信任が出た時点で、麻生は辞任せざるを得ないと思う。

麻生辞任を受けて総裁選が始まる。民主党や国民からどんなに非難を浴びたところで、我関せず、この人達に物の道理や理屈を説いても全くの無駄である。少なくとも、自民党の議員達に一片の政治的良心があったら、遅くても福田退陣の時に、一緒に下野するだろう。自らの都合で総裁・首相を取り替えることになんの躊躇もなく、それを3年続けようとしているのである。言っておくが、国民はその間、なんの意思表示もさせてもらっていない。勝手に自分達でスカを担ぎ上げ、そして自滅しているのである。「バカ」としか言いようがない。

候補はさっそうと自民の救世主に名乗りを上げたのはいいが、国民にその三文役者ぶりを見透かされ、ほぼ総スカン状態のまま、舞台からそのまま転げ落ちた東国原某の線は消え、やはり党内からの選出。となると、昨秋に麻生と戦った連中がまずは有力候補になる。だが、石原伸晃は、今回の都議選の責任を問われる立場となり、声は上げにくくなったろうし、やはり同じ東京選出の与謝野馨はただでさえ、決して選挙に強くないのに、この結果に今頃震え上がっているだろう。石破茂は内閣の一員にいる今、後継に名乗りを上げるのは云々と理屈を言ってるようで、今回はパス。となると残るは小池百合子に鳩山邦夫、舛添要一、ひょっとしたら野田聖子。中川秀直は自ら出るか、それとも前回同様、小池を担ぐか、以上の「豪華メンバー」で争われることになろう。

有力とされるの舛添。口を極めてののしっていた安倍の内閣に、一転潜り込んで、以来今日まで厚生労働大臣の座に居座り続けているが、これと言った実績もないのに、なぜか「よくやっている」とされ、国民の人気も高いらしい。筆者には全く理解できないのだが、それに気を良くしたか、このところご本人も意欲を示す発言を繰り返している。自民党発足以来、参院議員が総裁になった例はなく、また所詮は議員になってまだ8年のタレント上がりのバフォーマンス野郎と、党内の人気は決して高くはないのだが、それでも他に適当なのは見当たらず、片山さつき以外は最終的には、みんなしぶしぶ認めるのだろう(笑)。手はともかく口だけは間違いなく八丁な新総裁・首相にいただき(そうか、あいつが首相になっちまうのか・・・)、そしていよいよ9月に解散という流れである。だが、ひょっとするともう一幕あるかもしれない、それは「鳩山辞任」・・・。

今の自民党への逆風は麻生のせいだけではないが、麻生の存在によるところも極めて大きい。その疫病神が消え、新総裁の下、自民党は遮二無二、鳩山由紀夫の政治資金問題を突いてくる。もはやそれしか望みがないのだから、その攻撃は恐らく死に物狂い。とにかく国会をギリギリまで引っ張り、連日猛攻撃を続けるだろう。

先日の記者クラブでの講演で鳩山は

「細川政権の教訓は生かさなくてはならない。」

と述べたそうだが、これは皮肉な予言になりかねない。細川護熙は与党内部の対立もあったが、佐川急便からの資金提供疑惑を野党自民党に徹底的に突かれ、退陣に追い込まれた。報道を見る限り、鳩山の一連のそれは、なかなか説明がつきそうもなく、例えなんとか選挙までは逃げ切ったとしても、政権を樹立したとたんに立ち往生しかねない恐れがある。

まして選挙前にダウンした時の民主党のダメージは計り知れない。だからと言って、それで自民党が盛り返すという期待は甘い、どっちもどっちということで、国民はしらけ、棄権に回る。でなければ、渡辺や平沼の第3極志向の連中に走る。その票は今の流れなら、民主党に回るであろう票であり、断じて自民の票を食うわけではない。かつて森喜朗が望み、最近では古賀誠が口走った「無党派層が寝てくれる」が現実となり、民主は伸び悩み、こうなると、学会票というとてつもない固定票を持つ自公が相対的に浮上する。なんだかんだ言って自民は公明、学会をやっぱり粗末に扱えないのである。そうなってしまったら、選挙後の政局はもう、収拾がつかず、筆者がもっとも忌み嫌う「政界再編」という魑魅魍魎が跋扈するという最悪のシナリオに突入する。

