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2009年10月 7日 (水)

将棋順位戦異聞2009

長い歴史の中で、なかなか起こらなかったことも、1度起こってしまうと、もう壁がなくなってしまうのかもしれない。先日決着を見た将棋の王位戦は深浦耕市王位が昨年の竜王戦以来、タイトル戦史上2度目となる3連敗からの大逆転で2度目の防衛を果たした。敗れた木村一基八段にとっては、棋聖戦に続く今期2度目のタイトル挑戦となったが、悲願にはまたしても一歩届かず、立ちはだかる分厚い何かを痛感させられることとなってしまった。

その木村の挫折でタイトルホルター不在が続くことになった第68期A級順位戦は、これまた波乱に満ちた展開となっている。今期のA級が始まる前は、今年は「波乱」はないと思っていた。羽生名人への挑戦者は、誰がなっても不思議はないほど実力伯仲と思っていたが、陥落者2人は失礼ながら、今期カムバックして来た2人のベテラン、高橋道雄九段と井上慶太八段が、そのままB1に送り返されるだけだと思われたからである。とうに盛りを過ぎた40代の2人のA級復帰は快挙には違いないが、それにしてもいかんせん荷が重すぎる・・・はずであった。ところが、なのである。

3回戦が終了した現時点で、唯一の無傷はタイトル戦からすっかり遠ざかり、ここ2年の戦いぶりを見ると、そろそろA級維持も苦しくなったかに見えた谷川浩司九段。2勝1敗で高橋、井上の両名も含む6名が続き、1勝2敗という棋士はおらず、3連敗になんと佐藤康光、丸山忠久、藤井猛各九段という名人、竜王経験者がずらり並ぶという意外な事態となっているのである。

「藤井システム」を引っ提げ、一時は将棋界を席巻するかに見えた藤井も気が付けば、2001年に羽生に竜王位を奪われて以来、もうまる8年間タイトル戦とは無縁の存在となり、「丸山ワクチン」の効なく、丸山も2003年に棋王位を失って以来、タイトル戦への登場がない。今期ここまでの通算勝率も藤井が.384、丸山が.381と、とても差し盛りの九段の成績とは思えない。

そして佐藤である。丸山、藤井より順位が上の佐藤だが、ある意味深刻なのは、戦前「白星配給係」と踏んでいたはずの高橋、井上に立て続けに叩かれてしまっていること。2年前、地獄の淵から辛うじて生還したあの悪夢の再現に、おびえなければならないのか。

その佐藤がうめくようにつぶやいたと言う。

「40を目前にして、我々も羽生さん以外は、なかなか気持ちよく勝てなくなって来ている。」

と。長らく棋界に君臨してきたいわゆる「羽生世代」も来年、佐藤が達人戦への出場資格を得るのを皮切りに、続々と不惑を迎えることとなる。その年齢の壁が迫ってくるのを、佐藤もひしひしと感じているらしい。いや、羽生だって名人戦で郷田真隆を、棋聖戦で木村をうっちゃり、指定席とも言える王座戦では若手の山崎隆之七段の挑戦を軽く一蹴して見せたものの、今期のここまでの勝率.571は通算勝率が7割をゆうに超えている羽生としては、お世辞にもいい成績とは言えない。

ふと気付くと、現在のところ、羽生を含むA級棋士が軒並み苦戦しているのである。丸山、藤井の他、佐藤、高橋、郷田となんと5人が勝率5割を割り込み、谷川、木村、井上も辛うじて1,2の勝ち越し、まぁ合格点と言えるのは渡辺明竜王への挑戦を控えた森内俊之九段の.667と.611の三浦弘之八段の2人くらいなのである。

これが一過性のものなのかどうかは、もう少し推移を見ないとわからないが、対するB1タイトルホルダートリオのうち、渡辺が勝率8割台、久保利明棋王が7割台で突っ走ってリーグ戦をリード。深浦はやや遅れをとったが、それでも6割台後半の勝率で後に続いている。いよいよ待望久しい棋界の世代交代の息吹なのか、今後の展開は要注目である。

中川昭一元財務相の急逝には衝撃を受けた。筆者は中川氏の支持者でもなく、またその政治信条や姿勢に全くシンパシーを感じたこともなかったが、ついこの間まで重要閣僚として、日本の政治をリードしていた人物の突然の訃報には正直、言葉もない。確かにあの「もうろう会見」は失態以外の何物でもなく、その意味では落選までは「身から出たサビ」としか言いようがないのだが、そんな失意の政治家から命まで奪ってしまうというのは、運命というものの残酷さにおののくばかりである。

