総論賛成、各論・・・
洞爺湖サミットが近づいてきた。思えば昨年のサミットに参加した首相は安倍晋三、その前年は小泉純一郎だった。そして今年は福田康夫、3年続けて違う顔が登場している国は珍しかろうが、さて来年は小沢一郎さんか岡田克也さんあたりが行けてるといいのだが・・・。
今年のサミットは「環境サミット」と我が国の首相は意気込んでいる。本当に環境問題を真剣に話し合うのなら、あんな涼しいところでやったって実感湧かないだろうと言っていた人もいたが、それはともかく、とにかく今の状況をなんとかしなければという思いに異を唱える人はあまりいないだろう。だが、具体的にどうするかということになると、途端に話が進まなくなる。
人類の歴史は、生活の利便性を追求し続けてきた歴史であり、そしてその為に自然環境をひたすら破壊、犠牲にしてきた歴史でもある。それが経済効果も生み、社会の活力となり、多くの人間の生きる糧となって来たのだ。そして、1度手に入れたものを放棄することは極めて難しい。
筆者の住む埼玉県の上田清司知事がコンビニエンスストアに対して、深夜営業の自粛を要請することを明らかにした。大英断だと、筆者は拍手を送ったが、当然のことながら当のコンビニ業界からの反撃は厳しい。
TVの深夜放送を自粛してはという話もあった。また、深夜、明々と輝くライトアップも無駄だろうという意見にもうなづけるものがある。だが、現実として、なに1つ動いていくことがない。
コンビニの深夜営業が、地域の防犯に貢献している(明るさを提供して、犯罪防止の一環を担っているという理屈らしい)というのには、思わず笑ってしまったが、まぁ主な言い分は結局
「深夜の営業を止めたところで、削減されるCO2の量は微々たるものである。」
ということにつきる。何年か前に、日に何度も走り回るコンビニの輸送トラックがやり玉に上がった時の反論も似たようなものだったし、深夜放送中止に対する反論もほぼ同じであった。
なにかを止めるということは、それに伴って、害を被る、損をする人が必ずいる。24時間いつでも買い物ができるというその利便性でここまで伸して来たコンビニ業界にとって、深夜営業の自粛は死活問題かもしれないし、トラック便が削減されれば、運送会社が打撃を受け、深夜放送がなくなれば、出演していたタレントや番組制作会社がメシの食い上げになるかもしれず、電気をそれだけ使わなくなったら東京電力が売り上げが下がって困るかもしれない(笑)。
その人達の生活権を奪う権利があるのかという、理屈には一定の説得力はある。商売になるものを見逃すことは自由経済社会の現代では罪という言い分もあろう。なにより、深夜にコンビニが閉まり、TVが現実に消えたら、騒ぎ出すのは実は一般市民かもしれない。筆者とて、仕事帰りが日付けをまたいでしまうことはめずらしくなく、コンビニやライトアップがなければ、心細い思いで帰宅しなければならないだろうし、妻が不在の時には、夕食にありつけなくなる時も出てくるだろう。そして、実際にコンビニの深夜営業停止でどれだけのCO2削減効果があるのか、正確なデータの持ち合わせも筆者には今、ない。
それでも、現実の削減効果があるかどうかはともかく、コンビニやTVを深夜から「消す」べきだと思うのは「視覚効果」が絶対にあると思うからだ。TVが消えたって、世の中にはビデオやDVDがあふれている、だいたいあんただって、深夜に電気をつけて、パソコン開いてくだらんブログをせっせと書いてるじゃないかとい言われれば一言もない。それでも、TVをつけても砂嵐、小腹が減ってカップラーメンでも買いに行くかと思っても、買える所はもうないという現実は、人々になにかを考えさえ、なにか行動を替えようとするきっかけに絶対になるはずなのだ。そのきっかけこそ、今の社会に必要なのではないか。
そんなあやふやなものの、犠牲になってたまるかという意見もあろう。が、そこを整理し、物事を進める為にあるのが「政治」だ、今回の上田の発案を「英断」と筆者が拍手を送るのは、一歩を踏み出そうとした、その政治家としての姿勢を支持するからだ。ただ、そこまで言うなら「自粛要請」などというあやふやなものではなく、思い切って「条例」として打ち出して欲しかった。そして是非議会等で活発な意見を戦わせて欲しかった。
話は少しずれてしまうかもしれないが、諫早湾の干拓事業で長年揺れた有明海の水門の開放を命令する判決が、先日佐賀地裁で下った。政府の衝撃は相当なものだったようだが、こうなった以上、控訴などといたずらに時間を費やすことなく、すみやかに水門開放を決断して欲しい。水門が有明の生態系を変え、自然破壊はもちろん、周辺漁民の生活を逼迫させているのは、ほとんど事実としか思えない。この干拓事業は水害対策の面があり、それが根強い開放反対につながっているむずかしさがあるのだが、どちらかに軍配を上げるとすれば「どちらが元々の自然の姿に近いものなのか」という基準で判断するしかないと思う。これも最後は「政治」の出番である。
7日からのサミットが単なる政治ショー、福田自民党延命の姑息な宣伝舞台ではなく「サミット」の名にふさわしい政治決断の場になることを、筆者は祈って止まない。
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