それにしても、昨日の都議選、投票率は55%にも満たなかった、大雑把に言って、都民の2人に1人は選挙に行かなかったのである。国政選挙、それも政権交代のかかった大一番のそれなら話は別?繰り返すが、この逆風下、公明は一議席ながらも議席を増やした。それは中選挙区制のマジックの賜物でもあるが、この期に及んでも、選挙に踊らぬ有権者があまりにも多いことが大きな原因なのである。ローマは1日にしてならず、日本の政権交代への道のりも、まだまだ平坦ではない。

あまりの酷使にさすがに気が引けたか、原監督は昨日の阪神戦、とうとう越智と山口をベンチから外した。そんな試合に先発のマウンドを託された内海は元気のないタイガース相手とは言え、見事な完投勝利。これぞエースである、お見事!それにしてもここ1ヵ月以上にわたる貧打はなんなのだろう。リリーフ陣の酷使の原因は、開幕当初の先発陣の不甲斐なさから、点の取れない打線に、明らかに変わっている。坂本の下降、李の不振、阿部の不在という要素も無視できないか、要はつながりがないということなのだろう。間もなく、オールスター、その前に打線の梅雨明けは果たしておきたいものである。

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2009年7月 7日 (火)

勝負とはゲタを履くまでわからんものだ

先日、暇潰しにチャンネルをガチャガチャやっていると、大リーグ中継が出て来た。見るとはなしに見ていると、バッターがヒットを放ち、セカンドランナーが悠然とホームに返って来た・・・と思いきや、矢のようなバックホームが送られて来て、余裕ぶっこいていたそのランナーはなんとタッチアウトとなってしまった。なんとも間抜けなプレーだと呆れたが、この憤死が後で重大な事態を引き起こすことになるとは、その時は思いもしなかった。

得点は10-6、が、実はちょっと前まで10-1だった試合が、前の回の反撃で一気に差が詰まったらしかった。その直後の攻撃での追い上げられている側のボーンヘッドである。このままではすまないかもという思いはよぎったが、それでもマウンドに上がったのが日本人プレーヤーの岡島秀樹でなければ、もともとメジャーになんの興味もない当方は、チャンネルを替えていただろう。

残り2イニングの4点差、騒ぎになる展開とは思えなかったが、岡島が筆者にとってはあまりにも「見慣れた岡島」のピッチングを繰り広げ、キャッチャー前のゴロを緩慢な動きで内野安打にしてしまうお粗末も手伝って、あっという間に無死満塁。ここで岡島はお役御免となって、同じくジャパニーズメジャーリーガーの斎藤隆がおっとり刀で登場して来たが、こうなっては斎藤ではなく、他の知らない投手が出てきたところで、チャンネルを替える気はもうさらさらなくなった(笑)。

その斎藤も相手の勢いを全く止められず、一死はとったものの、ついに1点差まで追いつめられ、たまりかねてベンチはクローザーを送り込む。解説は大島康徳だったが

「一死というのがむずかしいですね。あと一つのアウトならとり易いんですが、こういう場面で二つアウトを取らなくてはならないというのは、結構しんどいんですよ。」

という予言は見事に的中、最初の打者は三振に切ってとったものの、続く打者に左中間を深々と破られ、七回表まで10-1のワンサイドだったはずのゲームがとうとう、10-11の大逆転試合になってしまった。すべてを見ていたわけではないが、こうなるとあの油断としか言えない走塁でみすみす逃した一点の重み・・・後悔先にたたず、勝負はゲタを履くまでわからないという格言をまさに地で行った試合となってしまった。

日曜日に投開票された静岡県知事選は大接戦の末、民国社野党3党が推薦する元大学学長が、自公が推薦する元参院議員らを押さえて当選を果たした。一時は、勝たなくてもいいなどという不遜な声もあったやにも聞くが、ここで負けていたら民主は大騒ぎになっていた可能性が高い。