中川氏とは因縁浅からぬ鈴木宗男新党大地代表の号泣する姿がTVに映っていた。それを見て、空々しいと思う気持ちもなくはなかったが

「こんな別れ方をすることになるなんて・・・、昭一さんにも私に言いたいことがあったかもしれんし、私も昭一さんにわかって欲しいことがあった。」

という言葉には、胸をつかれる思いもした。

父一郎元農水相の急死を受けて、政界入りした中川氏。父も58歳の若さだったが、彼もそれよりまだ若い齢で天に召されてしまった。財務相、農水相、党政調会長など、要職を歴任して来た彼が、本当は政治家向きの性格ではなかったという評まで、聞こえてくる今、政治家の世襲のあり方にもまた、改めて一石を投じたのではないのだろうか。

それにしても中川元大臣といい、クレヨンしんちゃんの作者といい、人の命のはかなさについてつくづく考えさせられる秋である。

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2008年12月21日 (日)

史上初

片方が勝てば史上初の永世七冠の偉業達成、もう片方が勝てば、将棋史上例のない3連敗からの4連勝でのタイトル死守、そしてどちらが勝っても初の永世竜王の誕生。これでもかとドラマ性を詰め込んで戦われた今期の竜王戦最終局、勝ったのは渡辺明竜王だった。

羽生善治名人の永世七冠がかかっていただけに、久しぶりに一般マスコミにも取り上げられたこのシリーズ。いきなりの羽生の3連勝で、もはや勝負あり、当人達を含めて、誰もがそう思ったに違いない。永世七冠が達成された時点で、「前人未踏」というタイトルでこのブログでも、祝福の文章を書こうと思っていた。それがまさか来年以降に持ち越しになるとは・・・。

囲碁では数例あり、また畑は違うが野球の日本シリーズでも3回を数える大逆転が将棋界ではこれまで1度もなかったのは、単なる巡り合わせだったのかもしれない。しかしまさか、よりによって羽生がそれをくらうとはまぁ誰も思わなかった。確かに相手の渡辺が、別人のように調子を上げ、勢いは完全に渡辺にあるのは目に見えていた。が、そこは羽生である、現に2年前に王将戦で、同じような目に合いかけた時も、佐藤康光をものの見事に跳ね返して見せた。やはりさしもの羽生にとっても、「永世七冠」というプレッシャーは半端じゃなかったということなのだろうか。

それにしても、ここは素直に渡辺の勝負強さ、度胸のよさを称える他はないだろう。思えば森内俊之からタイトルを奪取し、佐藤康を連破、そして今回羽生を見事にうっちゃっての竜王戦五連覇は、いわば「当代ビック3」をなぎ倒して達成されただけに、その価値は否応にも上がってくる。

渡辺は24歳、その年齢不相応の言動、容姿そして棋力は将棋ファンなら知らない人はない。しかし、いわゆる「羽生世代」に上も下もメッタ切りされている将棋界において、それに物怖じせず立ち向かってきたほとんど唯一の棋士かもしれない。

渡辺は羽生のことを「羽生さん」と呼ぶ。しかし将棋界の慣例から言えば、年齢差から見てもキャリアから見ても「羽生先生」と呼ぶべき存在のはずなのである。「先生」などと大仰に呼ばれて平然としている棋士の姿は一般人としては失笑ものだし、そんな変な慣習に反発しているのかと言うとそうでもない。その上の世代の谷川浩司や更に中原誠や加藤一二三といった「大御所」連中はやはり「先生」と呼んでいるから、どうやら意識して羽生をさん付けで呼んでいる。羽生なにするものぞ、という気概を示しているのだろう。

当然それに対して、生意気だとか礼儀を知らないという批判は被って来る。しかし、そんなものを気にする必要はないし、恐らく本人も気にしてはいまい。現に羽生だってタイトルを獲りたての若手の時に、大名人中原を下座に座らせて「大反響」を巻き起こしたこともある。当然守るべき礼節はあるが、必要以上にかしこまることなど、実力の世界である以上、全くないのである。

今回の結果をようやく訪れた将棋界の世代交代の第1歩だと思うのはいささか、速断すぎるだろうか。しかし、誰もが名前を見るだけでビビッてしまうに違いない羽生をこんな形で叩いた棋士がついに現れたのである。渡辺明の名は将棋ファン以外の人々にもしっかり刻み込まれたに違いない。

しかし褒めてばかりはいられない。確かに竜王戦での強さは非の打ち所がない。しかし他のタイトルでの音なし・・・というのはやや言い過ぎかもしれないが、精彩のなさはいささかいただけない。特に竜王位と並ぶ最高峰順位戦で未だにA級に上れないのは永世竜王としては情けない。今期もすでに崖っぷち、次局の久保利明八段戦を落とすようだと、またB1で足踏みがほぼ確定してしまう。厳しいのは承知だが、是非踏ん張ってA級昇級を果たして欲しいものである。

そして羽生である。彼が残している足跡は、金田正一の400勝同様、もはや挑戦はおろか、影を踏む存在すらまず現れないであろう。そんな無人の野を行くがごとくの彼にとって、この敗北は将棋人生で恐らく初めて受けた痛撃ではないか。むろん彼とて無敗ではあり得ない。しかし、ほぼ手中に収めていた栄光を自分より14歳も若い棋士にむしり取られたダメージは決して小さくはないはずである。

今年の羽生は森内から名人位を、佐藤康から棋聖位を奪取。王位こそ深浦康市の粘り腰に取り戻し損ねたが、「指定席」の王座は軽く防衛、まさに奇跡の七冠復活も夢ではないくらいの勢いであった。その羽生を倒した渡辺の偉業が改めてクローズアップされるが、しかしこれで羽生が引っ込むとは誰も思っていない。

年明け早々始まる王将戦、挑戦者は深浦王位。タイミングが合わなくて、書けなかったが、フルセットの末、羽生を返り討ちにしたこの人の戦いぶりも本当は稿を設けて称えたかった。そして今度は挑戦者として登場である。ちなみにこの両者の対戦成績は24-23、わずかに羽生が1勝リードしているのみ。ある程度の数の対局をして、ここまで羽生と互角に戦っているのはこの深浦と渡辺だけだろう。「お客さん」である佐藤の持つ棋王戦は既に今期は敗退、羽生にとって今年度の最後のタイトル戦の相手には不足はあるまい。痛手を受けた直後の苦手との対局、これを羽生がどう戦うか、これはまた、見ものである。

ところで今日放送のNHKの「囲碁将棋ジャーナル」ではなんと羽生本人の解説で竜王戦第7局が取り上げられていた。どの時点で依頼があり、羽生がそれを引き受けたのかは知らないが、いつもと変わらぬ風情で解説する羽生には、正直感心させられた。復帰には時間がかかるとの予想を見事に覆された武豊といい、とにかくどの世界でもトップを張る人物というのは、当方のような平々凡々たる人間には、まるっきり想像もつかない精神的、肉体的タフさを持ち合わせているのだということを改めて痛感させられた。恐れ入ったというしかない。

最後に、当初は軽症を伝えられた中原誠16世名人だが、結局病院での年明けということになりそうだ。将棋連盟の鳴り物入り企画、永世名人揃い踏み免状の署名も断念、休場期間は来年の3月末までだが、とてもあと3ヶ月で復帰できる状況とは思えず、このまま現役引退という可能性が極めて高くなったと言わざるを得ない。1日も早いご回復をお祈りしたい。

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2008年3月26日 (水)

遅過ぎた「初勝利」

日曜日、仕事場で倒れてしまった。それまでなんでもなかったのに急にめまいを覚え、ついに立ってられなくなってしまい、生まれて初めて担架で運ばれるという経験もした。以来、今日まで実家で休養させてもらっている。明日からはなんとか出勤するつもりだが、もう若くないのだと改めて実感せざるを得ない経験であった。

さて、話は替わるが、昨日、なんとも情けないというか、寂しい将棋対局があった。カ-ドそのものは黄金カ-ドと言っていい。昨年18世名人の資格を得た森内俊之名人と同じく昨秋に16世名人を名乗ることになった中原誠のまさに「永世名人対決」である。なにが寂しかったのかと言えば、その対局の行われた状況である。それが「竜王戦5位決定戦1回戦」だったからだ。

5位決定戦といってもその有態は「敗者復活戦」に過ぎない。ここで竜王戦のシステムを詳しく説明するのは避けるが、全棋士が6つのクラスに分かれて渡辺明竜王への挑戦権を競うのが竜王戦、中原も森内もその中の最上位クラス1組に所属しているのはさすがとは言えるものの、共に1回戦に敗れ、裏街道ともいうべき本戦出場者決定戦に回らざるを得なくなった。永世名人対決のシチュエ-ションとしては寂しいというしかない。

長らく永世十段を名乗ってきた中原が還暦を機に名誉王座、更には栄光の16世名人をも合わせて名乗るようになって半年ほど、筆者の危惧通りその戦歴は情けないの一言。ひたすら黒星が並べ続けて来た。自他とも認める苦手郷田真隆九段と立て続けに3つ当たってことごとく、粉砕された「不運」もあるにしても、なんとかするのが永世名人ではないか。他にもCクラス棋士や七段棋士あたりにもひねられて、永世名人襲名後、未だ未勝利の体たらくでは木村義雄、大山康晴という偉大な先人が泣こうというものだ。そんな状況でこの程残る「永世棋聖」「永世王位」も名乗ることになったというニュ-スも伝わって来るに及んで、もうヤケッパチになっているじゃないかと心配になってくる。