政権交代に向けてまっしぐらの感もある民主党の重大な足枷になりかねない、鳩山由紀夫代表の「故人献金」問題。負けていれば、この影響を指摘する声は強まり、逆に自民に反攻のきっかけと勢いを与えることになりかねなかった。いや、事前から接戦の予測ではあったものの、ここまできわどくなったのは、やはりこの問題が影を落としていたと見ることもできる。

それにしても鳩山のあの問題は少々ひど過ぎないだろうか。「政治資金収支報告書」なんて所詮、砂上楼閣のような辻褄合わせの作文という面は否定しないが、あそこまで不真面目なものを堂々と掲げられては、あいた口が塞がらない。どういう意図であんなものを作って出したのかは、知らないが、少なくともあれを鳩山本人が全く目を通していないことだけは間違いない。いくらなんでも見ていれば、仮にも「恩師」と慕う人物の名が不当に使われていることくらい、すぐにわかるだろう。その杜撰さ、無責任さは非難されてしかるべきだし、当然、なぜそんなことをしたか、鋭く追及されても仕方ないだろう。

鳩山や小沢が93年に自民党を離党した時に、掲げていた理念は「政治改革」だった。政治改革とはなにか、それはリクルート事件に端を発した「政治と金」に対する国民の不信感の払拭を目的にしていたはずである。それから16年、長年の苦労が実り、いよいよ彼らの悲願だった政権交代が目前に迫って来たはずなのに、その彼らが「政治と金」で足元をすくわれようとしている。小沢も鳩山も自民党にとどまっていれば、党内に今、それなりの地歩を築いていただろう。いや、ひょっとしたら麻生や安倍なんて輩を差し置いて、首相の座を射止めていた可能性だってある。あえて茨の道を選んだ彼らの政治的決断と勇気を称賛することには、やぶさかではないが、それにしても彼らの16年とはなんだったのだろうという思いはぬぐい去れない。

そんな彼らの失策が今や唯一の拠り所となった自民党。今彼らが、懸命に追いかけているのが鳩山の疑惑であり、生色を一瞬取り戻したのは、検察をけしかけて小沢を世論の非難の的にした時だけである。もはや、自民党は政策で攻勢をかけることなど、全くおぼつかない政党になり下がったのである。

鳩山を追いつめれば、まだ希望があると自公は躍起になっているが、静岡知事選は接戦とは名ばかり、民主系候補に元民主党参院議員に投じられた票を足せば、大差。元議員は予想以上の健闘だったと思うが、それでも自公は勝てなかったという事実は重い。

前稿を書いた直後に、にわかに再浮上した内閣改造と党役員人事。下馬評だけは華々しかったが、結局どうでもいい「人事をやった」というアリバイ工作以外のなにものでもない閣僚補充が精一杯。もはや国会も閉じようという中、それになんの意味もなかったことは言うまでもない。

またしても自身の威光を傷つけるだけの結果となっただけでなく(もうそんなもの、とうにないという説も濃厚だが)、替えられかけた三役の威信も低下、そして首になりかけた連中はふてくされて、いよいよ麻生にそっぽを向く、何一ついいことのない結末に、国民がどういう判断を下すか火を見るより明らかなことだった。

それでも尚、わが国の内閣総理大臣である麻生太郎は、サミットに出席すべく日本を旅立って行った。思えば昨年、洞爺湖サミットが行われた時、来年は小沢一郎か岡田克也が行ければいいと書いた。だが、今年まさか麻生がサミットに行くなんて、まして今もって総選挙も行われていないとは、あの時点では夢にも思っていなかった。自らの保身と権力欲の為に、ひたすら総選挙を先送りにし、政治の停滞を長く放置してきた麻生及び自公勢力の罪は、当然迫りくる総選挙で断罪されなくてはならない。

12日の日曜には都議会議員選、それ以降自民党はいよいよ大混乱状態に陥るとも言われている。選挙の結果が、まだ出ていない今、迂闊なことは書けないが、筆者はもう1本道だと思っている。そしてその結果、小池だか東国原だかしらないが、新しい顔が相手に誕生した時、ふと気がつくと自分の方の党首は疑惑に包まれたままだった・・・。

勝負というのはゲタを履くまで本当にわからない。それはまだ3ヶ月も先のことなのだから・・・。

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