一方の森内も元気がない。郷田を破って永世名人の資格を得て約1年、しかしその戦歴はお世辞にもパッとしているとは言えない。名人戦以降の6つのタイトルの挑戦者に名乗りを上げることもなく、逆に早々に敗退するケ-スが目立った。竜王戦1回戦も失礼ながら松尾歩七段辺りに負けてるようでは・・・今期勝率.533というのも現名人としてはやはり寂しい。

そんな2人の対局は記憶に間違いなければ、5年前の竜王戦挑戦者決定戦3番勝負以来のはずである。あの時は、当時竜王位を羽生善治が持っており、ついに羽生-中原のタイトル戦実現かと大いに盛りあがったが、そんな世論の風に屈せずに森内が堂々と勝ちきり、その勢いで羽生から立て続けにタイトルを奪って行くことになった。その時とは対照的にひっそりと(?)行われた昨日の対局は16世名人が後手番ながら現名人を破ってやっと遅まきながら永世名人襲位後、初勝利を挙げた。将棋の内容はまだ伝わってきてないが、事前の大方の予想はやはり森内乗りだったはずだから、やはり意外な結末であろう。今の中原に多くを期待するのは、酷とはわかってはいるのだが、永世名人を名乗って戦っている以上、その肩書きにふさわしい戦い方をする責任はあると思う。

そして森内の元気のなさは心配だ。対局前、そろそろ中原の勝ち頃じゃないかと筆者は思っていたが、実際そうなってみるとやはり驚く。これで森内は来期竜王戦は2組降級が決定、現名人としてはやはり屈辱の事態だろう。まもなく始まる名人戦の挑戦者は言うまでもなく最強のチャレンジャ-羽生、体勢を立て直す時間は少ない。

ちなみに中原の次の相手は佐藤康光ニ冠、別の山では1回戦でなんと羽生ニ冠と谷川浩司九段の対戦も予定されており、こちらも負けた方が2組降級となる。これらの面々がみんな1組1回戦で負けたことになるのだから、最初の「情けない」という言い草は中原、森内にちと厳しすぎましたかな?(笑)

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2008年3月 6日 (木)

深夜の死闘

画面に映るその男は苦悶していた、まるでこの世の苦悩を1人で背負い込んだかのように、いや本人にしてみれば本当にそんな心境だったのかもしれない。

ポーカーフェイスこそ勝負師の鉄則とされる日本の勝負の世界で、彼は異質の存在である。彼のライバル羽生善治にもその傾向が見られるが、とにかく苦しい時は本当に苦しい表情を露にするし、驚いた時には動揺を隠そうともしない。数年前のNHK杯で中井広恵女流二冠(当時)と相対した時の彼も、とにかく落ち着きがなかった。その前年のNHK杯で当時A級棋士だった青野照市九段を破ってベスト16まで進出するという快挙を演じた中井はその年も当たり前のように1回戦を突破、彼に挑んできたのだが、落ち着いている(ように見える)中井に対して、とにかくキョロキョロあたりを見渡したり、盤面をにらむ中井をなんとも言えない不安げな表情で眺めたりとまさに「挙動不審」。前年、中井の挑戦を泰然と迎えた中原誠十六世名人とは大違い、将棋の内容も一蹴と言って差し支えない完勝だった中原に対して、彼は解説者が「中井必勝」と言うまでに追い詰められ、終盤焦った中井のミスをなんとかとがめて勝ちを拾った形になった。なんとも正直な人である。

そしてこの日も相手の木村一基八段は苦悶する彼の前で、なにかあったのといわんばかりの文字通りのポーカーフェイスで涼しい顔をしている。そのあまりの対照的な映像に当事者達には申し訳ないが、筆者は思わず笑ってしまった。

だが、この日の彼、佐藤康光二冠は確かに追い詰められていた。佐藤が当代きってのトップ棋士の1人であることに異論をはさむ人は将棋に興味ある人の中にはまずいないだろう。その佐藤がトップ棋士である証ともされる順位戦A級リーグ戦から陥落の危機を迎えているのである。人間、誰しも衰えは来る、過去幾多の名棋士が年齢に勝てずにA級を去って行った。だが、佐藤は現在タイトルをそれも2つも保持しているバリバリ、そんな棋士がそこまで追い詰められるなど恐らく前代未聞の事態だろう。

3月3日、関係者やファンが「将棋界の一番長い日」と呼ぶA級順位戦最終局5対局が一斉に行われた。この日がNHK衛星の生中継が入るほどの高いイベント性を帯びているのは、最高峰名人位への挑戦者が決まるからではない。「他人の不幸は甘い蜜」という言葉がある通りに、誰がA級棋士の座を失うのだろうという興味からに他ならない。そして今年は佐藤という超大物の危機に、対局の行われた将棋会館は近年にない異様な熱気に包まれていたという。

降級者は2人、既に行方尚史八段の降級は決定。あとは佐藤か久保利明八段か、久保も敗れてしまったものの、今年2つのタイトル戦の挑戦者になったほどの実力者である。その2人が降級を争う、今のA級のレベルの高さを証明している現実である。久保より順位の高い佐藤はとにかく勝てば、自力で残留が決められる。絶対に勝つ、佐藤は決死の覚悟で会館に乗り込んで来たはずである。

タイトル戦はもちろんのこと、棋士はここ一番という時には和服を着用して対局に臨む。この日、久保もそうだった。しかし佐藤は背広、なぜか既に残留が決まり、名人挑戦の可能性もない相手の木村の方が和服だった。対局は終始佐藤ペース、一時は佐藤必勝のムードだったという。ところが仕事を終えて帰宅した筆者が日付も変わった12時過ぎにテレビのスイッチを入れた時の状況は、最初に記したような様子になってしまっていた。木村の「感動的な粘り」ゆえであった。

対局中の棋士にとって唯一の武器は己の頭脳であり、唯一の味方はその頭脳を稼動させる為の「時間」しかない。だが、佐藤には既にその味方が失われていた、いわゆる「1分将棋」の状況に追い込まれていたのである。一般人とは比較にならない緻密な頭脳と思考回路を持つ棋士にとっても1分という時間はあまりに短い。ここで間違え、ひっくり返った将棋は枚挙にいとまがない。勝勢の将棋をここまで押し戻され、まして追い詰められた状況にある佐藤は本当に生きた心地がしなかったのではないか。そして事実、この後佐藤は解説者達が首をひねるような手を連発していく。そしてある瞬間、ついに形勢は逆転し、佐藤の王は完全に詰み筋に入ったのだという、しかし佐藤はもちろん、多少時間を余し、優位に立ったはずの木村の方もそれに気づいてはいなかった。将棋という「ゲーム」の恐ろしさがここにある。

そして、佐藤は勝った。見ていて筆者はポーカーフェイス、どんな時にも勝負師は心中を相手に察せられないようにしなければならないなんて嘘っぱちだし不可能だと確信した。その数手前、それまで喘ぐ様だった佐藤の苦悶の表情がふっと緩んだ。とほぼ同時にそれまでクールなポーズを崩さなかったはずの木村からも身体の力がスーと抜けていくのが画面からもはっきり看てとれた。人間なんてそんなものなのだ。

木村投了、その瞬間にカメラマンがどっと部屋に雪崩れ込んできた。その中に混じって姿を現した先崎学八段が例の詰み筋を2人に指摘、感想を求めた。だが佐藤も木村も半ば放心状態、すぐには反応できずに呆然と先崎の言葉を聞いているだけであった。まさに死闘、誰が言ったか「将棋は格闘技」という言葉は嘘ではなかった。

その時、時刻は1時半を回っていた、だが尚も死闘を繰り広げている男達がいた。久保と三浦弘行八段である。この対局はこの日最大の注目カードであった、三浦にまだ名人挑戦の可能性もあったからだ。だが、トップを行く羽生二冠が早々に谷川浩司九段を破って森内俊之名人への挑戦を既に決めていたし、佐藤が勝ったことで久保はもうA級陥落を逃れることはできなくなっていた。しかし久保も三浦もそのことを知らない、当事者同士が同場所で一斉に対局する為に、この日は対局者が他の対局の状況や結果を対局中に知ることがないように配慮されているからである。あくまで可能性を信じ、彼らはなんと千日手後の指し直し局を戦っていたのである。その姿は感動的、としか言い様がなかった。

羽生が十九世名人の座を賭けて、十八世名人の資格を得た小学生以来の好敵手森内に挑む名人戦は楽しみである。だが、その先に待つ来期のA級順位戦もまたとてつもなく楽しみではないか。久保と行方の去った後には深浦康市王位と鈴木大介八段のA級経験者がカムバックしてくる。渡辺明竜王の姿が見えないのは残念だが、ほぼ現在の将棋界のベストメンバーが顔を揃えたといって過言ではないこのリーグ戦で誰が勝者となり、誰が降級の憂き目を見るのが、今のところ、筆者にはとても想像もできない。

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2007年11月18日 (日)

将棋順位戦異聞

最初に前稿「人情、紙のごとし」に対して、KIDさんという方から抗議のコメントをいただいた。ダルビッシュ有投手は今までメジャーに対する意欲を1度も見せたことはなく、某雑誌でのインタビューにおいても、明確に否定しているので、彼に関する文章は取り消して欲しいとのことであった。

KIDさんはダルビッシュ投手個人または北海道日本ハムファイターズの熱烈なファンとお見受けする。当然、ジャイキチ一本槍の当方より、遥かに彼に対する情報はお持ちだろう。しかし、そんな方に逆らうようで申し訳ないのだが、ダルビッシュが1度もメジャー志望を口にしたことがないという点に関しては同意いたしかねる。しかし、筆者はその雑誌を見ておらず、彼がそこではっきりそう発言されたのであれば、それが現在のダルビッシュ投手の心境であることは疑う余地もない。その点、筆者の認識が間違っていたのであり、訂正してお詫び申し上げたい。

さて、現在将棋界にある7つのタイトルのうち、最高峰とされているのは現在渡辺明に佐藤康光が挑戦している「竜王戦」である。しかし、現実には長い歴史と伝統に裏打ちされた「名人戦」の存在は重く、将棋界はその予選である「順位戦」を中心に回っているといって、全く過言ではない。

「順位戦」とは文字通り、名人を頂点としたプロ棋士全員が順位によって序列づけされており、まさに現役棋士のランキングである。なんらかの事情でその序列から外れたしまった「フリークラス」の棋士もいるが、彼らの現役続行には厳しい規定があり、ある一定の規定を満たして、順位戦に復帰できないと、最終的には現役を追われることになる。逆に、5クラス編成になっている順位戦の中のトップ「Aクラス」に所属する10人とその彼らの上に位置する名人の計11名はその年の自他とも認める将棋界のトップということになる。

Aクラスとその下のB1クラスは1年間に渡って、所属棋士による総当たり戦が実施される。A級トップは名人への挑戦権を得、成績下位2名は降級となるのだが、ここ数年、上位の壁は厚く、せっかく下から上がっても、厚い壁に跳ね返され、1年で降格という光景が繰り返されてきた。今年、A級には木村一喜、行方尚史両八段が初の昇格を果たした。2人には申し訳ないが、この2人が1年後、すごすごとB1に逆戻りさせられるのは間違いないと筆者は考えていた。

ところがどっこい、様相が全く違うのである。行方は1勝4敗と苦戦を強いられているが、木村はなんと現在まで4連勝。次の相手が同じく連勝中の郷田正隆九段であり、その結果次第では単独トップにも踊り出そうかの勢いである。逆に現在2冠、挑戦争いでも対抗に押されていた佐藤が勝ち星なしの5連敗。昨年初めて、順位戦での負け越しを記録してしまったとおもったら、もう今年は早々に負け越し決定である。

更に永世名人の資格も持つ谷川浩司九段も昨日やっと久保利明八段に勝って、今期順位戦初白星。久保、行方という自分達より順位の低い不振者がいるので、まだ焦ってはいないだろうが、特に、未勝利の佐藤はやはり気持ちは悪いだろう。タイトルホルダーや永世名人資格保持者のA級陥落などがもし起こったら、これはまさに事件である。今後の2人の巻き返しに注目したい。

その下のB1は不運が重なり、なかなかA級に定着できないものの、ここでは一枚抜けている深浦康市八段(現王位)といよいよここまで上がってきた若き竜王渡辺の昇級でガチガチかと思っていたら、これもさにあらず。深浦は鈴木大介八段、高橋道雄九段の後塵を拝し、現在3番手。渡辺に至っては、「鬼の棲家」とあだ名されるほどの実力者揃いのこのクラスの痛い洗礼を受け、現在2勝5敗は昇級どころか、順位が一番下なだけに、まだ降級の危機すら脱していない。中原、谷川、羽生、一時代を築いた大棋士達はこんな所で足踏みはしていない、まして降級などということは渡辺クラスの棋士には絶対に許されることではない。奮起を期待したいものである。

最後にやや、話題は逸れるが、還暦を迎えて、先日名誉王座をその肩書きに加えたばかりの中原誠がいよいよ「16世永世名人」も名乗ることになった。一応永世十段も加え、3つの肩書きを名乗るそうだが、現実には「中原16世名人」と称されることになるはずだ。現役引退後に名乗るのが、ルールのはずの永世名人位をなぜ今、急に襲名することになったのか、首をひねらざるを得ない。河口俊彦七段曰く、将棋界のルールは人によって変わるのだそうで、15世名人の大山康晴も名人位を失って早々に、名乗っていた事実はある。

しかし、厳しい言い方になるが生涯現役A級を貫き、一線に踏みとどまったまま亡くなった大山はまだしも、今の中原に現役のままそう名乗る資格があるのだろうか?史上初の永世名人資格保持者としてのA級陥落の屈辱を味わい、順位戦での戦いも放棄した中原に残された現役の時間は長くてもあと5年。奮起して永世名人にふさわしい戦いができるのか、疑問は大きいといわざるを得ない。更にまたぞろ例の女性問題を蒸し返され、いらぬ非難も浴びる心配もある。

誰がどういう理由で中原にそれを勧め、中原もどういう心境でそれを受けたのか、筆者には全く窺うことすらできないが、現在も一部に囁かれている名人位の権威失墜に拍車をかけることになりはしないか、ウ~ン・・・。

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2007年10月 1日 (月)

おめでとう、二題

羽生善治が将棋界の第一人者に君臨してから、どのくらい経つだろうか。現在、もっとも権威があるとされる名人位は森内俊之の手にあり、彼が先日羽生に先んじて永世名人の資格を得たことは記憶に新しいし、またタイトル序列NO1とされる竜王位には23歳の若き強豪渡辺明がガッチリ握っている。にも関わらず羽生が今も将棋界をリードしているということに異論をはさむ向きはほとんどないだろう。

かつて将棋界にある七つのタイトルを独占し、空前の将棋ブーム、羽生プームを起こした当時と比べれば、数字だけを見たら劣っているかもしれないが、それが羽生の衰えとは全くイコールにはならない。羽生の姿を見ていると第一人者とはかくあるべきというものをまざまざと見せつけてくれる。羽生のすごさ、恐ろしさは「容易に土俵を割らない」ことであろう。

羽生は確かに一時期のような「常勝」ではなくなった。当たり前のように常にタイトル戦に出ているという状態ではない、羽生が挑戦者としてタイトル戦に出たのは2005年の名人戦が最後だからもう2年以上のブランクになる。

それでもその間、王位、王座、王将という三つのタイトルを守り続けてきた。むろん挑戦者を一蹴することも多いが、先制を許しても絶対にあっさりは負けない。カド番に追い込まれてもそこから踏ん張り、最後は勝つ。恐ろしいばかりの執念と粘り腰である。

こうなると逆に追い詰めてるはずの相手がプレッシャーを感じてしまう。この羽生の迫力と底力に今の将棋界でひるまずに立ち向かえるのは森内俊之と辛うじて谷川浩司の2人くらいではないか。本当ならここに佐藤康光の名前も加えなければならないのだが、佐藤の羽生コンプレックスは目を覆うばかりで、とても同世代の対等の実力者とは思えないほど対羽生はだらしない。対戦成績を見てもほぼダブルスコア、佐藤の奮起を期待したい。

話が逸れてしまったが、そこで先日まで行われていた王位戦である。挑戦者の深浦康市八段は通算勝率がつい最近まで7割を誇っていた実力者なのだが、いわゆる羽生世代に頭を押さえつけられ、大舞台での活躍が乏しい。タイトル挑戦も11年前に同じ王位戦で羽生に挑戦して以来、その時は1勝4敗と完敗を喫している。

それだけではない、深浦は2002年に当時7大タイトルに準ずる権威を認められていた朝日オープン選手権を奪取したが、翌年羽生にあっさり奪われているし、2004年には初のA級昇級を果たしたものの、最終戦で羽生に敗れ、結果としてこの1敗が致命傷となって1年でA級陥落の憂き目に合っている。

更に、先ほど、羽生世代に頭を押さえられと書いたが深浦と羽生は実は生まれ年で2年、学年でいうと1年しか違わない。これは深浦が遅咲きというより、羽生や佐藤、森内が早熟でなおかつ息長い活躍をしているということ。こういう人々と世代を共にすると一種の悲劇であろう。そんな恨み骨髄(?)の羽生にようやく一太刀浴びせられる機会を得た深浦は3勝1敗と怒涛の勢いで羽生をカド番に追い詰めた。

ところが、ここから例によって羽生が負けない。当たり前のように2つ返して、3勝3敗の5分に持ち込まれ、これで勝負あったなぁと筆者などは思っていた。そして迎えた最終局、死闘の末、羽生の猛攻をしのぎ切って勝利を掴んだのは深浦だった。難攻不落を思わせた羽生からのタイトル奪取に深浦も感慨ひとしおだったことだろう。

これで羽生は王座・王将の2冠に後退、タイトル数で棋聖・棋王を保持する佐藤に並ばれた。その佐藤は5連続タイトル挑戦の離れ業をした昨年ほどの活躍はなかったが、ここに来て2年続けての竜王位挑戦が決定。対する渡辺は前人未到の竜王位4連覇の偉業がかかる。昨年の竜王戦、今年の棋聖戦はそれぞれが保持するタイトルを守りあってのいわば決着戦、楽しみである。

そういえば一時は羽生、佐藤、森内、渡辺に独占されていた感のあるタイトル戦も深浦や鈴木大介、久保利明といった名前も見かけるようになった。羽生王国から戦国時代に入るのか、それとも王者羽生が踏ん張るのか、興味はつきない。

そしてもう1つ、羽生の前に一時代を築いた中原誠永世十段・名誉王座が9月27日の対局で大山康晴以来、史上2人目の通算1300勝を達成した。往時の強さを知る者にとっては遅すぎた達成とも言えるが、還暦を迎え、尚現役で頑張る姿はよしとしようか。

このブログの最初の方で、今年の中原はなかなか好調と書いたが、そのあとは格下相手にあっさり負ける「最近の中原」に戻ってしまった感がある。今後の抱負としてタイトル挑戦や棋戦優勝を目指したいとコメントしていたが、その意気で是非頑張ってほしいものである。永世十段・名誉王座なんて過去の遺物の肩書きを長ったらしく名乗ってるなんて現役棋士としてはかっこよくないからね。

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2007年7月22日 (日)

偉業二題

武豊騎手が土曜日の小倉競馬場で4勝をあげ、JRAでの通算勝利数を2944とし、ついにあの岡部幸雄さんの記録を抜いて、最高峰に立った。なんとか土曜日中に決めたいという公言通りの達成は見事と言う他はない。

岡部幸雄と河内洋という東西の二大巨頭が相次いでターフを去り、名実共にNO1ジョッキーとして君臨していたはずの武騎手も今年は思わぬ苦闘を強いられてきた。

例年ならスタートから他に並ぶ間も与えずに勝ち星を量産、リーディングを独走することを常とした武が、今年は大きく出遅れ、岩田康誠、安藤克己といった面々に先行を許し、なかなかその差を縮めることができないままであった。

確かにその騎乗ぶりは精彩を欠くと見られても仕方ないことが多く、ついにはダービーでお手馬から降板させられるという屈辱を味わうことになった。ディープインパクトという名馬との別れで一種の燃え尽き症候群になっただの、サンデーサイレンス産駒のいい馬ばかりに乗って、ペース配分がすっかり狂ってしまっただの、単純に騎乗技術が落ちただの、ここぞとばかりに言われたい放題に言われてきた。勝てない武豊に用はないとばかりに騎乗数も減る一方、かつて彼を可愛がってくれていたベテラン調教師が次々と勇退し、あとの人脈を作ることを怠ったツケという話もあった。

更に彼にとってまずかったのが、宝塚記念でやはり降板させられた馬が岩田の手綱で勝ってしまったことだ。武豊の時代は終わった、気の早い連中がそう言い始めていた。

だが、どっこい彼は死んでいなかった。夏のローカル開催と共に騎手が各地に散ったこともあり、騎乗数が戻って来た。凱旋門賞に二冠馬メイショウサムソンで挑むことも決まり、精神的な張りができたのも大きかったのではないか、彼得意の固め勝ちが出るようになってきたのだ。

そして今日を迎えたわけだ。最終レース後に胴上げされて、まるで引退するみたいな扱いだったとブログで苦笑していたが、まだまだこれから。岩田追撃は至難の業だが、久しぶりの追いかける立場の彼の意地も見てみたい。いろいろ言われて、さぞ悔しかったろうが、結局勝って見返すしかないのが勝負の世界、これからの更なる活躍を期待したい。

そしてもう1つ、いささか旧聞に属する話になってしまったが、将棋の森内俊之名人が名人位5期目を獲得、見事18世永世名人の資格を手にした。子供の頃から頭を抑えつけられてきた羽生善治三冠を差し置いての快挙は森内にとっても感慨深いものがあったろう。

故大山康晴15世名人に次ぐ、歴代2位のタイトル数を誇る羽生に比べ、タイトル獲得が10期にも満たない森内の永世名人は役不足との批判もあるが、ここは素直に森内の偉業を讃えるべきではないか。

「羽生さんにも、歴代の永世名人にも実績でははるかに及ばない。今更追いつけるわけではないが、数字以外のことで自分の存在価値を見つけたい。」

とは本人の弁、その意気、よしではないか。

好不調の波が割りと大きいのは気になるが、今の将棋界で羽生とがっぷり四つに組めるのは恐らくこの人1人、ひょっとしたら羽生が苦手意識を持つ唯一の棋士かもしれない。その点、羽生に対しては蛇に睨まれた蛙のようになってしまう佐藤康光二冠とは違う。しばらくこの三人に渡辺明竜王を加えた四人が将棋界の天下を争っていくことになるだろうが、晩成の永世名人、森内にはこれまで以上のエールを送りたい。

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